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2005年4月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世が逝去しました。
84歳の長寿をまっとうなされた、彼の本名はカロル・ヴォイティワという彼は、1920年5月18日にこの世の生まれ、ポーランドの南の小さな田舎町ヴァドヴィッツに生まれる父は、退役したばかりり軍人で、年金もかなり低額だった為、生活は慎ましく貧しかったそうです。
母は病弱で、カロルがたったの9歳の時に亡くなってしまい、
それから兄も4年後の医学生時代に患者だった子供の、しょうこうねつの伝染により13歳から父と、カロルの二人暮しになった。
高校時代は、演劇に熱中、スポーツも万能だったそうだ。
彼は、大学でも成績優秀で人種差別しない公平で勇気のある方で、第2次世界大戦が勃発し、彼のすんでいるポーランドは、ドイツ・ナチスの占領かにおかれた時も彼は勇敢にユタヤ人を隠れ家に連れ出し、命がけの救出活動をなさる。
しかしそんな、ヨハネ・パウロ2世になおも悲劇が襲う、彼の父が心臓病で亡くなったのた゛。
普通の方なら神から遠ざかるかもしれないが、信仰者カロル(ヨハネ・パウロ2世)は、違った「孤独だけは誰にも奪われることはない、奪われる事はないんだ。」戦争と悲惨の中多くの友と苦しみを共有なされ、彼は愛を知り神と静かに向きあうようになる。1945戦争がおわると頃彼は、神学の勉強をし、27歳の若さで司祭に、ローマの教皇庁立アンジェリクム神学大学、多くの田舎の小教区を担当なされ、38歳でクラクフの司祭、それから4年後、大司教がなくなり、彼は空位司教座参事会長に選ばれた実質上、大司教区の権限を得て、どんどん神の恵みで、枢機卿にまでなった47歳は2番目に若い枢機卿だったそうで、11年後の1978年10月16日に264代教皇になる彼は教皇になられてから世界中を飛びまわり、そのとき狙撃にあったりし、瀕死の重傷をおう。
その日はファチマの聖母出現の日て゛お礼のためにファチマに、巡礼にいったときでさえ、命をねらわれたのにそのときでさえも犯人に向かい「貴方を赦します。」と十字をきったのだそうだ十字架を・・・。
私は彼をヨハネ・パウロ2世を尊敬します、彼は2度命をねらわれている2度も、しかも彼は、聖書にかかれている歴代の預言者達のように、ピオ神父に教皇になる前にこう神から予言頂く「あなたは将来若くして教皇になられるだろうとそして血の中に沈むだろう」と、しかも1522年以来、イタリア人以外の教皇は、420年以上選ばれた事がなかったにもかかわらず、この予言は成就する。
彼は死ぬかもしれないのに、主・イエスさまと、全人類のために犠牲になるのを死ぬのをかくごの上で教皇になったのです。
どうして彼はここまでして頑張れたのでしょうか?
そのこたえはここにあります、コリント15章4キリストは3日目によみがえられたそして、500人以上の信者と同じにバ〜ンと現れたと・・・。十字架による罪の赦しを受ける為にキリストはこういいます、マタイ6章44、自分の敵を愛し、迫害する者の為に・・・祈りなさいと・・・。
また主・イエスさまは、こう言いました。子供のようになりなさいと。
 いつもやさしい心のままでいなさいと彼はきっと少年カロルとしてまた偉大な教皇として、84の長寿をまっとうなされたのでしょう。
もう彼から何かを奪えるものはありません彼には、勝利の栄冠がまっているだけです。
しかし、それは信じるもの全てが勝利者になります。
光は闇のなかに輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
教皇の信仰により、闇は葬られました彼の信仰が私達にキリストの光を与えてくださいました。
おやすみなさいもう教皇ではなく、あなたはカルロ・ヴォイティワでいいんですよ。天国で会える真の教皇へ・・・。

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トクトル
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