|
昨日家から少し離れた道を何げなく歩いていると、
そこには春に咲く小さな青い花が咲いていた。 私の家の庭には、梅の木が2本植わっている。 家の近くのほうの白い梅は、満開なのだが、庭の奥の梅は、 まだ、そんなに咲いてはいない。 でも、ヒヨドリ、メジロ達は、そんな事は気にしない。 どちらの梅の木にも同じようにやって来る。 さて今日は、主・イエス様に祈り信仰による生きる事の意義 と恵みについて、書こうと思う。 周知のとおり、今から約4年前、東北で震災があった。 その時の津波により2万人の尊い命が失われ、また、 人の怠慢に怒りくるったのかのごとく、福島の原発が 爆発してしまった。 パウロ・ネメシェギという上智のカトリックの先生は、 著書で、原発と言うものの脅威について、書かれておられた。 そして、昨日報道された話によると今だに原発の海への放射 能の漏れは、終息していない事が新聞で、久々に露呈された。 私達は、現実に、目を向けて生きる必要がある。 私が、紹介したい話は、その当時、日本キャンパス・クルセード・ フォークライストが、作っている、HOPE FOR LIVING JAPAN という東北支援の為のDVDに出演していた、森 祐理さんの証に ついてです。彼女は、京都市美術大学声楽専修卒の福音歌手です。 国内外で、被災地を巡り、刑務所で慰問活動が認められ、法務大臣 顕彰を受賞なされた方なのですが、このように彼女が、人々の為に、 歌や支援活動をするきっかけとなったのは、阪神淡路大震災での森 さんの弟の死がきっかけでした。(このことに関しては、上記で紹介 した東北震災の人の支援DVDでも森さんは、証をしている。) 彼女の弟は、大学4年生で、神戸に下宿していたのだと言います。 その下宿のガレキの下で、彼は遺体となり、見つかりました。 牧師や、父に担がれて毛布でくるまれ、家に運ばれた時、森 祐理 さんの心には、ガツン開けられたような心の穴が開いたといいます。 家で、紫に腫れ上がった弟の顔を眺めていた、裕理さん、その時 心の中に弟さんの声が響いてきたのだといいます。 お姉ちゃん、俺死んでいないよ」「俺もっといいころ天国へいったから 心配するな」と・・・。 その時、涙があふれ、でもその涙は、悲しみの涙ではなく、死をも乗り 越えさせて下さる、主・イエス様の大きな神の力を感じた、畏怖の涙で あるといいます。 その時から、森さんは、上記で書いたような活動を始めました。 そして気づいたのは、自分だけが苦しんでいるのではなく、どんな人も 心に傷を持ち、慰めを求めているのだ、彼らの痛み、苦しみだけではな く、彼らの優しさ、温かさが私の心の穴にどんどん流れこんできたのだ といいます。 森さんが言いたい事それは、全知全能の神がある主・イエスキリストを 信じるならば、私の弟にまた会える、死は終わりではない。主・イエス の十字架を信じ、信じて口で告白し、罪を悔い改める人達は、誰でも救わ れるですと言いたかったのではないか思います。 もし、主・イエス様が、私達の罪の身代わりとなり十字架に架かってくだ さり、私達を救ってくださらなかったならば、私達は、絶望に打ちひしが れてしまうかもしれません。 でも、確かに主・イエス様を信じる人にとって、死は始まりになります。 ローマ6:22 あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖な る生活の実を結んでいます。 行き着くところは、永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。 しかし神のたまものは、私達の主・キリストイエスによる、 永遠の命なのです。 主・イエスを信じる人は、今からでもあとでも救われます。 なぜならば、信仰の父アブラハムは、割礼を受ける前から信仰により神の 義を獲得していたからです。 |
全体表示
[ リスト ]


