遠藤周作の短編小説の中で、戦国時代の話がありました。
彼は、戦国の人達のを賞賛しているようです。
こんな記事を見つけました。
戦国の時代の信長は、近江から北陸に攻め入るそしてすぐに三、四日の内に越前地方を蹂躙し、すぐに近江に戻り、即刻北近江の浅井氏と戦ったそうです。
当時の鎧は、何十キロもする重たいもので、しかも将兵は、まだ馬に乗れるからいいですが、足軽は、すべて歩きで、わらじで歩くのですから今の我々よりも、ずっと辛かったはず食事も焼米、と味噌だけだったのだから・・・。
また、昔の人達は、死ととなり合わせになりながらも生きてきたようです。
たとえば、ニ条城を信長が将軍・義明のために建築した時に、人夫の一人が女性のかぶりものを一寸あげてからかっただけで、当時信長はその人夫を成敗したという。
武将の妻も舅が彼女の父と戦った時には、たいていが実かにかえされたといいます。
そういう過酷な人生を私は送った事はないですが、作者は、昔の自分の先祖に対して、歴史の資料を見ながら感謝しているのではないでしょうか?
昔のご先祖様がいてこの過酷な人生を送ってくださった犠牲の上に、私も今生きている
そして、私達の人生もあるのだから・・・。
昔、主・イエス様は、私達の罪を赦すため人として、降りてこられました。
そして、十字架にかかり、御自身の死により、私達に救いをくださいましたが、伝道中こうおっしゃりました。
、ルカ13章34:ああ、エルサレム、エルサレム。預言者達を殺し、自分に遣わされた人を石で打つ者、私は、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとした事か。
それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
と書いてあります。
昔から、神は、私達のために正しい人を選び行いを正し、天国を説こうとしておられたたとえ自分の愛する預言者達が殺されても人類を赦し、忍耐してこられたからいまの世があるということを、そしてかみの愛を、改めて知りました。
主・イエスは、終わりの日にいけるものと死ぬるものをさばくと、いいます。
しかし、神は、生きているうちに悔い改めるならば、誰にでも、天国をあたえてくださるそうです。
神を信じず勝手に生きてきた私達を・・・。
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