小さな頃は、神様がいて、私の願いを叶えてくれる。
私は幼い頃は 、クリスチャンではありませんでしたが、漠然的には、目には見えないものを、直感でかんじていたのかもしれません。
誰でも、どんな人にでもロマン、冒険心や未知なるものえの憧れをもつものです。
しかし、その憧れは、時とともに現実の世界に浸っていく内に、お金や目にみえる現実だけを、理屈ばかり考えるようになるものではないでしょうか?
宮崎はやお監督の作品に、ハウルの動く城という物語があります。
時代は愛国主義全盛の物語で王国の兵士が戦地で活動する時代に荒地に美女の心臓をとって食べる魔法使いハウルの動く城が、あらわれた。
主人公は、ソフィーというハッター帽子やの長女で彼女は、どっちかというなら、現実主義の生真面目な少女なのですが、実は、妹にいつも「本当に帽子屋になりたいの?」、といわれ少し自分の生き方に疑問を感じている少女だった。
しかしある時、彼女は美貌の青年ハウルとであう。
何かに追われているらしいハウルは、偶然ソフィーをそのトラブルに巻き込んでしまう。
その時から彼女の苦労、いや冒険が始まった。
その後彼女は、荒地の魔女に魔法を掛けられて、90歳のばあさんになるが、彼女はすぐにたちなおる。危機感のなかでも、信仰でいうならば、感謝、祈り、を彼女は決して忘れない、心の貧しいもの(どんなときでもいつも感謝している)かたでした。
彼女は魔法を解いてもらう為に、ハウルの動く城に近づく「ばあさんの心臓は食わないでしょう」といって、その後、彼女は不思議と、青年ハウル、暖炉に住む炎の悪魔カルシファー、弟子のマルクル達と仲良くくらす。
ソフィーと、ハウルはいろんな出来事を通して、だんだんお互い心をひらきあうように、愛し合うようになっていく。
さて話は変わり、この物語ではソフィーが、若返えるシーンがある。
たとえば、こういうシーンがある。
ある時、ハウルの師匠のサリマンに言い訳をするときに彼は、ソフィーに一緒にいってもらった時
彼女が真っ直ぐに、サリマンに勇気をもって語ると、ソフィーが一瞬わかがえる。
またハウルは、前は髪は金色の髪であったが、とちゅうで髪が黒く醜くなってしまい落ち込んでしまうが、彼女の生き方彼への愛により、見せかけだけの、自分の中心の生き方よりも、
真っ直ぐにいきること、信じること、心を開くこと、大人への階段をのぼっていくことの素晴らしさを知る、
彼は戦いの時に醜い化け物になる。
彼は、罪のない人々が死ぬのががまんならない。
正義の心をもっているその厳しさが、強さが、ハウルは穏やかなかたですが、穏やかでおちついた人物のうらがえしなのだろう。
このものがたりでは、抽象的な表現が多く、髪の色にしても、戦いの時には化け物になったりする個所にしても、勇気をもったりすると、若返ったりする場面にしても、抽象的に私達に対して訴えかけるシーンが多々ある。
何が本当の美なのか?本当の若さとはなんなのか?また、
戦うものの理由が正しくとも自分が悪魔のようにならないようにしなければならないミイラとりが、ミイラにならぬように・・・。
そんな教訓も描かれているように気がする。
後半でハウルの動く城は、ソフィーのミスでほぼバラバラにこの城は、カルシファーの力でなりたっていたしかも、カルシファーは、ハウルの心臓だったようだ。
彼女のせいでハウルが死にそうに、しかし彼女の勇気ある行動と、彼女の信念が届き、彼らは、ハッピーエンドをむかえたようだか゛、この時彼女の髪は白かったが、もう90のおばあちゃんではない彼女は大人の少女だったまるで、神の問いかけのようだ。
主・イエスさまは、御言葉で、誰でもこどものようにならなければ、いけないよ。
というが、年をとっても心は、いつまでも若い心をもつこと、そしていつも誠をもって、いきること全てをさらけだす勇気、そして互いに、愛し、励ましあうことの素晴らしさを、この作品からしりました。
私達の心にも、小さな頃には神様がいたのでしょう。
しかし主・イエスを信じるものには、大きくなっても、死んでも神様がいます。
何処にでしょう?御言葉としてです。信じるならいまからでも・・・。
主・の十字架を信じるならば・・・。
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