|
私は、夜たまに都会の町をよるに歩く事があるが、そこに、子供の姿が何人か集団で帰っていくのを、見た時に、日本人は、勤勉だなとおもいました。
その時に私は、イギリスの国教会の父をもつジョン・ウエスレーという国教会の牧師のことを思いだしました。
父は司祭でサムエル・ウエスレー、母スザンナでふたりとも、ピューリタンの影響を受け、厳格で規律正しい生活を子供達にした。
ジョンの家族は、大家族でしたし、金持ちでもなかったようです。
食べるものにもやっとの生活の中で、ジョンの父は、彼をチャーターハウスという中等学校に入れ、さらにオックスフォード大学のクライストチャーチカレッジで16才から22才まで学びを進めさせたのですから、父と母の子供達への親の愛をかんじました。
彼は、オックスフォード大学を卒業し、研究員となった後、父の助祭をし、その後、オックスフォードの司祭となる。
その時にジョンの弟チャールスは、ホーリークラブという会を創る。
とても厳格で規律の厳しい学びで、メソジスト(凡帳面)な者たちとして、知られていったようです、彼らは、後にジョン・ウエスレーのよき友となっていく、ジョン・ウエスレーは、父の司祭になって働く事と、大学の教員の地位をすて、新大陸のインデヤンの伝道にいく、 彼は、生涯を通じて彼が旅行した距離は約35万キロ、50年間に4万回を超える説教をしたと伝えられている。
しかも、貧しい人のために、必死に走り回り、国教会の牧師として、教会から追い出されてもその信仰を強まりました。
当時国は、農耕から産業に目覚めていき、この当時の少年達も大人も、過度の労働をさせられていた。
また貧しい子供達も多くいたウエスレーたちは貧しい坑夫の子供たちのために学校を建て、ホームレスの人たちのための施設や無料の診療所も作った。
ジョンは、国教会の信徒として、メソジストの組織を大きくしていきましたが、彼の信仰を見る時わたしは国教会の父の後も継がず、たとえどんな事があろうとも主・イエスのために仕えたこの人をみて、キリストの光を見た気がした。
彼は、キリストのためすべてをすて、海で死ぬようなめにあった時、モラビア派の方が、死ぬことを恐れずに、信じる様を見て、また彼らの集会にいった時30歳ぐらいの時にはじめて、キリストの救いをしったといいます。
Gain all you can,Save all you can,and Give all you can!"「大いに獲得し、大いに節約し、大いに捧げなさい」彼は、きっとモラビア派の人たちの戒律的でない 無学な農民たちの男女達の中に、真の
キリストの姿を見たのかも知れません。
赤い土も太陽もそして、この世の地位名誉、金一切のものは、死の前には、無益であると、そしてモラビア派の自然との共栄した生き方がきっと彼の形だけの信仰生活から、おおいにえて、おおいに節制する豊かな人生に目覚めさせたのかもしれません。
ジョン・ウェスレーは1791年3月、次の言葉を残して88年の生涯を終え、天に召されました。"The best of all,God is with us"「最も良きことは神が共にいますことである。」
自分の利得をすべて捨てただ主・イエスのためにいきたジョン・ウエスレー、
多分、かれが私達にいいたかったのは、イザヤ53:11の「彼は、自分の命の激しい苦しみのあとをみて満足する」主の愛は、決して私達を見捨てない主・イエスの十字架こそ一番のGain all you canだといいたかったのではないかなと感じました。
|