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13の徳

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 つい一週間前位に北朝鮮の金正日が、亡くなりました。
私が、その話を聞いた日新聞で、号外がだされ、横田めぐみ夫妻が、TVに出演し、拉致の問題の解決を政府に、
もとめていた。
 私達は、拉致の問題だけでなく、日本が朝鮮、中国にした仕打ちを思う時に、主・イエス様の教え赦しなさいそうすれば、
赦されるこの教えを守る必要の重要性を覚えました。
 さて、今年もあと3日で、クリスマスを迎えます。
 この日は、何の日でしょうか?と聞くと、子供達は、サンタクロースがプレゼントしてくれる日、であると思っている子がいます。
 確かに、どこの店にもトナカイや、サンタがいてあまりマリアや使徒たちが祈りをするようなものは、見られません。
 
 教会では、この日を私達全知全能の神が、人となりて私達に救いを与えに、この世にこられた日として 盛大にお祝いをします。
 私達にとっての、最高のプレゼントそれは、霊の救いである、暗闇に座している私達に与えられたこの方、主・イエスキリスト様であります。
 さて、今日は、主・イエス様にいのりベンジャミン・フランクリンの事を書きたいと思います。
 
彼は、貧しい生まれの人で、彼の子孫は、新教徒でした。
 かれの子孫は、メアリー女王の治世中には、カトリックに改宗しないものへの迫害を恐れ、本をイスの回転座席に隠してくらしていたのだそうです。
 彼の父、叔父は、英国国教会な属していたが、国教を報じない、秘密集会の牧師に帰依なされた。
 父には二人の妻がいて、子供が17人いる中の下から3番目の子で、イングランドのボストンで、フランクリンは生まれた。
 フランクリンは、語学が優秀であったようで、物覚えもよかったので成績もあがり首席までいったのですが、子供も多く貧しかったということもあり、当初は、牧師などの仕事をさせようかと思っていたようだが、高等教育は、お金もいるし、牧師の仕事は、ろくな暮らしもできないという事で、ラテン語の学校から、算術を教える学校へいかせた。
 しかし、フランクリンは、算術は、得意ではなかったようだ。
 そして10歳の頃から父の仕事を手伝う。
 そして、兄の仕事印刷所に年季奉公するようになりました。
  そして、文才と、仕事に才のあった、フランクリンは兄と衝突し、ボストンを去り、一人でフィラデルフィアに行き、そこの、印刷所で働いた。
  その地域の印刷所は、幸いにも、彼の兄の働いていた、所よりも無学で植字はできても、印刷の技術がなかったり、したので技術のある、若い優秀な印刷工であった、フランクリンは、知事の目にとまり、愛顧をうける。
 そして、キーマーの下で働いていたフランクリンは、知事のキースの勧めもあって、独立のチャンスを得るが、キースに裏切られる。
キースの後援を期待し、アメリカを出発し、ロンドンへ行き、裏切られたのですが、一緒にフランクリンと、旅したラルフ(のちに英国史で名が知れた。)や、クェーカー教徒のデナムの助言もあり、ロンドンでしばらく印刷工の力をつけることにした。
彼は、神の助けもあったのであろうが、当時有名なパーマー氏の印刷所で働き、ある時、ウラストンの自然の宗教に対して理論づけ
が不十分であるとして、フランクリンが、哲学小論文を書いたり、文才があったことも書いてあった。
そして1年半くらいして、ロンドンからフィラデルフィアへ行き、またキーマーの下で働く。
そして、最終的に結婚し、自分で印刷所を開業し、新聞を出し、彼は、郵便局長から郵政長官、州会書記から議長になりどんどん豊かになり、最後には、プロシアや対英講和会議などの条約締結などに大きく貢献する。
アメリカ建国にあたって大きな役割を果たしました。
その彼が、いっていることは、彼は、驚くことに、とても貧しかったし、パン一斤で過ごすようなつらい日々もあったが、彼の自伝で、自分の生涯をもう一回しろといわれたらしたいといったのだそうです。
 彼は、勤勉の徳を常に語っており、13徳を見出した人です。

 1.節制 2.沈黙 3.規律 4.決断 5.節約 6.勤勉 7.誠実 8.正義 9.中庸 (極端を避ける、激怒を慎む)
10.清潔 11.平静 12.純潔 (男女の関係に於いて)  13.謙譲 主・イエス様・ソクラテスを見習うべし
 
彼は、生きている時、勤勉で人との付き合いに対して誠実な方であったとおもわれます。
 
だからこそ、ここでは書かなかったのですが、牧師や彼を尊敬する偉人たちが、多々集まりそして、上記のような、政府関係の仕事まで任されたのではないかと思います。
 貧乏で、兄と仲が悪くなり、たった1人で人生を初めたようにみえるフランクリン、しかし彼には、真理と言う言葉と言う存在が常にあった。
 誠実、勤勉 、謙譲などこれらは、主・イエス様が共におられたから仲間が増え、めぐまれたのだとおもいます。
ヨ:1.1 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。 この言葉は、初めに神と共にあった。 万物は言葉によって成った。
 成ったもので言葉によらずに成ったものは1つもなかった。
 言葉の内に命があった。 命は人間を照らす光であった。
さて、もうすぐ、クリスマスです。
 主・イエス様がお生まれになり私達に命の言葉、命の光を照らしてくださいました。
最後に聖ボナベントゥーラの祈りの一部を紹介します。

主・イエス
あなたは偉大で、富んでおられのにも関わらず、
今は小さく、貧しい方となられた。
あなたはご自分でお選びになった
馬小屋でうまれ
粗末な産着にくるまれ
牛とろばとの間にある飼い葉おけに寝かされることを

私のたましいよ!!
神の子の宿られたこの馬小屋を抱擁しよう
幼いイエスの小さな両足に
うやうやしく口付けしよう

羊飼いの寝ずの番を黙想し
天使たちの合唱を観想しよう
そして天使達の歌に口と心を合わせ
力いっぱい歌おう
〈天のいと高きところには神に栄光
 地には善意の人に平和あれ〉

主・イエス様の十字架は、私達の人生の闇を光にかえてくださいます。



 

一粒の麦から

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私の近所に、一羽の小鳩がいた。

その日は、いい天気で日曜日の礼拝に行く途中の道で、その小鳩は、地面の下で、

ヨチヨチとぎこちなく歩いているのをみて、どうしたのか?とおもっているてと、そこに一羽のカラス

がいて、その小鳩をつつき、食べようとしていました。

私はすぐ小鳩をたすけてあげましたが、その時におもったのは、どうしたらいいのかと言うこと

でしたが、その鳩の事を警察に相談したところ、動物愛護の団体に渡してくださりました。

 その後、礼拝には、2〜3分位遅れましたが間に合いましたが、私自身のいや、この世の

主・イエス様を信じていない、人達の姿を、小鳩に見たような気持ちになったのは、不思議な

体験でした。

さて、今日は、主・イエス様にいのり、賀川 豊彦さんの書いた、一粒の麦から導きを頂いた。

この小説は、丁度、満州事変前後のお話です。

主人公の嘉吉は、そんな時代に生まれた。

彼の父は、酒のみで、子供6人あったが、家にいるのは、弟、妹だけで、兄姉は、娼妓や、奉公

にだされ、主人公の嘉吉も、丸八商店に預けられていた。

そんな環境で育ったものだから、嘉吉は、無口な青年に育ったようだ。

そして遊郭に通い、嘉吉は道を踏み外していつた。

そんな嘉吉が、お金ほしさに、5円の金を盗み、何もかも嫌になり、父危篤と嘘をつき、丸八商店から

逃げ、北設楽郡 の下津具(愛知県)に着き、父と母と、弟泰次 妹百合子との生活が始まる。

父が大酒飲みで酒ばかり飲み、弟も奇病にかかり、父も中風になる。

母は、忍耐強く、またしっかり者であったようですが、彼らの生活は、極貧状態でした。

しかし、養蚕の仕事や嘉吉が頂いた、水車の又さんの仕事をもらったり、鍛冶屋での仕事を頂いたり

しながら、細々何とか生活をする。

水車小屋での仕事をしていた時、犬や猿を飼う不思議な仙人のような人に出会う、前は、大阪の造船業を

営んでたのだそうだが、堕落した生活を送っていたのだそうだ。

そのためなのか?、 彼は事業に失敗し、多くの銀行に迷惑をかけた後悔していたのだそうだ。

今では、猿回しの仕事をしているようであるが、栗を豚に食べさせたり、植林の事にも詳しかったり、

嘉吉にとってまさに、何でも幅広く知っている仙人のような人だったようだ。

また、教会の村野先生たちとの生活の中で、嘉吉は、以前5円のお金を持ち逃げしたことに罪の意識が芽生える。

 また弟や父、または姉達が娼妓で働くようになっている事さえも、自分の神への行いの悪さからこのような悲惨が

起きたのではないかと反省し神に変えられ、ついには、5円を返します。

そして、キリストを信じ、ハンセン病の人を看病したり、酒を飲まないような禁酒運動や土地利用組合などを発足したり、また、立体農業
などを推奨し、キリスト教の犠牲の精神と愛の精神をかたっていく。

 彼は、段々と神様に変られて行く一方、弟の泰次の死、姉の死、兄の処刑また、将来結婚を誓った、芳江の死

を経験する。

芳江は、嘉吉が、徴兵され、中国に渡り、戦地にいるあいだ、嘉吉の家族のために献身的に毎朝早朝におき、

いつも嘉吉の家の機織木は、回り続けた、泰次の世話をし、病にかかり、勘之助のいじめに耐えつつ、嘉吉

がしたがっていた山での植林も欠かさずし、嘉吉とまた会う事なく死んでいった。

誰が新聞で出してくれるわけでもなく自ら進んで、前科者の集合している一族に奉仕する事を誓い、地位も名誉も

もない山村の青年を選んで、自らを捧げた芳江、 一日4時間した眠らず、人の父の為に二週間も徹夜で看病し、

雪の中で、手にひびを切らせながらも機を織りつづけ、30円あまりの金を姑に捧げるこの精神は、賀川のいっている

下座奉仕の姿勢、犠牲献身の精神を物語っています。

賀川は、愛に依る蹂躙の話の中で、こう言っています。

宇宙に満つる大きな人格は、その本質にもって愛である。 宇宙の本質である苦痛にも喜んで私達の罪に耐えしのんで

くださった宇宙全体に現れている。

それが、主・イエス様の十字架であるのだと。

芳江が、何の報償もなく耐え忍べたのは、嘉吉への愛、神様への愛であったのであろうと思う。

ヨ12:24 はっきり言っておく。 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。

だが、死ねば多くの実をむすぶ。これは、主・イエス様が死んだあと、復活し、聖霊を与えると言う

約束の事を話されているのですが、弁護者の聖霊は、言葉として、霊として私もふくめ、信じる人

とともに宿る。

 しかしそれには、主・イエス様の十字架による精神、犠牲の精神献身奉仕の必要性

を、今日主・イエス様に賀川 豊彦さんが書いた物語から教わった。

主・イエス様の十字架の愛で私達は救われています。

約束と福音

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昨日は、台風15号の影響で、あちらこちらで、木が倒れて、車が破損したり、被害があった。  私の家の、前の家の瓦が、昨日の台風の影響で、私の家の2Fまで、飛んできたのには、さすがに吃驚させられた。 

私たちは、災害の前には、いかに無力であるか思いしらされたのと同時に、主・イエス様の御守りに感謝します。  

さて、今日は、聖書で信仰の父アブラハムの箇所をから考察がなされている、モルトマンの本で「希望の神学」から、私の信仰のありかたを、主・イエス様からおそわった。  まず、信仰の父アブラハムは、初めから信仰の父アブラハムと言う名であったわけではなかった。  彼は、当時の海運都市ウルに住んでいた。  彼の住んでいた、ウル、ニッパル、シッパル、ラガシュ、などは、とても豊かで、図書館などもあり、平和で、幸せな日々をおくっていたのではないかと、推測される。 ところが、 創世記12章で、アブラムは、神からの導きで、神が与えるという約束の地のカナンへと旅立つ。 

何もない、広大な岩山があり、 危険で獰猛なサソリや、ジャッカルがいるような中、通る地方によっては、水さえ手に入るかわからない、そんな中で、アブラムは、信仰の父アブラハムへと成長していく。  父テラと共に、ウル、バビロン、マリ、カランと旅をし、様々な人と出会い、またカランで父の死、また、甥ロトとの別れ、又、ロトを奪った王達との戦い、そして、高祭司:メルキゼデクの祝福などにより、励まされ、最後カナンの地を相続する。 

これがアブラハムの物語で、このアブラハムは、新約聖書では、なく聖書の旧約聖書にかかれています。  さて、祭司制度では、レビ族の中から祭司は、生まれることになっていました。 神がそのようなされたのですが、唯一の例外が上記にあげたメルキゼデクです。 ヘ7:によると、かれは、義の王、サレムの王つまり、「平和の王」と記述されています なぜ、神がこのような事をなされたのかと、言うと、新約聖書のあらたなキリストによる福音と約束と大きく関係します。 新約では、福音と約束が主体として、かかれているのに対して、旧約で神の選民となるには、律法と行いが重視されてきました。 

 神との契約や戒めの律法を守ることによって、当時イスラエル、神の民は、義とされてきました。  だから、律法を守らない事、についてのユダヤ人、律法学者と、主・イエス様を延べ伝える使徒達との争いや論争が絶えませんでした。 そこで、パウロは、救いの主・イエスの約束について、メルキゼデクをヘ7:で登場させます。 なぜならば、ヘ7:11 ところで、もしレビ人の系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、民は祭司制度を与えられているのですから、いったいどうして 、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょうかと、パウロが言うのは、 これは、主・イエス様もメルキゼデクとおなじ、祭司制度から生じた祭司ではない事をさします。 その理由は、モルトマンが言っている福音と約束の話の中に答えがあたえられました。 パウロは伝承されたアブラハムの約束を生命の約束と結びつけ、死から生命ロ4:15、17を引用しいいます。  また、ガラテヤ3:18 であるように、もし相続が、律法に基づいてなされるとするともはや約束にもとづいたものではない。 といいます。 

パウロは新約の書簡の中で、ユダヤ教と戦いますが、パウロ律法と福音の中に於いて、約束を中心にかたっていた。 大事なのは、律法がなくなってしまうわけでも、信仰の義行いが途絶えるわけではなく、福音の中にこそ、神の約束があり、約束から、律法や信仰による義が生じなければ、ならないと言うことです。 

約束の神は、レビ族でない、踏襲された、律法制度を私たちにさずけたのではなく、 知恵や知識、律法による賢人達からではなく愚かな宣教によりすべての人々を福音と約束によって包摂的にすくわれたのです。 

今日のキリスト教会での過ちが歴史に於いてなされてきたとしたならば、それは、信仰による義や律法などを悪い意味でのグノーシスとしてきた所でしょう。 知識や行いによって人は救われるのではなく、福音と約束から、信仰による義、救いの知識がうまれる。 この事が、私たちが過ちを犯す点だと私は思います。 

 私たちの信仰とは何か。 

 キリストの十字架の贖いと赦しによる感謝からくる信仰の義と救いの知識、福音と約束について、かかせていただきました。 主・イエス様を信じる事が永遠の命です。

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7月から8月、2〜3日前までは、35℃くらいの酷暑が続いていた。

そんな中でも、私の近所の商店街では、祭りで、浴衣姿の人達が、踊りや、太鼓を叩いて、

暑さを力にしているようにさえ見えた。

 

 さて、今日は、主・イエス様に祈り、パオラのフランチェスコのことについて書かせてもらった。

  彼がうまれる前は、第一、第二、第三、十字軍エルサレム奪還などによる、トルコや、

エジプトのアイユーブ朝などと争いがあり、世は混沌していた。



十字軍により、聖地回復したことなどもあり、13世紀初め、インノケンティウス3世の時教皇権

は、絶頂に達した。

 

 しかし、たびたびの十字軍の失敗などにより、教皇の権威はゆらぎ初めていた。

フランチェスコが生まれた頃、教会は衰微しており、イギリスのウィクリフ、フス、などがカトリック

の教義が聖書から離れていると糾弾したほど、教会は腐敗をしていたそんな中、フランチェスコ

は活躍する。

 彼は、1416年、イタリア・カラブリアのパラオでうまれる。

彼の名の由来は、アッシジの聖フランチェスコの名をとって名づけられた。

 その名のように、彼は、隠修士となる決意をしたのは、14歳の時だったそうです。

普通の子であれば、まだ、あらゆる快楽や楽しみなどに好奇心旺盛な時期に彼は、

神を信じ、愛する道を選ぶ。

 そのきっかけは、両親と同行したローマ、モンテ・カッシーノ、そしてアッシジへの巡礼の旅が

きっかけであったといいます。



その後彼は故郷のパオラ付近の洞窟で、一人暮らしをはじめたのだそうだが、不思議と彼の

質素堅実な生き方に賛同した人たちにより後に、教会兼住居を建て、かれらは、友人と2人

で暮らし始める。



そして1436年彼らの教会は、コゼンツァの大司教から認可をうけるほどにまで、成長した。

さらに1474年には、今度はローマ教皇シクストゥス4世からフランチェスコの修道会を、ミニモ修道会として、承認された。

彼の評判は、イタリア国外にまで知れ渡り、フランスルイ11世が病気のことで相談にきました。

そしてルイ11世の死後王位継承者の摂政、アンヌ・ド・フランス、と彼女の息子シャルル8世

に支持された。

彼がここまで指示されてきたのには、彼の人としてのカリスマや、人望が厚かったためでもある

が、私は、当時の腐敗した教会のあり方にも負けずに自らの宗規を完成させ、主・イエス様に

仕えた、彼の善性に、主・イエス様のかおりを感じたからこそ、人が彼のもとにあつまったのだと思う。



私がこの人の人生を見て思う事は、彼は、心の医者として生きた人なのだと思った。

なぜならば、ルイ11世は病気の事でかれに相談をしていたから私はそう感じました。

パオラのフランチェコは、きっと真理によって、人の魂を主・イエス様の十字架に向けさせ、魂の

真の解放に務めた方なのではないかと思います。

ヨハネ8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人に言われた。 「私の言葉にとどまるならば、

あなた達は本当に私の弟子である。 あなた達は真理を知り、真理はあなた達を自由にする。」

では、真理にとどまるとはどういうことなのでしょうか?

その答えは、ヨハネ11:25〜にあります。

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じるものは、死んでもいきる。 生きてい

て私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。」

主・イエス様の十字架を信じるということ自体が真理の道であり、永遠の命の道です。

そして、信じる人は、天国へ入れます。

川の流れのように歌を

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最近、蒸し暑くなってきました。
2〜3日前から気温が30度くらいになり、昨日は、たしか群馬では、35度くらいであったと聞きます。
 私は一ヶ月くらい前に福島と、仙台近くの教会へいった、どんなに哀しそうにしているのか?
恐る恐る行くと、かれらは、手を大きく広げ、神を賛美し、原発の脅威に負けずに、祈っていた。
 その言動力は、神が復興をしてくれると言う強い確信と、励まし、癒しの賛美、聖歌などの歌であったのだと思う。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、昭和の歌の歌姫であった美空ひばりさんの話から主・イエス様から教えていただいた事について、書こうとおもいます。
 私の美空さんに対するイメージは、歌がうまく、竹を割ったような強い女性のイメージがありました。
彼女の歌や劇に対する異常なまでのこだわりや、客に塩酸をかけられたり、バスの転落事故があった時後、魚屋で、短気で美空ひばりさんの母に包丁投げつけるような父の前で、歌うことを強く反対された時、歌をやめるならば死ぬとたんかを切ったようなエピソードから、私は美空さんを女性と言うより、お母さんお袋さんのようなイメージで見てました。
 そして歌が好きで、劇にいのちを懸けた人でした。
彼女の歌で私が好きな曲の中に、真っ赤な太陽と言う曲があります。
彼女は、どの歌もそうなのですが、本当に喜怒哀楽を、うまく表現しながら、歌っておられます。
 悲しき口笛では、悲しみを、お祭りマンボでは、喜びを私は、どうしてこのように歌えるのかを、彼女の自伝からしりました。
 彼女は、神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれた。
 妹は佐藤勢津子、弟はかとう哲也・香山武彦。家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けひばりは歌謡曲、流行歌を歌うことの楽しさを知る。
この頃は、まだ、戦争中でありましたので、1943年6月、第二次世界大戦の戦時中に父・増吉が出征となりました。
 その時、ひばりさんは、ひばりは父のために『九段の母』を歌った。
 当時、第二次世界大戦の中で、歌手にならせてくれたり、その才能を認めていたからといって、母が、娘のために唄を歌えるような、状況
 を作ってくれた母親がいたでしょうか?
 鬼畜米英と言われ、米国に勝つ事を賛歌するような、誤った時代に生まれた、ひばりさんにとって、まさに母は自伝でいったように、
 ママとしてではなく、それ以上の人物であったのだと思う。
 ひばりのために八方手をつくし、財をはたいて、自前の「青空楽団」を設立NHKのど自慢に出場させ、リンゴの唄をうたわせ、赤いドレスを着させてうたわしたりしてあげたが、その事が原因で、大人の唄で、ハイカラな服は、非教育と言う事で、唄のうまさは、認められていたのだと思うが、子供らしくないと言う悲しい理由で、不合格となる。
しかしそんなひばりさんたちを、神は、歌の道へと、導く。
  1946年9月、横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を踏む。翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、審査員をしていた古賀政男のもとにひばり母子は駆けつけ、「どうか娘の歌を聴いてください!」と懇願する。ひばりはアカペラで古賀の「悲しき口笛」を歌った。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とエールをもらった。
 歌の上手な女性は多々いると思いますが、私は彼女の母の子への思い優しさ、そして母父の竹を割ったような力強さ、そして決断力
 そして、戦前戦後の貧困や別れを悲しみを経験したからこそ、彼女は、ただ歌を歌うのが上手な歌姫ではなく、私達に勇気、喜び、希望
を与えることのできる、作曲した人の要望に応え、人に心を、愛を、プレゼントできる人になれたのではと思います。
結婚し、子供もが産まれ、子育てと、芸能活動の中での離婚、母の死などを乗り越えてきた。
歌にも劇にもめぐまれた。
歌と共にあった人生だったのではと思います。

  昭和から平成に近づき、最後彼女は、入院を2回した。
 1度目の入院の時に彼女は、自伝にこのように書いている。
 歌いつづけます! 歌は我がいのちです。
 この時、福岡の済生会病院で入院していたひばりさんは、母を失い、離婚して一人で子を支えて、生きてきた。
 そんな、彼女を支えていたもの、それは歌であった。
 そんな闘病記のなか、彼女は自伝で、相田 みつお、川野進などの詩をノートに書き残していた。
 私が感動したのは、彼女は、自伝で闘病中にこのような詩をつくっていることに感動を覚えました。
 花よりも、美しき心、失わずこの世の沼を歩み続けん。 
そして、退院してたけれども、病気で、歌えない状態で息子に「ママ、もう引退したら?命が大事だから」
 と言われた時舞台で死ねたら本望といいます。
 彼女を支えていたものはいったい何なのか?
  それは、愛であったのだと思います。
 観客への亡き父母への息子への愛、それを歌として、届けてきたひばりさん。
 彼女の歌に愛さんさんという歌、川の流れのようにと言う歌には、主・イエス様から、ひばりさんへの歌のプレゼントで
 あったのかもしれません。
 女性初の国民栄誉賞を受賞して・・・。
 彼女は、愛をしっている女性であったのだと思います。
 彼女の歌う曲の愛さんさんという歌詞をみると、

   あめさんさんと、このみに落ちてわずかばかりの運の悪さを恨んだりして。
   人は哀しい、哀しいものですね
   それでも、過去たちは、やさしくまづげにいこう
   じんせいって不思議なものですね〜


愛を知っていたからこそ、哀しみを歌えたのだと思う。
 そして、哀しい事に歌が全てであったが故に、真理には興味をもてなかったのかもしれない。
しかし愛、本当の愛を、真理を求めたからこそ、ご自身が自伝の中で詩を残し、河田進、相田
みつおさんなどの良い詩を、人の愛真理を求めたのではないかと思われます。
 そんな美空さんが教えてくれたこと、それは、歌を歌うことについてです。
 彼女は人生を通し、歌とは人に愛をさんさんとめぐみのあめのようにふり注ぐことである事を教えてくれた。
 歌で、勇気を、青春を、恋愛を、そして人を愛する愛を・・。
 さて、私達教会でも、主・イエス様の愛を賛美する歌で多々あります。
 その歌の中で聖歌593ああめぐみと言う歌を紹介します。
 
  罪にみてるせかいそこに住む世人に
  「いのちえよ」とイエスはちしおながしませり
  ああ〜めぐみはかりしれぬめぐみ
  ああ〜めぐみわれにさえおよべり。
 
 主・イエス様の十字架のめぐみは尽きることはありません。
 人は愛されて裏切られて、また、運の悪さを恨んだりするかもしれません。
 そんな中、いつも変わらず私達を待っていてくれる方がいます。
 この方こそ主・イエスキリストです、
 そして人の心は、変わるとも、神の愛は、変わりません。
 めぐみは、すぐ近くにあります。
 どこにでしょうか?
 それは、あなたの心にある命の言葉として聖書の中に、そして言葉として私達の心の中に。
 主・イエス様の十字架を信じる人の心は、めぐみでみたされ救われます。

 

 

 

 


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