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1894年ポーランドのスドウィンスカボラというところで、マクシミリアン・コルベというかたがうまれた。
彼は、貧しいながらも信仰深い父と母のもとで、愛情深くそだてられた。
彼は、とても堅実で、実直な方で、その貴重面な性格から、キリスト教徒の為の機関紙を発刊した。
また貧しい家庭にありながらも彼は、フランシスコ会に入り、ローマで神学を修め25歳という若さで、
司祭にもなったひとです。
この後かれは、皮肉にもフランシスコ会の本部がワルシャワ近くのニエポカラヌフという所にうつされ
そこに、司祭として勤めることになってしまう。
しかも、運命のいだずらなのか、必然だったのかわからないが、彼は、1936年フランシスコ会によって、
最高顧問になりました。
ちょうどこの頃ポーランドは、ナチスドイツの侵攻を受けており、ユダヤ人の迫害がひどく、マクシリア
ン・コルベ神父は、正義感の強い方でしたので、反ナチスと愛国精神を旗印に新聞を掲載しつづけてしま
っていた。
司祭の最高顧問になり、司祭になり、また彼の素質が、記事を書くことであるという不運がつながり、
彼は、残念ながら、アウシツュビッツの収容所へと入れられてしまう。
彼は、勇敢な方でつかまってからも説教をし、罪の告解を聞き、司祭の職務を果たす。
しかし8月になり、折りから数人の囚人が脱走、報復にドイツ軍は無作為に選んだ10人の囚人を餓死させ
ようとする事件が起きます。
そのうちの1人の若者が「妻子に会いたい。」と泣き崩れ、コルベ神父は身代わりを買って出てその若者
の代わりに餓死刑に処されます。
彼は、このとき若者にいいました。
神父は朝の点呼時に処刑宣告を受けた囚人が家族を想い嘆くのを見て、
「わたしは年老いた修道僧であり、家族を持たないわたしが身代わりになる
と。
そして死刑房で14日間生きたのち、毒殺をされたわけですが、
私は、コルベ神父から、今すべきことを感謝していきることの大切さ愛することの大切さをおぼえます。
なぜならば、私は、上記でコルベ神父に不運が重なったと書きました。
私ならば神がおられるならば、なぜこのときこの場所で最高顧問になり、しかも、新聞まて゛ださなけれ
ば、ならないのか。
もんもんと、思い悩んでしまうとおもいます。
しかし、彼は、いつも、神が死ぬまで供にいてくださり、死ぬにしてもキリスト、生きることもまた益で
あったのではないかとおもいます。ピリピ:2、21
さて、時は変わり現代の世で、ベネディクト16世が、アウシュビッツの収容所を訪れ、説教をしたときの
記事のいちぶにこう書いてるのを見つけました。
あの時、主は何処におられたのでしょうか?何故黙っておられたのでしょうか?なぜ、これほどの破壊と
悪の勝利を黙認され得たのでしょうか?イスラエルの苦悩に対する不平を抱くことを歌った詩篇、第44章
の言葉が思い出されます:“
。。。(あなたは)それでも私たちを打ちのめし、山犬の棲み処に捨てて、死の陰で覆ってしまわれました。。。主よ、奮
い立ってください!なぜ、眠っておられるのですか?永久に私たちを突放しておくことなく、目覚めて下
さい!なぜ、御顔を隠しておられるのですか?私たちが貧しい存在であり、虐げられていることを忘れて
しまわれたのですか。
またこうもいいました。
私たちは神の啓示に深く入り込むことが出来ずにいます。私たちが神と歴史の裁判官になろうとする
時、その部分のみしか私たちには見えないので、迷い込んでいます。この方法では人間を守ることが出来
ません。寧ろその反対で、人間を破滅させる原因を作っています。そうではなく、私たちは忍耐強く、謙
遜になって、しかも、喧しく神に叫びかけねばなりません:起きて下さい! あなたが創造された人間を
忘れないで下さい。
この世では、矛盾することも多くありまた、なぜ神がいるのにということも多々あるかもしれません。
そういうときには、いつもひとは、自分が裁判官になり、たかぶり、サタンの支配化にあるこの世で、自
分達の罪の結果にこのことがおきたことをわすれてしまいます。
しかし、ベネディクト16世にしても、コルベ神父にしても、たった一つのことがわかっていたことによ
り、すくわれます。
それは、あなたの創造した人間をつくられた、主・イエスキリストの十字架による罪のあがないです。
罪のあがないがあるからこそ、コルベ神父は、アウシュビッツの収容所の中でもキリストを述べつたえ、
若者の嘆く声を聞き、神の愛を述べつたえる伝道師として、十字架の主と供に十字架にかかられ、天へと
帰られました。
エペソ2:14 キリストこそ、私達の平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、とあ
ります。
そして、キリストにより、平和と天国による復活はなされます。
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