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聖アウグスティヌス

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ボッティチェリー[聖アウグスティヌス]|1480|フレスコ|ognissanti、Firenze
ローマ帝国領北アフリカのヌミディアに生まれた。キリスト教徒だった母モニカに教育を受けたものの、
商業都市カルタゴで学ぶ内一時は放蕩に身をもちくずし、流行のマニ教にも入信した。ローマに行き、ついに決意して洗礼を受けたのは、33歳の時、以後北アフリカに帰って司教として信仰と神学の研究の生涯を送った。
「告白」は人生に迷い苦悩しながら神を見出したかれのきわめて人間的な記録でもある。
西方教会の4人の偉大な博士の一人

サムソンとデリラ

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ダイク[サムソンとデリラ]|1628-30頃|油彩|kunsthistorisches museum wien

物語:マノアと妻の間に生まれたサムソンは乱暴な若者に成長した。敵のペリシテ人の娘に恋した
彼は、娘の家に行く途中ライオンを素手で裂いたという。
しかし怪力の志師として20年イスラエルを統治した彼にも弱点はあった。
ある時、ペリシテ人の女デリラに恋をしたかれは、まんまと術策にはまり、怪力の秘密が頭髪にある事
を喋ってしまう。
デリラに頭を剃られたかれは敵の捕虜となり、目をえぐられ粉引きの労役につかされた。
ついで、神殿でなぶりものとされるが、神に力添えを頼むと伸びた髪と共に力が戻った。そこで、
柱を押し倒すとペリシテ人もろともその下敷きになって死んだ。

Gain all you can

私は、夜たまに都会の町をよるに歩く事があるが、そこに、子供の姿が何人か集団で帰っていくのを、見た時に、日本人は、勤勉だなとおもいました。
その時に私は、イギリスの国教会の父をもつジョン・ウエスレーという国教会の牧師のことを思いだしました。
父は司祭でサムエル・ウエスレー、母スザンナでふたりとも、ピューリタンの影響を受け、厳格で規律正しい生活を子供達にした。
ジョンの家族は、大家族でしたし、金持ちでもなかったようです。
食べるものにもやっとの生活の中で、ジョンの父は、彼をチャーターハウスという中等学校に入れ、さらにオックスフォード大学のクライストチャーチカレッジで16才から22才まで学びを進めさせたのですから、父と母の子供達への親の愛をかんじました。
彼は、オックスフォード大学を卒業し、研究員となった後、父の助祭をし、その後、オックスフォードの司祭となる。
その時にジョンの弟チャールスは、ホーリークラブという会を創る。
とても厳格で規律の厳しい学びで、メソジスト(凡帳面)な者たちとして、知られていったようです、彼らは、後にジョン・ウエスレーのよき友となっていく、ジョン・ウエスレーは、父の司祭になって働く事と、大学の教員の地位をすて、新大陸のインデヤンの伝道にいく、 彼は、生涯を通じて彼が旅行した距離は約35万キロ、50年間に4万回を超える説教をしたと伝えられている。 
しかも、貧しい人のために、必死に走り回り、国教会の牧師として、教会から追い出されてもその信仰を強まりました。
当時国は、農耕から産業に目覚めていき、この当時の少年達も大人も、過度の労働をさせられていた。
また貧しい子供達も多くいたウエスレーたちは貧しい坑夫の子供たちのために学校を建て、ホームレスの人たちのための施設や無料の診療所も作った。
ジョンは、国教会の信徒として、メソジストの組織を大きくしていきましたが、彼の信仰を見る時わたしは国教会の父の後も継がず、たとえどんな事があろうとも主・イエスのために仕えたこの人をみて、キリストの光を見た気がした。
彼は、キリストのためすべてをすて、海で死ぬようなめにあった時、モラビア派の方が、死ぬことを恐れずに、信じる様を見て、また彼らの集会にいった時30歳ぐらいの時にはじめて、キリストの救いをしったといいます。
Gain all you can,Save all you can,and Give all you can!"「大いに獲得し、大いに節約し、大いに捧げなさい」彼は、きっとモラビア派の人たちの戒律的でない 無学な農民たちの男女達の中に、真の
キリストの姿を見たのかも知れません。
 
赤い土も太陽もそして、この世の地位名誉、金一切のものは、死の前には、無益であると、そしてモラビア派の自然との共栄した生き方がきっと彼の形だけの信仰生活から、おおいにえて、おおいに節制する豊かな人生に目覚めさせたのかもしれません。
 ジョン・ウェスレーは1791年3月、次の言葉を残して88年の生涯を終え、天に召されました。"The best of all,God is with us"「最も良きことは神が共にいますことである。」
自分の利得をすべて捨てただ主・イエスのためにいきたジョン・ウエスレー、
多分、かれが私達にいいたかったのは、イザヤ53:11の「彼は、自分の命の激しい苦しみのあとをみて満足する」主の愛は、決して私達を見捨てない主・イエスの十字架こそ一番のGain all you canだといいたかったのではないかなと感じました。
 

聖母被昇天

ティツィアーノ「聖母被昇天」|1516-18|油彩|santa maria dei Frari、
                       Venezia

戦国の世から

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 遠藤周作の短編小説の中で、戦国時代の話がありました。
 彼は、戦国の人達のを賞賛しているようです。
 
 こんな記事を見つけました。
 
  戦国の時代の信長は、近江から北陸に攻め入るそしてすぐに三、四日の内に越前地方を蹂躙し、すぐに近江に戻り、即刻北近江の浅井氏と戦ったそうです。
 当時の鎧は、何十キロもする重たいもので、しかも将兵は、まだ馬に乗れるからいいですが、足軽は、すべて歩きで、わらじで歩くのですから今の我々よりも、ずっと辛かったはず食事も焼米、と味噌だけだったのだから・・・。
 また、昔の人達は、死ととなり合わせになりながらも生きてきたようです。
たとえば、ニ条城を信長が将軍・義明のために建築した時に、人夫の一人が女性のかぶりものを一寸あげてからかっただけで、当時信長はその人夫を成敗したという。
武将の妻も舅が彼女の父と戦った時には、たいていが実かにかえされたといいます。
そういう過酷な人生を私は送った事はないですが、作者は、昔の自分の先祖に対して、歴史の資料を見ながら感謝しているのではないでしょうか?
  昔のご先祖様がいてこの過酷な人生を送ってくださった犠牲の上に、私も今生きている
 そして、私達の人生もあるのだから・・・。

 昔、主・イエス様は、私達の罪を赦すため人として、降りてこられました。
そして、十字架にかかり、御自身の死により、私達に救いをくださいましたが、伝道中こうおっしゃりました。
、ルカ13章34:ああ、エルサレム、エルサレム。預言者達を殺し、自分に遣わされた人を石で打つ者、私は、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとした事か。
それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
と書いてあります。
  昔から、神は、私達のために正しい人を選び行いを正し、天国を説こうとしておられたたとえ自分の愛する預言者達が殺されても人類を赦し、忍耐してこられたからいまの世があるということを、そしてかみの愛を、改めて知りました。
 
 主・イエスは、終わりの日にいけるものと死ぬるものをさばくと、いいます。
しかし、神は、生きているうちに悔い改めるならば、誰にでも、天国をあたえてくださるそうです。
神を信じず勝手に生きてきた私達を・・・。


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トクトル
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