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川の流れのように歌を

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最近、蒸し暑くなってきました。
2〜3日前から気温が30度くらいになり、昨日は、たしか群馬では、35度くらいであったと聞きます。
 私は一ヶ月くらい前に福島と、仙台近くの教会へいった、どんなに哀しそうにしているのか?
恐る恐る行くと、かれらは、手を大きく広げ、神を賛美し、原発の脅威に負けずに、祈っていた。
 その言動力は、神が復興をしてくれると言う強い確信と、励まし、癒しの賛美、聖歌などの歌であったのだと思う。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、昭和の歌の歌姫であった美空ひばりさんの話から主・イエス様から教えていただいた事について、書こうとおもいます。
 私の美空さんに対するイメージは、歌がうまく、竹を割ったような強い女性のイメージがありました。
彼女の歌や劇に対する異常なまでのこだわりや、客に塩酸をかけられたり、バスの転落事故があった時後、魚屋で、短気で美空ひばりさんの母に包丁投げつけるような父の前で、歌うことを強く反対された時、歌をやめるならば死ぬとたんかを切ったようなエピソードから、私は美空さんを女性と言うより、お母さんお袋さんのようなイメージで見てました。
 そして歌が好きで、劇にいのちを懸けた人でした。
彼女の歌で私が好きな曲の中に、真っ赤な太陽と言う曲があります。
彼女は、どの歌もそうなのですが、本当に喜怒哀楽を、うまく表現しながら、歌っておられます。
 悲しき口笛では、悲しみを、お祭りマンボでは、喜びを私は、どうしてこのように歌えるのかを、彼女の自伝からしりました。
 彼女は、神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれた。
 妹は佐藤勢津子、弟はかとう哲也・香山武彦。家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けひばりは歌謡曲、流行歌を歌うことの楽しさを知る。
この頃は、まだ、戦争中でありましたので、1943年6月、第二次世界大戦の戦時中に父・増吉が出征となりました。
 その時、ひばりさんは、ひばりは父のために『九段の母』を歌った。
 当時、第二次世界大戦の中で、歌手にならせてくれたり、その才能を認めていたからといって、母が、娘のために唄を歌えるような、状況
 を作ってくれた母親がいたでしょうか?
 鬼畜米英と言われ、米国に勝つ事を賛歌するような、誤った時代に生まれた、ひばりさんにとって、まさに母は自伝でいったように、
 ママとしてではなく、それ以上の人物であったのだと思う。
 ひばりのために八方手をつくし、財をはたいて、自前の「青空楽団」を設立NHKのど自慢に出場させ、リンゴの唄をうたわせ、赤いドレスを着させてうたわしたりしてあげたが、その事が原因で、大人の唄で、ハイカラな服は、非教育と言う事で、唄のうまさは、認められていたのだと思うが、子供らしくないと言う悲しい理由で、不合格となる。
しかしそんなひばりさんたちを、神は、歌の道へと、導く。
  1946年9月、横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を踏む。翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、審査員をしていた古賀政男のもとにひばり母子は駆けつけ、「どうか娘の歌を聴いてください!」と懇願する。ひばりはアカペラで古賀の「悲しき口笛」を歌った。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とエールをもらった。
 歌の上手な女性は多々いると思いますが、私は彼女の母の子への思い優しさ、そして母父の竹を割ったような力強さ、そして決断力
 そして、戦前戦後の貧困や別れを悲しみを経験したからこそ、彼女は、ただ歌を歌うのが上手な歌姫ではなく、私達に勇気、喜び、希望
を与えることのできる、作曲した人の要望に応え、人に心を、愛を、プレゼントできる人になれたのではと思います。
結婚し、子供もが産まれ、子育てと、芸能活動の中での離婚、母の死などを乗り越えてきた。
歌にも劇にもめぐまれた。
歌と共にあった人生だったのではと思います。

  昭和から平成に近づき、最後彼女は、入院を2回した。
 1度目の入院の時に彼女は、自伝にこのように書いている。
 歌いつづけます! 歌は我がいのちです。
 この時、福岡の済生会病院で入院していたひばりさんは、母を失い、離婚して一人で子を支えて、生きてきた。
 そんな、彼女を支えていたもの、それは歌であった。
 そんな闘病記のなか、彼女は自伝で、相田 みつお、川野進などの詩をノートに書き残していた。
 私が感動したのは、彼女は、自伝で闘病中にこのような詩をつくっていることに感動を覚えました。
 花よりも、美しき心、失わずこの世の沼を歩み続けん。 
そして、退院してたけれども、病気で、歌えない状態で息子に「ママ、もう引退したら?命が大事だから」
 と言われた時舞台で死ねたら本望といいます。
 彼女を支えていたものはいったい何なのか?
  それは、愛であったのだと思います。
 観客への亡き父母への息子への愛、それを歌として、届けてきたひばりさん。
 彼女の歌に愛さんさんという歌、川の流れのようにと言う歌には、主・イエス様から、ひばりさんへの歌のプレゼントで
 あったのかもしれません。
 女性初の国民栄誉賞を受賞して・・・。
 彼女は、愛をしっている女性であったのだと思います。
 彼女の歌う曲の愛さんさんという歌詞をみると、

   あめさんさんと、このみに落ちてわずかばかりの運の悪さを恨んだりして。
   人は哀しい、哀しいものですね
   それでも、過去たちは、やさしくまづげにいこう
   じんせいって不思議なものですね〜


愛を知っていたからこそ、哀しみを歌えたのだと思う。
 そして、哀しい事に歌が全てであったが故に、真理には興味をもてなかったのかもしれない。
しかし愛、本当の愛を、真理を求めたからこそ、ご自身が自伝の中で詩を残し、河田進、相田
みつおさんなどの良い詩を、人の愛真理を求めたのではないかと思われます。
 そんな美空さんが教えてくれたこと、それは、歌を歌うことについてです。
 彼女は人生を通し、歌とは人に愛をさんさんとめぐみのあめのようにふり注ぐことである事を教えてくれた。
 歌で、勇気を、青春を、恋愛を、そして人を愛する愛を・・。
 さて、私達教会でも、主・イエス様の愛を賛美する歌で多々あります。
 その歌の中で聖歌593ああめぐみと言う歌を紹介します。
 
  罪にみてるせかいそこに住む世人に
  「いのちえよ」とイエスはちしおながしませり
  ああ〜めぐみはかりしれぬめぐみ
  ああ〜めぐみわれにさえおよべり。
 
 主・イエス様の十字架のめぐみは尽きることはありません。
 人は愛されて裏切られて、また、運の悪さを恨んだりするかもしれません。
 そんな中、いつも変わらず私達を待っていてくれる方がいます。
 この方こそ主・イエスキリストです、
 そして人の心は、変わるとも、神の愛は、変わりません。
 めぐみは、すぐ近くにあります。
 どこにでしょうか?
 それは、あなたの心にある命の言葉として聖書の中に、そして言葉として私達の心の中に。
 主・イエス様の十字架を信じる人の心は、めぐみでみたされ救われます。

 

 

 

 

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