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昨日は、午前中は雨でしたが、午後は晴れだった。
でも昨日は雪が千葉あたりでもふったようだ。
私は町田付近に住んでいて、お気に入りの銭湯
があるのだが、そこへいく途中と車の温度計は
3℃だった。昼は13℃くらいあった。
さて、今世の中、韓国では大統領の不正問題やら日本でも森友学園
の国有地売却問題と財務省の問題、アメリカでは、
トランプ大統領のトヨタ批判、移民問題などで騒いでいる。
しかしトランプ大統領は、規制緩和やインフラ投資、
法人税の減税など決して悪い政策ばかりではないが
オバマケアなどの廃止など福祉面では、やや疑問がある

さて、今日は、主・イエス様にお祈りをして、主によって
感謝して生きる恵みによる信仰の考え方について、太宰治の
新郎という物語やカール・バルトの箇所また自身の証をさせて
頂く予定です。
昭和十六年十二月八日之を記せり。   
 この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり
新郎はこのように、戦争が始まる世の中が不安になる頃に書かれた作品です。
大戦がはじまり、文化統制が強化される中書かれた小説だからこそ私は、こ
の新郎の物語に注目しました。
テーマとしては、思い煩うなというところでしょうか。
この物語は、聖書の御言葉を題材にしているのは明らかで、
太宰の性格というか人格が、聖書的で、勇敢な方であったのだと言う事がで
きる本です。
印象的だったのは、食卓の上に何もなくともわずかで貧相なおかずでもそれ
を誉めて、むしろ楽しみにする心貧しい明るく生きる心、また学生が来た時
に、彼は優しさと言うものは、はにかむことではなく思う事を厳しく言う事
であるといっている。
その理由は、私が最後の審判の台に立たされた時「けれども、私が付き合っ
た人を一人も堕落させませんでした。」
と言い切る事ができたら、どんなにうれしいだろう。
それが私の優しさなのだという。
もしこの学生にその時殺されてもいい、殺す学生は永遠のばかである。
旧約聖書の神様の民の堕落に対しての怒りに対して太宰は鋭く愛という転換
をなしている。
また、カールバルトという方は、神学者だが教会に対してこのように語って
いる。
しかし教会が罪を犯して罰せられる時、弱められ、力を失い、追い散らされる
ような時も生じたり、また洞窟に避難したり、移住をよぎなくせらるるときも
あろうが、唯一1つの事それは教会は滅亡という事は起こりえないなぜならば、
教会の主が現在いて、
彼らの中にとどまるからだ。
教会を救うものそれは、いつ如何なる時代にもイエス・キリストに於いて私た
ちに人間へと差し伸ばされている神の御手である。
私も結構貧しいところを通らされている。私が信じはじめた時、預言だったのかも
しれないが、白髪のおばさんが戦時中の話をしてくださった。
米びつがなくてもしゃあしゃあと騒がない信仰が大事であると、
人は誰しも、完全に全て満たされ満足して生きる人は少ないのではないだろうか。
昔見た物語に王がいて、王は全ての贅沢をし尽くしたが、楽しみがなくなり、
ある時仕事をして、疲れた時のごはんが今までの何よりもの御馳走であったのだと
いう。
今日は、聖書の箇所でいう、愛とは何か、テサロニケの手紙にもあるように、絶えず
喜び感謝する事、それは、時に貧しい状態で来る場合もあればそうでない人もいる
かもしれないが、感謝の心を持つ事の大切さを語らせていただきました。
主・イエス様を信じる人は救われます。
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ラサリーリョデ・トルメス
今年もクリスマスがやって来た。
時代の流れとしては、都知事に小池氏がえらばれ、
アメリカの大統領に共和党のトランプ氏が選ばれたこと、
また原油が最近値上がりしてきているし、シリアでは、戦争がありました。
そんな中、私の庭のミカンには、メジロが沢山きて甘いしるをまるで子供
達のように、美味しいそうにつついている。
空を何気なく見ると夕空に一際大きな一番星が輝いていた。
さて今日は主に祈り一人の貧しい少年の話をラサリーリョ・デ・トルメス
の生涯の簡単なあらすじ紹介します。
この本はスペインのカルロス1世、神聖ローマ カルロス5世が王位をフェリ
ーペ 2世に譲ろうとしてた16世紀の中頃に作者不名で現れて大変な人気
になったと言います。
当時の スペインは新大陸を領有し、世界の最強国でヨーロッパのあらゆ
る所で戦争があり、この物語には、メクラのこじきや貪欲坊主、貧乏な
下級騎士、などこの時代を鋭く描写し、風刺しているが、主人公のラー
サロは、上述した人達の召使いとして、生きながら、主人に食べ物を与
えられず、空腹の中で、ドッコイ、負けずにずる賢く知恵を使い生きている。
でも決してその事が嫌みにならない作風と最後は、奥さんをもらいハッ
ピーエンドで終わる所に不安な時代に於いて信仰心をもつならば、神様
に守られる。安心感と笑いもあるこの小説には、当時の小説家が書く騎
士道精神や牧歌的な物語と違う斬新さがあったから、多くの人がこぞっ
て読んだのではないか。
私がこの物語を紹介したのは、主・イエスの救いの有難さを知ってほし
いからです。
マタイ2章6
ユダの地ベツレヘム
あなたは、ユダを治める者達の中で決して一番小さくはない。
私の民を治める支配者があなたからでるのだから、そして全世界の王で
あり創造主の主・イエスは馬小屋でおうまれになりました。
参考聖書資料 詩編148、ローマ10、
ハレルヤ!!天に於いて高い天で主を賛美せよ。
御使いらよ主の万軍よ、集まって主を賛美せよ。
日よ月よ輝く星よ天の天よ主の御名を賛美せよ。
主が命じられて、全ての万物が造られたからだ。
信じて口で告白し、主の十字架の愛と神の教えを守る人は
誰でも最後は真理に到達し、救われる。
私達人間は罪をおかしましたが、このお方は聖霊により生まれたので罪を
犯さなかった。
しかし人のあらゆる苦しみを背負われ時代に捨てられても、
弟子や人間を愛され、その十字架の救いをなしてくださった。
クリスマスは主がおうまれになられた日です。
記念日という人もいます。
しかし聖書は霊によって読むものです。
だから12月25日を教会は盛大に祝うのです。
主・イエスの十字架の救いを信じる人は救われます。
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3人の宣教師


決断の時
今日は、曇り空だった。
安保関連法案が通り、戦争9条が骨抜きにされてからだいたい1年になる。
今年は、なぜか北朝鮮が今まで以上にミサイルを発射し、台風が多いわけでは
なかったが、被害が多いとして゛あるように感じた。
そんな事などは、関係がないよとばかりに、近所の体格のよいここらへんのボス
猫であろう茶色の三毛猫が、鋭い目で今日も獲物を狙っている。
猫は、頭を低くし、忍び足で私隣の庭の隙間からゆっくりと慎重に庭の中へ入って
言った。
猫にとっては、日々の糧の方が、日本の未来よりも大事な事のようだ。
さて、今日私は、主・イエス様にお祈りをして、旧約聖書エステル書と共立女学校の創立者の
プライン、ピアソン、クロスビーを通して、信じるという事について書こうと思う。
まず旧約のエステルの時代に、ダビデ王のような大王がいた。
ペルシアの王、アハシュエロスは、インド、から、エチオピアまで127州を支配した王であった。
エステルは、ユダヤ系の女性で、幼い頃に両親を亡くし、モルデカイの養子として、引き取られた。
王には、美しい王妃ワシュティーがいたが、王の命令に従わずその事により、女たちは男を軽く見
るだろうという話から王と側近の者は、王妃の位をワシュテイーよりも優れた女に継承させる事と
した。
その女が、エステルであった。
エステルには、モルデカイがいましたが、右大臣のような地位にあった、ユダヤ人でないハマンと
いう宰相がいて、ユダヤ人が神を敬う民である事を知っていたハマンは、モーセの十戒の神以外
のものを拝んではならない、偶像崇拝してはならないという教えが王の像を拝むという王の教え
に反しているのを知っていたので、ずる賢いハマンは、王の法令をまもらないユダヤ人を根絶やし
にしようとします。
その時に活躍するのは王妃エステルです。
王妃は、勇敢に王とハマンの前でハマンを糾弾し、ハマンを失脚させ、ユダヤ人を救うという話で
すが、この物語は時代を超えて今まで多くの女性だけではなく信じる信仰者を勇気づけてきました。
そんななかで、私は、アメリカから来た3人の婦人宣教師を紹介したいと思います。
1861年神奈川に来た宣教師のジェームズ・H・バラは、子供たちや女子教育の為に女性の宣教師を
要請した。
その要請にこたえたのが共立女学校の創立者のプライン、ピアソン、クロスビー
でした。
プラインは「キリストが私を呼んでいる(召命=calling)」、ピアソンは「我、もし死ぬべくば、
死ぬべし」(エステル記4章16節)、クロスビーは「全身全霊を注いで、主が命じられた仕事(使命
=mission)につくため」との思いであったという。
当時、外国人の多い港町横浜の人口は6万人余に増え、活気に満ちていた。積極性のある横浜商人が
多く、女子にも英語を勉強させよう、学問させよう、という気持ちが強かった。3人の女性宣教師の
来日の目的である日本女子教育は時宜に適したものであった。ホームの入学希望者が多くなってきた。
もし、横浜にこの3人の女性宣教師がこなければ、学校はおろか何もできなかったかもしれない。
外国人の多い港町であり、英語が必要になるこの地であったからこそ3人が共立女学校を創設できた
のだ。
これは、主・イエス様の恵みであり、彼女達の勇敢な行動が、主の救いの恵みとなったのである。
話はかわるが、私はある時大網の方の教会で青山学園の元教授の関田先生のお話を聞いた事がある。
内容はおぼろげだが、学校教育の事で先生はご尽力を尽くされた事があるのだと言う話だった事を覚
えている。
私たちの人生にも決断をしなければならない時がある。
今その時に自身の力に頼るのではなく神の力により頼み、祈りつづけそして正しい選択を迫られる時
がある。
悲しむ者は幸いであるその人は慰められるとは、神の御心にかなう祈りの努力と決断は真の友真の
教会を築く事になるのだと言う事を私は上述した話を聞き主・イエス様から教わった。
信仰生活は一人で行う事はできない、教会は船であるという、しかしその教会がはたして今教会とな
っているかどうか
教会とは2人3人が神に聞き従い、神の為に使命感をもって生きるそんな場所である。
教会は、命であり道であり、真理である主・イエス様の御心を行い、愛の実践をなす場所であり、遊
んだり、友達を作ったり、
楽しむ事は全て神に栄光を帰すためになす聖なる場所が教会なのであります。
一人ではでは出来ない事も今日述べた3人の宣教師ならば、成し得る事ができる。
一人の献金では成す事が出来ない事も大勢のわずかな献金により教会や貧しい人々を救う事になるのです。
この世には、貧しい人が多くいて、餓死者が多くいます。
今でも戦争、紛争がある中で私たちの信じる信仰とは、神を愛する事です。
神を愛する者は、神に不平を言わないし、時に不平を言っても必ず、愛の実践に行動を移せるように
変えられます。
神への愛の少ない人、赦しの少ない人は、その愛について、信仰について、学ぶ必要があります。
教会に行き聖書を読み、私たちの主である、主・イエスの十字架の愛と正義が私たちの罪の赦しの為であったという事
を知り、そしてこの世にはサタンがいて、悪い世の中であるという事実を聖書を読んで知る必要があります。
だから、地の塩世の光として、皆で歩む事が大事な事です。
自分の小さな考えの中にとどまらない為に私たちは兄弟の神の生きた証言が必要であり、常に霊が諸教会で告げる事
を聞く必要があります。
今日は人生に於いての決断という題で書かせて頂きました。
主・イエス様を信じる人は誰でも天国へ入る事ができます。


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海嶺

明日は、参議院の選挙である。
早いもので、安全関連法案が可決し、
日本国憲法の9条が骨抜きにされて1年になる。
私は何気なく朝家の外の道路を見ると猫が徘徊していた。
小雨がふっているが、快適な気候で、鳥がさえずっている
中、その茶色で大きな猫が、突然目を鋭くさせて、頭
を低くして、何をしているかと思ったら忍び足で隣り
の家に静かに目を光らせながら入っていった。
辺りは、閑散として、また静かで和やかな雰囲気に戻った。
私たちも平和にかまけていないで、良く世界の日本の
状況に目を光らせていなければならない。
さて、今日は、主・イエス様に祈り、三浦綾子さんが書
いた、海嶺を参考に主・イエス様に導きを受けた事につ
いて、書こうと思う。
この物語は、おおざっぱにあらすじをお話しをすると
江戸時代の大塩平八郎の乱があり、天保の大飢饉が
あった時代に千石船で、船にのって遭難した、14名の
内の岩吉、音吉、久吉の3名が生き残り、世界を回りなが
ら、日本に帰ろうとし、その間にヨハネの福音書とヨハネ
の手紙を日本語に翻訳する物語です。
彼らはどこにいたのかというと、名古屋近くといったら分
かりやすいと思う。
名古屋付近に伊勢湾があり、伊勢湾に面した、知多半島の
南の丁度知多半島の先端あたりに小野浦という場所がある。
ここに、久吉と音吉が住んでいた。
音吉と久吉は同じくらいの年なのだが、ここでは、音吉が
優秀な子として描かれている。
彼は、村で正直者と言われた、武右衛門の息子で、母と兄と妹と
5人家族で、兄は、小心者で、父とは違い盗みもするし、ずるい
性格なのだそうだ。
父が倒れてから、兄の吉治朗が千石船にのり、母は、農業妹のさとは、
吉治朗の乗っている千石船の船首の樋口源六の家に一日子守りの仕事を
していた。
そんな中、音吉は、樋口源六の娘の琴の婿になる事になった。
彼の正直で全ての事に於いて、丁寧で誠実である姿を見て、自分の娘
と結婚させようとおもったのである。
久吉にしても音吉にしても、一介の漁師で、地位は低くかった。
久吉には、父と母、いとこの長吉と妹の品がいた。
岩吉も舵取りの仕事をしていたが、岩吉は大人で、妻に絹がいて、
このお絹は、母とお絹で暮らしていたが貧乏で、母に無理やり、身売り
の仕事をさせられていた。
その仕事の中、岩吉と絹は出会い、結婚したのであるが、お絹に乱暴
をふるう、お絹の母に対して怒り、頭をなぐった翌日に絹の母は亡くなった
岩吉のせいでなくなったのかは、はっきりとしない。
岩吉は、正義感が強く、手先も器用で頭がよい人だと思われる。
彼は、お絹との生活の為一度船乗りをやめた。
それは、船乗りをしている間、自分の家に長屋の銀次という若者が、留守
中で入りしていたから、その時の彼の仕事は瓦職人であったが、彼は、大工で
も左官でも器用にこなしたのだそうだ。
後にこの器用さが、彼らを救う事になった。
なぜ、岩吉が、船に乗る事になったのかと言うならば、昔親切にしてくれた、
同じ舵取りの万蔵が倒れたからその代わりを頼まれて、船に乗る事になった。
もし、万蔵が倒れなかったら、遭難する事はなかったのだろうに・・・。
そんな3人が、千石船で、東の江戸に来る途中に遭難したのであるが、この
話は、全て実話である。
1832年天保3年〜1837年まで約5年間の長い世界を回る旅の中で、彼らは、
遭難し、多くの仲間の死と自分の死を覚悟しつつ、神の恵みで、アメリカ
のフラッタリー岬に着き、その地元のインディアンに奴隷として扱われた。
当時奴隷たちは、物と同じで、祝いの席で、自分がどれだけ金持ちかを示す
為に奴隷の首をはねるような事もあった。
彼ら3人は、知らなかったが、常に命の危険があった。
そんな中岩吉が救援の手紙を書くが、その手紙が、ハドソン湾会社のマクフラリン
博士に渡り、そして、彼が、正確には、主・イエス様がこの3人を救ってくださった。
ハワイ、ロンドン、マカオで、さまざまな人と出会い、ロンドンで英語を覚え、
マカオで、語学の天才であり宣教師のギュツラフと出会い、ヨハネの福音書を
完成させた功績もあり、日本へ船が彼らが行ってくれたが、当時の日本は鎖国で
ロシアやヨーロッパの船が無頼な行為をしたせいもあり、異国の船が来たら、
理由も聞かずに打ち払って良い事になっていたので、マカオで日本人4人と
計7人で日本に帰ろうとしたが失敗に終わる。
ここでこの物語は終わっているが、3人は、そののち、岩吉、久吉は、ギュツラフ
と一緒にイギリス貿易監督庁に通訳で務め、音吉は、昔、樋口家で立派な船頭に
なると言われたように、モリソン号の船頭になり、上海でイギリスのデント商会
の高級社員となり、結婚し、日本人の漂流者を助け、日本の日英和親条約の時に
通訳として、音吉は活躍する。
この物語は500ページ位あるので、私は、伝道に役立つであろう箇所を抜粋して
紹介しました。
全世界の創造主である主・イエス様は、この箇所を通し、聖書のヨナ書や、使徒の
手紙で、パウロが遭難したシーンがあるが、神に従い、善をおこなう人達は、どの
ような嵐に会おうとも、神の使命を果たすまでは、聖書で語られているように、
その髪の毛一本落ちる事はないのだから、私たちは、何を着ようか何を食べよう
か、俗世間の事ではなく、神の義と神の国をもとめ、古い肉欲の体をすて、聖霊
よる御霊による清い生き方をするならば、生きる事ができ、そして後の世で
天国へ入れるという事をこの実話を通して教えてくださった。
そして、日本人が、イギリス、アメリカの人達や宣教師の多くの助けがあり、今日
の日本の教会と主・イエス様の十字架による救いがなされた事を忘れてはならない。
主・イエスの十字架と復活を信じるならば、あなたも今日から救われる事ができます。

死後が始まりになるのです。
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この間、歴史的事件が起きた。
それは、戦後70年位現職のアメリカの大統領が、広島の原爆
の為に慰霊にこなかったのだが、オバマ大統領が初めて
大統領として、原爆の慰霊に来たという事実だ。
これには、北朝鮮やイランのように、核によって武装して
いる国が多々あり、この危険な核の脅威から世界を守る
為の重要が試みがなされている。
核がない世の中を造る事こそ、長崎、広島で原爆で亡くなった
方々、そして今原爆を体験した人達への慰めではないのだろうか。
今日は、主・イエス様に祈りアッシジのフランチェスコの事に
ついて、主・イエス様に祈り書こうとおもう。

1181年イタリアのウンブリアのアッシジでフランチェスコ
は、生まれた。
彼は、裕福な織物商の息子としてうまれた。
若い頃のフランチェスコは、悦楽を追求する浅はかな
男だったと言われている。
しかし20歳のとき、隣国とのペルージアとの戦争で今まで
の神への放蕩が祟ったのであろうか、捕虜にされてしまう。
しかし、神の憐みもあり、彼は、捕虜から解放される。
元通りの生活に戻ったのだが、その時には、もう、フランチェスコ
にとって、享楽的な生き方を望まなくなっていった。
次第に病人や貧しい人達の同情心が芽生えていった。
 25歳の時彼は、アッシジのサンダミアーノにあるさびれた教会で
天から声を聴いたのだそうだ。
「朽ちかかっている私の家を修理しなさい。」この私の家とは、全世界の王
であり神である主・イエス様の事をさしているのだとおもうが、この言葉
通りにフランチェスコは、父の商売道具の布を売り建築資材に変えてしまった
事が原因で、父との間にいさかいが起き、自分は、遺産相続を放棄して、
粗末な服を身に着けて、親元を去ったという。
主・イエス様は、親兄弟を捨てた人は、この世で迫害もあるが、幾倍の報いをうけ、
永遠の命をうける
マタイ19;29のとおりになった方でした。
これらの事があり、何年後にアッシジに本部を据えたフランシスコ会を設立
1210年 教皇インノンティウス3世により彼を含めた12人が、巡回伝道師として
資格を受ける。
1219年頃には、フランシスコ会は5000人の修道士を抱えるほどに増えた。
彼は、終生キリストの為に身をささげた人で、フランチェスコは、清貧を何よりも
重んじ、謙遜で、物質的な物をもとめず、完徳の道をめざし、1着の修道服、
1本の縄帯、ズボンだげで、満足しました。
私は、彼の信仰を鑑みる時に信じるという事は、すべてを捧げるという事なのだと
と感じる。
私は今まで色んな罪に囚われて同じ罪を繰り返し、悩み苦しむ人々を励ましてきた
が、共通して言える事は、その自分の強い思いがあり、それが善悪問わず、隣人
の大迷惑に発展してしまう事が多々あり、その本質は、執着心からきており、
モーセの十戒の貪ってはならないという教えを善悪問わす゛、犯した結果に
同じ罪の迷路にはまりこんでしまう事に私は気づきました。
宮沢健二は、手紙という短編小説のファンタジーで、一匹の回心した竜の話をして
いる、竜の体にはるり色、金色の皮膚をしていて、猟師が、王への捧げものとして
この竜の皮をはぎ始めました。
その時に、竜は、猟師のするがままにまかせ、皮をはがされて赤い肉ばかりになり
横たわります。
それでも誰かの役にたとうとし、今度は虫に自分の体を真の道の為にあげてしまう。
死んだのち、蛇は天井で生まれ、釈迦に生まれかわり、また虫達も釈迦様から教えを受けて、天国へはいるというファンタジーですが、大切なことは、私は道であり命であり真理である主・イエス様を信じるという事、真理の道とは、主・イエス様を通らなければ、到達できないのだという事が聖書に書かれている事真相です。
主・イエス様は、善人の為にも悪人の為にも十字架にかかられのました。
それは、全ての人が、救われる為であり、このお方を通して以外に救いがない事を表し
ています。
私がいいたい事は、神に全てをささげるという事は、今からがスタートであり、私たちは、常に求道者である必要があると言う事です。
上記の話を聞けば、誰も、己の我欲や自分の行いを誇ったりしないと思います。
大切な事は、今あなたが神に愛されている事をしり、主・イエス様の十字架の愛を
信じる事です。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。




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トクトル
トクトル
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