今日は海の日で休みなので、多摩川の河川沿いの道を、ずっと歩く事にした。
午後2時だろうか?、午後3時になっただろうか?。
歩いていくと皆生き生きしている、ジョギングをしている人、外で家族と食事している方、ずっと真っ直ぐの一本道を歩きながら、後ろを振り返り、つくづくこの世には、時間があるんだなと感じました。
私達には目には見えないけれども、時がありそして皆、全ての生き物が共存しあって生きているのを、緑の中を散歩しているとき、神の恩恵を感じ、また喜びを受ける私ですが、それにしても、世の中暑くなったなと最近つくづく、感じます。
聖書では、創世記1章で主・イエス様(全世界の神)は、6日間で、人間を創造なされます。
そして最後に人間は、創られましたが、この頃の人間(アダムとエバ)は、まったく神の前に罪を犯してはいませんでした。
しかし、サタンにエバがそそのかされて善悪の知識の木から、食べたことにより、人類の罪がはじまります。
神は、人間を男と女に創造し、御自身に似たものとして、創られたのは、人間を信頼し、また自分と同じように、正しく生きることを期待していたから、そしてそんな人間に神は、創世記1章28、でこうおおせられます。
「生めよ。ふえよ。地をみたせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地のはう全ての生き物を支配せよ。」
私達人間は、全ての生き物を神から、プレゼントされたのですが、私達人間により、現在森林の伐採が行われています。
私のすんでいる町でも、2年ぐらいで、山が家々で明るくなりました。
また人間が無差別に計画性もなく子供をうんだせいで、たくさんの方が飢えに苦しんでいます。
当然生き物も育ててあげるのではなく、今に人間のために食べさせ、放牧もせず、餌だけ与え物のように命を製造するようになるでしょう。
人間がいくら、食べる為とはいえ、生き物に自由もあたえ、おいしい餌と精一杯育ててから出なければ、ただの道具と同じです。
私達が、支配という言葉を間違えて自分達の為だけ今の時だけ考えて生きるならば、
おおきなしっぺ返しがくると、感じますが、しかしこういう時代だからこそ主・イエス様の十字架をのべ伝えたいです。
罪を認め主を信じる者は、死んでも、復活があります。
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