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「三陸に仕事を!プロジェクト」
浜のミサンガヤフーショップ本日正式オープンいたしました!
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支援情報
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被災地でのコンサートを行う、ノリシゲとRIA。 2011年
過去も未来もあっという間に押し流して行った津波
消え失せた町並みに吹き荒れる風
私の愛する故郷
愕然とするこの景色を見て、
何をすればいいのかさえ思いつかなかった。
今、徐々に立ち上がりつつある被災地の方々の思い...
手を繋ぎ、その背中を支えてあげれたらと思っています。
共にこの災害を乗り越えて行きましょう。
ノリシゲ
「歩きましょう」RIA+ノリシゲ【合同葬儀に花を!】
「吉里吉里元気プロジェクト」とは?
故郷が被災したミュージシャンノリシゲとRIAが立ち上げた、
音楽や表現活動を通じて被災地内外を問わず
「人の持つ元々のエネルギー = 元気” になってもらおう!」
というプロジェクト。
故郷である岩手県大槌町・吉里吉里を拠点に、
物的支援も含めた応援活動です。(2011.4月〜)
ノリシゲ
1998年に上京し、音楽を旅する。
アフリカン・R&B・JAZZ を巡り、
今、日本に立ち戻る時「SOUL」と「心」が出逢う、
それはどこか懐かしい唄になる。
http://norishige.jp/ RIA
1979年日本生まれ、
ギリシャと日本の血を受け継ぐソウル・ブレンド・シンガー。
19才で某ユニットのメンバーとしてメジャーデビューするもドロップアウト。
その後、国内でセッションを重ねるとともにユーラシアを旅する。
アコースティッ クからdance musicまで、
どんなスタイルであっても、自分が音楽の/音楽が自分の一部であり、
“本当である”事を全力で表現する。
ノリシゲとRIAのメッセージ
親戚の住む故郷、
岩手県沿岸の小さな村・吉里吉里の心象風景は、
どこまでも深い夜の海、
白い砂浜、豊富な魚介類、鹿を追いかけた幼少期。
ノリシゲ
爆弾が落ちたような瓦礫の町が北にも南にも続いている。
震災後4日めに歩いた岩手県大槌町。
私は一日中、青ざめていたと思う。
国の力は大きな手だけど、
それだけでは正直「無理だ」と思いました。
東京の人の、被災に合わなかった地域の人の、
”元気”を今少しでも持っていってあげたい。
興味を持ってもらえたら、ぜひ参加して下さい。
復興が進み、被災地への支援が、早く要らなくなりますように。
心から。
R I A
吉里吉里元気プロジェクト 「歩きましょう」
RIAとノリシゲが、3月下旬に流されて落ちていたギターを拾い、 避難所の焚火の前で作った曲です。
「歩きましょう」/RIA+ノリシゲ CD(¥1,000)
震災直後の被災地で作られた歌、「歩きましょう」。
東京でのレコーディング時には、
RIA+ノリシゲの仲間ミュージシャン/クリエイター/
音楽制作関係者が無償で参加し、
その利益は東日本大震災からの復興に向けられます。
「歩きましょう」/RIA+ノリシゲ CD(¥1,000)
販売場所について(2011.7.2 時点)
■“RIA+ノリシゲ”のライブ会場
(日程詳細はRIA HPで!“http://ria-lism.com”)
■ain't No
東京都大田区大森北1-34-14 ツインビル1F :
■bar daZe
東京都渋谷区神宮前3-27-17 T’s−TWOビル3階:
※上記、賛同してくれたBar・飲食店舗にも置いていただいています。
(美味しいお酒&食事をぜひ楽しんでください!)
※CDの利益はRIA、
ノリシゲの支援活動【吉里吉里元気プロジェクト】資金として使われます。
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私たちは生き抜いた!10月 14th, 2011 · 21 Comments「いろんな迷いが出てきている」と、
沢山の方からメールやメッセージを頂くようになりました。
このブログのどこかのコメント欄に、
今ベラルーシへ行くことも、「方向性がわからない」と書き込みがあり、
失礼ながら苦笑してしまいました。
そうなんです、いつもそう言われてきたから。
そもそも、3月27日に郡山市に行けなかったら、
こんなふうになっていなかった。
あのときも、家人は今は行くときじゃないと、止めてくれましたが、
その話をうんうんと聞きながら、荷造りしていました。
自分の衝動で動いているとき、
それが本当に自分の魂の中から出ているのか、
頭から出ているのかを整理する段階に来ています。
これは経験つむことで、自分の中で整理されていくと思います。
自分の魂で決めていると思っていても、単に人から笑われたくない、
非難されたくないと考えて、じぶんを押しこめていることのほうがほとんどです。
今、動けない福島県の人達は、
大体そういうことの複雑な糸のがんじがらめになっています。
こうすべき、なになにすべき、で動くとあとがつらくなる。
「たとえば、お話し会をやりたい!」と思って下さっている時と、
「お話し会をやらなくちゃいけない!」と思っている場合は、
同じことをしていてもお母さんたちの間でストレスの大きさが違います。
無理はしない。
これからは自分の動きをシンプルにしていくこと。
「本当に必要なこと、大事なことはなにか?」を、
徹底して、自分で感じ、頭で感じていくこと。
「いきなり言われても分からない。」という方もいらっしゃると思います。
しばらく、テレビやパソコンを消していても大丈夫。
本当に必要な情報は、ちゃんと入ってきます。
人を通じてだったり偶然入った喫茶店で目にしたり。
そういうふうに感性を磨いていくと、都会には情報が多すぎて、
余分なことに神経をすり減らしているのがわかります。
今、一緒に公演をしてくださっている劇団曼珠沙華(まんじゅうしゃか)は、
フィリピンへ行こう!ブラジルへ!ミャンマーへ!と、
次々に子供たちのもとにかけつけてきました。
「何がいちばん大事?」
「今生きている人間を喜ばせてあげたい、それが、いちばん大事なの。」
そう、前座長のママローザ(ベラルーシの子が名付けました)は語ります。
彼女のスタートは、カルカッタのマザーテレサから、
「あなたたちは日本でやることがある」と直接言われたことだそうです。
この劇団が、北海道に最初に来てくださったときは、
一行20数名、陸路バスで来てくださいました。
お金もいっさいとらない。
そんな団体がどんな演目を見せてくれる?と半信半疑でしたが、
まあ、チェルノブイリの子供たちは大喜びで、
ベラルーシの両親たちにも見せてほしいとお願いして、
1999年に第一回目のベラルーシ公演が実現しました。
そのときも、「方向性がわからない「(笑)と一部の方から非難もありましたが、
私には子供たちの気持ちがよくわかりました。
「自分たちは保養で海外に出られるけれど、親たちだって具合悪いし、
不安にさいなまれている。元気にして挙げたい。
という子供の健気な気持ちが痛い程よく分かるからです。」
芸術の持つ力というものを、私たち日本人が忘れています。
芸術は単なる金持ちの道楽ではない、人を癒す力がある。
お金? はい、募金や寄付をつのり、足りないところは借金で。
でも、みんな喜んでくれたからそれでいい・・・ただ、それだけです。
ホスピスクラウンと同じです。
そうして今回で3回目の公演のとき、
チェルノブイリの子供達から、フクシマの子にいただいたメッセージの中に、
「私たちは生き残った!あなたたちもがんばって」と。
ありがたいメッセージです。
魂から出た言葉は、数百年も残ると私は思います。
この言葉に至る、
この子の親達の苦労をすべてここで語りつくすことが出来ませんが、
ここに子供を守りぬいた人達がいたということをお伝えしたい。
一人ひとり、自分の子供を守るサバイバル状態であること。
「守るれることが幸せだ。」ということを自覚して。
子供のいない人は、国の宝である子供を守ることに力を尽くしてください。
私達、チェルノブイリへのかけはしは、救援団体です。
子供達を助けていくのが使命です。
子供達を助けたいが為に、
放射能の害や、長崎からやってきた福島県民を被曝させて、
データを取らせている医師のことを、ぶつくさ文句言ったりもしますが、
本当のやりたいことは子供たちを助けること、その一点です。
何も迷うことなどありません。フクシマからまだ半年です。
自分を助けること、子供を助けることができなければ、
緩慢な自殺をしているのと同じです。
今まで安全で平和で、豊かだと思っていたことが、
まったく、砂上の楼閣だったことに気付かなかっただけです。
事故の前にもどってもいけない、新しい道の前に進むときです。
助けることと、原発反対運動は、はっきり違います。政治運動も違う。
あくまで被ばくを避けるために。
原発はもういいわ卒業しましょう、
私たちの命を守れない政治家はもう賞味期限が切れた。
というふうに言っているだけではない。
「どんな状況でも生き抜け!」と、私は思います。
生き抜くと自覚しているかしていないかで、大きく違う。
放射能をばらまいている人たち、
日本を滅ぼそうそしている人たちに、言います。
このブログを読んでいますでしょ?
あんたたちには絶対に、負けない!
私たち、人間の底力を見せてやりましょう!
あれこれ言われないために、防御するために、などとして、
放射能のことを勉強しすぎるのも精神的にストレスが大きいです。
ちまたに出ている論文なども、どこまでが本当なのかわからないのに、
数字を持ってきて議論しても意味がない。
放射能というのは、ごまかしはきかないけれど、
放射能に弱い人と強い人が確実にあるのも事実。
だから、みんなで助け合わないと助からない。
殺されかけているもの同士、助け合うほうが、精神が強くなり、
何が大事がシンプルに見えてきて、長生きできると私は思います)
今日一日、家族や友人、知人と生きている喜びをかみしめ、
愛しあい、語り合い、笑いあう。
そこにどんなお金が必要?
お金がなけりゃ、笑顔が出てこない家族なら、どこかがもう間違っている。
こんなふうにしたら、あの人が笑顔になるかなぁと考えていたら楽しいです。
それがなければ生きている意味がない。
避難したい!と自分は思っているのにできない、という人こそ、
自分の周囲の人を愛しつくして。
自分の思い通りにならないことばかりだけど、
その道を開く使命があるからそこにいる。
チェルノブイリでたくさんの子供達を救って来た人達は皆んなそうです。
皆んなで生き残りましょう!
心配している暇があれば、自分のやれることをやる、
千羽鶴を折るでも、つけものをつくるでも、なんでもやるだけ!
チェルノブイリ20周年
劇団「曼珠沙華」 ベラルーシ放射能汚染地慰問講演の記録
3/21〜4/8 ベラルーシのモギリョフからゴメリ州へ南下、
そして首都ミンスクへと北上する。
北海道がすっぽりと収まるベラルーシの放射能汚染地帯を慰問して、
総勢1万3千人のベラルーシのみなさまにいらしていただきました。
チェルノブイリの汚染地帯、
誰からも振り返ってもらえることのない20年
賢いものたちは、村をうちすてて出て行った
アルコールにおぼれる人たちは 放射能の中で
わがままで、乱暴で、おこりっぽくて、泣いていて…
そんなベラルーシの人たちの苦痛と不安にゆがんだ顔が
曼珠沙華の舞台を見ているうちに
キラキラと美しく輝いてくる
ステージを見て、ある新聞記者は書いた
天国を見た…
みんなが一瞬でも苦悩から救われたのなら、本望だ
私たち人間は本当は
この地球で、そんなふうに美しく、
生きるために生まれてきたのだから
チェルノブイリへのかけはし特定非営利活動法人チェルノブイリへのかけはしの公式サイト&ブログ「かけはし」とは?●「NPO法人チェルノブイリへのかけはし」とは
「NPO法人チェルノブイリへのかけはし」(略称:「かけはし」)は、
チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちを日本に招待し、
転地療養させることによって健康回復をはかる“保養里親運動”をはじめ、
被災地に対して様々な救援活動を行なっている 民間ボランティア団体です。
私たちの活動は、多くの方の善意によって成り立っています。
●結成年月日 平成4(1992)年4月8日
平成22年度までで、
648名のベラルーシ共和国の子どもたちの保養受け入れ体制・実績を持ちます。
●会計
子どもたちの移動・渡航費用・保養滞在費にかかる費用は、
すべて募金によりまかなわれております。
●団体構成
すべての人がボランティアで、
募金活動と保養ホームステイにかかわりあっており、
北海道を中心に福島県や茨城県での受け入れをしています。
平成11年年6月NPO法人格取得。
http://www.kakehashi.or.jp/?p=4447 |
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" Chère Maman. j'espère que tu es toujours vivante. Comment vas-tu ? "
“ ままへ。 生きているといいね おげんきですか…”
2011年3月22日、
愛海ちゃんは、手紙を覚えたての字で一字一字、一生懸命に書き出しました。
一時間近くもかけて、そこまで書くと、きっととても疲れていたのでしょう、
愛海ちゃんは、書いた手紙の上で、すやすやと寝入ってしまいました。
(読売新聞社提供)
こちらは今年3月の映像です。
震災孤児・遺児の数は、2011年7月30日時点で、
1584人にも上り、最終的に 2000人にも達する見通しです。
“Sound of Japan”震災孤児のためのチャリティー・コンサート“Sound of Japan 9.0 earthquake “as heard in Alaskaの記事が.
このタイトルのひとつの由来でもあります。
震災孤児・遺児の数は、
その数は2011年7月30日時点で1584人にも上り、
最終的には2000人にも達する見通しだそうです。
以下は、3月31日読売新聞に掲載された、その一人の女の子のお話です。
昆愛海(こんまなみ)ちゃん(当時4歳、この5月10日に5歳になられました。)は、
岩手県宮古市千鶏地区の漁師の家に育ちました。
震災の起こった2011年3月11日、
高台の自宅になだれ込んだ30mもの津波に両親と妹(2歳)の家族もろとも.
のみこまれましたが、愛海ちゃんの身体は漁具に引っかかり、
一人だけ助けられました。
“ままへ。生きているといいね おげんきですか”
2011年3月22日、愛海ちゃんは、
手紙を覚えたての字で一生懸命に書き出しました。
一時間近くもかけて、そこまで書くと、きっととても疲れていたのでしょう、
愛海ちゃんは、書いた手紙の上で、すやすやと寝入ってしまいました。
…しかし、愛海ちゃんの目の前で真っ黒な波のうねりの中にのみこまれていった.
ご両親と小さな妹はいまだ帰ってきません。
現在、愛海ちゃんは祖母の幸子さんと一緒に暮らしています。
ひざの悪いおばあちゃんのお手伝いも一生懸命しながら…。
小さい愛海ちゃんの姿は深く私達の胸を打ちます。
日本の孤児・遺児たちの現状はとても厳しく深刻です。
住宅、家計、教育、健康から幾つもの成育条件悪化の要因を抱え,さらに、
精神的な心の傷はどれほど深いか計り知れません。
この震災で孤児となられた多くの子供達の事を思い憂い、
昆愛海ちゃんの写真と記事を心底涙を流して読みました。
この小さな私のような者の働きは、
事のあまりの大きさからして大海の一滴にしか過ぎませんが、
愛海ちゃんのような多くの震災孤児となった子供達への少しでも励ましになれば、
これほど嬉しいことはありません。
この企画も、”この子供達の笑顔が見たいから…”という気持ちからでしょうか…。
そして、何よりも、この企画に賛同しご協力くださる、
一人一人の真心と力が合わさって、このコンサートがオランダのハールレム、
ブルーメンダール、そしてスイスのチューリッヒで実現する運びとなりました!!
素晴らしい音楽家の友人の皆様、
大変素敵なポスター・広告を精魂込めて制作くださったデザイナーの友人、
WEBサイト開発者、それに使用される愛海ちゃんの写真をご提供くださった、
読売新聞社と、使用する事を快く承諾してくださった昆愛海ちゃんのご家族、
オランダ日本語キリスト教会、ハールレム・福音ルーテル教会、
ブルーメンダール市役所、スイス・チューリッヒ公演主催の妹のサロン、
“Park Höchi Wellness”(スイス・Weggis在 )、そして夫のアンドリース、
他…皆々様の助けとご協力、そして愛と祈りに、心からの感謝を申し上げます!! 2011年9月荒川詠子
Benefiet concert入場料*: Haarlem 15 ユーロ, Zürich 入場無料(自由献金)
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