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小西行長

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今年の7月は、雨がとても多く、冷夏だった。
 作物の値段があがらないといいけど、その他ガソリンの値段もレギュラーガソリンが135円位になった
 民主党の政策には、高速料金を無料にするということだが、どうなることやら、
 さて、話は変わって昔、安土・桃山時代のころに、堺の町から出世して、豊臣秀吉の 家臣となった、小西行長という方の話を読んで、願いを叶うのを待つ事の大切さを主・イエス様から学んだ気がした。 
  
 この人は、豊臣秀吉をとても恐れたかたで、いつも秀吉を恐れていたなぜならば、当時日本には、南蛮文化が浸透してきており、その中に、宣教師(キリスト教の伝道師)も多々入ってきていて、日本にも、キリシタン大名が増えてきていた。
 小西行長も、そのキリシタン大名の一人でだったので、秀吉が命令したバテレン追放令は、とてもつらい出来事でした。
 「自分は、主・イエス様を自分の主として認めている、しかし太閤の意に背くような真似はできない。」

  行長にとって、堺の商人の息子から、秀吉の家臣になり明石、小豆島などに一万石の領地をもらっているだけに、秀吉の命令には背けないし、かといって宣教師を追放すれば、神に背くことになる。
 そんな中、キリシタンの大名のリーダ格の高山右近が、 秀吉に呼び出され、キリスト教を捨てよと言われる。
  その時右近は、潔くこう言ったそうな、「たとえ全世界をこの手にできたといたしましてもわが魂を失うのであればなんの益になるでしょうかと・・・。
 

 秀吉に領土を取り上げられた右近の見せしめもあり、初め行長は、極力宣教師とのかかわりをさけ保護を求める彼らを避けていたが、そんな自分の己の臆病が、狡猾さが、信仰の浅さがいまいましくなり、しだいに悔い改めはじめた。
 

 なんども懺悔しつづけ、ある時行長は、教会に行く、教会に佇み、嘆きつつ、かれは、神は赦されまい
と確信し、しゃがみこんでかなりの時間が過ぎた頃に主・イエス様の導きであろうか、秀吉に追放された高山右近と出会う。
 
 その時、悲嘆にくれる行長は、神からの指令を頂く、それは、面従復配の道でした。
 従うとみせて、反抗することを・・・。
 彼は次第に勇気を持ち、バテレンの宣教師を助ける。
 もし、このことが、秀吉にみつかれば殺されるかもしれないけれど、恐怖の中 かれは宣教師を助ける。
 このように神が小西行長を用いたのは、きっと彼が堺の出で父小西隆左が持つ水軍と経済力が秀吉の明支配の野望をかなえるのにちょうどよく、だから他のキリシタン大名よりも、寛容であったからかもしれない。

 そんな行長に神の試練であろうか?
 秀吉から九州の南半国を行長が支配するように任じられる。
 当時九州は国人衆と呼ばれる土豪たちがいて、その力はつよく、また半独立する形で領地を治めているので、あまり秀吉の家臣の言うことを聞くかわからない。
 北は加藤清正、南は小西行長が、統治する前に佐々成政が統治したが、賦役を強要すると内乱を引き起こし、
 内乱は収まるが、その責めで、成政は、腹を切って死んでいる。
 まして小西は、商人の子ですから、戦いに長けている訳でない一方加藤は、命を削って、功名を得てきていた。
 軍人と商人の関係でしたので、小西と加藤は犬猿の仲でありました。
 当然、加藤は、国人衆を蹴散らし、行長は、負け戦で、加藤に援軍をもとめる。
 さんざん、こけにされた挙句、行長は、惨敗してしまった。
 今度こそ、切腹かとおもいきや神の見守りであろうか、行長はたすかる。
 彼は、秀吉が朝鮮に出兵した時に、明と朝鮮の人々と秀吉との戦いを避けるために、秀吉にちがった情報を流し、また、秀吉の書いた文章と違うものを明に渡したり、朝鮮の人をまもるため、どのようにしたらいいのか、ひそかに、朝鮮のひとに教えたり、秀吉が死ぬまで、知恵を使い、明と日本の戦争を伸ばしたひとでした。

 秀吉 の和平案を無視し、別個の妥協案をだし、それがばれ、太閤に「首をはねてくれると」激怒されようともさいごまで、面従腹背を通した行長、はじめの頃は秀吉を恐れていたが、神を信じた行長は、死ぬこともなく、勇気をもって、秀吉に背き、和平の道を成し遂げようとした。
 そこには、いつも神のみまもりがあった。
  
 また聖書でも、これと似た記事があります。
 ダ:3で、ネブカデネザル王は、自分をひれ伏して拝まないのならば、誰でも火の炉の中に投げ込むといったそうで、神の民のシャデラク、メシェク、アベデ・ネゴは、火の炉の中に投げ込まれるが、彼らは、神に救われ火の中を歩いても、平気だった。
 またマタイ10:29では、ニ羽のすずめの話で、主・イエス様が命じなければ一羽のすずめも地に落ちることはない、30あなたがたの頭の毛さえもみな主・イエス様は、かぞえていてくださる。私たちをまもり、
絶えず、罠にかからないように気を配ってくださる。
 と書かれています。
 
 主・イエス様は、私たちが正しいことをするならば、常に神の毛一本失わないようにと、私たちを心配しあいしてくれます。
 主・イエス様を信じるならば、十字架を受け入れるならば、神の平安と愛が私たちを小西行長が守られたように、いろんな人を通してまもってくださいます。
 そして、しんじたものは、地に落ちることなく永遠の天国へあげられます。





 

コルトナのマルガレタ

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この一週間ずっと、雨か曇りの天気が続いている。
 その一週間の中で太陽を見たのは一日か二日ぐらいだっただろうか?
 伝道者の書:三章一節には、天の下では、何事にも定まった時があり、全ての営みには時があると言います。
 最近の曇り空もいつかは晴れる今日も、希望をもって生きていけたらとおもいました。
 さて、1247年、トスカーナ地方のラビアノというところコルトナのマルガレタという女性が誕生した。
 彼女は絶望の淵の娼婦とよばれている方で、農家の家に生まれた美しく活発な少女だったといいます。
 しかし七歳の時に母を失い、継母にそだてられたのだが、当然昔の貧しい農家の継母にとってみれば、マルガレタは邪魔で厄介な存在でしかなかったのでしょう。
 
 十八歳になる迄、継母にひどい仕打ちを受けていたようです。
  そんな貧しい彼女の窮乏が彼女を堕落した娼婦としての道を歩ませてしまったのかもしれない。
 けれども、そんな彼女にも転機が訪れたモンテンプルチャーノの若い貴族と知り合い、息子もひとりもうけ、幸せに9年間くらす。

 しかし、罪のためであろうかこの若い貴族の男は、殺されてまた、マルガレタは、子供ひとり連れ、ひとりで生きることになり、困り果てた彼女は、実家に戻ろうとするが父親と、継母に門前払いされてしまった。
実の父に捨てられ、自分のことを邪魔ものとして、虐げてきた継母に見下され、マルガレタは、身も心も真っ暗闇だった。
 
 そんなマルガレタは、藁をもつかむ気持ちで、最後にフランシスコ修道会に助けをもとめる。
 子供も、私もこのままでは死んでしまう。
 以前は娼婦でしたが、その時の彼女は、きっと悔い改めて、生活のために自分を売るような事はしなかったのでしょう。
 だから彼女は、コルトーナに家を与えられ、そこに住めるようになった。
 彼女にとってこの出来事が大きな人生の第二の転機だったのだろう。
彼女は、主・イエス様に必死に赦しをこうものとなる。
 苦行をし、自分の生まれ故郷ではづなをかけて、神に赦しを乞い、自分の顔を傷つけることも、しばしば誰かがやめさせなければ、ならなかった。
このような過激な事をしていたにもかかわらずフランシスコ修道会は彼女を受け入れてくれた。
 父、継母、に捨てられ、愛する人をうしなったマルガレタ、若い頃に罪を犯し、きっと神への赦しも得られず、失意のどん底にいた彼女をすくったのは、
キリストの体としての兄弟姉妹であるフランシスコ修道会の力は、大きかったのだと思う、そして、修道会の家まで与えてくれた無条件の愛がコルトナのマルガレタの冷めた心を主・イエス様への熱心な信仰へかえていった
 1297年の死ぬときまで、食べ物はほとんど口にせず、ろくに寝ないで馬巣織りのシャツしか着ないで貧しい人や苦しむ人々を助けた彼女は、絶望の淵の娼婦といわれている。

 
 聖書では、人類最初の祖先アダムとエバが罪を犯したせいで、人は、一生苦しんで食を得なければならないという。
 また聖書にはヨブという方がいたこの方は、神にもみとめられた義人であり、そんな彼には、七人の息子と三人の娘がいて、その子たちのために全焼のいけにえを捧げていたという。
 神様でさえも正しいとみとめるこのヨブにも、神は全焼のいけにえを捧げさせていた。

 生き物を自分の家族の為に犠牲として捧げるのですが、私たちは、普段あたり前のように肉を食べて生き物を食べて生活をしているけれども私たちの罪は、コルトナのマルガレタの犯した罪と同じ位悪いものであると、聖書には、書かれています。
 聖書では、モーセの十戒という掟があるのですが、そのなかに、殺してはならない、姦淫してはならないとかいてあります。
この二つの罪に大差はないのです。
 聖書には、娼婦の方も多々でてきます。

 娼婦ではなかったかとされるマクダラのマリヤ、遊女ラハブ、このラハブは旧約聖書ヨシュアという義人を匿った方で勇敢な女性でした。
 神の前に正しいことをした、そのおかげでしょうか。
 彼女の子孫から救世主キリストは誕生します。

 (サルモンはラハブによるボアズの父、このあと、数代の系図が続き、
ヤコブは、マリヤの夫、ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになった」となっているのです。)
 

今の世の中の常識では、罪を犯した人は、死刑であり、もうゆるしてもらえないという認識が一般的です。
だから私の知人の何人かは、こんなわたしでは、まだ信仰を持つのは駄目だとかいうひともいます、また私は汚れていると・・・。
 
 しかし、そんな事は私たちの心の錯覚ではないでしょうか、ともいえるのではないですか。
 
  なぜならば、私はしろい象と、みにくい象の話を読んだことがあります。
 内容があまりはっきりしないのですが、釈迦が、ある国の王子に例え話をした話で、
 たしか、白い象は、人でいうならば貧乏者の父母で、みにくい方の象は、逆に富豪の父と母をもっていた子の話を読んだことがあります。
 
 なぜ釈迦が、このような話をしたのかと言うと、その国の王子の母が貧しい者だったようで、ずいぶんと苦しんでいたようですが、釈迦は「白い象とみにくい象どっちがいいか」と言います。
もちろん、白い象に決まっています。
 この例えから教えられたのは、どんなに大きな罪を犯していたとしても、
 悔い改めるならば、その気持ちがあるのならば、もうすでにその人の心は、白い象のように真っ白な心にかえてもらえるということです。
 
 墨よりも黒き、心なれど、雪よりも白くあらわれたりという聖歌がありますが、本当に心清めるとは、神にへりくだるときにいつでも、神は与えてくれます。
 そして主・イエス様はそんな人と共にいて赦してくださいます。
 主・イエス様の十字架は、健康な人のためでなく貧しいものや病人のために全ての人々のためにあるのですから・・・。
 ルカ五:三十一、イエスは、答えて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫なものではなく、病人です。
三十ニ 私は正しい人を招く為ではなく、罪人を悔い改めさせるためにきたのです。

罪人を悔い改めさせる為に・・・。
 
 この人類のなかで、罪人でない人など一人もいないのですから、本当にありがたいことです。
 信じるものは、誰でもこの主・イエス様の赦しを得られます。いつからでも・・・。

聖エラスムス

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ボウツ[聖エラスムスの殉教の祭壇画]|1460年頃| st.peter. louvain

◎物語―――――→シリアの都市アンティオキアの司教だったが、捕らえられ イタリアで殉教した。
 その様子は指の爪の間にきりを刺され、鉄板焼きにされ、煮えたぎった油
をかけられ、あげくは内臓を巻き上げ機で巻き取られるという凄まじい死に様であった。
 またある時には、暴風雨の中でも説教をする彼の頭の上だけは晴れていたという奇跡話から地中海の船乗りの守護聖人とされている。
 「聖エルモの炎」という海上の不思議な現象は、彼の名(スペイン語ではエルモ)に由来している。

エステル王妃

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梅の咲く今日この頃、世の中では温暖化の影響で、20℃ぐらいの陽気が何日か続いている。
 わたしの家の梅の木も、去年よりも早く咲いた気がする。
 さてわたしは、童話集の中で旅人と斧という話を聞いたことがあります。
 2人の(男=隣人)が、旅をずっとしてきた。
 一緒に食べたり、飲んだり、支えあって生きてきたはずでした。
 しかしある時、一本の斧のせいで、彼らは自分達が、隣人であったということに気づいたようです。
 一人が斧を見つけた時、一方の男は、「俺達はみつけた。」とよろこんだが、一方の男は「俺達は、
みつけたではなく、君が見つけた、というべきだ。」
 といった。
 しばらくすると、斧をなくしたもの達がおってきた。
 「俺達もうだめだ。」といった時に、君がその斧を見つけたんだと、言った男が、こう言ったのだそうな。 
俺達ではなくて、君がもう駄目なんだよと・・・。
 

さて、聖書には、旧約聖書の中にエステル記という書物があります。
 エステルは、紀元前473年ころペルシヤのクセルクセス王の嫁、王妃です。
 当時のイスラエルは、北王国と南に別れていて、この物語は、南王国ユダが新バビロニアの王ネブガデネザル王により補囚にあった後、新バビロニア王国も滅び、ペルシア帝国ができるのですが、そのペルシア帝国の王の一人のクセルセスの時代の話です。
 王妃になる前にエステルは、両親をなくし、親戚のモルデカイによって、娘としてそだてられていた。
 モルデカイは、ユダヤ人で上記で書かれたとらわれの補囚の民の子孫でユダヤ人でベニヤミン族の家系
に属していたかたで後にこの国の首相になったかたです。
日本の人がイギリスの首相と王妃になってしまうようなものですが、そう簡単には当然いきませんでした。
 当時王様は、ハマンという人を、同僚の誰よりも高い地位につけていた。
 よっぽと゛王はこのハマンを気に入ったのようで、王宮の門にいる役人は、みな王の命令により、ハマンに対して、ひざまずき敬礼をしなければならなかった。
 しかし聖書では、モーセの十戒というものや神の律法があったために、ハマンにひざまずかなかったこのことによって、ハマンの策略により、ユダヤ人は、全員殺されることになってしまった。
 
 この時にユダヤの民を救ったのは、王妃エステルでしたが、これは、大変なことでした。
なぜならば、当時王宮の内庭にいる王に召し出されずに近づくものは、誰であろうとも、死刑です。
 助かる為には、王が金のシャクを差し伸べられた時にだけ、死刑が免れるのです。
この時王妃エステルは、自分だけ、助かればいい、救われれば、いいとはかんがえませんでした。
  自分の民族を救うべく断食をしてから彼女はこういいます。
「エステル記4;16 このようにさだめに反することではありますが、わたしは、王のもとに参ります。
このために死ななければ、ならないのでしたらば、死ぬ覚悟でおります。」
 彼女は、王妃という立場でいれば、命のきけんもなく、また先ほど旅人と斧の童話の男のように、他人のふりさえすれば、死の覚悟もいらなかったけれど、民族を愛したエステルは違った。
 自分の民族を自分自身のように愛したからだ。
 まったく同じことをしてくださった方が聖書では、主・イエス様です。キリストとは、救世主と書きますが、聖書では、わたし達の原罪は、とても重い罪であるといいます。
 しかし神は、死刑になるのを知っていたのにもかかわらず、わたし達の罪を赦す為に嫌われものになり、あざけられ、ののしられて、十字架の上で、わたし達人類の罪のなだめの供え物となってくださった。
 そして今も、わたし達のためにとりなしの祈りを、していてくださいます。

 主・イエス様にとって、この世の人々がどうなろうと、ほっとけば、自分はエステルのような王妃よりも偉い存在なので害をうけなくてすんだ。
しかし、主・イエス様は、世の罪を取り除く子羊イエスは、わたし達罪を犯し、滅びてもしょうがない戦いと争いばかりしてきた、世界の人々を無償でゆるし、無関係なものとならずに、今も忍耐して信じてすくわれるものを待っていてくださいます。
 
聖書では、放蕩息子の例えがあります。
 自分勝手に親の財産を使い果した息子を親は、ゆるすシーンが、ありますが神は今もまっています。
心から神を信じ救われる人を教会の人達とともに・・・。


 

 
 

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小さな花のテレーズ

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今日の朝の天気予報では、晴れだということだったのだですが、午前中の今日の天気は残念ながら、雨の降りそうな天気でした。

 しかし昼には、とてもさわやかないいてんきになりました。
 今日の天気と同じく人の心は、病気や悩みがあると湖の水の中に照らされる月のように、晴れたり、曇ったりする天気のように変化してしまいますが、神の平安が続けばいいのに、と思うのが人間の常ではないのでしょうか?
 
 さて、時代はうつりかわって、1873年フランスのノルマンディーのアランソンという地方でリジューのテレーズという方が生まれました。
 このテレーズは、イエスの小さな花と呼ばれている方で彼女は幼い頃から、とても体が弱い子供でほんのわずかな風邪でも高熱をだしてしまうような子でした。
 
 
 母はこう言っています。「病気になると、何ヶ月も前から、普通でない息切れがして少し速く歩くと、すぐ胸がヒューヒューと変な音を立てる」とてもテレーズは、弱いからだでした。
そんなテレーズを母は、きっととてもかわいがったのでしょう。
 いつも心配してくれていたのだそうです。
 悲しいことにテレーズの家族は、体は丈夫ではなかったようです。
 父ルイ、母ゼリーと、9人の子がいたのだそうだが、そのうちの4人は、結核などの病気で命を落とす。
 テレーズを心配し、やさしくそだてていた母も4歳の時に他界、しかし、病気や病があっても彼女には、やさしい家族の存在があった。 
 母はとても信仰ぶかいひとだったのであろう、5人皆が、修道会に入る。
テレーズは、特に信仰に熱心な方で普通ならば、自由を束縛されるような、修道女になるのを普通ならば、嫌がると思うのだが、かの女は、14歳の回心体験の後、すぐにカルメル会の修道女になることを希望する。
 まだ14歳といえば、恋愛をしたり友達と遊んだり、学校に行き、将来を友達とかたりあいながら、自分の人生を主・イエス様に委ねる一方この世に生まれてきたのだから、もっと人生を謳歌したがるのが、普通であると思う。
 しかし、かの女はみずから毎年修道会にはいることをのぞみ16歳でカルメル会にはいる。
 そして、その年に自分の父をテレーズはうしなっても、彼女の信仰熱心は変わらず厳格で厳しいといわれるカルメル会の主・イエス様への奉仕をなし、22歳の時に見習い修道女の教師に抜てきされたのもつかのま、テレーズは皮肉にも結核で亡くなった。
 家族の中の兄弟、姉妹の誰かはわからないが、自分の家族を失っているのに、テレーズもこの結核にまけてしまい。24歳という若さで天に帰った。
 テレーズの一生は、まさに主・イエス様に全てをささげた一生で、父、母を亡くしても、戒律の厳しい修道会の中でも、主の十字架の為に生きたかたでした。
 その彼女が結核にかかりこうおっしゃいました聖母像を見つめながら、テレーズは、つぶやく、「おお! どれほど熱心にお祈りしたことでしょう!・・・けれど、何の慰めもない臨終です」
午後、少し持ち直して、数週間ぶりにベッドに座る。テレーズは、紫色になった手を合わせて言う「おお、神様!・・・私をお憐れみ下さい・・・ああ、マリア様、私を助けにいらして下さい! 神様、苦しい!・・・杯は、満ちています・・・縁まで満ちています。
 私は死ねない気がするまだ・・・・。
 突然4時半頃、顔色が変わり、最後の瞬間が近づく。テレーズは、微笑んでいるが、もう、最後の瞬間まで、何も言わない。
胸を引き裂かれるような、痛ましい息切れが、2時間以上続く。顔は、充血し、手は、紫色に、足は、氷のように冷たく全身は、震えている。玉のような汗は、額から滝のように顔一面に流れ、呼吸困難は、益々ひどくなるばかり。時々息をするために、弱い叫び声を漏らす。
 しかし最後には彼女は信仰を確信する主・イエス様は彼女に勝利の言葉をさいご送ってくださった。
 テレーズは、十字架を見つめながら、はっきりした声で、「おお! 私は、主を愛します」と最後の愛の奉献を行い、そのあとすぐ、「神様!・・・私は・・・あなたをお愛しします!」と付け加えた。
彼女は小さな道は「小さな道」は苦しみの道といいます。
 でもただの苦しみの道だとはいっていない、私たちの心の中で自我が生きている間、神の愛が常に私たちの心の中で燃え続けなければなりませんと、テレーズさんはいいます。
 神の愛が燃え続けるためには、どうしても苦しみ続けなければならないのです。私たちの心の中が純化されるためにはどうしても苦しみ続けなければならないのです。
 苦しみは私たちの心を純化させるためにどうしても必要なのです。
小さな道とは自分を徹底的に捨てること、そしてキリストのために生き誰かのためにいきること、常に人に優しく、自分に厳しいテレーズは、自己犠牲の道にこそ本当の罪からの解放があり、偽者のいまの世の快楽や世の楽しみよりも、素晴らしい神の恵みがあるといいたかったのではとおもいます。
このような病の中でも、かの女はかみをあいしたのは、キリストの十字架があったから復活があるからです。
 主はイザヤ53章でこういいます。「主・イエスは自分の命の激しい苦しみのあとをみて満足すると」
世界の救世主であるキリストは、全世界の罪を赦す為私達を天国という永遠の楽園に導くためにその罪をあがなう為に十字架に架かって死なれた。そのめぐみか゛神の愛がテレーズを最後まで 死ぬまで、キリストをあいさせたのです。 
 そして信じるものには永遠がまっています。
  今からでも救われるのです。




 
 


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トクトル
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