誰でも一度は、夢をみたり、またとても幸せなときがあり、時間よとまれって思うときがあります。
人間って素晴らしいですね、私は嫌なことがあったりすると、
よく外へ星を見にいきました。
小さい頃神様がいて、流れ星に祈ると叶えてくれるよくクリスチャンになる前、子供のころは、迷信じみたものを信じていました。
さて私は、星に願いをという映画をみたのをふっと思いだしました。
主人公は天見しょうごという24歳の青年です。
彼は、事故で青島という看護婦のいる、病棟にきました。
彼は目が見えない、盲人のかたで彼は事故に会い失望しているところに、青島がきます。
その時、天見は「死にたい」といったとき青島は本気で怒ってくれました本気でばかいってんじゃないよ
たしかそんなニュアンスの表現でそんなどんなひとにも明るくまた時に厳しく美しい青島を多分天見も好きだったのでしょう。
青島はある時に、同じ病院の先輩の医者に、軽く「これから自分と一緒になってほしい」と、つげられます。
しかし彼女は彼とつき会うより、天見しょうごの為に目の手術のために海外へ行こうとします。
天見にはこういます。 アメリカの赤十字病院で研修したいからと、「しかし天見にとって見れば、自分はこんな体で目も見えない彼にとって海外で手術できるのは、とてもありえないこの時が彼にとって最高に幸せな瞬間でしたが、彼はその日に事故に会い死んでしまいます。
しかし彼は運よく死にはしましたが、この物語では流れ星のように死んだ人は3〜4日の間現世で生きていられるようにしてもらえたのだそうです。
しかしもし、自分が天見しょうごということを相手に話すならそのまま消えてしまう・・・。
ある時青島が、宝くじを買った。
天見は、生きている時、しらなかったが、実は仕事でいくために宝くじを買ったのではなく自分のために買ってくれていたことを知る。
だから彼女のために恩を返そうとし、保険会社の社員を装い青島に近づくしかし、逆にその保険会社の彼が商売できてると誤解され腹をたててしまう。
仕事もぼーとしててミスをしてしまい、そんなことが続き青島にとって看護婦を辞めなければならないかもしれない、人生の岐路にたたされる。
天見は、そのときもう後自分が、1日しか生きていれないのに気づくそして最後のかけにでる。
天見しょうごの日記を保険員としてきた、別人のはずの彼が喫茶店で彼女にみせる。
そこには、点字でかかれている文章だったし、彼女と天見しか知らないことが書かれていた彼女と天見の思いでばなしがあった。
そしてそこには天のはからいか?実は1ページ目だけしか点字の文章はかかれていなかった。
保険員である他人の自分を天見として、わかってくれるかもしれない。
その時青島の姉が、交通事故ではねられたと、知り合いに青島は聞く。そして病院の入り口で泣いている彼女を、今度は天見がはげまし、彼女は病院の看護婦として、復帰する彼の天見しょうごの手で・・。
手術がおえた彼女は、保険員がおいていた点字の日記をふとみると、そこには1ページしか書いてない白紙の日記が・・・。
点字で書かれた日記は、実在しないもので後は、保険員が、日記にないことをかたっていたのに気づいた青島さんは、喜びます。
なぜならば、日記に書かれていない彼と彼女しか知らないことを保険員がはなしてたから
だから青島は、必死になって保険員いや天見を探します。
彼しか知るはずのない彼女との思いでをうその白紙の日記で知ることは、保険会社の人でも親でもできないのです。
天見しょうご本人意外、最後彼女は、橋の上にきます。
彼が病院にいた時ハーモニカを吹いていました。
彼は彼女にその曲を聴いてほしいとおもってました。
さいごの最後ハーモニカを彼女のために演奏をし、天へかえりました。
ハーモニカだけを残し・・・。
人は誰でも幸せを願いますし、長くいきたいものです、そしてそれが突然壊される、全てしかし彼女の心にはいつまでも死ぬまで彼の思いでは残るかもしれません思いでだけが・・・。
しかし主・イエスキリストを信じるならば、もう死から罪の奴隷から解放されると聖書でかかれています。
十字架を信じるならば誰でも思いでがはじまりになるんです。
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