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私の近所を散歩してみると、もう、梅の花が満開でした。
犬と散歩しながらまたは、家族づれで様々人達が、梅の花見に近所
の公園に集まってきていた。
とりわけ、多かったのが、写真を撮ろうとして、望遠カメラを三脚に
つけて、写真を撮らずに待っている人が多かった。
花に鳥が来る瞬間を狙っているのであろうか。
彼らの顔は、とても朗らかに感じた。
さて、今日は、主・イエス様に祈り、カミルロ・デ・レルリスという司際に
ついて書こうと思います。
レルリスは、1550年、イタリア・アブルッツイのブッキアニコという町で生まれる。
体がずはぬけて大きく、体力があったレルリスは、勇敢であったのでしょう17歳という
若さでベネチア陸軍に入隊する。
そして、傭兵として、暮らしていた。
当時のイタリアは、十字軍以来、イタリアの諸都市は東方貿易の独占を通じて大いに富栄えていた。
しかし、政治的には統一されず、ローマ教皇までもが、その争いに加っていた。
そんな中、新しい生き方、考え方が生まれ、世はルネッサンス文化へと美や学問も変わりつつあり、
楽しい時期でもあった。
神曲のダンテ、人文主義叙情詩人デカメロンで有名なボッテッチェリー、芸術では最後の晩餐の絵
を壁一面に書き、モナ=リザなどでも有名な画家ミケランジェロなど、彼の生まれた時代
前後は新しい文化、美術などに恵まれた時代でした。
そんな時代で、レルリスがはまってしまったもの、それは、ギャンブルでした。
彼は、3度の飯よりギャンブルが好きで中毒と言えるぐらい、ギャンブルにのめりこんでいった。
司際になろうなど夢にも思わなかったかもしれない。
毎日遊びほうけ、持ち物はすべてつぎ込み、負債者に着てる服をはぎとられることもしばしばあった。
借金はかさみ、やがて労働者として働かざるえなくなった。
そんな生活が17〜25歳まで続いた。
しかしある教会の説教を聞いた彼は、思わず神にひざまづき、自分の過去の生活を悔い、天に慈悲
を乞うたと言います。
改心した後の彼の行動力は凄しいものて゛、まず、フランシスコ会に入ろうとする
けれども、足が不治の病の為入信できなかった。
そのことで、彼はめげることなく病気で苦しむ人々に目を向け、彼は、ローマのサン・ジャコモで
病院の会計係をし始める。
彼は自分が務める病院が暴力的で、治療法が不適切なのに気づき、司祭となった一年後の1585年
に「病める人のための修道会」を設立する。
この修道会のメンバーは、ハンガリーとクロアチアでの戦争で兵士達と供に参加し、最古の衛星集団
として記録を残すことになった。
彼は、64歳までの生き、15の宗教施設と8ヶ所の病院を建設した。
私が彼を思うときにいつも思い出す聖書の箇所は、ルカ19のザアカイの話です。
ザアカイは、大変な金持ちで、取税人のかしらだったひとです。
しかし体格的には、レルリスより背も低かった人ですが、彼と似たところがあります。
それは、生き方です。
レルリスもザアカイもとても恰幅がよく、人から愛されるひとだったのではないかと思います。
なぜならば、聖書でザアカイは木に登って主・イエス様を見ていたと書いてあるからです。
子供のような幼心のある人しか、あまりしない行為です、また、彼は、主・イエスにこういいました。
「私の財産の半分を貧しい者たちに施します。また。誰からでも私がだましとったものは4倍にして
返しますと」
彼らにとってお金とは、自分の生活に必要なもの、またギャンブルなどをするにしても、金に執着
するのではなく夢とかの為に使っていたのではないかと思います。
だから、彼は、主・イエスの新しい霊による体を着たとき、レルリスもザアカイも大いに獲得し
大いに与えることができたのではないかと思うのです。
聖書では、神と富とに仕えることはできないとありますが、私達はお金の為に生きる奴隷的な生き方から
主・イエスの十字架によって解放されています。
そして主・イエスを信じた人は親、兄弟、家族、すべての人に愛され、主・イエスの十字架により、すくわれます。
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