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11月になると、朝ジョギングする人達の口から白い息がでるようになる。

私が公園の近くに車を止めていたらその下が暖かいからだろうか?

近所の白猫が、車のしたで昼寝ねをしていた。


猫は、私を見ると、さっさとどこかへといってしまった。


まるで、私が、どいてほしいと思っているのを見透かしたかのように・・。


さて今日は、宮沢 賢治さんが書いたセロ弾きのゴーシュという物語を読み、

主・イエス様から、与えあうことの大切さを学びました。

主人公のゴーシュは金星音楽団の中の一員で町の音楽活動館では、セロを弾く

係りでした。

しかし、ゴーシュはこの楽曲団の中で一番下手で、いつも楽長にいじめられていました。

トランペットもバイオリンも、クラリネットもきちんと、旋律を上手に奏でる中で、ゴーシュ

のセロだけ遅れ気味でした。


彼は、下手ではありましたが、とてもまじめで熱心な人で、皆に追いつこうと、虎みたいな


勢いで譜をめくり、夜中もすぎてしまい、もう自分が弾いているのかさえもわからないほど


練習していると、そのとき、とんとんと扉をたたく音がしたそうです。

 みると5、6ぺん見たことのある大きな三毛猫がそこにいて、おみやげのトマトをもって、

やってきました。

 
 理由は、この三毛猫は、ゴーシュの弾くシューマンのトロイメライという曲を聞かないと眠れないから

聞きたくてやってきたのでした。

 ゴーシュは、自分よりも劣った猫をみると、高ぶり、猫を生意気だと叱咤します。


 そして、意地悪して、猫の聞き曲の変わりに、自分の耳に耳栓がわりにハンカチをつめ、

大きな音でインドの虎狩りという曲を弾きます。

 猫はびっくりし、とびらに額をぶつけ、こういいます。

先生もうたくさんです。たくさんです。

だまれ、これから虎を捕まえるところだ。

その晩は、猫がゴーシュの先生でした。


 次の晩も同じように曲の練習をしていると今度は、カッコウ鳥が現れました。

このカッコウはドレミをゴーシュに教えてもらいたくて、やってきました。

初めは、ゴーシュは、音楽などカッコウにはひつようないカッコウ、となくだけでしょう。

といっていましたがカッコウの熱意に押され、彼は、弾いてあげることにしました。

カッコウは喜んでなんども練習をしていましたが、ゴーシュの手が痛くなりカッコウにこういいます。

こらいい加減にしないかと。

しかしカッコウは教わることをあきらめません。

ゴーシュも練習があるのですからこういいます。

なんだと!おれがきさまにおそわっているのではないんだぞ!帰らんか。

それでももとめるカッコウの熱意におされ、ゴーシュはこれっきりだといって教えてあげます。

しかし、朝もちかくなりついに、ゴーシュもおこってしまいます。

するとカッコウは、びっくりして、逃げようとします、何度も何度も頭をぶつけながら、

たまらず、ゴーシュは扉を蹴り上げ窓をそとへ落としこわしてしまいます。

この日は、主人公は、知らない間に、ドレミファを教わりました。

今度は、狸があらわれました。


 同じようにゴーシュから曲を教わるのでずが、今度は、ゴーシュは、狸を追い出すことは、しませんで

した。

怒ることもなぜならば、ゴーシュが、セロの曲を弾くときに、きになっていた二番目の弦を弾くときの欠

点を狸が指摘し、それは、自分の演奏の益になったからです。

教えている立場から教わる立場になったから・・・。


最後に野鼠が、来て、ゴーシュに子の病を治してといいます。

ねずみのいうことにはセロの曲を聴くとやまいがなおると。

そして演奏会の日がきてしまいました。

動物達に教えてばかりだったゴーシュ。

うまく弾けるわけがないとおもいきや結果は逆でした。

金星楽曲団は、第六交響曲を見事に成功させました。

そして楽長は、ゴーシュにアンコールを締めくくる曲を弾くようにいいます。

彼は、インドの虎狩りを引きます。


 猫に意地悪したとはいえ、猫の為に弾いたその曲は、周りから絶賛され、

一週間から十日の間で彼は、いつのまにか、赤ん坊と兵隊ほど成長をしていたのでした。

聖書で主・イエス様は、門をたたきなさいといいます。

黙示4:20見よ。 私は戸の外にたってたたく。

だれでも私の声を聞いて戸をあけるなら私は彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。

またこうもいいました。

ルカ6:38 与えなさい。

そうすれば、自分も与えられます。

人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。

あなたがたは、人を量る量りで、自分も量りかえしてもらうからです。とあります。

ゴーシュは一生懸命うまくなろうとしました。

一般の人達は、聖書の御言葉を知らない人は、自分達が苦難にあったとき、頑張っている時

実はそれを得ようとしている好意が、神に門をたたく行為であることを知りません。

 主・イエス様は、門をたたくものを一人にはしません。

預言者や天使を遣わすと聖書はいいます。


 しかしこの預言者は、小さなものひとにとってみたら役立たずのものと思えるものであるともいいま

す。

民数22章にも同じようなことがかかれています。

神の命令を守らないバラムにたいして主の使いが通るのを邪魔します。

主の使いは、進み彼らが右にも左にもよけることのできないところに立ちました。

そのとき、バラムのロバが主の使いをみてうずくまり、ロバをバラムが打つシーンがありますが、

このろばがゴーシュをたすけた、動物達と抽象的に表現するならば、

主・イエス様は、狭き門は、小さなものたちの神の不思議な助言を聞くことまた門をたたく

ときに神の命であり道がみいだされます。

主・イエス様がラバにのり、エルサレムの入城なされたのには、神の御子でありながらこころ貧しく、謙

虚にへりくだられ、すべてのものに仕えられた主・イエス様の愛があります。


 主・イエス様の十字架は、命の水は、小さなものがはこんでくれます。

天使がのぼりおりするのをみれるものは、ゴーシュのように、心清いものなのかもしれません。


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トクトル
トクトル
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