GOD BLESS YOU

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祝福がありますよ
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今日は、暖かくて、コートがいらなかった。
でも最近、暑い日と寒い日が交互にやってくるので、油断はできない。
寒かろうと暑かろうと、私の家の庭の赤い梅と白い梅の花は、嬉しそうに
咲いており、メジロはその蜜を吸うために、やってくる。
人にもなれたようで、私が窓越しにじっとメジロを見ていても、涼しい顔を
している。
さて、今日は、主・イエス様にお祈りをして、今私たちが、置かれている、
時代に於いて、全世界に於ける、キリスト教について、お話させて、頂きます。

現代の世の中は利益追求の世の中で、国はますます利益を追求し、情報、科学技術
、企業は、つねに新しい事に興味を示し、めまぐるしく文明が繁栄した。
しかし人々は、キリスト教や個人の倫理、会社の倫理感や国家の道徳に対する退廃
について、微妙だに考えてはいないように思える。
しかしローマを見てもわかるように、共和制から皇帝の専制君主化、また、地方の将軍
が勢力をまし国の力の分散化などにより、政治に関して、国民は骨抜きにされ、自
分で考えるアイデンティティーがなくなり、政治と倫理が退廃してしまった。
そうなると国は、必ず、聖書のゼカリアの箇所にあるように、国が一つではなく分裂が
生じる。(ゼカリア12章14には、結合の杖が折られたと書かれており、それは、
国の一致がおられ、分裂したともとらえられる。)
私たちは、過去から一体何が一番大事なことなのかと言う事を学ばなければならない。
現代は、「大きいこと」が好まれる時代で、昔、アメリカでの伝道といえば、テントでの
リバイバル(多くの人が主・イエス様を信じる事大覚醒)集会があったのだそうだが、とても
侘しいというか、小規模な集会であったのが、今日では、教会はメガ・チャーチを(大きな
教会)である事を望み、集会は小さなものから今やスタジアムでのクルセード(キリスト教
的社会革命運動)が主流になっている、日本の皆様はあまり知らない事だと思うが、周知の
通り、アメリカはキリスト教国ですから、上述したような大集会、そして、TV伝道(今は
地上の放送網を超え、全世界に発信できる衛星放送)へと広がりキリストを信じるのが当たり前
なのに対して、日本ではキリスト教書店などを探すのも難しいと思う。
全世界を創造された神様の事、キリスト教の事をしるための出版社といえば、都会では、OCC
(御茶ノ水クリスチャンセンター)や四谷駅から降りてすぐのたしかサンパウロというカトリック
系の書店があるのと、新宿の駅から近くに、よく見て探すとオアシスという書店がある。
日本では、一般的にキリスト教の出版する書店はほぼないに等しいが、アメリカの方のキリスト教
の出版社は、本の売れ行きがあるのだろうが、ウォルマートやコストコ、ターゲット、バーン
ズ&ノーブル等々の大型の小売業者に出版物をあたりまえのように、置かれているのが、現状だ。
コストコなどは、日本にも大型の小売業者としても、有名です。
私が伝えたい事は、日本では、キリスト教は、あまり知られておらず、生活の中に浸透していない
そして、キリスト教というと、何か西洋の宗教で、荘厳で崇高であり高尚な人達が集まる宗教という
ひとくくりでまとめられているのですが、全世界で多くの人が、キリストを信じる国では、生活の中
に全世界の造り主の神がおられると信じる事が、当たり前で、人間には罪があり、私たちの罪を取り
除く為に主・イエス様が十字架にかかられて、主・イエス様は3日後に復活して、使徒たちの目の前
に現れ、天国があるのだということを証明した、本当の話であると誰もが、信じており、神である
主・イエス様を信じるならば救われるという事が、世界ではもう常識になっている。
中国国内には2010年の時点で約6700万人のキリスト教信者がいたという。これは、中国全人口
の5%にあたる。
アメリカでは人口の79%がキリスト教徒であり、同国内の教徒数は約2億4700万人(世界のキ
リスト教徒全体の11%)だ(ブラジルは1億7500万人、メキシコは1億人)
また上述したように2010年ころは6700万位が、神を信じたというが、現代では、1億位の人
が信じたといわれてもいる。
なぜ、迫害がある、中国でこれほどまでにキリスト教が発展したのかというと
「宗教拡大の背景には、中国の多くの人々が政府に指示によってでなく、自分の意思で内面に向
き合いたいと考えていることがある。」
「人々が豊かになるにつれて、安心して暮らしたいという権利に目覚めて、個人として自由に物事
を判断したいという、市民社会の基盤となる“個の発見”が始まったのではないか」
「中国では貧富の格差などを背景にキリスト教信者が急増し、すでに共産党員の数を超える1億人
以上に達しているとみられる。」
これらの事が起因していると考えられる。
なぜ、これほどまでに神である主・イエスキリストが世界で受け入れられているのかというならば、
主・イエスの徹底とした愛による姿勢によって生きており、その生き方を反映した人物が多々現れた
からだ。
2世紀の有名なクリスチャンであり、学者であるオリゲネスは、彼の父がパラボラニという疫病に苦しむ
人々をその人々に迫害を受けていたにも関わらす゛、進んで介護したクリスチャンの団体に属しており、
愛の実践により、アレクサンドリアにおいて、信徒15万人に増えた。
また、6世紀には、ベネディクト修道会が、600年ものあいだ、自分たちの世俗の職業や、専門を修道院
に持ち込み、報酬なしで人々に与えた。
キリストの十字架により、私たちは、敵意を廃棄する事ができる。しかし、敵意を廃棄したいのならば、
人類最初の祖先である、アダムとエバが、サタンにそそのかされ、罪を犯したという事実を認め、この世
の矛盾を歴史や現代の世から学び、自分だけが富を得る古い生き方から、主・イエス様の為、世の為、人
の為そして、自分自身の為にいきるように生き方を変えなればならない。
なぜならば、悪い国は、必ず滅びるからだ。
今日は、主・イエス様にお祈りをして、現代の世界のキリスト教について、主・イエス様の十字架と復活を
信じる人は、救われるという話をしました。















you are loved

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今年は、10月に入ってから、強い台風が、2度も来た。
18号と19号2つの台風は、多くの被害をもたらしたが、東北の方では、震災の時の地盤沈下が影響し、
被害が増したと言う。
私たちは、東北の人達の苦しみを忘れてはならないという事を改めて感じました。
また御嶽山での噴火により、老若男女の尊い命が亡くなったご家族の上に主・イエス様のご加護があるよう
に祈ります。
人の命は、短いだからこそ、今、主・イエス様の十字架と復活を信じる必要があります。
さて、ルカ13:4 でシロアムの塔が倒れて18人の人が亡くなったとき、主・イエス様はこういいます。
エルサレムにいた他の誰よりも罪深いから、シロアムの18人は、亡くなったと思うのか。と・・・。
つまり、主・イエス様は、人の罪の大小でこのような惨事が起きるのではないのだよといっています。
悔い改めさえすれば、救われるのです。
さて、今日は、主・イエス様にお祈りし、アーサー・ホーランドという牧師を紹介したいと思います。
1951年大阪府に彼は、生まれました。
世間では、不良牧師で通っています。
でも、この牧師は神さまの不思議な御手と、見守りをたくさん不思議と受けているのを、かれの幼少の頃
からのエピソードから見る事ができます。
まず彼の父は、海兵隊に所属しており、アメリカ人です。母、小柄な日本人父と母とは、母が18歳頃に
ダンス・ホールに出入りしていて、そこで、父と出会い周囲の反対を押し切って結婚したのだという。
初め両親はアメリカに行ったのだが、母がホーム・シックにかかり、日本へ戻って来た。
そして、両親と弟は、東京へ、アーサーさんは、祖父母に育てられたと言う。
もし、日本へ帰ってこないで、アメリカで暮らしていたとしたならば、アーサー・ホーランドという牧師は、
今存在しなかっただろう。
なぜならば、アーサーさんは、喧嘩っ早い人ですので、銃社会のアメリカでは、生きていなかったかもしれない。
それに彼は、勉強は好きな方でなく体育会系で、アウトローな牧師なので、日本語を習得してアメリカから宣
教するのは、性格上難しいのではないかと彼の著書を読み感じた。
また彼の育った町は、大阪の浪速のブルックリンとか、ヤクザのエルサレムとか言われていた場所で、育ったか
らこそ、不良牧師アーサー・ホーランドと言う牧師が、生まれたのだと思う。
神さまが、備えたというべきだろうか。
彼は、高校まで、セントメトリー・インターナショナルスクールに通い、柔道は、講道館の黒帯3段で、あると
き恩師である、柔道の先生の岡野 功さんと出会う。
この岡野さんも主・イエス様が、アーサーさんに必要に事を教えるために出会わせたのであろう。
岡野さんは、後にアメリカでアーサーさんと会う。
アメリカの女性と結婚したから、そして、岡野さんの母の父が牧師であり、一番の尊敬する恩師が教会へと神
の見えない導きで、アーサー牧師を招いたのだった。
その岡野さんは、中量級の金メダリストで昭和の姿三四郎と呼ばれていた。
彼は、正気塾で柔道を教えていたが、自分で働き、飯を食わせていたのだという。
しかし、稽古は壮絶なほど厳しくアーサーさんは、うっぷんを晴らすため、ディスコにいき、喧嘩、に難破等々の
暴れまくったのだという。
父は、そんなアーサーさんを見て、高校卒業したらこんどは、アメリカに行けと言う。
そしてアメリカで大学に入り、レスリングの中量級やサンボ、パンアメリカなどで銀メダルや3位にはいった。
でもいいことばかりではなく首を怪我したりしたのだそうだ。
ざっと彼の生い立ちを説明したが、私が今日主・イエス様に祈り伝えたい事それは、このアーサー・ホーランドさ
んがどのような動機で、主・イエス様を述べ伝え行動しているのかということだ。
アーサー牧師の活動を紹介します。
1992年に約40kgの十字架を背負い、日本列島縦断十字架行進を行い、その後に日本のみならず、韓国半島(釜山〜
板門店)を2回に渡って縦断し、 米国ではハワイ一周を行うなど、キリスト教界に新たな
波を呼び起こしたカリスマ牧師、アーサー・ホーランド。
2011年9月27日に還暦を迎え、30周年という節目の年に再び、愛のシンボルと言われる十字架を背負って、日本列島
縦断を決意。
2012年3月に沖縄をスタートして、フェリーで鹿児島に入り、九州、本州、北海道と北上しながら最北端の宗谷岬に9月18日に到達した。
2013年も四国一周十字架行進を終え、
2014年3月オアフ島一周十字架行進を達成。
さらに現在、アメリカ横断十字架行進を実施中であり、2015年6月末ゴールのNEW YORKに到着予定である。
十字架行進によって、ミッション・バラバという元ヤクザの人達を束ねて、十字架行進したり、韓国の人との和解の意味を含めた十字架活動をした。
その中で、私は罪の赦しとは何かを学びました。
youtubeで現在、賛美主ハレルヤという歌を検索すると、飛び出せミッションと言う題目で、彼らの賛美し神様を賛美する光景が出てくる。
彼らは、皆生きた魚のように生き生きしており、主・イエス様の救いを100%信じているように見える
そして何よりも人としての魅力を感じさせられる。
アーサーさんは、著書でこのように言う。
人は、見かけで人を判断する。神は、ハートを見る。
そのほかにも、薬で中毒になった青年たちを助けたりもしている。
彼の動機は、愛が発端なのである。
you are loved あなたは、愛されている。
アーサー牧師のメッセージで私たちに伝えたい事はここだと思う。
アーサーさんは派手な服で伝道したり、十字架を背負って生きれたのには、
あなたは、愛されているのだ、こんな自分自身でも赦されているのだ。
どん底の中でも人はやり直す事ができるあなたは、愛されているのだ!!
という事が路傍伝道の動機である。
私はこの考え方は、教会でも学ぶべき事だと思う。
現代のキリスト教会は、全てがそうだとは言わないが、形や体裁ばかりに気を付けがちであって、型に捕われ
てしまっている。
だから、著書で韓国へ伝道した時、若者が結構信じたというのは、若い人程見かけや、踏襲された教会文化
ではなく、人の魅力や生き生きした生きた教会や生きた人の姿に感化されるのだと思う。
しかし彼らの生き方は、キリスト教会では理解されない部分もあると思う。
行き過ぎた表現や過剰すぎると言う人もいるかもしれない。
でも、聖書で、主・イエス様は、不正な管理人のたとえでこのようにも言っている。
ルカ16章1〜9にかかれているが、その内容を簡単に説明すると、主人が主・イエス様で、管理人は悪い信徒です。
この信徒が財産を無駄遣いしていたのがばれて、それで、自分を家に入れてくれる人を作ろうと思い、こともあろうに主人の財産の証文を勝手に変えて、たとえば、100万の債権を勝手に50万にしてしまったという、普通
に考えてみれば、とんでもない話です。
しかし、そんな不正な管理人を主・イエス様は、凄くほめていて、不正にまみれた富で友達を作りなさいといいます。
不正にまみれた富に忠実でなければ、誰があなたがたに本当の価値あるものを任せるだろうかとまで言います。
また他人の物について忠実でなければ、誰があなたがたの物を与えてくれるだろうかと言うのです。
その理由は、神と金に富と神に仕える事はできないからだと、主・イエス様はおっしゃっています。
大切な事は、友達を作りなさいという事だと私は、主・イエス様から導かれている。
アーサーさんは、ヤクザのクリスチャン達に対して、また自分自身罪につながる事刺青を見させたり、また、堂々と裏切られた事は辛い、その人をぶん殴ってやりたいとか、笑いまじりに、品性のない話をしたり怒りもする。
でも、彼は、その罪の状況を生かし、彼らを受け入れ、愛されているのだよと言う。
罪を批判しない。
そして、罪を止めていない状況の人達にとっての心の支えとなっている。
けれども主人である、主・イエス様にとってこの行為は、罪を行っている現在の債権を勝手に50万にしてしまっている行為にも見えるだろうし、本人自身も罪を犯していないとはいえないかもしれない、動機がどうであれ、言ってはならない言葉もあるように感じるが、罪を赦して下さいと嘆いて救われる人もあれば、赦しの神の愛の大きさを見て、救われる人もいるのだ。
主・イエス様は、そんな事を私たちにアーサー・ホーランドさんを通して伝えたいのだと思う。
今日は、主・イエス様に祈り、一番大事な事は何か、それは愛されているから愛するようになり、愛するならば、主・イエス様の十字架を仰ぎ見るだけではなく、御心を行う事を私たちは求められている。
そして、その手段は、何も一方の道しかないのではなく、神は様々な道を備えているのだと言う事を教わりました。
主・イエスの十字架と復活を信じる人は、今からでもやり直せます。
そして、天国へ入るのは、ゴールではなく、スタートなのです。
 
 
 

カインの末裔でさえも

  一週間位前、私は、千鳥ヶ淵の桜を見に行った。
北の丸公園には、平日であるのにも、関わらず、沢山の人が、下に敷物を敷き、
春の陽気と、桜を見て、食べて、幸せそうに花見をしていました。
ついこの間までは、天気予報で、東北や北海道は、雪がふると言っていたのが
うそのように。
さて、今日私は、有島 武朗さんが書いた、カインの末裔と言う本から、人がこ
の世で生きると言う事について書こうと思う。
この物語は、極寒の寒い冬の北海道での物語です。
羊蹄山麓の松川農場に来る前、彼にあるのは、女房と赤ん坊に馬一頭だけでした。
極寒の寒い地方の北海道、冬には、マイナス10℃位にもなる時もあり、また、吹雪の時などは、
家がなければ、一夜として生きる事のできないこの地で、彼は馬とたったの3人で、松川農場
まで、命からがらやっとの思いで、たどりついたのだと思います。
しかし、やっと借りれたのは、今で言う小屋たったの2間半だいたい、4m50cm くらいのとても小さな
小屋で、3人で暮らす事となった。
初めの頃は、川森爺が、世話人となり、馬に装備して耕す為のプラハを貸しまた、村の役人である。
帳場に対して、さらに金を貸し酒でも買っていくように、教えてくれる。
だけど、この仁右衛門は、体格がでかく、村のルールや収めるべき物はまったく収めない。
おまけに、村の弱く小柄な佐藤の妻と関係を持ったり、金がたまると博打に手をだし失敗するなど、
ろくな事をしなかった。
でも、そんな彼にも、夢があった。
それは、10年後37歳の頃には、農場の大小作となり、独立を夢みていた。
ただ夢を見ていただけではなく、彼は今に見ていろよと思いつつ、懸命に働いた。
先ず、馬をうり、その後、根雪の時には木こりにいき、雪解けには鰊をとり稼いだ。
そして、ついに、馬と農機具と具種を手に入れる。
だんだん豊かになっていった。
しかし、彼は、相変わらず、粗暴で、乱暴であった。
あるとき、佐藤の子供が自分の農地で遊んでいる事に怒り、佐藤の子供を殴り思い切り殴り、佐藤の夫も
同様に殴ってしまった。
彼は、自分が悪いとは思わない、子供ならば、時に悪気はないけども過ちを犯す事があるのをしっていながら。
彼が唯一後悔したのは、佐藤の妻との心が離れた事だけであった。
いやな事ばかりの仁右衛門だがいいこともあった。
夏物が皆不作であったのにもかかわらず、亜麻が大量にとれた。
しかし、亜麻ばかり作ると問題があり、作物が実らなくなる。
農地を貸す帳場の嘆きにまったく、仁右衛門は耳をかさない。
当時亜麻は、製線所で結構よい値でうれしかも他の地方では、不作であった。
彼は、以前自分がやって来た罪などすっかり忘れ有頂天で、人の事などまったく
おかまいなし、彼にとっての法とは生きる事であった。
そして、居酒屋に入りきれいな女と騒ぎ、冗談をいい、反物屋に生き、モスリンの端切れを買い
ビールを買い楽しんで、寝て起きた時、悲劇が起きる。
目を覚ますと川森爺がいて、真面目な顔をして、赤ん坊が赤痢にかかり死にそうな事をつげる。
彼の顔中の血が、頭の中に飛び退いたような感じがし、酒の酔いもすっかりさめた。
ちょうど、その時に笠井が天理教の護符を持ち祈ってくれるが、赤ん坊は死んでしまう。
彼は、こともあろうに、励ましの声をかけてくれた笠井に対して怒る。
こんな感じだから、自分の子供が死んだのに誰も一緒に悲しんだりしてくれない、いるのは奥さん
と主人公仁右衛門と馬だけ、ご機嫌でかったモスリンの端切れは、汚い馬力の上にしまい忘れていた。
その後、彼は、馬市があり、仁右衛門は競馬に出る。
彼は、裸馬に乗る名手で、自信もあった。
ところがさらに彼に災難がおよぶ、競馬の最中に子供が迷いこみ、その子を助けようとした、
笠井の娘と子供の為に彼は落馬し自分は何ともなかったが、この事で自分の馬の前足を折ってしまう。
こうなると賞金どころか、やっと手にした馬も何の役にも立たない。
そして、彼は怒りそんななか、笠井の娘が乱暴を受けてしまう。この物語では、誰がやったのかわからない
にも関わらず、評判の悪い仁右衛門が疑われ、おまけに作物も出来ない。
困った仁右衛門はせめて馬だけでも売り生計を立てようとするのだが、帳場は足の立たない馬は金を食う機械だと
笑い相手にもしない。
ついには、その愛する馬さえも失う事になり、小作料も値上がりしてしまう。
彼に残っているのは、妻と借金だけだ。
どん底に落ちた彼は、一つの策略を試みる。
それは、自分が函館にいる農場主に小作料の値下げを迫り、力を示して、帳場や笠井よりも村人たちから信頼されようとしたのだ。
しかしその試みは失敗に終わる、彼はその時このように言います。
何という暮らしの違いだ。親方が人間ならば、俺は人ではない。
そして哀れにも村を出ていきこの物語は終わる。
この物語から、私が主・イエス様から教わった事それは、罪とは己の事しか愛さず、また、相手に対しての憐みがない時
に生じるものだと思った。
なぜならば、唯一仁右衛門は彼の赤ん坊やかわいい馬を失った事に対してのみ、苦しんだからだ、自分の愛する物愛する人
を失ったと時のみ、彼は罪という物をしったのではないだろうか。
また、私は以前、罪と罰の本を読んだときに、ルージンという人が、世間の状況が罪をもたらすか否かという事で話をしていた
シーンを思い出しましたが、人々が作る環境その者じたいも、皆が愛国心をもって生きようとしない事により悪がはびこり、
貧富の差が生まれる。この事も間接的な意味での罪ではないのかと思いました。
もし、仁右衛門と妻に愛があったならば、罪を犯さず耐え忍び、自分の力におごらす゛謙虚で、年配者の叱責を受入れた
のでしたならば、彼の赤ん坊がなくなった時、また馬を失って経済的に厳しい時さえきっと最初は親切にしてくれた、川森爺のよう
な人がたくさん側にいて、馬も貸してくれたかもしれない。
そして、お互いを夫と妻の愛も深まり、苦難にある程にその愛は深まり、新たな子供が生まれたかもしれない。
でも、一つだけ私は、彼ら、(カイン)の優れた所があると思う。
それは、聖書でも、神の十戒を授かったモーセとイスラエルの民が荒野と言う何もない所で40年さまよったり、環境の悪い
所で暮らす事も多々ある。
神を信じたからといって、神に従っているからといって、神は必ずとも幸せばかりくださるとは限らない。
ヨブ記のように、人は、神に試されそして成長する事もある。
車の運転に例えるならば、雨や雪の運転は、晴れ時の運転よりもさらに大変だ。
カインのような状況で、正しくいきるのは難しいと思う。
でも、私も神を信じる現代のクリスチャンは、神への信頼を持つ事が出来ます。
それは、なぜでしょうか?
その答えは、主・イエスキリスト様の十字架と復活があるからです。
キリストは、悪を行い、日々献金もせず、粗野で自分の事しか顧みない生活をしていた私達をあっさり赦してくださりました。
普通の人でしたならば、何が良い事をする場合、条件をだすのが普通です。
けれども、私達の世界を造り、全ての生き物と星と太陽を創造された全知全能の神、主・イエス様は、ファリサイ派や律法学者達の悪意に耐え、
あざけり、ののしられても、鞭打ちの刑に処せられても、まったく御自身の信念を変えませんでした。
主・イエス様は、私達の罪の身代わりになり、自分が十字架の上で苦しみ、私達が一方的に犯した罪を贖うため、血の代価により私達を買い取る
為に命を懸けて、私達に救いを与えてくださったのです。
だから、使徒のパウロは、こういいます。
ピリピ2、6〜キリストは、神の御姿であられる方なのに、神の在り方を捨てる事が出来ないとは考えないで、御自身を無にして、仕える姿をとり
人間と同じようになられたのです。
だから、パウロも私達神を信じる者は、このように宣言できます。
ピリピ1、21 私にとっていきる事は、キリスト、死ぬ事もまた益となるのです。
私達が、自分の力で救いを得られるのならば、私達には希望はありません。
人の罪は重く、祖先の罪の重さは、戦争、戦がない国がない事をみても周知のとおりです。
でも、主・イエス様が私を愛し、主・イエス様が私達の為にいのちを捨てて下さった無条件の愛
神性の愛があるからこそ私達は、こういえるのではないのでしょうか。
あなたの、あなたの、限りないその愛こそ、我ら復活の王にふさわしき、王冠であり、私達の王の証で
あると・・・。

罪を犯し、どうしようもない私達の為に罪の誘惑にひと時も耐える事さえできない私達の為に彼は、
自分のすべてをかけて、私達に救いを与えてくださりました。
私は思います。カインの末裔とは、私であると。
今月は、イースターです。
イエスの復活を祝う、クリスマスと同様に、おめでたい日です。
この祝いの席につける条件資格は、罪人でも善人でもなく、主・イエス様の十字架と復活を信じる人すべての人にあります。
そして、終わりの時に復活し天国へはいる事ができるのです。
死は終わりではなく、嘆きではなく、始まりと喜びへ変わるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
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今年は、台風が上陸したのが以上に多い年だった。台風が何号だったか、

忘れたが、関西では、洪水の被害が凄く、一カ月に降る降水量と同じくらい

降り、各地で、竜巻に近い、突風が吹き、多くの被害をもたらした。

その被害者の人の為に祈ります。

さて今日は、以前私が、主・イエス様に祈り、サンフランシスコ

ザビエルのインドから、マラッカやソコトラ島など、諸所の伝道

の事について書きましたが、今回は、日本へザビエルがどのように

来て、伝道していったのかについて、書こうと思います。

当時ザビエルは、ポルトガルのジョアン3世の力添えや、イエズズ

会の支援を通して、インドや諸所の島で伝道する事ができました。

では、日本へどうやって支援を受けたのかと言うと、印度航路の

発見者バスコ・ダ・ガマの4人の息子の中の3人の息子が関わっている。


印度総督のエスタバオ・ダ・ガマ、最優秀船として有名であった船の船長

のドアルテ・ダ・ガマ、そして後の2人が、特にサビエルの日本航行に大きな

影響を与えた人物であった。

1人は、マラッカの長官のペドロ・ダ・シルバ・ダ・ガマ、マラッカの港湾と

艦隊の全権を握る司令官のアルバロ・デ・アタイデ・ダ・ガマであった

ドアルテ・ダ・ガマは、日本いるザビエルを非常に援助し、豊後の大友候に

ザビエルを紹介し、ペドロ・ダ・シルバ・ダ・ガマは、船の手配や、日本への贈り物

をしてくれた。そして、アルバロ・デ・アタイデ・ダ・ガマは、中国(シナ)の渡航

を強引に許可してくれた。

当時日本への航行は、4隻いったら、2隻日本へ着けば、成功だと言われていたので

すが、今の船とは違い、季節風によって航行していたので、場合によっては、シナの

島による必要もあったし、ザビエルは、日本だけではなく、シナへも行きたがって

いたので、上述した3人のバスコ・ダ・ガマの息子達の尽力が大きかった。

ところで、マラッカ→広東→チンチェオ→鹿児島→京都→鹿児島→山口→府内(大分)そして下関海峡

までが、日本でのサビエルの伝道の経緯です。
 
それでは、航行の内容について話を進めます。

ザビエルは、シルバからの紹介で、アバンという人の船で航行する事になるのだが、

初めからザビエルにとって、インド航行以上の試練がありました。

アバンは、あだ名が海賊と言われていた位ですから、余り良い人ではなかったのでは

ないかと思われるし、シナ人の商人ジャンクは、不信者で、偶像を拝む人達で、日本

への航行を、くじで偶像に聞きながら航海する始末で、ザビエルにとってとても

つらい宣教の旅になった。 何よりも、季節風が日本に吹く時に、日本へいかなければ

、シナの島で冬越しをしてから行かなければならないのにもかかわらず、偶像に聞き

くじで占うと、日本へ行けても、マラッカへ帰れないと出てしまい、船は、シナに行く

事になってしまう。

しかし、神の不思議な御手により、日本への航行は実現していく。

緩慢な蛇足で航行する船、あいかわらず、悪魔である偶像のくじに頼る船長

そんな中、聖マリア・マグダレナの祝日の前夜、空も海も荒れて、波も高くなった。

その時、なぜか、船のポンプが開いていて、そこに、マヌエルが入ってしまう。

もう死んだかと思っていると、頭部を打ち重症であったのにも、関わらず、神様の

恵みであったのでしょうが、助かります。

彼の救助に懸命であった時、海はますます荒れ、そのせいで、甲板にいた船長の娘

が海へ投げだされて、死んでしまった。

ますます、おびえた船長は、当然、シナへいってから日本へ行こうとするが、ザビエル

達が反対し、長官にこの事話すと言われ、彼らは、チンチェオに行く事となった。

娘の死もあり、精神的に怯えに怯えた船長、精神的にも、怯えきっていたので、

日本へ直接行かずにさらにチンチェオへ向かうがこの事が、彼らを日本へ行くきっかけ

となりました。

神はチンチェオに海賊を置きそのおかげで、船はチンチェオを離れなければ

ならないが、船は季節風で走るので、戻れず、日本へやむなく行く事になった。

そして、神様の助けもあり上述したように、鹿児島へ着く。

日本へ着くと、聖信パウロ(日本人ヤジロウ)は、薩摩の君主 島津貴久と会い

彼をキリスト者とする事に成功する。

その後、ザビエルは、東上し、国王に宣教の許可とシナへ航行について、免許を

もらいにいき、何よりも、高野、根来、比叡、近江等々の学校の事を調べている。

各学校には、3500人位の生徒がおり、特に坂東は学生の数ははるかに多かったという

京都で国王に会うも贈り物がなく失敗、そして山口へ行く、大内 義隆に再謁見

し、インドのゴア司教の親書や、望遠鏡やメガネなど様々な珍物を献上し、見事

信仰の自由を獲得する。その後豊後(大分)で、上述したドアルテ・ダ・ガマが豊後の大友

宗麟にザビエルを紹介してくれたおかげもあり、大分での宣教はしやすかったのでは

ないかと思われる。

ザビエルは、日本の人を自分の国の人のように愛していたばかりではなく、日本の宣教

にかなり期待していたのではないかと感じた。

ザビエルは、室町末期の時代に日本にきました。当時は、平民も武士も貧しい暮らしの

人が多く、僧は尊敬されていた。 当時の文献を見ると、日本人は、文化人で、本を

読めない人がいなかったといいます。

それは、一重に僧たちの働きあっての事だが、この時代の僧は腐敗していたのだそう

で、ザビエルも迫害にあっている。また日本人は、好奇心も強くまじめで、探究心

がある種族なので、導く苦労もあった。

例えば、主・イエス様は、なぜ今まで日本へ来なかったのか? 先祖を尊敬し大事に

する日本の種族は、祖先の救いがなかった事に憂い悲しんだそうですが、このように、

日本人はよく聞き、またその教えをする人の様子を見つつ、慎重に物事を判断する

真のキリスト者の生まれる地として、期待が大きかったのだと思う。

日本を去ったザビエルは、インドから、シナ(中国)へ宣教へ行き、最後を遂げた。

なぜ、中国へいったのかと言うと日本の文化に大きな影響与えているシナを宣教

する事が日本の宣教と関係があると思ったからだ。

私が思うのは、当時日本に来れるだけでも確率は50%に過ぎず、また日本は

この当時、足利家や地方の豪族たちによっておこった応仁の乱がおきている最中

でもあり、とても危険でありました。

日本人は周知のとおり、刀を持ち、武器を重んじる国でしたから、日本へ来て、

命を守られただけでも、奇跡であったと言えるのではないでしょうか?

もし、このサンフランシスコ・デ・ザビエルの命掛けの働きと私達日本人への愛

がなければ、キリスト教も、教会も、日本で、育たなかった事を覚える時、私達

は彼に感謝します。

私は、この彼の航海の話を読む時、使徒行伝を思い出します。

使徒27〜28で彼らの船が難破します。

アドリア海を漂流し、その時使徒27:31の言葉が印象的でした。

船が暗礁に乗り上げる事を恐れる船員は、錨をおろすふりをして、逃げ出そう

とする。その時パウロは、はっきりと確信に満ちた言葉で一言こういうのです。

「あの人達が船にとどまっていなければ、あなた方は、たすからない」

また、使徒27:34 だからどうぞ何か食べてください、生き延びる為に必要だから

です。 

あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなる事はありません。

そして、パウロからの主・イエス様の御命令を聞いた船員はたすかりました。

聖書で神は、旧約聖書で、当時行いの悪い人類を滅ぼそうとした時、行いの良い

ノアに箱舟をつくらせて、生きさせました。

一度この世は、水で滅びましたが、船は健在でした。

今の世では、教会が私達の箱舟であります。 

新約聖書 第一ペテロ3:19〜20 そして、霊に於いてキリストは、

捕らわれていた霊達のところへ行って宣教されました。

この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作らていた間、神が忍耐して

待っておられたのに従わなかった者です。

この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち8人だけが、水の中をとおって救われました。

この水で前もって表されたバプテスマ(洗礼)は、今やイエスキリストの復活によって

あなたがたをも救うのです。

上記の記事からも分かるように、キリストは、以前悪を行い従わなかった霊達をも、

放蕩息子が神(父親)に自分の罪を悔い、そしてキリストの十字架を受入れて、洗礼を

受け、神に立ち帰る事を望んでおられます。

教会は、キリストの体であり、船であります。

この船に乗っている者は上述したよう、あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなる事はありません。

しかし、もし教会が、主・イエスの教えに聞き従わず罪を犯すならば、その教会は教え戒めを聞き守る

会ではないので、もはやその舟は、沈む事になってしまいます。

だから私達は、横と縦との関係を重視し、神の御声に聞き従う必要があります。

ザビエルのように、日本の大名や僧に謙遜で、常に正しく確信をもってキリストを信じたように、

福音を伸べ伝えるならば、私達は、教会は、律法によって平和と義を獲得し、終わりの時に天国へはいれます。

イメージ 1

前の週は、猛暑だった。

気温は、平均35度くらいは、あったであろうか。

私の家の外の気温は、とても暑い時で、39度近く

もあった、今年は、水不足と、電力不足心配ですが、

関西の方では、雨が降ったようだ。

さて、今日は、主・イエス様に、祈りサンフランシスコ・

ザビエルの書簡集から、信仰について、導きを頂いた。

1506年頃4月7日生まれのザビエルは、現在のスペインのナバラ州、

パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。彼は5人

姉弟(兄2人、姉2人)の末っ子で、父はドン・フアン・デ・ヤス、

母はドーニャ・マリア・デ・アスピルクエタという名前であった。

父はナバラ王フアン3世(フランス貴族アルブレ家の出である)の信

頼厚い家臣として宰相を務めた。 ナバラ王国は小国ながらも独立を

保ってきたが、フランスとスペイン(カスティーリャ=アラゴン)の

紛争地になり、1515年についにスペインに併合される。父フアンはこ

の激動の中で世を去った。

1525年19歳の頃、パリの名門大学のソルボンヌ大学に入る。彼は、

上述したように、貴族の出で、父は、亡くなり、母も高貴な所の出

身だったので、贅沢な暮らしが好きで、この頃は、野心も人一倍あった。

しかも、カルギンなどの影響により、異端に走る者も多くいた中で、

ザビエルは、神に手厚く守られていく、先ず、寮生活では、イグナチオ

やペテロ・ファーベル達と一緒になる。

1529年、ザビエルの母が死亡。その4年後、ガンディアの女子修道

院長だった姉も亡くなる。そんな中で、哲学コースをとっていた、

ザビエルが、まっすぐ信仰の道に入れたのは、イグナチオの影響が

大きかった、イグナチオは、マタイ16の人、例え、全世界をあた

えられようともこの箇所を3年間反復して、サビエルに話す。ザビエル

は、イグナチオの交遊を逃避、しかし、哲学の講師となっていたザビエル

サビエルは未だに貴族の生活態度を改めなかったのだが、金が足りなくなっ

た時、貸してあげたり、して、心にとっかくがなくなっていった。ちょうど、

寮には、イグナチオ、ファーベル、ザビエルの3人が生活してたが、7カ月

ばかり、ファーベルが、故郷に帰る、そしてファーベルが戻って

来た時には、ザビエルは、別人のようになり、イグナチオに謙遜に従うようになった。

サビエルの転換を徹底的にならしめた出来事は、イグナチオの指導のもとに行った、

40日の黙想あった。

改心した、ザビエルは、後にモンマルトルの聖堂において神に生涯を捧げると

いう誓いを立てた。これが「モンマルトルの誓い」です。

ザビエルは、ポルトガルの王に、派遣され、インド、中国、黄金の国ジパング

と呼ばれた、日本にも、伝道に来る、今回は、インドでの、伝道、リヴァイバル

(信じた人が大規模に起こる事)迄書こうと思う。

さて、ポルトガルの王、ジョアン3世の命により、インドのゴアへインドに2名の神父が、

派遣される予定でした。一人が、ロドリゲス、もう一人が、ボバディラ、ところが、

ボバディラが、病気になり、ザビエルが、派遣される。

当時、インド渡航は、白人の力の象徴であり、コロンブスが、おさないイエスを肩の上に載せ未開の

所へ運んでいく書が書いてあった位で、ポルトガル人は、胡椒と救霊に行く人がほとんどでした。

インドの総督は、後に、年貢を重くしたり、不法を行う事が多々あり、ザビエル達の宣教の邪魔

になる事もあったのだが、出航前宮廷で、ポルトガルの王と会談、王はザビエルの謙遜な人々への奉

仕に見入られ、王の絶対的な信頼を神の恵みで獲得した、ザビエルは、学院の為、また、悪い総督

の罷免などを勇敢に陛下に進言し、活躍する。

リスボア→モザンビーク→メリンデ市→ソコトラ島→→ゴア→ツチコリン→コモリン岬

と伝道旅行に行くが、当時の文献を見ると、インド航行は、実に生きながらの地獄であった。 

アフリカの炎熱の上に狭い船の中には、人がぎっしり、一杯の水の為にさえ、短刀で猛獣のご

とく争ったという。指揮者や上級者との食事を謝絶し、自分に与えられた、部屋は、病人に提供、

食事は、パンと水だけしか取らなかったとある。 看護、罪の告白を聞き、要理の説明ザビエル

は、祈りを通して、豊かに恵まれ、信心の自分の弱さをじかく、しかし、ますます、神に対

する信頼が深くなったという。しかしザビエルは、病気にもなる。

荒波による酔いに耐え、40日、甚だしい苦痛に悩んだが、モザンビーク島で、回復した。

その時にザビエルの信仰のあり方に私は、感動しました。

ザビエルは、信仰とはこのような物だと書いてあります。

 このような困難に遭う度に、却って慰藉を感じるものと、私は、思っている。

それに反して、これらの困難から逃げ出す度に、或いは、それらの外側に在る時、その人は死んでい

る。

キリストを知っておりながら、自己の意思を捨てず、己の愛着心に引きずられて、キリストを捨てた

人の生活は、いかに、大いなる死であろうか。 それに引き換え、自己の意思に反対し、自己の事を

もとめず、キリストの事を求めながら、日々自己に死する生活は、如何に平安に満ちたものであろう

か。

また、灼熱の船の苦しみさえ、キリストに於いて、清涼剤であると言い切れる信仰と徹底した、

自己犠牲の奉仕、徹底した、伝道奉仕、病人の介護の姿は、多くのインド、マラッカ付近の島々

の人々をキリストへと立ち返らせていく。

書簡の8巻は、有名で、コインブラ、バレンシア、パリー、ルヴェイン、ケルン、サラマンカ、

バタビア7つある、イエズズ会の学院、に大きな喜びをもたらし、派遣した、国王ジョアン3世は、

反復して、この書簡を読み、長い間手元に置いてはなさなかった。

ペトロ・ファーベルは、この書簡8巻を、イエズズ会に対するもっとも有力な弁護者だと言った

程でした。

内容としては、バラモン教対する護教論のやり方、神からのはかり知れない、聖寵、インドの

様子などですが、大リヴァイヴァル(キリストへ導かれる方達)が大多数いた。

コモリン岬、2万、トラヴァンゴルで1万、後に5万近くの人々が、インドで洗礼を受けた。

勢いにのり、ゴアで、聖信学院の建設に従事、ザビエルは、祈り、使徒信条、を教えるさなか

、洗礼を受けさせるだけて゛も一苦労でした

よく、デパートで、人気商品のために行列のできるごとく、教えを夜でも、聞きたがり、日々

キリスト教は、ひろがり、子供達の手を借りるほどに、忙しく、パリの大学や国王に、信徒

をインドへ来させてほしいと、猛烈にアプローチした。

私は、ザビエル達とを通し、知った事は、イエズズ会の人たちは、自分の為に生きることよりも、

他国のインドの人々の為に昼夜、働きつづけ、そして、信仰の道の救いの道を全く疑わずに

邁進できたのには、主・イエス様の十字架と、その後死後の世界で永遠の命に対する確信があれば

こそできた奉仕であったと思います。

コヘレト11 4 風向きを気にすれば、種をまけない、雲行きを気にすれば、刈り入れはできない、

とあります。しかし、ヨハネの福音書4、35 で、主・イエス様は、こう語ります。

あなたがたは、「刈り入れまで4カ月もある」と言っているではないか。

私は言っておく、目を上げて見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。 すでに、刈り入れる

人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。 こうして、種を蒔く人も刈る人も共に喜ぶので

ある。とあります。

また、ヨハネの福音書4、38で、あなたがたは、自分で労苦しなかった物を刈り入れる為に私は、

あなた方を遣わした。他の人々が労苦し、あなた方は、その労苦の実にあずかっている。

上記のザビエルの奉仕の前に主・イエス様が全治全能の神である、イエス様の労苦により、私達の罪

は赦され、主・イエス様の十字架により、私達は、清められます。

モンマルトルでの誓いから世界に派遣された中の数名の種が言葉として、福音の種を蒔いた結果

何万人という人々が、救われた、今日は、主・イエス様に祈り、信じるならば、どのような、未来

が訪れるのかと言う事について、書かせていただきました。

主・イエスの十字架を信じる人は救われます。 


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