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白洲 次郎

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最近、連日暑い日が続いている。
でも、不思議な事に、夜は以外と涼しく、私の家の庭には、コオロギかスズムシの音色が響く。
 さて、今日は、主・イエス様に祈り、私の家にも近いのですが、町田の武相荘と言う家に住んでいた。
白洲次郎と言う人について、書こうと思います。
彼は、兵庫県武庫群 精道村(現在 芦屋市)白洲 文平、芳子夫妻の次男としてうまれた。
 
 中学頃から、手のつけられない程の乱暴者で、サッカー部、野球部で、身長もアメリカ人にも劣らずほどの体格で、イギリス留学し、ケンブリッジ大学で学びイギリス人達にも劣らない程の語学力を身につける。
 彼は、のちに戦後、吉田 茂に信頼され、憲法改正の時に、アメリカのマッカーサー率いるGHQとの折衝する重要な役割をしていく。
 今回私は、白洲次郎と、日本国憲法の辺りを中心に書こうと思う。
 戦後の日本は、敗戦国として、アメリカに追随し、弱腰の中日本の政治家たちは、今もそうだと思うのですが、自己保身に走っていた。
 
 そんな中で、欲や自己の思いではなく日本国を愛し、自分の信頼する吉田 茂の為に白洲は、終戦連絡中央事務局に席をおく。

 彼は、マッカーサーであろうとも地位の高い人であろうとも、公正に物事を判断し、また、愛国心のある方でした。
 就任当時から、GHQの民生局長に就任したばかりの、ホイットニーに対して、イギリス仕込みの英語をでこういったのだそうです。
「あなたの英語だって、そう聞き苦しくありません。もう少し勉強なされば、一流になりますよ。」
ブラック・ジョークだが、アメリカ人にとって、イギリスの英語と比較され、田舎者扱いされる事は、大変な侮辱であった。
 でも、憲法改正をマッカーサーに求められている中で、日本人として、まっすぐと意見を言える人が必要だからこそ、吉田は、白洲を終連次長に選んだのだろう。

 白洲は、マッカーサーに対して、昭和天皇が、クリスマスプレゼントをされた時マッカーサーがそのプレゼントをぞんざいに扱った時も、勇敢に「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺におけとは何事か」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしたという話がある。
 私は、終連次長に抜擢され、吉田と懇意であったのには、運命的な神の計画があったのではないかと思う。
二人は、共に一匹オオカミで、豪放磊落な人でしたが、律儀で義理人情にもあつく、政治の空気を読むのにも卓越していた。
 吉田 茂の娘の和子は、麻生 太賀吉と結婚するが、麻生家は九州の財閥で、太賀吉は、若き当主であった。
 長男麻生太郎は、第92代内閣総理大臣、第23代自由民主党総裁になった人だ。
そんな縁があったのも主・イエス様の日本を愛してくださり、傀儡国の中にも、日本の事を憐れんでくださった愛を感じます。
 上記の皮肉な態度は、一見悪い事でもあったし、行き過ぎた行動をした白洲であったが、それには、占領軍のいいなりになったのではない日本には、日本の自己判断=アイデンティティーがあるのを知らしめるため、敢えて、極端に行動をしたのだ、そうしなければ、国民から疑問の声があがるからしていたのだそうです。
よく、時代と人を見れるひとでありました。
また、当時憲法改正案で、天皇の主権と基本的な人権の問題、戦争放棄などについて、白洲は、はっきり
とこうも主張している。
「新憲法のプリンシプルは、立派なものである。
主権のない天皇が象徴となり、政治の機構としてはあいまいな憲法が出来上がったが、そのプリンシプル
は実に立派であるという。
 プリンシプルとは、原則とも主義、信条とも言える言葉であるが、ここに折衝をして、憲法改正にたずさってきた白洲次郎という人物の聡明さがあると思う。

 私が今日主・イエス様から諭された事は、戦争やどのような時に於いても本来の自己である。真理を見失わないことこそ私達が愛国心を持つということであり、私達が、主・イエス様を愛するということであると教えられた。

 相手がだれであろうとも、公儀と公正を重んじた白洲次郎は、のちのサンフランシスコ講和条約で、吉田茂首相が、英語の演説でするのを、尊厳の為に日本語でするのが良い米国の提案に従い、日本語で演説したというが、この事は、白洲がGHQの了承を得たうえで、美辞麗句を並べ英語で書いたことに白洲が激怒し、日本語に急遽書き直したためと言われている。
 
 今日私は、真に信頼すべきは、主・イエス様の真理の言葉であり、真理である事を、そしてそのように歩む人と共に主・イエス様はおられることをまなんだ。

 なぜならば、彼の正しい主張は、現代の私達の多くの人に共感を得ているし、フランシスコ講和条約でも、彼の主張は、米国側にも伝わったからこそ、米国側も日本語で語るようにすすめたからだ。
聖書には、モーセ5書と言う書物があり、モーセの十戒は、神が、預言者モーセに石の石版に書いたものであるといいます。

 もし、律法が守られていたのならば、平和であり、戦争も戦さも起こらなかったことでしょう。
しかし、人には、罪の性質があり、現在でも虐殺などが横行し、独裁者がおり、一部の富裕層だけが、富を独占する悪い世でもあります。
 しかし、主・イエス様は、そんな中私達の罪を赦すために十字架に架かり私達の罪を皆引き受け、贖ってくださるのです。
ヨ11:25 イエスは、言われた。 「私は、復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。」
主・イエス様との歩みは、信じたときから始まり十字架は、すべての罪をあがない天国へと導かれます。

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トクトル
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