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聖書を読むと、信仰の父と言われている、アブラハムという人のことが出でくる。
この方に、主・イエス様は、こうおおせられました。
「創世記22:16〜17これは、主のみつげである。
私は、自分にかけて誓う、あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子をおしまなかっだから私は、確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、砂の海辺の砂のように数多く増し加えよう。
また、彼の親戚のロトも、ソドムとゴモラを神が滅ぼした時に、アブラハムと似たような経験をします。
ロトの前に2人の御使いがあらわれ、彼はその人を家で、もてなすのですが、ソドムのもの達が、その2人の御使いをだせと言った時、ロトは、自分の2人の娘を渡す代わりに神の人には手をださないでほしいといいます。
自分の娘や子ども達よりも神に対して、この2人の御使いを自分の娘よりも、大事にしました。
自分の娘よりも、神への信仰を大事にしました。
さて、昔イタリア・ウンブリアのロッカポーレでカスキアの聖女リータは、生まれました。
リータは、幼い頃から、修道女になりたがっていたのですが、年老いた両親は、リータに結婚を強く望み、彼女は、結婚をしました。
そして結婚して、2人の息子を得たのですが、リータは、不幸でした。
なぜならば、夫はとても無作法で、不誠実な方でしかも、怒りっぽい性格は、隣人からも恐れられるほどの男だったからです。
きっと、これも、神が、全ての人を愛するようにする為の主・イエス様の導きだったのかもしれません。
リータにとって、悪人のような、夫を持っていたのですから・・・。
そんな夫と、18年間一緒であったのですが、夫が仇打ちのためにころされてしまう。
そして運の悪いことに、自分の2人の息子は、主の掟をやぶり、父を殺したものに復讐をしようとする。
リータは、2人の息子が神の前に罪を犯して、天国へ行けなくなるぐらいならば、死んでしまったほうが、ました゛と考え、必死になって、いのった結果、彼らは、死病に犯されることになってしまう。
リータは、2人の息子を懸命に看病した。
2人の息子は死んでしまったが、2人の息子には、赦しの心が与えられたそうです。
そして、ふたりの息子を失い、夫もうしなったリータは、カスキア修道会に入る。
そして祈りと苦行により神秘的なちからを得て罪人を回心させ、病にかかった修道女のためにはたらいた。
そして最後の15年間の頭の頭痛の痛みにも負けず、彼女はがんばったが、
1447年結核で亡くなられた。
彼女の人生をみると、彼女は、自分のためではなくいつも主・イエス様のためそして、夫のため息子のため、修道女のため罪を犯していたひと達のために生きることを何よりも人を愛することを、神に祈り求めていた方だと思いました。
主・イエス様の十字架と復活また、主・イエス様を信じるものを祝福すると言う事は、創世記22:16〜17これは、主のみつげである。
私は、自分にかけて誓う、あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子をおしまなかっだから私は、確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、砂の海辺の砂のように数多く増し加えよう。
旧約からの約束でした。
その神との約束の主・イエス様の十字架と復活があればこそ、リータは、自分の息子の命をうしなっても、すくわれるようにいのっていた。
そして自分の息子と夫のためにも、全世界の人々のためにリータは、15年も頭の病に苦しみながらも、主・イエス様を信じて、生きられたのだと思う。
私達罪を犯したものを主・イエス様にであわせる為に、彼女の頭の痛み
イバラの冠をかけられたような痛みよりも、主・イエス様を愛する道を選んだリータその遺体は、1447〜1703まで全く害されなかったそうです。
復活が真実であると主・イエス様がいいたかったのでしょう。
主・イエス様をしんじるならば、リータと同じく、天国へいけます。
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