プロバンスの猫・・・南仏の光と影

放射能体外排出と免疫力アップ 「アップルペクチン+マルチ・ビタミン+カルシウム+マグネシウム+ビタミンC」

Chanson 音楽

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 ZAZの初アルバム「ZAZ」
 
今年の5月10日発売されてから2ヶ月間というわずかの期間に、
 
フランスの音楽アルバム売り上げランキング第一位に輝き、
 
夏中その座を守り抜いて今は第二位になっています。
 
 
フランスの聴衆にとって、彼女が全くの無名に等しかった事を考えれば、
 
これは異例の快挙と言って良いかも知れません。
 
 
 
 このアルバムは、
 
JAZZ色の濃い、彼女作詞作曲のメッセージ性の高い三曲。
 
彼女の相棒のギターリストによるジタン音楽の香りのする三曲。
 
彼女を見出したラファエルが書いた、都会的で洗練されたポップ三曲。
 
その他、カバー曲が二曲の計11曲が入っています。
 
 
 
 
 
ここで今日紹介するのはその中の一曲、「DANS MA RUE(あたしの通り)」
 
路上ミュージシャン時代の彼女の十八番だった、
 
1950年代の女性歌手「エディット・ピアフ」の カバー曲です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「DANS MA RUE (私の通り) 
 
 
モンマルトルの旧市街
 
毎夜、父さんは酔っ払って帰ってくる
 
あたし達、四人の子供を養う為に、
 
洗濯屋の洗い場で、母さんは働く。
 
あたしが病気だった頃、窓際に座って、
 
通り過ぎる寄留の人達を見ていた。
 
夜の深ける頃、あたしは少し怖くなる。
 
 
 
あたしの路地に行き交う人達がいる。
 
夜、彼らの戯れる声がする、彼らの口ずさむ歌を子守唄に眠る。
 
突然起こされるのは、人の叫び声、響く口笛、行きつ戻りつする足音・・・ 
 
そして後の静寂、あたしは恐ろしくなり凍りつく。
 
路地には、始終行き交う影がある。
 
そしてあたしは恐ろしさに震える。
 
 
 
ある日、父さんが言った。
 
娘よ、始終そうしているお前は何の役にも立たない、
 
食い扶ちを稼ぐのは俺たち家族なんだ。
 
お前は男達には、ちょっとした別嬪に見えるだろう。
 
夜は外に出て行ったらいいさ、
 
世の中には、道を歩きながら食い扶ちを稼ぐ女達もいる。
 
 
 
あたしの通りには、歩き彷徨う女達がいる。
 
夜、鼻歌が聴こえる、彼女達の口ずさむ歌を子守唄に眠る。
 
突然起こされたのは、人の叫び声、響く口笛、行きつ戻りつする足音・・・ 

そして後の静寂、あたしは恐ろしくなり凍りつく。
 
路地には、始終行き交う影がある。
 
そしてあたしは恐ろしさに震える。

 
 
随分前から、あたしには家も無い、お金も無い・・・
 
あたしが他人にどう見えるのかは知らないが、
 
客を見つけることが出来なくっちまった。
 
通り過ぎる人達に施しを願う、ひとかけらのパンと、わずかな人の暖かさ。
 
望むものはそれだけなのに、今はあたしが彼らを恐れさせる・・・。
 
 
 
あたしの通りを、あたしは毎夜歩き彷徨う。 
 
人はあたしの啜り泣きを聴く。
 
風の吹きすさぶ音が天に響く夜半、
 
あたしの身体は雨に濡れて凍りつく。
 
もう耐えられない、
 
あるのはたった一つの望みだけ、
 
神様があたしを側に招いて暖めてくれること、
 
通りには、私を連れて行ってくれる天使達がいる。
 
あたしの悪夢が永遠に終わるように・・・。
 
 
 
 
 
                TROP SENSIBLE (繊細過ぎる)」
 
 
 
あんたは繊細過ぎる、本当だね。
 
他人はあんたが誰なのか見ようともしないけど、
 
あんたが繊細過ぎるって、知ってるよ。
 
あたしだって、それで死にかけた事がある。
 
 
 
恐れ、動揺して、衝動に駆られる
 
心に沸く激情が、すぐに言葉にならないで、
 
あまりにも高まり過ぎて怖くなる。
 
自分の世界で孤独なあんた。
 
星に歌いかけ、大地を慈しむ。
 
 
 
あんたは、「世界」が瀕死で唸っているのを感じるんだろう、
 
でもそれをなだめる事はもう出来ないんだ。
 
あんたは爆弾の様な苦しみを感じている。
 
チクタク、チクタクと、小さく響く音。
 
 
 
あたし達皆んなを、嘲笑いながら、
 
「墓場」まで連れて行こうとする権力者達。
 
青白く病み切ったこの世界は、最後には目が覚めるだろう。
 
だけど恐ろしいのは今それが、一本の細い糸でぶら下がっている事さ。
 
でも安心しなよ、あんたは救われる。

 
 
天使の様だね、あんたの顔。
 
みんなに綺麗な仮面を見せている。
 
人はあんたを無垢で幸せだと思うだろう。
 
なのにあんたは悲しみの中を彷徨っている。
 
 
 
あんたの天使の様な顔で、
 
他人はそれとは分からずに、
 
花や笑顔や蝶々や幸せばかりが頭に詰まっていると信じている。
 
あたしにはあんたの痛みが分かるよ。
 
それが観える、それを聴いて上げるよ。
 
怒りも絶望も当然の事さ。
 

 
 
 
  
 
 
 
通りすがりの人達が行き過ぎてゆく。          
 
彼らを眺めながら思い巡らせ時間が流れる。
 
彼らの急ぐ足並み、彼らの傷ついた身体。
 
自身ありげな歩調に彼らの過去が見え隠れする。
 
仮面の様な彼らの顔に嫌気が差すのに、、
 
どうすることが出来ようか、それが今時の風潮だもの。
 
通りゃんせ、通りゃんせ、最後の者は通しゃせぬ。
 
 
 
子供には全てがお祭り騒ぎ、巡りめぐってそこが原点。
 
物事をありのままに受け取り、押し着せの考えは頭には無い。
 
秋なってしまったんだ、つい昨日までは夏だったのに、
 
加速する時に私は驚きながら、歳の数字は、わたしを夢に誘う。
 
通りゃんせ、通りゃんせ、最後の者は通しゃせぬ。
 
 
 
 
 
       「EBLOUIE PAR LA NUIT(夜に目が眩み)」
 
  
  
一瞬の激しい閃光、夜に目を眩まされ
 
灯りに目を輝かした車達、スレスレに通り過ぎて行く。
 
100年もの間待っていた、
 
モノクロームの道端に立ち尽くしながら。
 
そしてあんたは口笛を吹きながら現れた。
 
 
 
一瞬の激しい閃光、夜に目を眩まされ
 
一艘の船の様にみすぼらしい空き缶を蹴り上げる。
 
狂おしいのは好きだから、最悪それ以上かも知れない。
 
100年もの間待っていた、
 
モノクロームの道端に立ち尽くしながら。
 
そしてあんたは口笛を吹きながら現れた。
 
 
 
一瞬の激しい閃光、夜に目を眩まされ
 
あなたは人生を愛するの、それともただ過ぎるのを眺めるだけ?
 
煙を吸う夜の後、朝には灰しか残らない。
 
地下鉄は人生の眩暈で満たされている。
 
100年もの間待っていた、
 
モノクロームの道端に立ち尽くしながら。
 
そしてあんたは口笛を吹きながら現れた。
 
 
 
 
 
 
       そしておまけは、前の記事のTV出演と同曲、
       今大ヒット中の、「JE VEUX(私が欲しいのは)」の
       クリップ・ビデオです。
       
 
       あたしが欲しいのは、愛情と、生きる喜びと、幸せな心。
 
       あんたのお金が私を幸せにするんじゃないのよ。
 
       あたしは、胸に手を当てて野垂れ死んだってかまいやしない〜♪
 
       ・・・・・(笑)
 
                       
イメージ 1
 
 
 
 
パリのモンマルトルの丘。                                      
芸術家に愛された石畳の古い街                              
 
行き交う沢山の観光客で毎日賑わうこの街は、                          
現在は「大道芸人」や、「無名ミュージシャン」など、                       
「路上アーティスト達」の絶好の舞台となっています。                   
 
 
 
その路上の片隅に、                                     
 
いつも「エディット・ピアフ」の歌を歌っていた、ある若い歌い手がいました。                  
彼女のニックネームは、「 ZAZ (ザズ) 」                     
 
西南フランス出身で、今年30才の女性でした。                     
 
 
 
 
 
 
 
 
 下の映像は、路上ミュージシャン時代の 「 ZAZ 」が、                          
モンマルトルで歌う エディット・ピアフの 「DANS MA RUE (私の路上)」。      
 
     (ごめんなさい、映像が途中で切れています。 雰囲気だけでも・・・☆)
 
 
                   
 
          
 
 彼女は二十一歳の時、才能が認められボルドーで歌の訓練を受けましたが、
 
その後パリへ出て、生活の為に夜バーやキャバレーで歌いだします。
 
いくらもしないうちに、夜の世界に嫌気が差し見切りを付けて
 
彼女は自分の歌の舞台として「路上」を選びました。
 
 
 
そして何年か後のある日
 
偶然側を通りかかった、有名シンガー・ソングライターの「ラファエル」が、
 
彼女の歌に惚れ込んで、アルバム制作を持ちかけます。
 
    
 
こうして、今年の5月10日に全国発売された、「初アルバム」のタイトルは、
 
彼女のニックネームそのままの「 ZAZ (ザズ) 」
 
このアルバムが発売されてから、二月も経たないうちに、
 
フランス国内アルバム売り上げランキングの「TOP1」に輝いてしまいました。
 
 
 
それからは、もう一大旋風といった感じで、
 
フランス中いたる所で彼女の歌が流れ始めます。
 
突然振って沸いたような成功に、一番驚いたのは彼女自身かも知れません。
 
 
      
ちょっぴり乱暴で危うく、まるで男の子の様な仕草と言葉で話す彼女は
 
路上を自分たちの居場所として選ぶ他の若者達同様、
 
場所に合わせて「自分自身」を変える器用さを知らない。
 
今まで自分達を成功した側として、「路上の人達」を別人種と見て来た人達は、
 
戸惑いながらも、彼女の魅力と才能に魅了され、歌声に圧倒される。
 
 
 
 
  
 
 テレビ出演で、
彼女の作詞作曲の歌 「Je veux (私が欲しいのは)」を歌うZAZ
 
 
 
 「 Je veux (私が欲しいのは)」  歌詞邦訳
 
 
ホテル・リッツのスィートルームをくれるって?! そんなもの私にはいらない!
 
シャネルの宝石をくれるって?!   そんなもの私にはいらない!
 
リムジン車をくれるって?!      あたしに、それをどうしろっていうの?
 
使用人を雇ってくれるって?!     あたしに、それをどうしろっていうの?
 
ヌフシャテル(スイスの富豪の街)のお城をくれるって?! 
 
そんなもの、あたしには向いてない!
 
 
 
あたしが欲しいのは、愛情と、生きる喜びと、幸せな心・・・
 
あんたのお金が私を幸せにするんじゃないのよ。
 
あたしは、胸に手を当てて野垂れ死んだってかまいやしない。
 
 
 
お行儀の良さなんて、もううんざりだ、あたしには出来っこない。
 
両の素手を使って食べたっていいんだ、それがあたしなんだから。
 
乱暴で歯に布着せずに話すけど、ごめんね。
 
偽善なんてもう終わりだよ、そこを出て行くのさ。
 
もういいかげんうんざりさ、嘘と偽善の二枚舌。
 
あたしを見てみなよ、いずれにしてもそんなものは欲しくないんだ。
 
それがあたしなんだ・・・
 
 
 
あたしが欲しいのは、愛情と、生きる喜びと、幸せな心・・・
 
あんたのお金が私を幸せにするんじゃないのよ。
 
さあ一緒に行こうよ、あたしが見つけた「自由」を見せて上げる。
 
あんたの持っている偏見を全てすてちまいなよ。
 
わたしの「現実の世界」へ・・・ビエン・ヴェニュ( ようこそ )。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼女の歌を聞く人達は彼女の声にエディット・ピアフの再来を見る。
 
フランス・シャンソンの黄金時代に思いを馳せて目頭を熱くする。
 
 
 
 
 
 
「南仏の路傍の人」と題して、
 
路上ミュージシャンやアーティスト達に興味を持ち始めた折も折、
 
私もすっかり、彼女の歌のファンになってしまいました。
 
これから幾つかに分けて「ZAZ (ザズ)」の記事をアップしてみたいと思います。
 
 
どうぞ、お付き合い下さいませ・・・♪
 
 
 
 
 
 
 
今回、セント・マリー・ド・ラ・メールの記事を書くにあたって「youtube」で

ジプシーの祭りの映像を観ながら、すっかりその魅力に獲りつかれてしまいま

した。 

実はジプシーは「偉大なアーティスト」

そして、この街の祭りはその「原点」だったんです。






Manitas de Plata et José Reyes, Saintes-Maries de la mer, 1955
イメージ 1


1955年 「セント・マリー・ド・ラ・メール」の祭りに参加していた人の中に

この地方に住むジプシーの二家族がいました。(上写真)

世界的ギタリストの、バリアルド家の「マニタス・ド・プラタス」(左端)と

フラメンコギターの巨匠でレイエス家の「ジョゼ・レイエス」(左から三人目)

後に、この二人の息子と孫達がバンドを組んで

有名な「ジプシー・キングス」生まれました。

この写真の二人がジプシーキングスのメンバーのお祖父さんとお父さん

というわけなのです。








巡礼祭のビデオを探しているうちに、出会ったのが下の映像です。

十二歳前後の踊る少女がとても可愛いと思いました。

最近では珍しい、生粋のジプシーの顔立ちをしています。

すっかりその雰囲気に魅了されてしまい、まだ他の映像もあるかもしれないと

ビデオのタイトルであった、「ファミーユ・バリアルド(バリアルド家)」で

googleで検索してびっくりしました。


「ファミーユ・バリアルド(バリアルド家)」とは、

マニタス・ド・プラタ(素晴しい指)という芸名で世界中にしられる

南仏ジプシー出身の名ギタリスト、

芸名・マニタス・プラタ(本名・リカルド・バリアルド)の家族だったからです。

そして、もっと驚いたのが、

上の映像の最後の方で、踊った後の少女の額にキスをしている

白髪の黄色いプロバンス服姿の男性がマニタス・ド・プラタ自身だったことで

した。



そして今回初めて、日本でも超有名な「ジプシー・キングス」のメンバーが

マニタス・ド・プラタスの孫達と、彼とは親戚関係であるレイエス家の息子達に

よって、ここセント・マリー・ド・ラ・メールの街で結成されていたことを知り

ました。



イメージ 3

日本でも、多くの「CMソング」で有名な「ジプシー・キングス」





下の「ジプシー・キングス」のメンバーの名前を見ると良く分かります・

☆ニコラス・レイエス (Nicolas Reyes)/リードボーカル、ギター

☆トニーノ・バリアルド (Tonino Baliardo)/リードギター 

☆カヌート・レイエス (Canut Reyes)/ギター、ボーカル 

☆ポール・レイエス (Paul Reyes)/ギター、ボーカル 

☆パチャイ・レイエス (Patchai Reyes)/ギター、ボーカル 

☆アンドレ・レイエス (Andre Reyes)/ギター、ボーカル 

☆ディエゴ・バリアルド (Diego Baliardo)/ギター 

☆パコ・バリアルド (Paco Baliardo)/ギター









「ジプシーキングス」は、

フラメンコ・ギターの巨匠のホセ・レイエス(Jose Reyes)が、息子達と

『ホセ・レイエス & ロス・レイエス(Jose Reyes y Los Reyes)』

というグループを組み、地元プロヴァンス地方で活動していたのが始まり。
 
後に、レイエス家と親戚にあたる、バリアルド家の兄弟が参加し、

現在のグループ名「ジプシー・キングス」になりました。



世界各地で巡業しているうち、

女優の「ブリジット・バルドー」や「チャーリー・チャップリン」が、

まだデビュー前の無名だった彼らのファンになったという話は有名。

特にスイスのあるレストランで、ある老人が彼らの演奏を聞いて

感極まって涙したが、彼らにはその老人が誰か知らず、後になって

チャップリンだったことがわかった、という話は有名なエピソードである。



世界的に有名になったのは、クロード・マルチネス(Claude Martinez)を

プロデューサーに迎えてからである。

彼はジプシー・キングスは素晴らしいが何かが足りないと思い、

フラメンコを基調とした音楽に、現代的な音楽のポップス、ロックを加えた。



1987年に発表した『ジョビ・ジョバ(Djobi Djoba)』、

『バンボレオ(Bamboleo)』がフランス国内で大ヒットした。

彼らの知名度が上がったのは、

デザイナーのクリスチャン・ラクロアのショーで使われたのがきっかけ。

またフランソワ・ミッテランは大統領選挙で『バンボレオ』を使って

若者の支持を得ようとしたことでも知られる。



なお、よく誤解されるが彼らの音楽はフラメンコからのものというより、

南仏のラテンの要素が入ったルンバ・フラメンカというスタイルが

ベースとなっているのが特徴である。

(wikipediaより)








そして、もう一つの例は、先ほどのマニタス・ド・プラタです。
「ジプシーキングス」のお祖父さんですね。

イメージ 2

子供の頃のマニタス・ド・プラタ





マニタス・ド・プラタは1921年、カマルグからそう遠くない、

「SETE(セット)」という海辺の街でキャラバンの中で生まれました。

幼少から毎年のセント・メリー・ド・ラ・メールの祭りで舞台を重ねるごとに

彼のギターの才能が際立って見られたそうです。

ジプシー音楽の王者と呼ばれていた「ジャンゴ・レインハルド」を

その王座から引き摺り下ろすこと恐れ遠慮した為に、彼の公式のデビューは

レインハルドの死後十年後に、彼が承諾した時まで持ち越される事になった話

は有名なようです。1963年、四十二歳のデビューでした。

そして1965年にはアメリカ人マネージャーの目にとまり、

ニューヨークのカーネギー・ホールでの演奏となった。

当時は、字を読むことも書くことも困難な「文盲」(ジタンには珍しくない)で

音符も全く読めなかった彼がだ・・・。



イメージ 5











一緒に舞台の仕事をしたピカソも彼の熱烈な支持者でした。
イメージ 4


そして、それからは彼の活躍はとどまるところを知らなかった。

世界中を駆け回り、ギターの天才的な才能を発揮し一大旋風を

巻き起こしたのである。

引退後は、カマルグの街でとても慎ましやかな生活をしているそうですが、

今年の夏も、ミュージシャンだった彼の亡くなった兄弟のための記念イベント

で演奏し、その「指」の健在振りを披露したところです。









そして、下の真ん中の歌い手が「ジョゼ・レイエス」

フラメンコ・ギターの巨匠で、ジプシーキングスのメンバーのお父さんです。








ジプシー・キングスはある意味で二人のギターの天才を受け継いだ

「サラブレット(純血種)」だったのですね。





この一つ前で、ジプシーとその子供達のことを記事にしました。
こちらもどうぞ!
[ http://blogs.yahoo.co.jp/proneko5/9362914.html ]

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「 NEW SOUL 」 TV・ LIVE





たぶん一・二年前のことになります。

偶然、テレビのニュース番組に招かれていた彼女を初めて見ました。

一目で、最近のフランス国内のアーティストとは全く違った印象を

感じました。

フランスの音楽界は偽悪的なまでに弱肉強食の雰囲気が溢れていましたから

それを見慣れた眼には、

「NEW SOUL」を歌う彼女の、穏やかにひたすら明るく清くさえある印象に

彼女が何か別世界からやって来た人のように思えました。

同時に感じたのは、彼女が「ユダヤ人」だということ。

長く伸ばした美しい髪のせいか、それとも彼女の面影のせいか・・・

何よりも彼女の歌う雰囲気に、宗教的なものさえ感じていたのです。

だから、「 NEW SOUL 」もユダヤ人としての宗教的な精神世界を歌った

ものではないかと勝手に想像していました。

その時は、英語の歌詞を即座に理解する事ができなかったので。

いまでも、彼女をみていると、

エゴやナルシズムを超越した一段高い精神世界から歌を発信しているような

気がします。

彼女の「 NEW SOUL 」を歌う姿に、「平和への希望」を感じるのです。

彼女の背景にあるイスラエルは平和から程遠いけれど・・・。

彼女の中にはユダヤの血が流れ、

彼女の歌には、まぎれも無くユダヤの歌の余韻が流れている。

そして、彼女のソウル・ジャズは英語でそのほとんどのレパートリーを

歌っているにもかかわらず、間違いなくフレンチ・ティストを持っている。

四歳の時にフランスを離れ、イスラエルで成長し、

二十年後再びフランスで花開いたユダヤの歌姫です。




「伝統的なユダヤ音楽」






イメージ 2

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「 TOO LONG 」








「 PUPPET 」








「 FAR FAR 」







「 LONLY 」 2008年 LIVE in Paris







「 PARIS 」







「 WHAT A WONDERFUL WORLD 」 with Albin de la Simone







「 WHY DO WE FILL IN LOVE 」Live with GERALDE TOTO 2007年パリ

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