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私は、戦争と平和という本を読んで感動したシーンが1つあった。
この物語は、ナポレオンとロシアとの闘いの中にあってのロシア
の伯爵貴族や登場人物の人間関係などを描写した物語であるが、
特に印象に残ったシーンは戦争と平和4の第3部2編であった。
背景としては、ナポレオンが、ローマのモスクワを攻めていこうと
している段階の時に、ボルコンスキー家の老侯爵がちょうどなくなり
アンドレイが戦争に対しての意義を見出せなくなり、失望している
時のシーンだ。
アンドレイは、リーザという妻がいたが、息子とアンドレイを残して死に
そして、そんなさなか、ロストフ家のナターシャと恋に落ちて有頂天であ
ったが、アナトールという女たらしにまんまとナターシャが騙され、結局
アンドレイとナターシャは、結婚までしようとしていたが破断になった
そんなさなか、アンドレイにとって、妹のマリアと老侯爵の父を守るという
事が、敵からロシアを守る事が生きていく最後の鎖であったのだが、父の
死を知ったその時の箇所を紹介する。
スモレンスクが取られた以上、モスクワが取られようと取られまいと、
同じ事だと考えていたアンドレイは、思いがけず、引きつるような嗚咽
に喉を締め付けられて、急に言葉を途切れさせた。
戦争について戦争とは、お愛想や地位の高い人の遊び事ではないかという。
軍人社会の気風、軍人が地位の高いものが尊敬されるのが戦争の一面であ
るのだが、戦争は父を殺し、子を殺し多く殺したほど、功績が大きいと思いこん
で、勝利を宣言するのである。
子牛が殺されるのを見て、気分の悪くなるお嬢さんの寛大そうな態度だの
感じやすさとは何か
このお嬢さんは、血を見てはいられない程、気がやさしいが、その子牛にソー
スをかければ、食欲を出しお食べになる。
戦争の規則、騎士道精神、軍師の交換や許し等々戯言であるという。
彼の友人のピエールは、キリストを信じている。
何かに突き動かされるように、彼は戦地に赴き、親友のアンドレイと再開
し、上述した戦争、に対しての抱負であり、現実であり、人が真に突き動かされ
ている無意識的な潜熱をアンドレイの言葉から見出す。
それは、愛国心であり、それは、ニヒリズムでもあり、お互い肉親や民族それぞ
れの正義でもあった愛、憎しみ、善、怒り、そんな虚無的な心の入り混じった愛国
心が、ピエールが悟る潜熱であったという。
※この潜熱が人間にとって良い事であるとは、トルストイは、語ってはいないと私
は思う、戦争に参加する意義の一つの側面についてここで語っている。
ここで、トルストイが書きたい事は何か?
それは、善悪の知識の木という事を主体にした、人間がいかなる時にもどのよう
に、信仰を持つ必要があるかという定義であったと私は捕らえたし、
生と死のはざまの中で、騎士道精神や軍師として貢献し、国への愛国心の
思いで戦場に来たピエールと正反対の罪と死に支配された悪に支配されつつある、
アンドレイとの友情の中に、まさに、釈迦が言う、悟りの境地に
近い、信仰という生き様とは、自己の思いを金繰り捨てて、ただ、神にすがり、た
だ神の御旨に従う時に人のこの悲惨な世でのいきる解決策があるのだという事
をトルストイは見事に弁証法的に描いている。
罪と罰を書いたドストエフスキーのナポレオン主義という事の
弁証法的解釈は、キリスト教文学としてトルストイが疑問に呈しているのだが、ト
ルストイは、英雄という事の定義についてドストエフスキーとは違い、その本質は
、罪であり、悲惨であるとニヒリズムを正統化する非聖書的解釈ではなく、戦争と
は殺し合いであり、騎士道とかそんなものでないといいつつ、ピエールを引き合
いに出し、実はそうではなくて、例えば聖書のダビデ王が何故、ペリシテと戦い
なぜ義とされたのであるか?
そこについて言及し本当の人の内在する罪とは何か鋭く描写している。
戦うという事ではなく聖書でいう。義とは、戦争にかけていうなれば、愛する家族
や国や民を悪い者から守るという事であるという観念が、人の正義
であり愛国心であり、罪ではなく、内面的信仰的正義であるという事を
この物語は、描いている。
ピエールの根幹にある戦争参戦にあった思いが、上述した信仰的な愛国心か
らなり立ったものとに反して、アンドレイは、父の死ぬ、自己の人生の消失により、
神から離れ、自己の思いが支配されていた。
だからこそ彼の生き方は善悪の知識を食べる行為であったので、苦しんだのであ
り、神の為の祖国の為に善の思い信仰によってやって来たピエールとの意志が対
極であったのだ。
しかし、アンドレイも正義心のある良い方であったので、ピエールを気遣い、ピエー
ルはかれから離れませんといったのだ。
ここが、とても感動したシーンで、悪に苦しみ、自暴自棄になり悪魔のささやきにこ
の世に懐疑的であり、ふさぎ込む、アンドレイに対する。ピエールの愛やさしさ友を
超えた親友の在り方がとても感動したのである。


15少年漂流記読んで

梅雨にはいって、最初の台風が来た。
幼い頃はあまり気候の事など考えもしなかったのだが、最近温暖化で、5月、6月になると、
30度位になるので今では、雨も恵みの雨と思うようになった。
今日が19℃で明日はいい天気になり、東京では、30℃越えると言います。
昨日新宿シャローム教会で富田牧師が話した事によると、羊とにんげんのハーフでキメラという生物が作られたと言います。
また自分のからだにAi搭載するなど生命に対する、神に対する冒涜が科学者によって、なされているとききます。

ますます、世の中不正がはびこってきています。
一刻も早く全世界を創造された主・イエスを信じましょう。
死は始まりとなります。
さて、私は15年漂流記を図書館で借りて読み、主から導かれた事がありますので、一部抜粋し紹介します。
まず、15人全員の名前は割愛します。
内容としては,題名通り15歳のイギリス人、フランス人、の子供15人が漂流し、無人島につくと言う物語です。
みんなで、一致して冒険しながら、生き延びる物語ですがなかなか一致しません。
なぜでしょうか。
人種のちがいからでした。
よく卓球とかでも、中国人、日本人で戦います。
中国人、日本人、同じアジア圏にも、どちらが、優秀か同じ人間でも、差別やライバル心があるからです。
紀元1800年ころの物語ですが、今の世の中と対して変わってないと私は思います。

さて、少年達は色んな神の試練を通され、彼らは成長し知恵を用いて現地で逞しく生き残ります。
ニュージーランドからマジェラン海峡あたりのハノーバー島に漂流した子供達は、イギリス人、フランス人、また金持ち、普通の暮らしをしてる子供達でした。
その中で、フランス人のブリアンとイギリス人で金持ちのドニファンの2人は、仲間が悪かった。
何故ならば、2人共、勇敢でリーダーの資質があったのだが、ブリアンのほうが、優しく正義感があり、周りから慕われていたからなおのこと、ドニファンにとって、面白くなかった。
しかしラストでは漂流した理由が、ブリアンの弟のジャックである事だから、兄も弟も
危険な仕事をした事実や
15人の子供以外の大人の悪党が来て状況が変わります。
私が、主に祈り注目したのは、ジャックがイタズラして、船の綱を外して漂流記が始まったのですが、神が望んでいる事は沢山奉仕するにしても、伝道するにしても、心砕かれた状態で祈る事であります。

ああ!私は罪深い、

たとえどのようないい行いをしても、

私のせいで皆さんが、窮地に立たされている。
私の代わりに、十字架の血潮で彼らを救いたまえ。
このような、自分のためではなく、世のため人の為に生きるようになる為、主は十字架にかかられたのです。
最後ドニファンをかばい動物と戦いケガをおった、ブリアンの命がけの行為が、
金持ちで、イギリス人であるという高慢な思いを打ち砕き、心の問題が解決すると同時にこの15少年漂流記も幕を閉じます。
私たちの信仰生活に必要なのは、勇気を持つ事でしょうか。
それとも、愛でしょうか。
神様はできない事を能力がないことを責める方でしょうか。
大切なのは、慈悲の心憐みの心を持つ事です。
行いにより、救われるのではなく、天の国は今のあなたの中にあり、また外にあるのです。
主は真実に信じた人を救いました。
この世の会社での成功や自己実現のためではなく、神の国と神の義
を求める人を主はお救いになられたのです。
信じた私たちは救われてます。
だからこの話しを読んだ方今日から聖書を読み神とであい、救いを獲得してください。
死は始まりになるのです。

3人の宣教師


決断の時
今日は、曇り空だった。
安保関連法案が通り、戦争9条が骨抜きにされてからだいたい1年になる。
今年は、なぜか北朝鮮が今まで以上にミサイルを発射し、台風が多いわけでは
なかったが、被害が多いとして゛あるように感じた。
そんな事などは、関係がないよとばかりに、近所の体格のよいここらへんのボス
猫であろう茶色の三毛猫が、鋭い目で今日も獲物を狙っている。
猫は、頭を低くし、忍び足で私隣の庭の隙間からゆっくりと慎重に庭の中へ入って
言った。
猫にとっては、日々の糧の方が、日本の未来よりも大事な事のようだ。
さて、今日私は、主・イエス様にお祈りをして、旧約聖書エステル書と共立女学校の創立者の
プライン、ピアソン、クロスビーを通して、信じるという事について書こうと思う。
まず旧約のエステルの時代に、ダビデ王のような大王がいた。
ペルシアの王、アハシュエロスは、インド、から、エチオピアまで127州を支配した王であった。
エステルは、ユダヤ系の女性で、幼い頃に両親を亡くし、モルデカイの養子として、引き取られた。
王には、美しい王妃ワシュティーがいたが、王の命令に従わずその事により、女たちは男を軽く見
るだろうという話から王と側近の者は、王妃の位をワシュテイーよりも優れた女に継承させる事と
した。
その女が、エステルであった。
エステルには、モルデカイがいましたが、右大臣のような地位にあった、ユダヤ人でないハマンと
いう宰相がいて、ユダヤ人が神を敬う民である事を知っていたハマンは、モーセの十戒の神以外
のものを拝んではならない、偶像崇拝してはならないという教えが王の像を拝むという王の教え
に反しているのを知っていたので、ずる賢いハマンは、王の法令をまもらないユダヤ人を根絶やし
にしようとします。
その時に活躍するのは王妃エステルです。
王妃は、勇敢に王とハマンの前でハマンを糾弾し、ハマンを失脚させ、ユダヤ人を救うという話で
すが、この物語は時代を超えて今まで多くの女性だけではなく信じる信仰者を勇気づけてきました。
そんななかで、私は、アメリカから来た3人の婦人宣教師を紹介したいと思います。
1861年神奈川に来た宣教師のジェームズ・H・バラは、子供たちや女子教育の為に女性の宣教師を
要請した。
その要請にこたえたのが共立女学校の創立者のプライン、ピアソン、クロスビー
でした。
プラインは「キリストが私を呼んでいる(召命=calling)」、ピアソンは「我、もし死ぬべくば、
死ぬべし」(エステル記4章16節)、クロスビーは「全身全霊を注いで、主が命じられた仕事(使命
=mission)につくため」との思いであったという。
当時、外国人の多い港町横浜の人口は6万人余に増え、活気に満ちていた。積極性のある横浜商人が
多く、女子にも英語を勉強させよう、学問させよう、という気持ちが強かった。3人の女性宣教師の
来日の目的である日本女子教育は時宜に適したものであった。ホームの入学希望者が多くなってきた。
もし、横浜にこの3人の女性宣教師がこなければ、学校はおろか何もできなかったかもしれない。
外国人の多い港町であり、英語が必要になるこの地であったからこそ3人が共立女学校を創設できた
のだ。
これは、主・イエス様の恵みであり、彼女達の勇敢な行動が、主の救いの恵みとなったのである。
話はかわるが、私はある時大網の方の教会で青山学園の元教授の関田先生のお話を聞いた事がある。
内容はおぼろげだが、学校教育の事で先生はご尽力を尽くされた事があるのだと言う話だった事を覚
えている。
私たちの人生にも決断をしなければならない時がある。
今その時に自身の力に頼るのではなく神の力により頼み、祈りつづけそして正しい選択を迫られる時
がある。
悲しむ者は幸いであるその人は慰められるとは、神の御心にかなう祈りの努力と決断は真の友真の
教会を築く事になるのだと言う事を私は上述した話を聞き主・イエス様から教わった。
信仰生活は一人で行う事はできない、教会は船であるという、しかしその教会がはたして今教会とな
っているかどうか
教会とは2人3人が神に聞き従い、神の為に使命感をもって生きるそんな場所である。
教会は、命であり道であり、真理である主・イエス様の御心を行い、愛の実践をなす場所であり、遊
んだり、友達を作ったり、
楽しむ事は全て神に栄光を帰すためになす聖なる場所が教会なのであります。
一人ではでは出来ない事も今日述べた3人の宣教師ならば、成し得る事ができる。
一人の献金では成す事が出来ない事も大勢のわずかな献金により教会や貧しい人々を救う事になるのです。
この世には、貧しい人が多くいて、餓死者が多くいます。
今でも戦争、紛争がある中で私たちの信じる信仰とは、神を愛する事です。
神を愛する者は、神に不平を言わないし、時に不平を言っても必ず、愛の実践に行動を移せるように
変えられます。
神への愛の少ない人、赦しの少ない人は、その愛について、信仰について、学ぶ必要があります。
教会に行き聖書を読み、私たちの主である、主・イエスの十字架の愛と正義が私たちの罪の赦しの為であったという事
を知り、そしてこの世にはサタンがいて、悪い世の中であるという事実を聖書を読んで知る必要があります。
だから、地の塩世の光として、皆で歩む事が大事な事です。
自分の小さな考えの中にとどまらない為に私たちは兄弟の神の生きた証言が必要であり、常に霊が諸教会で告げる事
を聞く必要があります。
今日は人生に於いての決断という題で書かせて頂きました。
主・イエス様を信じる人は誰でも天国へ入る事ができます。


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海嶺

明日は、参議院の選挙である。
早いもので、安全関連法案が可決し、
日本国憲法の9条が骨抜きにされて1年になる。
私は何気なく朝家の外の道路を見ると猫が徘徊していた。
小雨がふっているが、快適な気候で、鳥がさえずっている
中、その茶色で大きな猫が、突然目を鋭くさせて、頭
を低くして、何をしているかと思ったら忍び足で隣り
の家に静かに目を光らせながら入っていった。
辺りは、閑散として、また静かで和やかな雰囲気に戻った。
私たちも平和にかまけていないで、良く世界の日本の
状況に目を光らせていなければならない。
さて、今日は、主・イエス様に祈り、三浦綾子さんが書
いた、海嶺を参考に主・イエス様に導きを受けた事につ
いて、書こうと思う。
この物語は、おおざっぱにあらすじをお話しをすると
江戸時代の大塩平八郎の乱があり、天保の大飢饉が
あった時代に千石船で、船にのって遭難した、14名の
内の岩吉、音吉、久吉の3名が生き残り、世界を回りなが
ら、日本に帰ろうとし、その間にヨハネの福音書とヨハネ
の手紙を日本語に翻訳する物語です。
彼らはどこにいたのかというと、名古屋近くといったら分
かりやすいと思う。
名古屋付近に伊勢湾があり、伊勢湾に面した、知多半島の
南の丁度知多半島の先端あたりに小野浦という場所がある。
ここに、久吉と音吉が住んでいた。
音吉と久吉は同じくらいの年なのだが、ここでは、音吉が
優秀な子として描かれている。
彼は、村で正直者と言われた、武右衛門の息子で、母と兄と妹と
5人家族で、兄は、小心者で、父とは違い盗みもするし、ずるい
性格なのだそうだ。
父が倒れてから、兄の吉治朗が千石船にのり、母は、農業妹のさとは、
吉治朗の乗っている千石船の船首の樋口源六の家に一日子守りの仕事を
していた。
そんな中、音吉は、樋口源六の娘の琴の婿になる事になった。
彼の正直で全ての事に於いて、丁寧で誠実である姿を見て、自分の娘
と結婚させようとおもったのである。
久吉にしても音吉にしても、一介の漁師で、地位は低くかった。
久吉には、父と母、いとこの長吉と妹の品がいた。
岩吉も舵取りの仕事をしていたが、岩吉は大人で、妻に絹がいて、
このお絹は、母とお絹で暮らしていたが貧乏で、母に無理やり、身売り
の仕事をさせられていた。
その仕事の中、岩吉と絹は出会い、結婚したのであるが、お絹に乱暴
をふるう、お絹の母に対して怒り、頭をなぐった翌日に絹の母は亡くなった
岩吉のせいでなくなったのかは、はっきりとしない。
岩吉は、正義感が強く、手先も器用で頭がよい人だと思われる。
彼は、お絹との生活の為一度船乗りをやめた。
それは、船乗りをしている間、自分の家に長屋の銀次という若者が、留守
中で入りしていたから、その時の彼の仕事は瓦職人であったが、彼は、大工で
も左官でも器用にこなしたのだそうだ。
後にこの器用さが、彼らを救う事になった。
なぜ、岩吉が、船に乗る事になったのかと言うならば、昔親切にしてくれた、
同じ舵取りの万蔵が倒れたからその代わりを頼まれて、船に乗る事になった。
もし、万蔵が倒れなかったら、遭難する事はなかったのだろうに・・・。
そんな3人が、千石船で、東の江戸に来る途中に遭難したのであるが、この
話は、全て実話である。
1832年天保3年〜1837年まで約5年間の長い世界を回る旅の中で、彼らは、
遭難し、多くの仲間の死と自分の死を覚悟しつつ、神の恵みで、アメリカ
のフラッタリー岬に着き、その地元のインディアンに奴隷として扱われた。
当時奴隷たちは、物と同じで、祝いの席で、自分がどれだけ金持ちかを示す
為に奴隷の首をはねるような事もあった。
彼ら3人は、知らなかったが、常に命の危険があった。
そんな中岩吉が救援の手紙を書くが、その手紙が、ハドソン湾会社のマクフラリン
博士に渡り、そして、彼が、正確には、主・イエス様がこの3人を救ってくださった。
ハワイ、ロンドン、マカオで、さまざまな人と出会い、ロンドンで英語を覚え、
マカオで、語学の天才であり宣教師のギュツラフと出会い、ヨハネの福音書を
完成させた功績もあり、日本へ船が彼らが行ってくれたが、当時の日本は鎖国で
ロシアやヨーロッパの船が無頼な行為をしたせいもあり、異国の船が来たら、
理由も聞かずに打ち払って良い事になっていたので、マカオで日本人4人と
計7人で日本に帰ろうとしたが失敗に終わる。
ここでこの物語は終わっているが、3人は、そののち、岩吉、久吉は、ギュツラフ
と一緒にイギリス貿易監督庁に通訳で務め、音吉は、昔、樋口家で立派な船頭に
なると言われたように、モリソン号の船頭になり、上海でイギリスのデント商会
の高級社員となり、結婚し、日本人の漂流者を助け、日本の日英和親条約の時に
通訳として、音吉は活躍する。
この物語は500ページ位あるので、私は、伝道に役立つであろう箇所を抜粋して
紹介しました。
全世界の創造主である主・イエス様は、この箇所を通し、聖書のヨナ書や、使徒の
手紙で、パウロが遭難したシーンがあるが、神に従い、善をおこなう人達は、どの
ような嵐に会おうとも、神の使命を果たすまでは、聖書で語られているように、
その髪の毛一本落ちる事はないのだから、私たちは、何を着ようか何を食べよう
か、俗世間の事ではなく、神の義と神の国をもとめ、古い肉欲の体をすて、聖霊
よる御霊による清い生き方をするならば、生きる事ができ、そして後の世で
天国へ入れるという事をこの実話を通して教えてくださった。
そして、日本人が、イギリス、アメリカの人達や宣教師の多くの助けがあり、今日
の日本の教会と主・イエス様の十字架による救いがなされた事を忘れてはならない。
主・イエスの十字架と復活を信じるならば、あなたも今日から救われる事ができます。

死後が始まりになるのです。
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この間、歴史的事件が起きた。
それは、戦後70年位現職のアメリカの大統領が、広島の原爆
の為に慰霊にこなかったのだが、オバマ大統領が初めて
大統領として、原爆の慰霊に来たという事実だ。
これには、北朝鮮やイランのように、核によって武装して
いる国が多々あり、この危険な核の脅威から世界を守る
為の重要が試みがなされている。
核がない世の中を造る事こそ、長崎、広島で原爆で亡くなった
方々、そして今原爆を体験した人達への慰めではないのだろうか。
今日は、主・イエス様に祈りアッシジのフランチェスコの事に
ついて、主・イエス様に祈り書こうとおもう。

1181年イタリアのウンブリアのアッシジでフランチェスコ
は、生まれた。
彼は、裕福な織物商の息子としてうまれた。
若い頃のフランチェスコは、悦楽を追求する浅はかな
男だったと言われている。
しかし20歳のとき、隣国とのペルージアとの戦争で今まで
の神への放蕩が祟ったのであろうか、捕虜にされてしまう。
しかし、神の憐みもあり、彼は、捕虜から解放される。
元通りの生活に戻ったのだが、その時には、もう、フランチェスコ
にとって、享楽的な生き方を望まなくなっていった。
次第に病人や貧しい人達の同情心が芽生えていった。
 25歳の時彼は、アッシジのサンダミアーノにあるさびれた教会で
天から声を聴いたのだそうだ。
「朽ちかかっている私の家を修理しなさい。」この私の家とは、全世界の王
であり神である主・イエス様の事をさしているのだとおもうが、この言葉
通りにフランチェスコは、父の商売道具の布を売り建築資材に変えてしまった
事が原因で、父との間にいさかいが起き、自分は、遺産相続を放棄して、
粗末な服を身に着けて、親元を去ったという。
主・イエス様は、親兄弟を捨てた人は、この世で迫害もあるが、幾倍の報いをうけ、
永遠の命をうける
マタイ19;29のとおりになった方でした。
これらの事があり、何年後にアッシジに本部を据えたフランシスコ会を設立
1210年 教皇インノンティウス3世により彼を含めた12人が、巡回伝道師として
資格を受ける。
1219年頃には、フランシスコ会は5000人の修道士を抱えるほどに増えた。
彼は、終生キリストの為に身をささげた人で、フランチェスコは、清貧を何よりも
重んじ、謙遜で、物質的な物をもとめず、完徳の道をめざし、1着の修道服、
1本の縄帯、ズボンだげで、満足しました。
私は、彼の信仰を鑑みる時に信じるという事は、すべてを捧げるという事なのだと
と感じる。
私は今まで色んな罪に囚われて同じ罪を繰り返し、悩み苦しむ人々を励ましてきた
が、共通して言える事は、その自分の強い思いがあり、それが善悪問わず、隣人
の大迷惑に発展してしまう事が多々あり、その本質は、執着心からきており、
モーセの十戒の貪ってはならないという教えを善悪問わす゛、犯した結果に
同じ罪の迷路にはまりこんでしまう事に私は気づきました。
宮沢健二は、手紙という短編小説のファンタジーで、一匹の回心した竜の話をして
いる、竜の体にはるり色、金色の皮膚をしていて、猟師が、王への捧げものとして
この竜の皮をはぎ始めました。
その時に、竜は、猟師のするがままにまかせ、皮をはがされて赤い肉ばかりになり
横たわります。
それでも誰かの役にたとうとし、今度は虫に自分の体を真の道の為にあげてしまう。
死んだのち、蛇は天井で生まれ、釈迦に生まれかわり、また虫達も釈迦様から教えを受けて、天国へはいるというファンタジーですが、大切なことは、私は道であり命であり真理である主・イエス様を信じるという事、真理の道とは、主・イエス様を通らなければ、到達できないのだという事が聖書に書かれている事真相です。
主・イエス様は、善人の為にも悪人の為にも十字架にかかられのました。
それは、全ての人が、救われる為であり、このお方を通して以外に救いがない事を表し
ています。
私がいいたい事は、神に全てをささげるという事は、今からがスタートであり、私たちは、常に求道者である必要があると言う事です。
上記の話を聞けば、誰も、己の我欲や自分の行いを誇ったりしないと思います。
大切な事は、今あなたが神に愛されている事をしり、主・イエス様の十字架の愛を
信じる事です。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。




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トクトル
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