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砂のような日々の中に

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今年も3月にはいり、梅も満開になった。
 近所の公園では、梅の花の匂いに誘われて、メジロが、花の蜜を吸いにくる。
 春夏秋冬と、私は、同じ暮らしの中にも、輪というものを意識するようになりました。
 
 さて、聖書には、エゼキエルの書というものがある。
 そして、その中で、不思議な生き物が、存在したようだ。
 その生き物は、ケルビムと言われ、聖書では、天国の見張り番のような役割を果すようだ。
 その、ケルビムという不思議な生物のそばに、目のついた輪が車輪が、ついて回るというシーンが、あるが、その車輪を運命と名づけるとしたならば、
人の世界もこの車輪と似ているような、気がする。
 人の罪の輪廻の始まりはアダムとエバが、善悪の知識の木をサタンにそそのかされ、食べてしまってから、人は、労苦して働くことになったと、聖書では言う。
 そして、この世の歴史をみても、戦や争いは、常に倫理の崩壊と、人の傲慢さや、自分を神のような、王とするもの達によって、同じような問題で、絶えず、繰り返されてきたのを見ると、罪という輪は、真理である、主・イエス様の手によってしか、絶ち切れないようです。
 
 さて、私は、安部公房さんが、書いた砂のおんなという物語を読んだことがある。
 主人公は、学校の教師で、一人の妻を持つ、昆虫採集や研究が好きな収集家だ。
 
 休暇に主人公は、砂のある集落へハエの新種を見つけ、採取する為に、駅を降り立った。
 その部落は、海が近くにある、砂丘のような砂の多い部落で、小さな村だったが、砂丘があり、今回
 砂丘の中の新種の虫を採りにきた、主人公にとってとてもいい環境だった。
 
 男は、おもむろに木箱を開け、上蓋から、束ねた棒切れを組み立て、捕虫網を作る。
まさか、自分が、ハエの代わりに、採取されてしまうとは、知らずに・・・。
 
 村を歩きまわるにつれ、主人公は、あることに気づく部落全体の構造について、部落全体が登り坂になっていて、建物の部分だけが、平面にとりのこされているような砂の斜面のほうが、屋根の上といったまるで盆地のような、あり地獄のような不思議な構造物、それなのに防砂林のない矛盾した環境、おかしな所があっても、主人公は、全く気にしなかった。

 ここは、日本であり、自分は、学校の教師、医療保険だって、戸籍だって、もっている今の日本で、まさか、自分が拉致をされることになろうとは、思わなかったから。

彼は、一日中、昆虫採取をし、疲れてしまったところに部落の老人が昆虫採取している彼にこう言う。
「調査ですかい。」
この老人は、まるで網でも仕掛けるかのように、主人公の身元を調べるはじめる。
 何をしているのか?、職業は、何か?
 そして、捕まえるのに、ふさわしいとみるや否や、かれは、こう言う。
 時にあんた、これからどうなさるつもりですかな?
 上りのバスは終わったと・・。
 彼は、案の定、お世話をしてくれると言い出した。
 これが、彼が片道切符をつかまされ、何年も部落のための犠牲者になる瞬間だった。
 彼は、一人の未亡人のもとで一晩泊まることになる。
  しかし、そのもてなしは、少しおかしなものだった。
 部落の人達が、カンカラとスコップをなぜか持ってやってきた。
 「おうい、もう一人分、カンカラとスコップをもってきてやったぞ!」
 主人公もすかさずこう言い返す。「僕?僕がどうして、スコップなんか?」
 この村の家は、砂の中にあり、落ちてくる砂をモッコを使い、運ばなければ、家は、砂で埋まってしまう。
上には、モッコをロープで下ろす時に使う、固定された、俵が埋められていた。
 毎日が、砂との葛藤の日々で防砂林を作るよりも、人を捕まえ、一緒に女と住まわせ、
 その部落の人を増やそうとする強引なやりかたに主人公は、反発した。
 毎日、村の外に出れず、砂をモッコで上に運ぶ作業、そこには、自分のための生活は、何1つない、
 片道切符のような、散り散りの人生に。
 主人公は、それから、何度か脱出を試みる、女を人質にとりモッコで砂を運ぶのをやめさせて、脱出
しようとしたが、この時は、相手が一枚上手で、水の配給をも、止められた。
 その代わり、酒と、タバコの配給があったのだが、この酒やタバコは、部落の人の罠だった。
 女は、水が飲めずとも男よりも、部落の生活にもなれているのだから。
 男は、酒をのんでしまい、のたうち回る胃に落ち込んだアルコールは、すぐにピンポン玉のように耳のあたりまで跳ね返り、はちの羽音をたて、皮膚が豚皮のようにこわばりはじめた。
 血が死んでしまう。
 逃げようとして、失敗した主人公は、まだあきらめない。
 今度は、家の中にある鋏や、ものを紐の代わりとして、使い、上の俵にはさみをひっかけて、逃げる計画を立てる。
 女には、その間、部落の情報を細かいところまで、聞き、常にご機嫌をとっていた。
 そして、見事夕方の部落がちょうど、霞で、脱出しやすくなる頃に男は、外に逃げることに成功する。
しかし、部落のものにまたやられてしまう。
 底無し沼のような場所で、哀れにも、彼らに救いを懇願することになってしまう。
 でも、彼は、自分の自由を生きる、往復切符をあきらめないでいた。
 主人公は、まだ、部落にいく前の生活をあきらめたくはなかったから。
 彼は、以前友達の教師であだ名がメビウスの輪というなの友がいた。
 メビウスの輪とは、一度ひねった紙テープの両端を丸く貼り合わせたようたもののようでつまり、裏も
表もない空間のことだそうだ。
 ここでは、彼の組合生活と私生活とが、つながっているという意味だと筆者はいう。
 彼と、メビウスの輪は、リアリズム教育のことで話しをしていた。
 彼らの主張は、かみ合わない、でもメビウスの輪の友は、腹もたたなかったようだ。
 でも、主人公が、休暇をとった時には、彼は、妬み、彼があだ名をつけたメビウスの輪らしくなかったのだという。
 この物語は、最後、女と男の間に子ができる。
  
 その時、部落の者が、主人公が、脱出をするのをあきらめたとおもったのだろうか?
 
 それとも、信頼したのかは、しらないが、部落の連中に隙ができ、主人公は、無事にげることができ
、この物語は、終わるのだが、なぜ部落のものが、縄はしごを置いていったのか、筆者は、書いてはいない。
 でも分かっていることは、主人公は、人生の往復切符を手に入れたということだと思う。
 
 さて部落の人達の生活は、主人公にとって、希望のない片道切符のようなものでした。
 しかし、部落の人や女にとっては、部落の生活が全てであり、彼らのモッコを使って、家の砂を取る毎日は、充実した往復切符だったようだ。
 もしかしたら、メビウスの輪というあだ名の友と同様に、この部落の女もメビウスの輪だったのかもしれない。
 聖書では、罪のことを原罪とも書きます。
 人には、罪の性質があるといいます。
 ある私の知り合いは、こんな夢をみるといいます。
  階段を上っていくのに、いつまでたっても、そこから抜け出せないでいつまでも、輪のように、まわっていく夢をみたのだそうです。
 食や生活に対する欲望、または、芸術などに対する、執着などがある内は、神に感謝して、新しい、着物
である、誰かのために自分が存在するというキリストの体を供えられない限りには、人は、いつまでたっても、
罪という欲望というあり地獄から、片道切符から、ぬけだせないのかもしれない。
 
 部落の人にとっての片道切符は、家が部落が砂に埋もれること、主人公にとっての片道切符は、砂のおんなとの、モッコでの土運びの日々、かもしれませんが、私は、主・イエス様を信じて、さとされたのは、
 
 この世の中の世の快楽や楽しみ、又は、生活を愛することが、執着することが、私達の生活の片道切符の始まりなのではないか、と感じます。
 なぜならば、部落の沈みそうな村も、この世の中も、砂のように、1つにとどまれない流動体ですから。

 この世を愛するならば、私達も砂の女のような、流動体の片道切符しか得られないのかもしれませんが、主・イエス様の十字架を信じて、神に従う時に世の誉れではなく、主・イエス様を愛するならば、
生・老・病・死の無常な砂の流動体のような世界から、不動の天国へと導かれます。
 

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トクトル
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