過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

サンピエトロ寺院

イメージ 1

イメージ 1

《(イタリア)San Pietro》バチカン市国にあるローマカトリック教会の中心をなす聖堂。コンスタンティヌス一世時代に聖ペトロの墓上に建てられた木造建築を起源とし、一五〇六年以降ブラマンテ・ラファエロなどの設計により全面改築計画が進められたが、その死により中絶。ミケランジェロやカルロ=マデルナの設計をもとに、一七世紀初めにほぼ完成した。聖ペテロ大聖堂。セントピーター寺院。

主は、私たちの

イメージ 1

イメージ 1

今日は、久しぶりに少し歩いてみてしかし歩いている内に、だんだん悩みの世界に自分がとらわれていたんだなと、感じました。

そんなとき自分は、安部公房さんが書いたかばんという物語を思いだしました。

雨の中を濡れてきて、そのまま歩いてきたというくたびれた格好の青年が半年前に出された求人募集をもって会社に面接へいき、当然そこの経営者はこう思ったそうです。
(いくらなんでも、非常識すぎると・・・。)
青年は、しかし彼のいひょうのつく態度にでます。


「やはり駄目でしたか」唐突にやっときて、しかも衣服は雨でびしょびしょ、職を捜しにいくには不似合いな赤ん坊の死体なら、無理すれば3つぐらいは入るのではないだろうかとおもわれる鞄を持ってきて、来た時と同じ唐突さで帰ろうとします。

経営者はついついあわててひきとめます。
「まあ、待ちなさい」そしてなぜ、いまさら応募する気になったのか、青年に聞きます。
青年は、この時いいわけもしません、また自分のことをこの経営者に良くみてもらおうともしません。
青年は、そんなことをしても意味がないことを多分知っていたのでしょう。

 彼は、きっと上京してきて、右も左もわからない中で、あてもなく仕事を捜し、ただ静かに口をぎゅっと結んで、必死に生きてきたのだ次の青年の言葉から私は、痛烈にかんじました。
「この鞄のせいでしょうね」「鞄を手放すなんて、そんなありえない仮説を立てて見てもしょうがないでしょう。」

 経営者はこう言います。「手から離したからって、別に爆発する訳ではないんだろう」「この鞄のことは、誰よりも一番よく知ってます。」経営者の関心は、鞄に向きます。

 高いのか ?貴重品でも入っているのか?ついに経営者は、この青年を雇いいれます。「まっいいだろう」決してこの経営者にとって納得がいったから雇ったのではありませんが、この青年の根性を買って、経営者は彼を雇いました。

 青年が経営者に、「下宿から、ここまで、鞄なしで辿りつけるかな。身軽になりすぎて、途中で脱線したりするんじゃないかい。」と言われた時一言「下宿と家のあいだなんて、道の内に入りませんよ。」鞄彼は、苦しみゆえにこの鞄を持ってあるいてきた。

 人は、死にたいしても、苦にたいしても、仕事がなかろうとどうしようとなやまなければ、苦ではないと聖書では、こういいます。思い悩むなと・・、そして栄華を極めたソロモンでさえ
このような花一つほどもきかざってませんでした。

 経営者は、彼に下宿を紹介し、彼が鞄をおいて下宿に借りにいったあと、鞄を持ちあげてみて、鞄を持つずっしりうでにこたえたそしてしかしニ歩三歩歩きいつのまにか外へいき、経営者は、嫌ていうほどの自由だったと・・・。鞄が私を導いてくれると・・・。自分は、この二人を羨ましくおもいます、私にとって鞄の役割をしてくださるのは、主・イエス様です。

 御言葉が、私の杖でありときムチでもありますが、敵おっぱらってくださるムチでもあります。
しかし、実際いろんな悩みがあり、悲しみもあり、人は、なかなか、真の自由に到達できないのは、きっと罪があるから。
 またこの世では、人は、良い仕事を得たい、またいい家、良い車などが、ほしいとねがっている。

 でも、このかばんの物語は、何が一番大事なのかを端的に語っている
 
 それは、今この時自分が思い悩まずに、ただ今のかばんの重さを知り、ただ一生懸命生きるだけで良いんだ。
 いずれは、かばんが、その努力が主・イエス様の恵みとなって、自分の人生を切り開いていってくれるんだということです。

 また教会では、こんな歌があります。

 聖霊よ我らの主よ!我らを一つにという個所をみると、人は、皆人生に思いかばんを背負っているけれども、助け合うこと、がそのかばんを皆でもつことの大切さを覚えます。
 
 もしかしたら、真の自由は、遠いけど近いのかもしれません。

 私は、希望を持って救いの確信もって歩んでいます。
希望をもって、そしてキリストの復活と信じる者の復活を述べ伝えています。

 主の十字架を信じます。
 主が私達の鞄を共にもってくださる方だから主が一番苦しまれたのだから、全人類のなだめのささげものになってくださったのだからイザヤ42章の3節で主イエス様はこういってるから。

 彼は痛んだ葦をおることもなく、くすぶる燈芯を消すこともなく誠をもって公義をうちたてる。
彼は衰えず、くじけない今も信じてないかたがいても、主は、私達を忍耐して、信じる人のために待っています。
主は、全人類の人を愛しているのだから・・・。













 














 















 

青く青い

イメージ 1

イメージ 1

今日、町をぶらぶらしていると鳥がピヨピヨと、通りすぎるのをみて高校生ぐらいの時に飼っていた。インコの事を思い出した。
子供の頃から育てたから手に乗るようになっていてとてもかわいいものだしかし、あるとき自分の不注意によって今までかわいがっていたインコ君は2度ともどってはこなかった青春時代に、好きな人が出来て何度かすれ違いしかし、声をかけられず、やっと告白した頃には、去っていったインコのごとく後悔したことがあったけど、・・・。
なんでこんなことを思いだしたのかといえば、いま私は、川端康成の掌の小説という本をよんでいる。
その中にカナリアという物語が、出てきます主人公は、貧乏で妻子がいる幸せな家庭に思えますが、実はほかの妻と不倫関係にあるところから、シーンは始まります。
しかし、彼らは偉いきちんと悪いことを認めてあってはいなかったところが、主人公はたった1度だけ手紙をだす「奥さん。お約束を破ってもう一度だけ手紙は差し上げなければならなくなりました。あなたに頂いたカナリアが飼えなくなったと・・・。」
そして、このカナリアは飼うものがいなくなったので死にそうだと・・・。実は、主人公の奥さんが、死んでしまったのです
この人の奥さんは、皮肉にも愛人のカナリアをかわいがってました。ヒロシです。最後に主人公は、こういいます奥さんこのカナリアは殺して妻の妻の墓にうめていいですね?
カンの良いかたは、もうお気づきでしょうが、主人公はまだ、他の女をあいしてしまっているのです。でも彼の良心が善の心が勝てたのは、妻の愛思いやりだったのでしょう。しかしここまで他の妻を愛してしまった。画かも不幸だなと吉さんは思う主は、きっとこの物語を通して自分にこういいたいんだと感じます。
罪からくる報酬は死である。神は、離婚を憎みますなぜなら家族が家庭が崩壊するからカナリアを育て貧乏でも、主人公のために生き文句一ついわない妻を裏切り子をうらぎり・・・。
しかし、この主人公を救ったのは、奥さんの愛だった。
罪罪、って聖書では、いうけど本当の悔い改めは、愛によるお互いの生活が、罪を知らせてくれます。
  。
皆さん気づかないうちにカナリアのように罪という檻のなかにいませんか

赦しの言葉

ルカ:23、34そのときイエスは、こう言われた。父よ。彼らをおゆるしください。」かれらは、自分が何をしているのか、分からないのです。

全1ページ

[1]


.
トクトル
トクトル
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事