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今日は、教会で、イースターが行われた。
教会には、受難節というものがあり、その後、イースターがある。
イースターとは、主・イエス様の復活を祝う日です。
受難節は40日間と呼ばれていて、「復活前節」「四旬節」「レント」ともよばれています。
受難節は、キリストが、十字架にかかって復活するまでの受難として、つくられたのだとおもいます。
主・イエス様は、福音を述べ伝えるまえに御霊により、荒野に追いやられ試みにあわれました。
そのときの期間は、40日でありました。
私個人としては、受難節は、主があざけり、中傷、鞭打ち、つばきをかけられて、十字架に架かられたこ
とにかんしての日ごろの反省や、悔い改めをする期間として、うけとめています。
そして、主の来臨を待ち望む日でもあります。
また日本基督教団の阿佐ヶ谷教会の牧師だった大村勇牧師は、待降節の時の説教でこう書いておられま
す。
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたのところに来る。
彼は、義なる者であって勝利を得、
柔和であって、ロバに乗るすなわち、ろばの子である子馬にのる。
私は、エフライムから戦車を断ち、
エルサレムから軍馬を断つ。
また、いくさ弓みも断たれる。
彼は、国々の民に平和を告げ、
その政治は海から海に及び、
大川から地の果てに及ぶ
これは、旧約聖書のザカリア9:にある、主・イエス
様のエルサレム入城を預言したシーンです。
当時、預言者ゼカリアの時代、ギリシャのアレキサンダー大王によって、パレスチナ地方
は蹂躙されていたといいます。
戦禍の中、希望もなく失望し、悲しみといくさ弓におびえていた民に対しての主・イエス様
を信じるものに対しての希望と喜びに満ちた預言でした。
あなたの王はあなたの所に来られる。
その王=主・イエスキリストが、私達をこの世の王の支配から、罪の苦しみから、私達を解放して
くださる。
主が、戦車を断ち軍馬を断ち私たちと供にあゆんでくださる。
そしてその主の御言葉は全世界にひろがり、全世界の人々は、このイースターを主の復活として祝い、
世界が、主の体と、主の血を頂き、主の家族として運命共同体として日々あゆまれています。
また大村牧師は、説教のなかでこうおっしゃっていました。
主・イエスは、人の子がきたのは失せたるものを訪ね救うためであると。
この失せたるものとはだれでしょうかと・・・。
それは、ただ信じる人信じない人という表現ではありませんでした。
神から遠く離れ、いろいろな欲求を持ち、主を信じていながらも、心の平安を
失いどうにもならない自己をもてあましている。
そういうこの世においてもっとも惨めな人間が自分ではないだろうか?
またヨハネ福音書5の箇所で、ベテスダの池のほとりのあらゆる種類の病人達が、
その池の水が動いたときに真っ先に飛び込んだものが癒されるという伝説に頼って
ひしめき合い自分だけがわれ先に救われようとする人々をご自身の信仰と照らし合わせ、
私達に心を吟味するように教えてくださいました。
そして、主・イエス様は、エルサレムに入城なされました。
全世界の救い主として、王として。
そのとき、主は、神殿で商売している人をおいだし、こういわれました。
マタイ21:13私の家は祈りの家と呼ばれると書いてある。
それなのに、あなた方はそれを強盗の巣にしている。
大村牧師は、聖書の箇所を引用してこう書きます。
裁きは神の家から始まる。(第一ペテロ4:17)
私達の王である主・イエス様は、すべての罪に勝利なされ、
ロバの子にのられました。平和の象徴であるロバに。
しかし、私達に常に自己の罪の悔い改めと、自己吟味ももとめておられます。
だから受難節があるのでしょう。
人間には、罪があります。
しかし、主は、その罪すべてをゆるしてくださいます。
でも、私達の心が高ぶり、私達の心が主から遠く離れるときも、あるかも知れません。
だからこそ、受難節、イースター主の復活を祝う日は、とても大事な日です。
この大村牧師の話は待降節の話しでありましたが、私は、主の復活と主の来臨を待ち望む
われらの王である主イエス様を待ち望む説教として、受難節で紹介しても良いのではないかと
一部を抜粋してかきました。
もうなくなられた牧師の話でしたが、昔の人も今の人も主・イエスを復活と再臨を
まちのぞんできました。
ダビデの子にホサナ。
祝福あれ。主の御名によってこられるたかに。
ホサナいと高き所に。
主・イエス様の十字架を信じ、洗礼を受け、主の御名を述べ伝えるもの達は、みなこのように
神をほめたたえています。
そして信じるものは、救われます。
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