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私は、インドの映画で、サラーム・ボンベイという映画を見たことがある。
映画の舞台は、その名のとおり、ボンベイで、インドのストリート・チルドレンの
過酷な現状を訴えるかのような映画でした。
子供たちが見捨てられている国。
大人たちから見捨てられ、食うために盗みもかっぱらいでも何でもする彼らの現状、
この世の矛盾を、サラーム・ボンベイでは、実際のストリート・チルドレンが演じ
ているのだそうだ。
だからこそ、恵まれない子供たちに対して 、主に祈り世界が、助け合うことの大切
さを覚えます。
先進国の子も発展途上国の子供も同じひとなのですから。
また私は、貧しい若者たちを助け、教育することを夢で啓示をうけたといわれている、ドン・
ボコスという方をしっている。
ヨハネ・ボコス(ドン・ボコス)は、サレジオ会を作った創始者です。
彼は、1815年イタリアのピエモンテで、うまれました。
農夫だった父を失ったのはわずか2歳の頃、彼は、幼少期を極貧の中で過ごさなければ
ならなかった。
16歳という若さで、トリノの神学校へ入学したとき、教区の司祭からはマント、市長からは、
帽子教区の住民たちからは、平服に靴を提供してもらわなければならないほど、の貧しさでありました。
しかし、なぜそんな極貧の中で、かれが、神学校へいけたのかというならば、聖書でかかれているとお
りに主・イエス様が、このドン・ボコスを祝福してくださったのだとおもいます。
マタイ6:32にこうかいています。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなた方に必要であることを知っておられます。
彼の服は、神がすべてあたえてくださいました。
神の国と神の義を第一としたから。
信仰深い彼は、神学校に行く前に夢で啓示をうけていた。
その啓示とは、貧しい若者たちを助け、教育することでした。
かれは初め、少女のための保護施設つきの司祭になり、その後母親の ママ・
マーガレットと供に、親から見捨てられた40人ほどの少年の為の寄宿舎を創った。
また洋服の仕立てや靴作りの為の作業場を作り、ただ施すのではなく、子供たちに自立できる
ような訓練もさせた。
1859年ヨハネは、22人の仲間と供にサレジオ会を創り、教皇ピウス4世にも承認され、サレジオ
会はヨハネが亡くなる1888年には、会員数が768人にもなったそうです。
彼は、カリスマ性があり、困難なことにも優しさを失わずに、時に聖書で、主・イエス様が、パンを
増やされたように手持ちの食べ物を何倍にも増やす奇跡をおこしたといわれています。
わたしは、このドン・ボコスを見た時、施しとは、ただ、与えるだけではなく、その人の働ける
環境を作ってあげることも施しだと、主・イエス様から教わった。
彼が一番大事にしていたことは、愛することであって、彼は自分の人生をただ、主・イエス様にささげ、
子供達をあいした。
そして自分の隣人達を、神の家族として受け入れ一生涯を主・イエス様に捧げた方でした。
彼の亡くなったとき、葬儀には4万人の人が参加したといいます。
聖書には、よく種まきの話しがてできます。
よい種、悪い種、それが多く結べば良い心、悪い心、になるのでしょうけれども、
私がおもうのは種というのは、とても小さなものであり、それを成長させるのが、奉仕者
である牧師や司祭であったのではないでしょうか。
しかし、もし、主・イエス様が生きておられなかったならば、極貧で貧乏人の彼が、今全世界に
あるサレジオ会を創れたのだろうか?
全世界に今福音がなされたのは、主・イエス様のために生きた、小さなの貧しいものたちによって、
なされました。
権力者や、賢い人達のほうが、楽に御言葉をつたえられただろうに。
しかし主・イエス様は、コリント第一13:22でこういいます。それどころか、体の中で比較的弱いと見
られる器官が、かえってなくてはならないものです。と・・・。
だから、すべての人を主・イエス様は、必要となされています。
すべての人が主・イエス様の十字架を信じ、神に従い、平和の種をまく働き人として、また救われたもの
として、生き、最後終わりの時に御自分と供に天語へ入るようにねがっているのです。
皆さんも、この世の中の悪に目を留めるのではなく、善=神に目をむけることをお勧めします。
主・イエス様のは、すべての人の心にすでに救いの種をまかれています。
良心という心の種を。
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