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最近、地震や火山活動が活発かしている。
この間、日本全体を震わす大きな地震があった。 幸いな事に、震源地と深さの関係もあり、東北の震災のような大きな被害はなかった。 まるで、神が私達の罪に対して、警告を与えているかのようだ。 今日ふと、新聞を見ると、尼さんの、瀬戸内寂聴(93)さんが、戦争の 体験から反戦運動に参加していた。 1991年の湾岸戦争では、停戦を願い断食、2001年の米同時多発テロでも断食をし、イ ラク戦争の時には、戦争反対の新聞広告を出したという。 昨年の5月に背骨の圧迫骨折で入院して、さらに、9月に胆嚢ガンの手術をしたばかり で、法話を再開したのは、2カ月前だという。 今回、2015年6月18日の国会前で彼女が語った事を簡単に紹介します。 「最近の状況は、戦争にだんだん近づいている」、1922年生まれの私は、いかに戦争がひどくて、大変か身に染みて感じた。 戦争にいい戦争はない。すべて人殺しです。 最近の状況は、寝ていられない程、心を痛めていた。どうせ死ぬならば、本当に怖い 事が起きているぞと申し出てにたいという。 世界の為、日本の為に常に、行動をしてきた。寂聴さんの話に感動しました。 また、日清戦争の時代、勝海舟は、氷川清話でこのように語っています。 日清戦争は俺は、反対だったよ。なぜかって、兄弟げんかだもの、犬も食わないじゃないか。 たとえ日本が勝ってもどうなる。 中国は、やはりスフィンクスとして、外国の奴らにわからぬに限る。 中国(支那)の実力が分かったら最後、欧米からドシドシ敵が押しかけてくる。 日本は支那と組んで、商業なり、工業なり、鉄道なりやるに限るよ。と言っています。 中国、朝鮮は、日本にとっては、兄弟のようなもので、互いに協力し合う事が大事なのだ といっているのです。 彼自身、剣持てども、剣が抜けぬようにしていたそうで、平和主義者でした。 世界は、今や、第3次産業の発展により、グローバル化してきた中で、インターネットなど で、他国の人達との交流がなされるようになりました。 聖書では、神は、人間を被造物としてつくられたのだといいます。 この意味は、人は神に似せて作られていると言うことです。 人間は、もとは、神に創られた兄弟のようなものなのです。 ところが、一部の人達の利権や争いの為に、上述した勝海舟や瀬戸内寂聴さんのような、考え方 が、出来ない事は、悲しいことだと感じた。 さて、今日私は、東京帝国大学の山本 有三さんが書いて、朝日新聞で掲載されていた。 小説の路傍の石と言う物語から主・イエス様から教えられた事を書こうと思う。 主人公の吾一の父の祖先は武士でしたが、位の低い武士でありました。 だから、武具を質屋に入れていたのだそうですが、勇敢な方で、手柄を立てたのだといいます。 祖父も勇敢な方で、将軍が朝廷に恭順する事に反発した武士が、彰義隊をつくり明治新政府に反対 して起こした隊でしたが負けて、祖父も逃げたといいます。 また父は、幼くして父を失い、後見人に財産をだまし取られたり、土地の権利書の問題で、 愛川一家の土地かそうでないか、国ともめ、裁判を起こして負けてしまいました。 財産もなく、お金もない状況で、父は、裁判の問題で東京にいて、仕事もしない状況でした。 吾一の成績は優秀で、学校では、勇敢で知恵のある物として絵描かれおり、子供の頃は貧しいけど幸せでした。 後に、いせ屋の秋太郎とおきぬのもとで働かせるまでは、学校で勇気があり、賢い子で通っていました。 それが、彼の家が貧しいばかりに中学校にも通えず、母の為にいせ屋で働き始めると、おきぬは、手のひらを 返したように吾一を見下すし、秋太郎はそんな事はしなかったが、彼の名前は、吾一から五助に変えられてしまった。 その後、彼は母が亡くなるまで我慢していせ屋にいるが、母が亡くなると、以前父が手紙で東京にいると言うので その場所に行くと、今度は、そこの大家のおかみと娘にさんざんこき使われ、ほぼただ働きのような生活をさせられた 挙句、捨てられてしまう。 その後、インチキくさいおともらい稼ぎ仕事をする老婆と、葬儀の時にもらい物をし、設ける仕事をしていたが、そん な人間として最低な生き方に我慢できなくなった、吾一は印刷の職場につく。 ここでもさんざん苦労し、いじめられた吾一は、以前の先生の次野先生と出会う。 次野先生は、以前いなば屋のおじさんに協力してもらい、中学校へ行くように、話をしてくれた人だ。 けれども、母の仕事をもらうために仕方なく、いせ屋で働く事になった。 だから、次野先生は吾一のもっとも信頼できる人だった。 次野先生は、いなばのおじさんから、当時で言うと大金の100円を愛川 吾一の為にもらっていた。 このお金は、吾一をいせ屋のような所でこき使われないようにし、学校に行かせて立派な人になって ほしいと思い、吾一の為におじさんが次野先生に渡しておいたものでした。 しかし、次野先生は、そのお金を結婚した嫁の病気を治すために、半分使ってしまった。 今は、東京の商業学校で教えているようだが、作家を夢見ている貧困生活の為、残りの金も使ってしまった。 そんな中で、吾一が何処にいるのか探してはいたが、次野先生は、吾一にこの小説路傍の石で、あやまり、 最後、商業学校に入れる事を約束してこの物語は、終わるのだが、この物語は、まだ完成してないまま、 山本有三さんは、ペンを折った。 当時明治の中期の時代、軍国主義がだんだん鮮明になって行き、社会主義の思想が弾圧されていき、自由に書けなくなって きたのが理由でペンを折ったと言われており、続路傍の石が書かれているのであるが、作者の意向もあり、私が上述したように、 次野先生が吾一にあやまるシーンで終わっているものが多いそうだ。 なぜ、筆者である山本有三さんが、続路傍の石があるのにも関わらず、完成させず、このままの状態で終わらせたのか。 それは、次野先生を自分自身に抽象的に置き換えたからではないだろうか。 次野先生は、子供達に正直でうそをついたりしないように教育する教育者であるばかりではなく、将来、次野先生が、文学家に なる事を夢見て、酔っぱらって勢いよく話をするシーンがある。 私の憶測かもしれないが、次野先生を山本さん個人と重ねてこの物語の終わりを吾一に対して不正を行い謝るシーンで終わらせている のだと私は、痛感した。 文学者はいかなる時代に於いても間違った意見に屈服するのではなく、正義と平和を愛し生きて行くことの大切さを教えたいのだと思う。 そして、その時代の一人一人が、そのように、悪い時代に流されずに正しい行いをする事の大切さを訴えたかったからこそ、 自分自身の弱さに不甲斐なさを覚え、責任を感じた山本有三さんの路傍の石は、素晴らしい文学であったのだと思いますし、 私はこの作品を称賛しております。 聖書で、ルカ20章17で主・イエス様は、このように言っています。 「家を建てた者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。」 家=この世の指導者、見捨てた石=主・イエス様であると思われるが、山本有三さんの路傍の石の小説は、まさに世の中の迫害に会いながら も、その思想を曲げずに資本主義、自由主義、社会主義の理念を通した。立派な作品でした。 今日は、主・イエス様に祈り、どのような時代においても、正しい生き方をする者事の大切さを学びました。 人間には、肉体と魂があります、 霊と誠により礼拝をしなさいと聖書で主・イエス様はいいます。 でも主・イエス様は、行いを正し悔い改めて、主・イエス様を信じた人全てを平等に天国へ入れてくださいます。 初めの者も後の者も、多く与えた人も少なく与えた人も平等に罪をあがなってくださります。 だから主・イエス様の十字架を信じる人は、だれでも救われる事ができます。 |
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2015年06月19日
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