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今日は、さんさんと、雨がふっているといっても小雨なので、とても静かにかんじる。
今年は、少し早いつゆいりに、まだ、カエル達も魚もいまいち元気がない。
これから、だんだん熱くなり、衣替えの季節だ。
自分も、主・イエス様に祈り、新しいキリストの体を着せてもらえるように祈ってます。
さて、今日は、私は、小説で走れメロスというものがたりについて、主・イエス様に祈り書かせていただこうと思います。
主人公のメロスは村の牧人で、いつも笛を吹いたり、また羊達の面倒をみながら、伸びやかに、その日その日を暮らしていたそうです。
彼の父と母は亡くなり、彼には、女房もいない、彼は、16歳の内気な妹と一緒に幸せに暮らしていた。
ある時、その内気な妹が村の律儀な牧人と結婚することとなった。
それゆえ、メロスは、妹の結婚式のために妹の為に花嫁衣装を買いに、十里も離れた、シラクス市という町に野を越え山を越え、てやって来た。
そこには、竹馬の友のセリヌンティウスがいた。
結婚衣裳を買うついでに、親友に会いにきたというわけだ。
町に入ると、メロスは町の様子をおかしく思った。
なぜならば、町に活気がない、ひっそりとしていたからだ。
彼は、若者や老人に聞き、なぜ前ににぎやかだったこの町がこんなに、静かなのかをしった。
それは、国王の人間不信のためであった。
国王は、人を信じることができなくなっており、王の妹婿はおろか、ご自身の世継ぎである息子、妹にいたるまで、殺し、今も王により、、たくさんの人がころされていた。
メロスは、政治もわからない、知識のない方ですが、邪悪に対しては、敏感でした。
メロスは、王を短刀で、倒そうとした。
ただ、自分の信じた素直な道にしたがって。
メロスは王に捕まっても、勇敢にこういいます。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき邪悪だ。
王は、民の忠誠を疑っている。
そして自分が十字架にかけられると言われても信念を曲げなかった。
メロスは、自分が今迄、幸せに暮らしていた暮らしや、妹たちとの幸せな暮らしよりも、正義を第一としました。
そしてメロスは、殺される前に王に妹の結婚式にだけは、参加させてほしいと頼みます。
王は、当然承知するはずもありません。
そこで、メロスは、竹馬の友のセリヌンティウスに頼み、自分が戻ってこなければ、親友の彼を十字架につけたらいいといました。
王も、身代わりを立てることを赦し、そのかわり、3日目の日没に帰ってこないならば、親友のセリヌンティウスも殺すといいました。
最後、メロスは、苦難を乗り越えて、無事、友を救いだしました。
そればかりか、王の心にも、光りをともしました。
「おまえらの望みは、叶ったぞ!おまえらは、私の心に勝ったのだ。
信実とは決して空虚な妄想ではなかった。」
彼は、その後王になったという話しを読み、私は主・イエスさまに、誰かのために生きることの愛すること、正義を行うことの大切さをおそわった。
しかし、私達は、なかなか勇敢ではありえないし、また、つらいことがあると負けしまうかもしれないけれども、イスラエルといわれるようになったヤコブのように、あきらめないようになりたいと思います。
ヤコブには、兄のエサウがいた。
ヤコブは、父からの祝福を長男のエサウがうけるはずだったのに、父イサクをだまし、自分が祝福をうけてしまう。
その罪のためでしょうか?
当然兄に恨まれ、命さえねらわれ、母の兄のラバンに結婚相手であるラケルをもらう為、に7年仕えたのに、その家の風習のせいで、姉のレアがあたえられてしまい、結局、ラケルをもらうのに14年もまたされた。
そして、自分の罪と葛藤もあったのだと思う。
最後は、創世記32:24〜32神が祝福するまであきらめず主・イエス様の祝福をうけれました。
創世記32:28 あなたは、もうヤコブとは、呼ばれない。
イスラエルだあなたは、神と戦い、人と戦い勝ったからだ。
勇気もなく、正義もなく、ただ、自分の欲望の為に生き、何かあるとその罪さえ忘れ、
相手に復讐するヤコブ。
杖一本で、故郷を後にしたこの頼りなく不完全で、兄の復讐に怯えてきたヤコブ。
けれども、そんな彼さえも、主・イエス様の御力によってかえられました。
仕えさせられることで、真のへりくだりをそして、仕えることで、忍耐を勇気を学び、
最後は、神と戦い勝利し、メロスのような、立派な、主・イエス様の民として、旧約のイスラエルの民=神の民とよばれるようになったわけです。
主・イエス様を信じるならば、どんなに、弱く、どんなに知恵のないものでも、信じ続けるならば、主・イエス様は、必ず、勝利の冠を授けられます。
その冠を受ける資格は、主・イエス様の十字架を信じるものには、誰でもあたえられるのです。
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