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国の繁栄と栄えは

最近は、ゲリラ豪雨と言われる雨が多々ふるようになった。
この間、三鷹で、雹が降ったと言う。
聖書で、神である主・イエス様は、言う。神は、悪人にも善人
にも同じように恵みの雨を降らせてくださると。
さて、今日は、内村鑑三が書いた。デンマルクの人々と言う小説
から信仰の持つ力と生きる意味について書こうと思う。
1864年デンマークは、ドイツ、オーストリアと戦争し、デッペルの一戦
で敗北を期す。
これにより、良い領土もとりあげられ、デンマークの人々は、悲嘆にくれていた。
ところが、そのような、苦境をものともしないかたがいた。彼の名は、工兵士官
ダルガスと言う人です。
ダルガスは、土木、地質、植物等々の学者で、また、詩人でありました。
そして、彼の祖先は、ユグノー派であったのだそうです。
ユグノー派は、ルター、カルバァンの時代、キリスト教で宗教改革が起き、カトリ
ックとプロテスタントの2派に分かれた時にプロテスタントの集団で構成された党で
スコットランドでは、プレスビテリアン(長老派)、イギリスでは、ピューリタン
、オランダでは、ゴイセン、フランスでは、ユグノーといった党が出来たのですが、
早く言えば、プロテスタントの一派です。
彼らは、なぜデンマークにいるのかと言うならば、1685年の頃信仰の自由を獲得する
為に故国、フランスを追われたからです。
このユグノー派の方達は、熱心と自由、勤勉であり、イギリス、オランダ、ドイツ
で、多くの有利的事業を展開したといいます。
その祖先のダルガスが何をしたのかと言うならば、デンマークの国土の二分の一を占める
人間のエゴや欲により荒廃した砂漠を豊かな大地にする事でした。
彼は、戦争で負けた、怒り悲しみ復讐心を戦いや暴力ではなく。聖書で書いてあるように
剣で持って失った物を鋤を持って取り戻そうとしました。
彼の精神には、預言者イザヤの精神、主・イエス様の精神が宿っていました。
預言者イザヤは旧約聖書に出てくる人物ですが、彼の時代、イスラエル、ユダの神の民は、バビロン捕囚
アッシリア捕囚にあい、絶望的な状況におかれていました。
しかし、最終的には、パレスチナ帰還が実現します。
同様にダルカスのデンマークの地を豊かな大地にする試みが信仰と祈りによりはじまりました。
しかし、シラーが言うように天然には永久の希望がある壊敗は、人の間に於いてみるのだ、と言うことば
の通り、中々物事はうまくいかなかったといいます。
天然の砂漠でしたならば、水をそそげば、沃土となるのだそうですが、人の為に失われた痩せ細った大地
は、そう簡単には、いかない。まず木を植え林を作り、その林に生き物が住み、食物連鎖が起き、大地は、
復興していくのですが、木が育たない。
強梗なる樹木でも失敗しました。
それでもダルカスは、あきらめず、研究し、その研究は子供に受け継がれ、2世代で、ついに、樅の木を
育てる事そして多くする事に成功する。1860年には、15万7千エーカーであった山林が1907年には、47万6
千エーカーに増え、デンマークは、四国を少し大きくした位の国にかかわらず。
日本の総人口の二分の一の人口にも関わらす゛、貿易は、日本の二分の一の経済力を持つにいたり。
牧場、家畜、沿岸の漁業、世界の彫刻でも名をあげ、アンデルセン、キルケゴールなど、優れた文化を形成して
行きました。
これらの元となったのは何でしょうか。
それは、主・イエス様を信じる信仰と自由宗教から来る熱意と忍耐、そして国と人への愛それに加え、主・イエス様
の恵みである。樅の木の不思議な力が加わり、デンマークは、復活しました。
敗戦により、領土の幾つかを取られた小国デンマーク、彼らが教えてくれた事、それは、国の復興に必要な物は
その民の平素からの修養にあり、善き宗教、善き道徳、善き精神があればこそ、内村鑑三が冒頭で挙げた聖書の御言葉
イザヤ35章のレバノンの栄えを喜び叫んだ。聖書箇所と同様に、デンマークも復興をしたと言う事です。
最後に第一コリントの手紙15章12〜紹介します。
ところで、キリストは死者の中から復活されたと宣べ伝えられているのなら、どうして、あなた方の中に、死者の復活
などない、と言っている人がいるのですか。
もし、死者の復活がないのならキリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかっのなら、私達
の宣教は、実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私達は、神について
偽証をした者ということになります。 なぜなら、、もしかりに、死者の復活はないとしたら、神は、キリストをよみがえらせ
なかったはずですが、私達は、神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたからです。
もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
主・イエス様の十字架こそ私達の唯一の救いの道であり、希望です。
 
 
 

 
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カインの末裔でさえも

  一週間位前、私は、千鳥ヶ淵の桜を見に行った。
北の丸公園には、平日であるのにも、関わらず、沢山の人が、下に敷物を敷き、
春の陽気と、桜を見て、食べて、幸せそうに花見をしていました。
ついこの間までは、天気予報で、東北や北海道は、雪がふると言っていたのが
うそのように。
さて、今日私は、有島 武朗さんが書いた、カインの末裔と言う本から、人がこ
の世で生きると言う事について書こうと思う。
この物語は、極寒の寒い冬の北海道での物語です。
羊蹄山麓の松川農場に来る前、彼にあるのは、女房と赤ん坊に馬一頭だけでした。
極寒の寒い地方の北海道、冬には、マイナス10℃位にもなる時もあり、また、吹雪の時などは、
家がなければ、一夜として生きる事のできないこの地で、彼は馬とたったの3人で、松川農場
まで、命からがらやっとの思いで、たどりついたのだと思います。
しかし、やっと借りれたのは、今で言う小屋たったの2間半だいたい、4m50cm くらいのとても小さな
小屋で、3人で暮らす事となった。
初めの頃は、川森爺が、世話人となり、馬に装備して耕す為のプラハを貸しまた、村の役人である。
帳場に対して、さらに金を貸し酒でも買っていくように、教えてくれる。
だけど、この仁右衛門は、体格がでかく、村のルールや収めるべき物はまったく収めない。
おまけに、村の弱く小柄な佐藤の妻と関係を持ったり、金がたまると博打に手をだし失敗するなど、
ろくな事をしなかった。
でも、そんな彼にも、夢があった。
それは、10年後37歳の頃には、農場の大小作となり、独立を夢みていた。
ただ夢を見ていただけではなく、彼は今に見ていろよと思いつつ、懸命に働いた。
先ず、馬をうり、その後、根雪の時には木こりにいき、雪解けには鰊をとり稼いだ。
そして、ついに、馬と農機具と具種を手に入れる。
だんだん豊かになっていった。
しかし、彼は、相変わらず、粗暴で、乱暴であった。
あるとき、佐藤の子供が自分の農地で遊んでいる事に怒り、佐藤の子供を殴り思い切り殴り、佐藤の夫も
同様に殴ってしまった。
彼は、自分が悪いとは思わない、子供ならば、時に悪気はないけども過ちを犯す事があるのをしっていながら。
彼が唯一後悔したのは、佐藤の妻との心が離れた事だけであった。
いやな事ばかりの仁右衛門だがいいこともあった。
夏物が皆不作であったのにもかかわらず、亜麻が大量にとれた。
しかし、亜麻ばかり作ると問題があり、作物が実らなくなる。
農地を貸す帳場の嘆きにまったく、仁右衛門は耳をかさない。
当時亜麻は、製線所で結構よい値でうれしかも他の地方では、不作であった。
彼は、以前自分がやって来た罪などすっかり忘れ有頂天で、人の事などまったく
おかまいなし、彼にとっての法とは生きる事であった。
そして、居酒屋に入りきれいな女と騒ぎ、冗談をいい、反物屋に生き、モスリンの端切れを買い
ビールを買い楽しんで、寝て起きた時、悲劇が起きる。
目を覚ますと川森爺がいて、真面目な顔をして、赤ん坊が赤痢にかかり死にそうな事をつげる。
彼の顔中の血が、頭の中に飛び退いたような感じがし、酒の酔いもすっかりさめた。
ちょうど、その時に笠井が天理教の護符を持ち祈ってくれるが、赤ん坊は死んでしまう。
彼は、こともあろうに、励ましの声をかけてくれた笠井に対して怒る。
こんな感じだから、自分の子供が死んだのに誰も一緒に悲しんだりしてくれない、いるのは奥さん
と主人公仁右衛門と馬だけ、ご機嫌でかったモスリンの端切れは、汚い馬力の上にしまい忘れていた。
その後、彼は、馬市があり、仁右衛門は競馬に出る。
彼は、裸馬に乗る名手で、自信もあった。
ところがさらに彼に災難がおよぶ、競馬の最中に子供が迷いこみ、その子を助けようとした、
笠井の娘と子供の為に彼は落馬し自分は何ともなかったが、この事で自分の馬の前足を折ってしまう。
こうなると賞金どころか、やっと手にした馬も何の役にも立たない。
そして、彼は怒りそんななか、笠井の娘が乱暴を受けてしまう。この物語では、誰がやったのかわからない
にも関わらず、評判の悪い仁右衛門が疑われ、おまけに作物も出来ない。
困った仁右衛門はせめて馬だけでも売り生計を立てようとするのだが、帳場は足の立たない馬は金を食う機械だと
笑い相手にもしない。
ついには、その愛する馬さえも失う事になり、小作料も値上がりしてしまう。
彼に残っているのは、妻と借金だけだ。
どん底に落ちた彼は、一つの策略を試みる。
それは、自分が函館にいる農場主に小作料の値下げを迫り、力を示して、帳場や笠井よりも村人たちから信頼されようとしたのだ。
しかしその試みは失敗に終わる、彼はその時このように言います。
何という暮らしの違いだ。親方が人間ならば、俺は人ではない。
そして哀れにも村を出ていきこの物語は終わる。
この物語から、私が主・イエス様から教わった事それは、罪とは己の事しか愛さず、また、相手に対しての憐みがない時
に生じるものだと思った。
なぜならば、唯一仁右衛門は彼の赤ん坊やかわいい馬を失った事に対してのみ、苦しんだからだ、自分の愛する物愛する人
を失ったと時のみ、彼は罪という物をしったのではないだろうか。
また、私は以前、罪と罰の本を読んだときに、ルージンという人が、世間の状況が罪をもたらすか否かという事で話をしていた
シーンを思い出しましたが、人々が作る環境その者じたいも、皆が愛国心をもって生きようとしない事により悪がはびこり、
貧富の差が生まれる。この事も間接的な意味での罪ではないのかと思いました。
もし、仁右衛門と妻に愛があったならば、罪を犯さず耐え忍び、自分の力におごらす゛謙虚で、年配者の叱責を受入れた
のでしたならば、彼の赤ん坊がなくなった時、また馬を失って経済的に厳しい時さえきっと最初は親切にしてくれた、川森爺のよう
な人がたくさん側にいて、馬も貸してくれたかもしれない。
そして、お互いを夫と妻の愛も深まり、苦難にある程にその愛は深まり、新たな子供が生まれたかもしれない。
でも、一つだけ私は、彼ら、(カイン)の優れた所があると思う。
それは、聖書でも、神の十戒を授かったモーセとイスラエルの民が荒野と言う何もない所で40年さまよったり、環境の悪い
所で暮らす事も多々ある。
神を信じたからといって、神に従っているからといって、神は必ずとも幸せばかりくださるとは限らない。
ヨブ記のように、人は、神に試されそして成長する事もある。
車の運転に例えるならば、雨や雪の運転は、晴れ時の運転よりもさらに大変だ。
カインのような状況で、正しくいきるのは難しいと思う。
でも、私も神を信じる現代のクリスチャンは、神への信頼を持つ事が出来ます。
それは、なぜでしょうか?
その答えは、主・イエスキリスト様の十字架と復活があるからです。
キリストは、悪を行い、日々献金もせず、粗野で自分の事しか顧みない生活をしていた私達をあっさり赦してくださりました。
普通の人でしたならば、何が良い事をする場合、条件をだすのが普通です。
けれども、私達の世界を造り、全ての生き物と星と太陽を創造された全知全能の神、主・イエス様は、ファリサイ派や律法学者達の悪意に耐え、
あざけり、ののしられても、鞭打ちの刑に処せられても、まったく御自身の信念を変えませんでした。
主・イエス様は、私達の罪の身代わりになり、自分が十字架の上で苦しみ、私達が一方的に犯した罪を贖うため、血の代価により私達を買い取る
為に命を懸けて、私達に救いを与えてくださったのです。
だから、使徒のパウロは、こういいます。
ピリピ2、6〜キリストは、神の御姿であられる方なのに、神の在り方を捨てる事が出来ないとは考えないで、御自身を無にして、仕える姿をとり
人間と同じようになられたのです。
だから、パウロも私達神を信じる者は、このように宣言できます。
ピリピ1、21 私にとっていきる事は、キリスト、死ぬ事もまた益となるのです。
私達が、自分の力で救いを得られるのならば、私達には希望はありません。
人の罪は重く、祖先の罪の重さは、戦争、戦がない国がない事をみても周知のとおりです。
でも、主・イエス様が私を愛し、主・イエス様が私達の為にいのちを捨てて下さった無条件の愛
神性の愛があるからこそ私達は、こういえるのではないのでしょうか。
あなたの、あなたの、限りないその愛こそ、我ら復活の王にふさわしき、王冠であり、私達の王の証で
あると・・・。

罪を犯し、どうしようもない私達の為に罪の誘惑にひと時も耐える事さえできない私達の為に彼は、
自分のすべてをかけて、私達に救いを与えてくださりました。
私は思います。カインの末裔とは、私であると。
今月は、イースターです。
イエスの復活を祝う、クリスマスと同様に、おめでたい日です。
この祝いの席につける条件資格は、罪人でも善人でもなく、主・イエス様の十字架と復活を信じる人すべての人にあります。
そして、終わりの時に復活し天国へはいる事ができるのです。
死は終わりではなく、嘆きではなく、始まりと喜びへ変わるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
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今年も早いものでもう2月になろうとしている。
私の母が、家の上にたった一つつぼみだけ、花が咲こうとしているのだと聞き、寒さの中に生きると言う事、生命の大切さを覚えた。
さて、今日は、田中 英光さんの書いた小説のオリンポスの果実と言う物語から、人を愛する事と人の思いの強さと罪の事について
また、愛情について学びたいと思う。
まず、田中英光と言う人物は、東京生まれ、早稲田大学政治経済学部卒大学在学中に、漕艇選手として、ロサンゼルスオリンピックに
出場し、今回の物語は、その経験を生かした恋愛と若き20代の頃の青春物語である。
太宰 治を尊敬し、私淑しており、私個人として思うのだが、今回紹介するオリンポスの果実は、太宰の作品と似ている傾向がある。
何が似ているのかと言うならば、例えば、太宰は、人間失格を書き、その主人公は、何度か恋愛の相手と心中しようとするのだが、
実際、太宰も、フィクションとは一概に言えず、実際に恋愛の相手と一緒に心中した。
太宰は、自殺するのであるが、自分の自叙伝であるかのような、作品であり、田中さんの作品の場合も、実際田中さんが、この主人公
大坂と熊田 秋子のように、田中も漕艇選手であり、相良 八重が、熊田 秋子のモチーフとされており、太宰と違うのは、田中の場合
恐らくであるが、田中=大阪、熊本=相良といったように、フィクションなのだけれども、実際のノンフィクションである、田中の関係し
た人生、人間関係を模写した物を、そのまま文学として発表しているような感じがする。
当時1932年のロサンゼルスオリンピックにボート競技選手に選ばれた坂本28歳になって女房子供ができてから書いた作品という所から物語は始まる。
主人公の大坂が、20歳位の頃で、満州事変が、1931年頃であったので、当時は、少し前が、世界恐慌であったので、とても大変な世であった。
初め大坂(ダイハン)は、横浜から、船で、上述したオリンピックに、出場する為また、その前の演習も兼ねて、ハワイ、サンフランシスコなどへ行く、
その船のなかで、熊本 秋子に会う。
主人公と同じ高知の生まれ、そして、隣りの床屋さんの家の何の変哲もない普通の女の人でも、主人公にとっては、そうではなかった。
一目見てから好きになり、その好きとは、安易な肉体関係を持つ事よりも、むしろ、文学的なメルヘン的な思いを抱いたそうです。
その頃から、犬のように、熊本の事を追い回すようになり、何をするにも、熊本の事を意識するようになる。
しかし、自分は、今は競艇の選手であるという事との葛藤に若き青年である。大坂は、苦しむ。
初めの内は、2人の関係は、少なからず、うまくいっていた。
熊本の知合いの内田と熊本と主人公と競艇仲間で、卓球をやったり男女仲良く話す事が1人のオリンピック選手であるという自覚の尊厳により、許されていた。
当時の日本は、今とは違い手を握ったりする事だけでも、ひどく中傷されるような時代であった。
だけども、主人公と熊本はこの頃まて゛楽しく過ごす。
主人公も練習に身が入り、元来主人公は、文学青年で体会系の人ではなく何事にも引っ込み事案な方であったが、全てが順調に言った。
ところが、男女のなかで、いかがわしい事件が起きてから、男女が一緒に遊ぶどころか話す事さえ禁じられてしまう。
主人公が、熊本と懇意であった事は、漕艇仲間全員がしっていたので、元来弱気で経験の浅い主人公は、さんざんイジメられてしまう。
でも、熊本が後に、外人選手と二人でいたといううわさがたった時も、熊本の事となると彼は引き下がらない。
それだけ、思いが強かったからだ、熊本の方も、上述した男女の事件があり、ちょうどその頃、ハワイにつく頃であったが、もう、2人ともこれからは、お互い
選手としての自覚を持つ必要があり、恋愛にうつつを抜かしている時ではないと思っていたので、熊本は、こんなにしていて、みつけられては、大変やわ、これ
あげましょうと言って、杏の実を、主人公にあげる。
主人公は、彼女の事に近づけなけなくなった変わりに赤い日記にその思いを書くようになり、ロサンゼルスで後に買う財布に、その杏の実を大事に持っていた。
練習にも精彩さが欠け、先輩から怒られ、そんな中、副監督から貸してもらった、コダックを主人公は失くしてしまい、その事の猜疑心から熊本の事をあまり、
考えなくなる。
でも心はそうでなかった。
そして、最終的には、ロサンゼルスオリンピックに主人公も熊本も参加する。
結果は、第一次、二次ともに3位であり、熊本の高跳びの成績は、良い成績ではなかった。
しかし、漕艇の日本の選手は、瞬発力こそなかったのだが、もし、もう少し距離があれば、2位を追い越していたであろう、すさましい追い上げをみせ、そして練
習は、他のどの国よりもたくさんこなしていた。
海外の国からは、非科学的であるように見られていたが、日本人は、(第10回ロサンゼルスオリンピックの開会式で入場行進する日本選手団。金メダル7個を獲得
した=昭和7年7月30日(金メダル、銀メダル各7個、銅メダル4個という大成果を挙げた。特に男子競泳陣は6種目中5種目に優勝、)という大挙を成し遂げて
いた。
漕艇は、体の小さいな日本人には、向かない競技であったので、いい成績を残せなかったが、私がこの物語を読んで、関心したのは、たとえ4挺身半の開きがあっ
たとしても日本の選手は、ゴールまで全力を尽くし、倒れる程に、頑張ったと言う事である。
お国の為に、彼らは必至でありました。
そして、それは、過去2年間の血と汗終った合図でもあった。
でも、良い事もあった、きっと神様からのご褒美だったのだろう。
ダンスフォールでの楽しいひと時、プールで黒ん坊(日本人) の頭にボール当て、仕掛けが破れ、右上の鳥かごに腰掛けていた、アメリカ美人がプールに落ちたりし
て楽しんだ事、射撃場本物のインディアンと腕相撲、ハリウッド見物、スタア、ロジタ・モレノと踊ったり、チャイニンズ・グロオマン劇場では、接吻の長さだけ、
気になりはしたが、ベニスの町や様々な観光地に行く、そんな中も主人公は、熊本の事を絶えず思い出す。劇場でのキスの長さ、また、ベニスに、バスで向かう途
中、女子だけがのっている、バスから、熊本が、人形を窓に押し付け、大坂(ダイハン)主人公のの注意引こうとする、わざとらしく、似合わない、大胆さがにがに
がしく、大変に醜くみえた。彼が好きだったのは、素直で大胆な彼女であったから。
でも、もしかすると、彼の彼女に対する愛に反比例するかのような、彼の真っすぐ彼女を愛しているのに、行動にだしてくれない彼の態度が、彼女をこのように素
直でない作られた行動をさせてしまったのかもしれない。
ハワイから、今迄書いた時まで、主人公は、熊本に何もしてはいない。好きだとか嫌いだとか直接は言わないでも、彼は、家を出る前に買った啄木歌集「悲しき玩
具」に熊本は、自分の楽しかった思いを書き、また、上述した熊本が、外人と二人でいた疑惑の時、熊本に主人公の大坂は、「秋っぺさん、泣くのはおよしよ。も
う横浜は、近いんだ」と慰め、笑ってといった時、彼女はにっこりと笑う。
少しづつでは、あるが距離を縮めてはいた。
そして、横浜へ帰ってから、彼女に手紙をだしている。
手紙を返事を待ち、貞潔を守っていた彼ですが、皮肉にも返事はかえって来ない、その内、主人公は、兄の指導下で、本格的な左翼運動、学内のサークルで検挙、
工場、ストライキ、捕まる。等々若者が通る若き日の闘争、ヤンガー・ジェネレーションの日々を過ごし、徴兵制度で徴兵され、戦地へ赴く。
その戦地の中で、あなたはいったいぼくが好きだったのでしょうか。
この物語はそこで終っている。
その箇所から、最初に戻ると、最初のページには、10年後の結婚した主人公が、杏の実を庭に捨てるシーン、また、30歳位の熊本が九州の方で女学校の体操の
先生をしていると言う事が書かれている。
私はこの最初のページに、熊本へ対する主人公の愛の深さ強さを感じる。
最初のページではないが、(オリンピックの翌々年熱狂的な、文学青年になり、あなたとの思い出書きたく、原稿560枚になった。)という言葉の中に、心の思い強さ
深さが560枚と言う、原稿そして、著者田中自身の人を愛する強き思いが描かれている。
モチーフとなった、熊本 秋子こと相良 八重は、ノンフィクションの実際に存在した人物であるが、この人は、結婚をしている。
このオリンポスの果実の物語では、フィクションだが、熊本が後に結婚したのかは書かれてはいない。
でも、実際、田中は結婚して、10年も歳月が流れて、思いも薄れてきていたのであるし、小説で、熊本が結婚したと書く事は出来たのであるが、敢えて書かなか
った事に、その愛の深さが分かる。
この物語から教わる事は、愛と罪との事だ。
神学用語で、ハマルティア=罪という的外れという意味合いにもとられるこの意味がある。
また、人の強き思いを聖書では、偶像崇拝という。
それは、神よりも、自分の生きる使命よりもその物を大事にし、その生活すべてをその事に捧げてしまう行為をさす。
教師としての愛、物への執着、自分を愛し、人の為に生きない行為これらは、皆罪の結果から来るものであり、それらは、神を愛する事と相反する。
話は変わるが、この間私は、横浜の方で、家もなく厳しい生活をしている人達を支援する会に一日参加させてもらった。
その時夜7時から10時位の間に食事とチラシをくばったのだが、最後帰る時に、私に今日配った、シチューをくださった。
そのシチューは、女性と男性の多くのボランティアの人と教会や他の団体からの支援で出きたもので、その中には、夜寒い中で寝ている人への愛情が込められていた。
一杯だけれども、少し大きめの入れ物、ジャガイモが多く入っていて、お腹にもやさしいシチュー、少ししか食べ物を食べてない人の胃は、縮小してちいさい、そんな
人達への愛情が込められている一杯のシチューに私は、その人々の中に、神様の愛を見ました。
人が言う愛欲と愛とは違う本来の自己である、神様の神性の愛を感じました。
欲望や自我があるから、人は争う・・・。
私は、以前知合いから私が教会の話をした時にこのように言われた事があります。「人を好きになった時、神様を取るのか愛する女性を取るのか」
私は、その時神様が私達にふさわしい人を備えてくださると言ったような覚えがありましたが、その時相手は、ああといった何かあきらめに近いといった感じで
そうですかといったのを覚えています。
私がこのように言うのは、若い頃にあなたの創造主を覚えよと聖書にありますが、青年の頃は、オリンピックへの旅は、一種の青春の酩酊のごときものが
あった。と田中さんがいうごとく、一種の幻でもあります。
この幻は、10年単位で、覚める人もあれば、そうでない人もいるかもしれません。
何にせよ、私達をその欲望の炎や自我の利己心から守るもの、それは、あなた自身が主・イエス様の十字架の愛を知り、聖霊の愛の炎によってしか、この欲望の炎は
蹂躙できません。
聖書では、神は愛であると言います。
でも人が、罪故に自我の強さと執着により、罪により、的がはずれる時もあります。
そんな中、支えてくださる人の愛、神の愛、背後の祈りが私達を支えます。
最後に御言葉を書かせて頂きます。
ガラテヤ6、7〜 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもする事になります。
8 自分の肉のために蒔く物は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために、蒔く者は、御霊から
永遠のいのちを刈り取るのです。
生きるにしても、キリストの為に生きる人は、死ぬのが益に変わります。
死は、恐怖ではあっても、始まりになります。
死後の世界では、涙も恐怖もありません。天使と神と全治全能の神である主・イエス様を信じた
人達が集まる永遠の不変の世の始まりです。
しかし、罪から来る報酬は死ですとあるように、その罪の贖いなしには、救いは成就しません。
主・イエス様の十字架による和解を受入れる事、私は、道であり命であり真理である主・イエス様
を信じる事によって死後の裁きを受けた後の勝利者になれるのです。
主・イエスを信じるならば、私達は誰でも今からでも救われます。
 
 
 
 
 
 
 

 
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罪と罰

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今年は、10月になっても大型台風が来て、各地に被害をもたらしている。

それというのも、夏の時の海水温度が高かった為だと言われているが、どう

やら、夏の時の水不足は解消されたようだ。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、ドストエフスキイの罪と罰から、テロ

リズムや革命と罪について、ドストエフスキイから、学ぼうと思う。

この物語を真理的に考察する場合、私は、以前教会の学びの中で、この物語に

ついて、教わった経験があるが、キリスト教では、この物語は、教えづらい物

語であったのを覚えている。

なぜならば、この物語は、主人公のラスコーリニコフが、金貸しの老婆を殺人

してしまい、その後の主人公の罪による心の葛藤を描写した物語であるからだ。

非凡人(天才)は、凡人(一般人)の権利を踏みにじる事が時として、赦される

のか? (ナポレオン主義)

という事と、例えばニュートンが、新たな人類に対しての偉大な発明をする為に、

結果として、凡人の権利を踏みにじり事が赦されるかという、弁証法的な観念

に於いて、一般の性悪説が、性善説になりうるのか?と言う事がテーマとなって

いる物語だ。

また、今回ラスコーリニコフは、ペテルブルグの大学をお金がない為に除籍され、

自分の5階の屋根ぐら部屋で、絶望的な生活を送っていたのだが、金貸しの老女は、

ケチで、お金を貯める事しか考えておらず、最後自分が死ねば、修道院へ寄付する

つもりでいたが、主人公は自分ならば、そのお金を将来人々の為、に生かす力が

ある(現実にラスコーリニコフは、周囲から、ペテルブルグの教授になると思われ

ていた。)

という2つの観点から、老女を殺害してしまう。

この罪と罰を書いたドストエフスキイさんは、20代の頃、ユートピア社会主義のペト

ラシェフスキーのサークルに入っており、反社会派運動をしており、秘密警察に捕まり、

27歳の時に、この物語の主人公のように、実際にシベリア流刑を受けたという現実が

ある。

この上記の考察から罪と罰は、単にフィクションではなく、ドフトエフスキイさんの思い

が強く反映された物語でもあったのではないかと思われる。

また、主人公の正式な名前は、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフといいますが、

これらを分析しあわすと、ロマノフの祖国を断ち割る者と言う風に捕らえられる。

この小説は、1866年に書かれた書物であるが、1666年のこの書物が書かれる200年前、当時

ロシア正教が、儀式や儀礼を新たにギリシア正教風に変えようとしたが、ロシア正教を踏襲

してきたもの達が反発し、その人達は、分離派と言われたという事実も、罪と罰が書かれた

動機であった。

なぜ、上述した事を私が書いたのかと言うならば、普通教会では、この物語のラスコーリニコフ

の殺人の動機の部分に焦点を当てて話をするよりも、この部分は、漠然とさせ、罪と罰を語った

り教える風潮があるからだ。

だから、敢えて私は、この物語の主眼となる部分について、主・イエス様に祈り書いておこうと

思う。

この物語を信仰的に理解するのには、いくつか視点を変えて、見る必要がある。

1. 聖書には、新約聖書と旧約聖書全部で66に分かれている。その中で、旧約聖書には、ダビデ王
が出て来る。

このダビデ王は、イスラエルの王として、有名な人物だ。

でも彼は、神の敵であるペリシテ人や神に従わない者達を神の敵として倒している。

上述した、ラスコーリニコフのナポレオン主義と何が違うのかと言うならば、ダビデ王は、勝手な自
分の思惑や理念により行動したのではなく、神の敵になり、残虐行為をした者達と神の為に命を懸けて
戦った

2. 現代社会でも、殺人などの罪を犯した人達は、当然逮捕され場合によっては死刑になる事もある。

聖書でも新約で、こう書いてあります。

ヨハネの手紙第一516 では、死に至らない罪と死に至る罪があると書いてあり、死に至る罪に対して

これについて、神に願うようにとは言いませんと言います。

上述した2つの概念を念頭に置いてからでないと、この物語は、とてもややこしい考えで書かれている。

ので、注意が必要だ。

3. 現代社会での聖書の罪と罰に関しての考え方、

聖書で、主・イエス様は、罪人の為にも祈りなさい。悪人に刃向う事をせず、右の頬をだしたら左の
頬もだしなさいと言われています。

そして、主・イエス様自身も自分を捕らえる人達を攻撃せず、父なる神である主に委ねられました。

そして、旧約聖書で、認められてした決まり事も、新約では認めないような事が多々ありますが、新
約聖書が出来き、イエス様は現代は、旧約のような戦いを肯定はしておりません。

このような観点から見る時、私達は、今回ドストエフスキイがかいた罪と罰を教訓として読む必要が
あります。

さてでは、これからこの物語を紹介していきます。

上記で語ったようにこの物語は、罪と罰がテーマで、ラスコーリニコフが、非凡人が凡人の権利を踏
みにじる事がゆるされるとしたならば、実際に自分がこの事を成した時、自分が、非凡人でありえる

のかと言う、精神思考が、この主人公の偶像になっていました。

彼は、悪人であったのでしようかと言う問いに対しては、NO.と言わざるえません。

なぜならば、親友のラズミーヒンは、彼が、事実を話、シベリアへ流刑になった時に、その罪を軽減
されるように、彼が、大学在籍中に同じ仲間を資金面で助けた事、子供が火事で死にそうになった時

に自分の命に代え助けているという事実を法廷で証言し、彼の罪を軽減させたからだ。

事件を起こす前、ラスコーリニコフは、あわれな馬の夢を見る。

その内容は、7歳位の少年の頃の夢で、父と郊外を散歩し、町はずれの大きな酒場へ出た。

その時、酔っ払いのいる酒場の前に出た主人公達は、荷馬車につけられたやせこけた小さな馬とその
主人ミコールカやその付近の酔っ払い達に遭遇する。

7人の人に荷馬車に乗せ、無理やり走ろうとする馬の主人当然小さな馬が走るはずもないのに、さら
に、主人は馬を叩き、罵り、最後殺してしまう。

この夢は、殺人前の出来事で、一旦ラスコーニコフの考えを改めさせる結果となった。

しかし彼には、青年がもつ研究者としての思考による誘惑と、悪魔の罠に引き寄せられるかのごとく
、彼はセンナヤ広場へ出向く、その時、金貸し老女と一緒に住むリザベェータと、商人夫婦の会話から、

リザベェータが、商人夫婦に招かれていない時間、つまり、老女が一人でいる時間を知ってしまう。

この事から、まるで吸い寄せられるように、殺人に走るのだが、ラスコーリニコフの唯一の誤算それ
は、リザベェータが、家に帰って来てしまい、上述した物語小さなやせ馬のごとき、純粋で弱く正しい

リザベェータまで、殺してしまうと言う事実だ。

彼のナポレオン主義の理論では、非凡人が凡人をシラミと見なし、殺害しても後の革命の為に耐え忍
ぶならば、非凡人(天才)として、赦されるという考えと、聖書的な殺人は、罪であると言う事との

葛藤が始まる。

実際に自分の考えをそのまま確認する為に老女とリザベェータを殺害するラスコーリニコフ、彼は、
自分が非凡人であると思っていたので自分が、苦しむとは考えていなかった。ところが彼は、この

事件があった後も、哀れな酒の身で、九等官の父マルメーラードフ、夫を亡くし三人の子を抱えて、

再婚した、カチェリーナ、マルメラードフ一家の為に遊女となった、ソーニャ達との出会いにより、

ラスコーリニコフは、2つの心を持っている分離した心を持っている事がうかがえる。

そして、一方の観念が、彼を非常に苦しめる。

彼がこの苦しみを解決させる為に選んだ方法は、ちょうど、精神レベルが高く、家族の為に犠牲とな
っている一線を踏み越えた罪を持ちつつ、高潔なソーニャに、自分の罪を告白する事にした。

それには、主人公の汚い考えがあり、自分の殺人とソーニャの罪を同罪と考えたから、共に生きる事
ができると考えたから、ソーニャに告白した。

もし、リザベェータのように罪をソーニャが知らねば、告白し共に生きる事をしなかっただろうと思
う。

彼は、罪を犯していたが、本心がまじめで良心のある人ではありました。

またマルメラードフが、最後の方になると、馬に引かれ死ぬのだが、ラスコーリニコフは、彼の為の
葬儀費をだす。

その時彼は、お金の大半を使ってしまうのだが、このお金は、主人公の母と妹ドゥーニャが、主人公
の為に犠牲となり、ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン(苦学の末弁護士になり、さらなる立身

出世を求めるという非常に上昇志向の強い人物ですが、貪欲で、計算高い性格の持ち主)と結婚しよ

うとした資金でした。

 ところでドゥーニャは、主人公に対してそのような犠牲になろうとして結婚しないと書いてあるが
、もとドゥーニャはスヴィドリガイロフという家庭教師をやっていたが、この男は、セクハラなど問

題のある男で、長年連れ添った女を殺してさえしても、ドゥーニャを愛した者だが、この時も兄の為

に母の為犠牲としてやせ馬として働いていた事実があり、この問題からスビィドリーガイロフの妻は、

ルージンを紹介したのではないかと私個人としては思う。

ルージンが結婚したいのは、貧しい女ならば、自分の思い通りに支配できると言う考えがあって、結
婚したがっており、最後は、侮辱的な事を主人公のははプリヘーニャに吐き、この結婚は破断になるが、

ルージンは、この結婚をあきらめず、ラスコリーニコフに罪をなす

りつける為に、ソーニャに100ルーブリこっそりだまして主人公とソーニャを罠にかけ、盗人扱いした
非道な人物だ。

ここまでして、兄のためにルージンとの結婚の資金として得た大事なお金を使ってしまうラスコーリ
ニコフ、それほど、彼が上記で見た夢ミコールカが自分の持ち馬である仔馬を殺す事に対して、憤慨

する夢は、ラスコーリニコフのもう一つの律法義としての精神構造として、大きな役割をはたしていた。

さて、マルメラードフ一家の事に戻りますが、まず父であるマルメラードフが死に、ラスコーリニコ
フが出したお金で葬儀が決定し、その葬儀でカチェリーナは、精神的な罪を犯す、それは、自分の父

が地位の高い者であり、自分がその娘であるという高慢から手伝ってくれた者や地位の低い人を罵倒

した事です。

しかしこの事が原因で、自分を住ませてくれた女宿主の怒りを買い、追い出されてしまう。最後は喀
血し、遊女になっている娘ソーニャの家で死ぬのですが、印象的だったのは、「なるほど、お前はこ

んな暮らしをしているんだね、私達はすっかりお前の生き血を吸ってしまったねえ。この子たちを引

き取っておくれ」

「たくさんだ・・・みんなでやせ馬を乗りつぶしたんだ  もう精も根も尽きた」という箇所を見る
ときに、人の罪は、何も行為によるものだけではなく、この世自体が環境を作る私達人類の罪をもド

ストエーフスキイさんは、描いている。上記の3つの罪ルージンとマルメラードフとそして、このような環境を作った人々の罪まで描写

している。

最後、ソーニャに罪を告白し、主人公は、ソーニャにとあなたがけがした大地にキスしなさい。

といわれ、実際にこの事を行った後、自分の罪を告白する。そして、シベリアで監獄生活の中で、ソ
ーニャは、彼を愛し、病気になろうとも弱々しくなっても、彼を助け最後に、彼は郷愁に喜びを感じる

ようになり、愛を知る物語は、ここで終わっているのだが、この物語の難しい所は、罪の問題です。

では、少し前にもどり、主人公が大地にキスし、つかまった時に彼は、悔い改めたのかと言うならば
、そうではありません。反省したからではなく、その前に、スヴィガイロフが、ソーニャに主人公が

告白しているのを隣りで聞かれていた事、予審判事のポルフィーリィに自分の罪がばれていた事が影

響しており、一方自分の罪を自覚する反面、上述した非凡人か凡人かという問題の方か゛かれのすべ

てであり、ラスコーリニコフは、シベリアで拘留中もなぜ、自分が悪とされたのか、そんな事より、

自分が非凡人であった心の甘さ、心の狭さというか、この事で自分を責め続けます。

その問題の為ならば、どんな労苦さえも彼にとって、心地が良く、牢獄の生活さえ快適であった。

彼にとって、良心による葛藤は、自己の非凡人の意思を強める為の過程でしかあらず、1の罪を犯した
としても何物かをなす偉人は100の善によって、正統化されると言う観念を持ち続けていたと言う大き

な問題があったのです。

しかし、シラミと凡人を言った主人公は、けっして、凡人を愛してなかった訳ではないのです。

この物語から教わる事は、現在、グローバル化してきている現代の世で9.11事件やイラクやイスラエ
ルなどの戦争も上記のラスコーリニコフ的な考えにより、起きており、まるで、現代に対しての人類

の精神過程に於いての問題を書いているような気がします。

貴方の若いころにあなたの創造主をおぼえよと聖書にはあります。

ドストエーフスキーさんは、この罪と罰を通してラスコーリニコフが、正義と言う事と不正義という
事について、現代の歴史が、戦いの中で英雄とした人物の行った行為と結果で物事を判断してしまっ

た事、これこそが、最大の罪であり、このような革命的な考えに捕われ誤った道を歩む事自体が、最

大の罰なのだと言いたいのではないかと思います。


最初に書いた1666年のこの書物が書かれる200年前、当時ロシア正教が、儀式や儀礼を新たにギリシア
正教風に変えようとしたが、ロシア正教を踏襲してきたもの達が反発し、その人達は、分離派と言わ

れたという事実があります。

また昔、ある私の知り合いが夢で、ずっと階段を永遠と上り続ける夢を見たといいます、また、いつ
までも青く薄暗いトンネルを歩く等々の夢の話を聞く時に罪を犯している時、人は、同じ負の思想に

捕われます。 たとえば、お金を持つ事は、悪い事ではないのですが

執着心が強く、神よりもお金を便りにしてしまうと、その人は、その思いに捕われ、生きる事に常に
不安を感じ、苦しむ事もあるようです。

もしかすると、彼は、この小説を書き終えてもまだ、自分の思想の完成を終えていないのかもしれま
せん。

この問題の答えそれは、全て信仰にあると思います。

この世は、全治全能の神である主・イエス様により作られました。

だから、その思想に対して、時として、どちらでもよい事は多々ありますが、それを正しめるのは、
この世と人間を創られた神様しか解決策を持っていないのです。

聖書で、イエス様は、ヨハネの福音書10章を見ると、羊の囲いの例え話が出て来る。

ヨハネ10、1 はっきり言っておく、羊の囲いから入るのに、門を通らないで、ほかの

所を乗り越えてくる者は、盗人であり、強盗である。 門から入る者が羊飼いである。  

とあります。

新約聖書、旧約聖書両方とも、神の生きた言葉であり、私達を教え、強制し、示唆する書物

であり、世界の創造主である、主・イエス様が、預言者に神の霊感を通して書かせたものです。

しかし、この神の御言葉は、神様がその時その場所で私達に、平和の君である、神が、不思議な

助言と導きを通して、私達に導きを与えて行く物です。

よって、上述した物語の答え、それは、常に、羊の門である。主・イエス様に、教えを乞う事

が肝要であると思われます。

私は、上述した 3. 現代社会での聖書の罪と罰に関しての考え方、の考えが、現代の世に於いて

の主・イエス様のお考えであると思います。

義と平和は、互いに口づけしている、義による報酬それは、永遠の命であり、義とは、何かと言う

ならば、主・イエス様の十字架と復活を信じ、罪を改め、神と共に生きると言うことに他なりません。

主・イエス様の十字架は、全ての罪のメビウスの輪から、解決を示唆し、人々を救いへと天へと

導きます。

イメージ 1

今年は、台風が上陸したのが以上に多い年だった。台風が何号だったか、

忘れたが、関西では、洪水の被害が凄く、一カ月に降る降水量と同じくらい

降り、各地で、竜巻に近い、突風が吹き、多くの被害をもたらした。

その被害者の人の為に祈ります。

さて今日は、以前私が、主・イエス様に祈り、サンフランシスコ

ザビエルのインドから、マラッカやソコトラ島など、諸所の伝道

の事について書きましたが、今回は、日本へザビエルがどのように

来て、伝道していったのかについて、書こうと思います。

当時ザビエルは、ポルトガルのジョアン3世の力添えや、イエズズ

会の支援を通して、インドや諸所の島で伝道する事ができました。

では、日本へどうやって支援を受けたのかと言うと、印度航路の

発見者バスコ・ダ・ガマの4人の息子の中の3人の息子が関わっている。


印度総督のエスタバオ・ダ・ガマ、最優秀船として有名であった船の船長

のドアルテ・ダ・ガマ、そして後の2人が、特にサビエルの日本航行に大きな

影響を与えた人物であった。

1人は、マラッカの長官のペドロ・ダ・シルバ・ダ・ガマ、マラッカの港湾と

艦隊の全権を握る司令官のアルバロ・デ・アタイデ・ダ・ガマであった

ドアルテ・ダ・ガマは、日本いるザビエルを非常に援助し、豊後の大友候に

ザビエルを紹介し、ペドロ・ダ・シルバ・ダ・ガマは、船の手配や、日本への贈り物

をしてくれた。そして、アルバロ・デ・アタイデ・ダ・ガマは、中国(シナ)の渡航

を強引に許可してくれた。

当時日本への航行は、4隻いったら、2隻日本へ着けば、成功だと言われていたので

すが、今の船とは違い、季節風によって航行していたので、場合によっては、シナの

島による必要もあったし、ザビエルは、日本だけではなく、シナへも行きたがって

いたので、上述した3人のバスコ・ダ・ガマの息子達の尽力が大きかった。

ところで、マラッカ→広東→チンチェオ→鹿児島→京都→鹿児島→山口→府内(大分)そして下関海峡

までが、日本でのサビエルの伝道の経緯です。
 
それでは、航行の内容について話を進めます。

ザビエルは、シルバからの紹介で、アバンという人の船で航行する事になるのだが、

初めからザビエルにとって、インド航行以上の試練がありました。

アバンは、あだ名が海賊と言われていた位ですから、余り良い人ではなかったのでは

ないかと思われるし、シナ人の商人ジャンクは、不信者で、偶像を拝む人達で、日本

への航行を、くじで偶像に聞きながら航海する始末で、ザビエルにとってとても

つらい宣教の旅になった。 何よりも、季節風が日本に吹く時に、日本へいかなければ

、シナの島で冬越しをしてから行かなければならないのにもかかわらず、偶像に聞き

くじで占うと、日本へ行けても、マラッカへ帰れないと出てしまい、船は、シナに行く

事になってしまう。

しかし、神の不思議な御手により、日本への航行は実現していく。

緩慢な蛇足で航行する船、あいかわらず、悪魔である偶像のくじに頼る船長

そんな中、聖マリア・マグダレナの祝日の前夜、空も海も荒れて、波も高くなった。

その時、なぜか、船のポンプが開いていて、そこに、マヌエルが入ってしまう。

もう死んだかと思っていると、頭部を打ち重症であったのにも、関わらず、神様の

恵みであったのでしょうが、助かります。

彼の救助に懸命であった時、海はますます荒れ、そのせいで、甲板にいた船長の娘

が海へ投げだされて、死んでしまった。

ますます、おびえた船長は、当然、シナへいってから日本へ行こうとするが、ザビエル

達が反対し、長官にこの事話すと言われ、彼らは、チンチェオに行く事となった。

娘の死もあり、精神的に怯えに怯えた船長、精神的にも、怯えきっていたので、

日本へ直接行かずにさらにチンチェオへ向かうがこの事が、彼らを日本へ行くきっかけ

となりました。

神はチンチェオに海賊を置きそのおかげで、船はチンチェオを離れなければ

ならないが、船は季節風で走るので、戻れず、日本へやむなく行く事になった。

そして、神様の助けもあり上述したように、鹿児島へ着く。

日本へ着くと、聖信パウロ(日本人ヤジロウ)は、薩摩の君主 島津貴久と会い

彼をキリスト者とする事に成功する。

その後、ザビエルは、東上し、国王に宣教の許可とシナへ航行について、免許を

もらいにいき、何よりも、高野、根来、比叡、近江等々の学校の事を調べている。

各学校には、3500人位の生徒がおり、特に坂東は学生の数ははるかに多かったという

京都で国王に会うも贈り物がなく失敗、そして山口へ行く、大内 義隆に再謁見

し、インドのゴア司教の親書や、望遠鏡やメガネなど様々な珍物を献上し、見事

信仰の自由を獲得する。その後豊後(大分)で、上述したドアルテ・ダ・ガマが豊後の大友

宗麟にザビエルを紹介してくれたおかげもあり、大分での宣教はしやすかったのでは

ないかと思われる。

ザビエルは、日本の人を自分の国の人のように愛していたばかりではなく、日本の宣教

にかなり期待していたのではないかと感じた。

ザビエルは、室町末期の時代に日本にきました。当時は、平民も武士も貧しい暮らしの

人が多く、僧は尊敬されていた。 当時の文献を見ると、日本人は、文化人で、本を

読めない人がいなかったといいます。

それは、一重に僧たちの働きあっての事だが、この時代の僧は腐敗していたのだそう

で、ザビエルも迫害にあっている。また日本人は、好奇心も強くまじめで、探究心

がある種族なので、導く苦労もあった。

例えば、主・イエス様は、なぜ今まで日本へ来なかったのか? 先祖を尊敬し大事に

する日本の種族は、祖先の救いがなかった事に憂い悲しんだそうですが、このように、

日本人はよく聞き、またその教えをする人の様子を見つつ、慎重に物事を判断する

真のキリスト者の生まれる地として、期待が大きかったのだと思う。

日本を去ったザビエルは、インドから、シナ(中国)へ宣教へ行き、最後を遂げた。

なぜ、中国へいったのかと言うと日本の文化に大きな影響与えているシナを宣教

する事が日本の宣教と関係があると思ったからだ。

私が思うのは、当時日本に来れるだけでも確率は50%に過ぎず、また日本は

この当時、足利家や地方の豪族たちによっておこった応仁の乱がおきている最中

でもあり、とても危険でありました。

日本人は周知のとおり、刀を持ち、武器を重んじる国でしたから、日本へ来て、

命を守られただけでも、奇跡であったと言えるのではないでしょうか?

もし、このサンフランシスコ・デ・ザビエルの命掛けの働きと私達日本人への愛

がなければ、キリスト教も、教会も、日本で、育たなかった事を覚える時、私達

は彼に感謝します。

私は、この彼の航海の話を読む時、使徒行伝を思い出します。

使徒27〜28で彼らの船が難破します。

アドリア海を漂流し、その時使徒27:31の言葉が印象的でした。

船が暗礁に乗り上げる事を恐れる船員は、錨をおろすふりをして、逃げ出そう

とする。その時パウロは、はっきりと確信に満ちた言葉で一言こういうのです。

「あの人達が船にとどまっていなければ、あなた方は、たすからない」

また、使徒27:34 だからどうぞ何か食べてください、生き延びる為に必要だから

です。 

あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなる事はありません。

そして、パウロからの主・イエス様の御命令を聞いた船員はたすかりました。

聖書で神は、旧約聖書で、当時行いの悪い人類を滅ぼそうとした時、行いの良い

ノアに箱舟をつくらせて、生きさせました。

一度この世は、水で滅びましたが、船は健在でした。

今の世では、教会が私達の箱舟であります。 

新約聖書 第一ペテロ3:19〜20 そして、霊に於いてキリストは、

捕らわれていた霊達のところへ行って宣教されました。

この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作らていた間、神が忍耐して

待っておられたのに従わなかった者です。

この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち8人だけが、水の中をとおって救われました。

この水で前もって表されたバプテスマ(洗礼)は、今やイエスキリストの復活によって

あなたがたをも救うのです。

上記の記事からも分かるように、キリストは、以前悪を行い従わなかった霊達をも、

放蕩息子が神(父親)に自分の罪を悔い、そしてキリストの十字架を受入れて、洗礼を

受け、神に立ち帰る事を望んでおられます。

教会は、キリストの体であり、船であります。

この船に乗っている者は上述したよう、あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなる事はありません。

しかし、もし教会が、主・イエスの教えに聞き従わず罪を犯すならば、その教会は教え戒めを聞き守る

会ではないので、もはやその舟は、沈む事になってしまいます。

だから私達は、横と縦との関係を重視し、神の御声に聞き従う必要があります。

ザビエルのように、日本の大名や僧に謙遜で、常に正しく確信をもってキリストを信じたように、

福音を伸べ伝えるならば、私達は、教会は、律法によって平和と義を獲得し、終わりの時に天国へはいれます。


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トクトル
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