「いのち全国サミット」(福島)の避難・保養の相談会にぜひいらしてください!「早尾貴紀:原発震災関連」 2012/02/08 17:12 より転載「放射能からいのちを守る全国サミット」(2月11・12日)がいよいよ迫ってきました。
(詳細はこちら:http://inochizenkoku.blogspot.com/) 【40を超える支援団体が結集!】 その二日目12日の11〜15時は、避難・疎開・保養についての大相談会となります(会場は福島市のウィズもとまち&チェンバおおまち)。 避難・疎開・保養と言っても、週末保養や春休みキャンプから、移住や子どもだけの疎開まで、さまざまなカタチの情報提供や受け入れ相談があります。 北海道から沖縄まで全国から40を超える支援団体が一堂に会して相談ブースを出すのは、初めてのことではないでしょうか。 きっと繋がれる避難先や保養先が見つかります。 (参加団体の一覧はメールの末尾につけます。今後は以下で最新情報を更新していきます。 http://inochizenkoku.blogspot.com/p/blog-page_07.html) ぜひ、ぜひ、いらしてください! いくつものブースをハシゴしてのぞいてみてください! 【いろんなワークショップと交流スペース】 さらに、法律相談、健康相談、気功、野菜配布、キルト展、切り紙ワークショップなど、いろーんなブースが出されます。 加えて!、「交流スペース」として、自由におしゃべるのできるカフェもあります。まだ具体的な避難や保養の相談の前に、漠然とした不安とか、近所や職場で危機感を共有できない不満とか、あるいはこういう支援があったらいいなという要望とか、とつとつと吐き出したり、あるいはこんなこと知りたい、あんな情報ないだろうか、同じような立場の人はいないだろうか、などなど質問をぶつけたり。それともたんにダラダラお茶したり。 そんな場所として使ってもらったらと思います。 【延長相談も!】 もし、15時まででは相談に行くのが難しいという方、いらっしゃいましたら、「ウィズもとまち」の3階中会議室で延長相談を受ける予定です。 15時で話が終わらなかった場合も、そちらに移動して続けることができますし、求められるかぎり、話す場をつくっていきたいと思っています。 だいたい17時ぐらいまでは扉を開いて待っています。なんとかこの時間までなら行けそうということなら、ぜひ足をはこんでみてください。 (いのち全国サミット、相談会担当:早尾貴紀) 【相談会ブース参加予定団体】 札幌・むすびば(北海道) 福島の子どもたちを守る会・北海道(北海道) あさひかわサポネット(北海道) 大沼・駒ケ岳ふるさとづくりセンター(北海道) みちのく会(北海道) ふくしまキッズ こども指導者(北海道) ふくしまキッズ 林間学校(北海道) 母子週末保養プロジェクトちいさなたび(宮城) 日本の森バイオマスネットワーク(宮城) 毎週末山形(山形) 福島の子ども保養プロジェクト(福島) ふくしま連携復興センター(福島) ハーメルン・プロジェクト(福島) ハッピーアイランド新聞&心援隊(福島) 国際自然大学校(栃木) FoE Japan(東京) 福島の子どもたちとともに・世田谷の会(東京) 福島こども保養プロジェクト@練馬(東京) アースデー東京(東京) セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(東京) コミュニティネットワーク協会(東京) 福島子ども支援・八王子(東京) リトリート・ホリデー CTVC(東京) フェリス女学院大学ボランティアセンター(神奈川) リフレッシュ!@かながわ(神奈川) 「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会(神奈川) 4月3日のひろば 福島〜山梨つながるネット(山梨) 世界快ネット(山梨) フリーキッズビレッジ(長野) ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ(京都) 大阪でひとやすみ!プロジェクト(大阪) 街づくり支援協会(大阪) 兵庫県有機農業研究会(兵庫) 福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト(兵庫) どろんこキャラバン☆タンバ(兵庫) 子ども未来・愛ネットワーク(岡山) よもぎのアトリエ(広島) 福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト(香川) 四国の子ども疎開ネットワーク徳島(徳島) 「絆」プロジェクト北九州(福岡) 「ちむぐくる」石垣島(沖縄) 日本YWCA被災者支援プロジェクト(全国) 【健康相談】 CRMS市民放射能測定所(福島) こどもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク(全国) 自然育児友の会(全国) お産と地域医療を考える会津の会(福島) ひまわりの種まき隊(全国) 【法律相談】 福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(東京) 【情報ワークショップ】 CATWALK(東京) 【個人ブース】 高橋英一(北海道) 宍戸隆子(福島→北海道) 中手聖一(福島) 小河原律香(福島→北海道→山梨) 早尾貴紀(宮城→大阪・京都→山梨) 森永敦子(福島→長野) 山本明美(福島→京都) 【チラシのみ配布】 秋田・田沢湖疎開支援(秋田) 移動保育プロジェクト(福島) 福島乳幼児・妊産婦ニーズ対応プロジェクト(東京) ゆったり里山体験@篠原の里(神奈川) つちのこ母ちゃんず(神奈川) 手をつなぐ3.11信州(長野) ほっこり通信 from Kyoto(京都) み・らいず(大阪) オーガニックキャンプinひょうご(兵庫) おいでんせぇ岡山(岡山) 被災者支援の会・SARA(沖縄) hahako(全国) mamatomama(全国) 子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク(全国)
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保養・疎開・移住
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福島ナンバーで走るのが怖い今いる P市には、夫の兄が住んでいる。縁はそれだけだ。
知人は他にいない。
2回目の水素爆発の翌日、去年の3月15日、
軽ワゴン車に家族6人を詰め込んで、故郷の南相馬市を脱出した。
実母も夫の母もいた。
2人ともてんかんや喘息、脳梗塞、高血圧など持病があった。
当時、南相馬市は高線量のために物流が途絶えていた。
2人の持病の薬も切れた。もう限界だった。
雨の中、行くあてもなく、車で出発した。
ホテルも一杯で休憩すらできない。
泥のように疲れきったまま、
13時間かけて群馬県に入って、やっと薬が手に入った。
週末には帰ろう、月末には、1学期の終わりには、いや夏休みの終わりには・・と、
故郷の線量が下がるのを待つうちに、10カ月も経ってしまった。
同じように避難してきた仲間はほとんどが力尽きて帰ってしまった。
「本当は、今でも福島ナンバーで(群馬を)走るのが怖いです」
木下さんが言った。温かいドリンクを飲んで、少し落ち着いたようだった。
「駐車場に車を入れると、
子供が『ママ、福島って書いてあるよ』と大きな声で言うのが聞こえるんです。
子供がそう言うのは、大人がそう言っているからですよね」
「どうしてテレビは『福島』第一原発事故って言うんでしょうね。
福島は何も悪いことをしてないのに。
ちゃんと『東京』電力って言ってほしい」
私は言葉が出なかった。
東電のおカネなんていらないやっと分かってきた。
表情も言葉も元気がいいが、木下さんは疲れきっているのだ。
取材記者である私を前に、元気そうに振る舞っているだけなのだ。
無理もない。
生まれ育った南相馬市をある日突然無理矢理追い出され、
見知らぬ土地で子供2人を育てる生活が10カ月も続いているのだ。
会社の同僚だった夫(40)は、南相馬市に「単身残留」している。
南相馬の家のローンが毎月5万円。年に100万円ある。
それを考えると、4月に再開した職場を離れることができない。
職場でも一緒だった夫と、こんなに長い時間離れているのは、初めてだ。
職場も家も、
原発から20キロの立入禁止区域からほんの2〜3キロしか離れていない。
自宅そばの空間線量が毎時 1マイクロSv。
学校で2マイクロSv。
職場そばの側溝は毎時20〜30マイクロSvあったと聞く。
家の周りにはホットスポットや、
政府が避難を援助する「避難勧奨地点」が出現している。
子供には、まだ屋外での活動制限(1日2〜3時間)もある。
野球やバスケの好きな娘と息子はどうすればいいのだ。
とても帰る気にはなれない。
「線量とか言っても子供は意味が分かりませんから、
『帰りたい、帰りたい』と言います。
現状はこれだけひどいんだ、と帰れない理由を説明するんですけど、
言えば言うほど、私もつらい」
しかし、群馬にいるのもつらい。
「日々、こわいんです。精神的にも、何が向かってくるか分からないんです」
例えば、どんなことだろう。
「『おカネをもらえていいねえ』と言われます。
そう言われた方の気持ちになってほしい。
そういうのが子供に向かった時が怖いんです」
「生活が苦しいので行った、
ハローワークにすら『東電におカネもらってますよね』と言われました。
東電のおカネなんかいりません。
3月11日の前の生活に戻してくれればそれでいいんです。」
まるでハリネズミのように神経が張り詰めている。
「・・・でもね・・・もう、疲れちゃった・・・」
何があったんですか。私は重ねて聞いてみた。
「訛(なま)ってるつもりはないのに『訛っている』と言われるんですよ。
もうこれ以上は取れないのにね」
福島弁を、ですか? 私は思わず聞き返した。
「はい。『もう半年もこっちにいるのに、何で訛り取らないの?』と言われたんです」
関西人の私には、群馬の人も訛っているように聞こえますよ。
私は木下さんを和ませようと冗談を言った。
「黙っていることにしました。でも、黙っているのにも疲れました」
実母は、知人もいない、
言葉の違う土地で、どんどん口数が少なくなり、最後は部屋から出てこなくなった。
やむなく南相馬市に送り返した。義母も帰った。
木下さん親子は義兄の家を出て、アパートを借りた。
一戸建てでない家に住むのは生まれて初めてだ。
生活のすべてがストレスにこの先どうしたらいいんでしょう。どうしていいのか分かりません。帰りたいです。
でも、知人の家は、除染の見積もりを取ったら、
「壁や屋根を取り替えるので1000万円かかる」と言われたそうです。
それに、いくら家を除染したって街全体を除染しないと・・・。
そうやって思考は同じところをぐるぐる回る。
この「ぐるぐる思考」にまたヘトヘトになる。
http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/0/e/350/img_0e3f5e70011d2e4cfe25d1e21f75fe8f51312.jpg避難先・群馬のファミレスで会った木下さん。たまたま筆者が持っていた福島の地元紙で線量を読んだ。(筆者撮影)
最近、娘が右膝を剥離骨折していることが分かった。
バスケの練習中にけがをしたらしい。
去年9月ごろに痛いと言い出した。
どの病院に行っていいか分からず、捻挫と思って2カ月整骨院に通った。
しかし痛みが治らない。
病院を紹介してもらってX線を取ったら、骨折していた。
しかも左のアキレス腱にも故障が見つかった。
南相馬市では、そういう時に行く病院は子供のころから知っている。
そんな「普通の生活」がすべて五里霧中の世界になる。すべてがストレスになる。
パソコンがないから調べることもできない。
車で10分で行ける子供の試合会場にもまっすぐには行けない。
道に迷い続け、1時間半かかったこともある。
カーナビで調べようにも、施設名、集合場所の名称が分からない。
南相馬市では小学生は制服だった。こちらは私服だ。指定の道具も全部違う。
夜になって「お母さん、明日、給食着入れがいるんだけど」
「音楽バッグがいるんだけど」、「国語ノートが」、「裁縫道具」、「名札」と、
言い出せば、そのたびに右往左往する。
どこに買いに行けばいいのか分からない。
市役所の避難者相談窓口は5時で終わりだ。
翌朝、子供の登校前に何とかするしかない。途方に暮れる。
そんなストレスが、次から次へと襲いかかってきて、心の休まる時がない。
「普通に生活していれば何てことないもの」が突然牙をむく。
そんな神経を張り詰めた生活をしていると「小さな無神経」が大きくこたえる。
例えば、
小3の息子の授業で「P市のお祭りについて書いてみましょう」と宿題が出る。
もちろん、避難してきた木下さん一家は群馬県P市のお祭りを知らない。
福島からの避難者がクラスにいると教師は知っているのに、
何でわざわざそんな宿題を。
教師に悪気はないのかもしれない。単なる「うっかり」なのかもしれない。
聞くとすぐに「福島のお祭りでいいです」と訂正したから、きっとそうなのだろう。
しかしそんな時、木下さんは重い孤立感と無力感を感じるのだ。
向こうに戻れば友達もいるし病院も知っている木下さんの話は続いた。
家族の連絡用に携帯電話を増やしたら、携帯代金が月1万円から4万円に増えた。
福島では灯油で暖房をしていたので月3000円だったのに、
こちらはガス代が8000円だ。
2時間の話の間に「もう、疲れちゃった」という言葉を何回聞いただろう。
「どうにかして帰れるようにしてちょうだいよ、もう」
木下さんは誰に言うでもなくひとりごとを言って、弱々しく笑った。
「向こうに戻れば、相談する友達だってたくさんいるし、病院も知ってるんだから」
お迎えの時間になった。もう行かなくてはいけない。
私は東京から持参したブルーベリータルトの箱を手渡した。
木下さんは深々と頭を下げ、
律儀にドリンクバー代230円をテーブルに置いて、駆け足で去った。
私はしばらくテーブルに座ったまま呆けていた。
あまりの問題の多さに、頭が混乱した。
なぜこの人がこんなにつらい目に遭わなくてはいけないのか、
どうしても理解を超えていた。
東京に戻る東武鉄道の中で、木下さんからメールが来た。
今日は話を聞いてもらってありがとうございました。
あのあと、親子3人でブルーベリータルトをまるごと全部食べました。
おいしかったです。
そう書かれていた。
(登場人物は仮名です) |
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「放射能いじめ」に傷つく親子」
福島に帰れない生活で高まる孤立感と無力感
という記事を見つけました。
けれど、記事の内容を読んで、
このタイトルは何かしっくりとしない感を受けました。
たぶん、このお母さんが苦しまれているのは、
放射能に関するいじめもそうですが、
今まで守られていた環境から外に出る時に受ける「厳しさ」、
同じ国内でありながらの、
カルチャーショック的なものが大きいように思われます。
避難者の方々には、
国と自治体などが一体となった手厚い心身のケアが必要です。
放射能汚染を逃れ、特に子供を守りたいと願う方々に、
本当の意味での充分な支援が行き渡りますよう・・・。
前回に続いて、
子供の被曝を避けて福島県から他県に避難を続けている人たちの報告をする。
福島県からの帰路、群馬県P市に行くのは思いのほか不便だった。
結局、東京まで戻って浅草から東武鉄道に乗った。
通勤客のために乗り入れている地下鉄の終点を過ぎて、
なお1時間近く北に走った。
平野の向こうに、雪をかぶった山が見えてきた。
群馬県のシンボル、赤城山だった。
「私の車、すぐに分かりますよ」
木下礼子さん(40)は電話で言った。
「福島ナンバーは私だけですから」
終着駅の駅前はがらんとしていた。冷たい北風が吹き抜けている。
真新しい駅ビルが不釣合いだった。
黒い軽ワゴン車の横で茶髪のロン毛ママが手を振っていた。
木下さんだった。
「車、ボコボコでしょ?」
木下さんは運転しながら笑った。そうですか、と私は曖昧に答えた。
南相馬市でも毎日車だったんでしょう?
だったら・・・そう問うたが、木下さんは答えなかった。
事情はすぐ分かった。
ずっと南相馬で生まれ育った木下さんは、
避難してきたP市の地理に不慣れなのだ。
迷子になり、切り返しやバックを繰り返すうちに、あちこちで車をぶつけたのだ。
「近寄るな」と言った娘の同級生ファミレスのテーブルで向かい合った。
木下さんに面会の約束をするのは大変だった。
小学校5年の娘さんはバスケットボール。3年生の息子さんは野球。
練習や試合の送り迎えに行ったり来たりで、自分の時間が取れないのだ。
「お子さんが『放射能が伝染(うつ)る』と、学校でいじめられたと聞きました。」
私は単刀直入に聞いた。
そんな話が本当にあるのか、
被曝者への差別・偏見が今もあるのか確かめたいと告げた。
木下さんは、「ああ、その話か」という顔をした。
「娘が一度言われたことがあります」
「どんな状況だったのですか」
「『そんなもの、バカと言っとけ。伝染らないって言っとけ。』と娘に言いました」
「それで?」
「それだけです」
しばらく沈黙が流れた。話したくなさそうだった。私は話題を変えた。
しばらく別の内容を聞いて、また話を戻した。
「先ほどの放射能が伝染る、という話なんですが」
緊張が解けたのか、木下さんは今度は話してくれた。
群馬県に避難してきて、4月から地元の小学校に通い始めた時。
小5の娘が同級生にこう言われた。
「お前、放射能から逃げてきたんだろ?」
「そうだよ」
「近寄るな〜!」
そう言われたというのだ。
話を聞いて木下さんは怒り狂った。
「バッカじゃないの!」「どうせ男でしょ、そんなこと言うの!」
相手の親や学校には抗議したのだろうか。していない、と木下さんは言った。
「その話を聞いて、私も疲れ果ててしまいました」
この話を娘がしたのは9月になってからだ。
クラブ活動に車で送る途中、後ろの座席に座った娘が突然話し始めたというのだ。
おそらく、彼女なりに親や弟の前では我慢していたのだろう。
そして彼女の中で整理がつき、
車内で母娘2人きりになって、初めて告白したのだろう。
相手の名前など、それ以上詳しい話は木下さんも知らなかった。
酷すぎて娘にそれ以上聞けない、というのだ。
「向こう(南相馬市)にいたら、
『子供たちを(線量の高い)ここに置いていいのか』と悩むでしょう。
でも、避難したらしたで、またこちらで悩むんです。
結局、うちの子に限らず、福島の子にはこれが一生ついてまわるんだなあって・・・」
弾むように元気のよかった木下さんの声が少し涙声になった。
あ、と思った瞬間、笑ったままの目から涙がぽろぽろとこぼれた。
彼女は灰色のパーカーの袖で顔を拭った。
「・・・私1人で子供2人を守りきれるのか・・・自信がありません・・・」 |
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touhokushien さんが 2011/12/17 にアップロード
福島をずっと見ている。小さな子どもを抱えて、苦悩するお母さんたち。
「出て行くのも、残るのも恐い」その辛さに、私たちは身につまされる。
子どもたちは、土に触れること 、葉っぱに触れること、
走り回ることもためらうようになってしまった。
福島原発の放射能被害は、東京電力と政府の責任。
住民に、このお母さん、子どもさんに過酷な生活と苦悩を強いてはいけない。
ようやく始まった除染も果てがない。
安心して子 育てができる場所、生活の保障をすべきでしょう。
引き裂かれて苦しむお母さんたち。
でも、決して「自己判断」「自己責任」などではない。
企業が保有する放射能をバラまいて、
市民を危険にさらしている、東電の「企業責任」 であり、
原発を推進してきた、政府の政治責任、福島県の行政責任です。
苦悩するお母さんに、寄り添おうとする映像ディレクターの視点がやさしい。
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昨日のコメント川内村民さん(Aさん)は若いお母さんのように思われます。
私は本当に胸が詰まりました。
出口が見えず、川内に戻らなければならない苦しい胸の内が読み取れます。 皆さんにこの事を知って頂きたく、
Aさんには申し訳けありませんがアップいたします。
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私は川内村民です。
いつもブログ拝見させていただいてます。
私は、4月から川内村に戻り、子供も川内で再開される小学校に通います。
今は郡山市にいて、とても便利です。
このまま、避難生活を続けていたら、きっと私は川内には戻りません…
子供もいるし、今まで以上に不便な生活になる川内に戻っていいのか…
子供達の健康面も心配ですが、少人数の子供の中で生活することで、
将来社会に出た時の適応能力が養われるか… など、不安だらけです。
しかし、今の生活は中途半端で、何の意欲もわきません。
だから、私は川内に戻り、仕事を探し、前に進んでいこうと思います!
バカだと思いますが、散々悩んだ結果です。
**********
本当は戻りたくないけど、
今のままでは希望が持てない、
川内に帰るしか方法がない、と、
今も迷っていらっしゃるのが伝わってきます。
Aさんのコメントからは解りませんが
子供に対する被ばく、健康被害を本当に認識してらっしゃるのか。
いま川内村の帰村条件は除染が可能かどうかに焦点が当てられ
子供、住民の健康被害については論じられることはありません。
それは、国と東電、自治体が結託、論議に上らないように操作しているからです。
住民を宙ぶらりんの状態にしておいて、行き場を塞ぎ、
川内帰村しか選択肢を与えないように住民を誘導しています。
10月頃から帰村に向ける復興、除染政策プロパガンダ、
その目的はが住民が自分の意志で帰村を選択するということであり
その成果が着実に表れてきているのではないでしょうか。
残念ながら、、、
村長の帰村宣言の中で
帰りたい人は帰るということを言っています。
これは、自分の意志に委ねる、と、
一見住民側に立ったものの言い方のように聞こえますが、
それなら被ばくによる健康被害の情報も
住民に与えるべきなのです。
それをせず、復興、除染で期待を持たせれば
住民はその意思の有無にかかわらず、
帰村に誘導されていくのは想像に難くありません。
Aさんの心の内の、生きる希望を持てない今、、
これは住民の多くのみなさんの今、です。
人生を送る中で毎日が希望を持てない、、
それほど空しく悲しいことはありません。
幸い、Aさんの場合子供さんがいらっしゃることが、人生の希望です。
ならば、原発がまだ危険な状況にある中
被ばくする環境に戻ることはやめるべきでしょう。
何年か先、その選択を後悔することになるのではないでしょうか。 川内村には覚悟を持った人、しか住めません。
子供はそのことは理解できないのですから、
子供を連れて帰ることは絶対反対です。 希望の持てる日々、それはAさんの決意次第
それによって道は開かれると思います。 自立する、子供を守る、という決意です。 そのための支援グループはたくさんあるのですから。 棄民政策まっしぐらの国、地方、自治体を頼りにしていては
道を間違えてしまいます。 賠償問題も、意図的に先へ先へと延ばしているようです。 Aさんだけでなく帰村は原発事故収束、
除染の成功後に、ということを考えを変えて頂きたいと思います。
それが何年先かは、、、だれにもわかりませんが。 どこに住んでもそれは心の持ちようで
明るい人生を歩むことはできるのです。 これから、日本が汚染にまみれていくかもしれませんが いまは、汚染の少ないところに子供さんを 避難させることが後悔のない選択と思います。
「川内村帰還」はこれからの棄民政策に好条件を与えてしまいます。
国民多くの皆さん、自分のこととして考えていくべき問題です。 「川内村の子供を守る会」の支援応援、よろしくお願いいたします。 かわうち、ちかちゃん
転載元: 元村議 ちかちゃん |









コメント
ほんとうに可愛そうだと思います。みんなよく頑張って・・と友達 のように思います。でも、皆さんはこれっぽっちも我慢する必要は ないし、していけないのだと思います。家のローンが2重、3重に なろうとそれは加害者が賠償するのは当然のこと。不安のなかで生 活させられることは心理的虐待ですし、なにより子供の将来に重大 な健康被害をうけますよね。今できることはなるべくはやく人体へ の無用な摂取を止めること、経済は何年かあとに必ず保障されます よ。でなければ日本は国家としての存続ができなくなるから。kyokonishiyama1 1 か月前
今後も除染活動を続けてほしいです。masashi231 4 日前
日本は法治国家ではなく、放置国家。naokoyoji 1 か月前
もう原発はたくさんだ!!!Tfuji6120 1 か月前 2![]()