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私の近所に、一羽の小鳩がいた。
その日は、いい天気で日曜日の礼拝に行く途中の道で、その小鳩は、地面の下で、
ヨチヨチとぎこちなく歩いているのをみて、どうしたのか?とおもっているてと、そこに一羽のカラス
がいて、その小鳩をつつき、食べようとしていました。
私はすぐ小鳩をたすけてあげましたが、その時におもったのは、どうしたらいいのかと言うこと
でしたが、その鳩の事を警察に相談したところ、動物愛護の団体に渡してくださりました。
その後、礼拝には、2〜3分位遅れましたが間に合いましたが、私自身のいや、この世の
主・イエス様を信じていない、人達の姿を、小鳩に見たような気持ちになったのは、不思議な
体験でした。
さて、今日は、主・イエス様にいのり、賀川 豊彦さんの書いた、一粒の麦から導きを頂いた。
この小説は、丁度、満州事変前後のお話です。
主人公の嘉吉は、そんな時代に生まれた。
彼の父は、酒のみで、子供6人あったが、家にいるのは、弟、妹だけで、兄姉は、娼妓や、奉公
にだされ、主人公の嘉吉も、丸八商店に預けられていた。
そんな環境で育ったものだから、嘉吉は、無口な青年に育ったようだ。
そして遊郭に通い、嘉吉は道を踏み外していつた。
そんな嘉吉が、お金ほしさに、5円の金を盗み、何もかも嫌になり、父危篤と嘘をつき、丸八商店から
逃げ、北設楽郡 の下津具(愛知県)に着き、父と母と、弟泰次 妹百合子との生活が始まる。
父が大酒飲みで酒ばかり飲み、弟も奇病にかかり、父も中風になる。
母は、忍耐強く、またしっかり者であったようですが、彼らの生活は、極貧状態でした。
しかし、養蚕の仕事や嘉吉が頂いた、水車の又さんの仕事をもらったり、鍛冶屋での仕事を頂いたり
しながら、細々何とか生活をする。
水車小屋での仕事をしていた時、犬や猿を飼う不思議な仙人のような人に出会う、前は、大阪の造船業を
営んでたのだそうだが、堕落した生活を送っていたのだそうだ。
そのためなのか?、 彼は事業に失敗し、多くの銀行に迷惑をかけた後悔していたのだそうだ。
今では、猿回しの仕事をしているようであるが、栗を豚に食べさせたり、植林の事にも詳しかったり、
嘉吉にとってまさに、何でも幅広く知っている仙人のような人だったようだ。
また、教会の村野先生たちとの生活の中で、嘉吉は、以前5円のお金を持ち逃げしたことに罪の意識が芽生える。
また弟や父、または姉達が娼妓で働くようになっている事さえも、自分の神への行いの悪さからこのような悲惨が
起きたのではないかと反省し神に変えられ、ついには、5円を返します。
そして、キリストを信じ、ハンセン病の人を看病したり、酒を飲まないような禁酒運動や土地利用組合などを発足したり、また、立体農業
などを推奨し、キリスト教の犠牲の精神と愛の精神をかたっていく。
彼は、段々と神様に変られて行く一方、弟の泰次の死、姉の死、兄の処刑また、将来結婚を誓った、芳江の死
を経験する。
芳江は、嘉吉が、徴兵され、中国に渡り、戦地にいるあいだ、嘉吉の家族のために献身的に毎朝早朝におき、
いつも嘉吉の家の機織木は、回り続けた、泰次の世話をし、病にかかり、勘之助のいじめに耐えつつ、嘉吉
がしたがっていた山での植林も欠かさずし、嘉吉とまた会う事なく死んでいった。
誰が新聞で出してくれるわけでもなく自ら進んで、前科者の集合している一族に奉仕する事を誓い、地位も名誉も
もない山村の青年を選んで、自らを捧げた芳江、 一日4時間した眠らず、人の父の為に二週間も徹夜で看病し、
雪の中で、手にひびを切らせながらも機を織りつづけ、30円あまりの金を姑に捧げるこの精神は、賀川のいっている
下座奉仕の姿勢、犠牲献身の精神を物語っています。
賀川は、愛に依る蹂躙の話の中で、こう言っています。
宇宙に満つる大きな人格は、その本質にもって愛である。 宇宙の本質である苦痛にも喜んで私達の罪に耐えしのんで
くださった宇宙全体に現れている。
それが、主・イエス様の十字架であるのだと。
芳江が、何の報償もなく耐え忍べたのは、嘉吉への愛、神様への愛であったのであろうと思う。
ヨ12:24 はっきり言っておく。 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば多くの実をむすぶ。これは、主・イエス様が死んだあと、復活し、聖霊を与えると言う
約束の事を話されているのですが、弁護者の聖霊は、言葉として、霊として私もふくめ、信じる人
とともに宿る。
しかしそれには、主・イエス様の十字架による精神、犠牲の精神献身奉仕の必要性
を、今日主・イエス様に賀川 豊彦さんが書いた物語から教わった。
主・イエス様の十字架の愛で私達は救われています。
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