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祝福がありますよ
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ささいなことから

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私は、新年が明けてから、2日目に浅草の神社に家族で出かけた。

といっても私は、クリスチャンですので、父や母と一緒に行きましたが、

参拝はしませんでした。

でも、寺や神社に袋に何万もの大金を投げ、今年もいい年でありますように

祈っている姿をみていると、日本人は、神という存在や仏の存在に対して、

良い意識をもっているのだということを改めて感じさせられます。

現代の世は、資本主義の世の中で、お金中心の世界になっています。

会社は、お金を稼ぎ、自分の会社が生き残るために脱税したり、食品偽装

したり、様々な問題は、すべてお金の魔力のせいではないかと思います。

もっと稼ぎたい。

聖書でも金銭があらゆる悪の根だと書かれた記事があります。不景気の今こそ

私は、注意したいとおもっています。

さて私は、前に魔術という題の本を読んだことがあります。

ある時雨の降る晩、主人公は、人力車に乗り、何度も大森界隈の険しい坂を上がったり

登ったりして竹やぶに囲まれた西洋館に着く。

ねずみ色でペンキのはげかかった狭苦しい玄関、でもそれとは、対照的に、インド

のマテイラム・ミスラと日本字で書かれた瀬戸物だけは、新しかった。


マテイラム・ミスラといえば、永年インドの独立を計っているカルカッタ生まれの愛国者で

同時にハッサンカンというバラモンの秘法を学んだ年の若い魔術師の大家だそうです。

このバラモンはインドのバラモン族を中心におこなわれた宗教で、難行苦行、操業潔白

で厳格な宗教だそうです。

彼と主人公は、友達でしたが、政治の話しはしていましたが、

まだ一度も彼の魔術をみたことはありませんでした。

それが、今回見せてくれることになったので雨がふる晩にわざわざ

魔術をみにきました。

彼の魔術は、とても不思議で目をみはるばかりの不思議ですばらしいものでした。

ランプがホヤ中心にこまのようにまわったり、何冊もの本が宙を飛び、テーブルの

上に行儀よく、ピラミッドのように、かさなったりしました。

永々と、ありがとうミスラ君はいいました。

本も何もかもが、すでに元通りになっていました。

夢から覚めたような心もちで挨拶さえ言えずにいましたが、ふとミスラ君のいった

「私の魔術などというものはあなたでも使おうとすれば、できるのです。」

というそしてその条件は、欲がある人には使えないということでした。

そのとき、主人公はこういいます。「できるつもりです」

彼の方がまだ主人公よりも若い彼に対しての謙虚さがそういわせたのでしょうか?

主人公はこういいます。「できるつもり」です。

本当に欲をすてられるのか、あまり疑うのも悪いとおもったのでしょう。

ミスラ君は、魔術を教えることにします。

そして一ヶ月後、彼は、魔術をみにつけました。

そしてこの日もまたざあざあと雨のふる晩の日でした。

今度は、銀座の或るクラブの一室で知り合い5〜6人と気軽な雑談をしていました。

そして、一人の友人がこういいます。

「君は、近頃魔術を使うという評判だが、どうだい今夜一つ僕達の前で使ってみせて

くれないかと」

彼は、よろこんで魔術を披露します。

暖炉の中の炭を手にとってみせたり、その炭を金貨にしたり。

友人達は、びっくりしていましたが、主人公にこう聞きます。

「コレは本当の金貨かい。」

20万くらいはありそうだね。

ここから、彼と欲との戦いが始まります。

友人の二人は金持ちでしたが、彼のような金満家になれるよとしかし、

主人公は、ミスラとの約束をまもり、金貨をもとの炭に戻そうとするのですが、

当然皆反対します。

すると、友人の中の一人で狡猾と評判のある人が、意見が合わないで、主人公

が狼狽し疲れ始めたところをみて、こう切り出します。

「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕達はしたくないと言う。それじゃ

いつまでたっても議論が尽きないのは当たり前だろう。そこで僕が思うには、

この金貨を元にして、カルタをしよう!もし僕達が勝ったならば金貨のまま

僕達にくださいと。」

まんまと、主人公は、説き伏せられ、カルタをはじめます。

しかし、このときには、まだ主人公は、欲をだしてはいません。

でも、もうサタンの欲望のとりこになるのは、時間のもんだいでした。

相手もそんなに馬鹿ではありません。

初めは、主人公は、一度も負けませんでした。

別段カルタ好きでもないのに・・・。

段々楽しくなり、あの金貨ぶんの勝ちを収め、悪い友人が「僕の全財産をすっかりかける

といった」そのとき、主人公は、狡猾にだまされ、欲のとりこになりました。

そしてカルタの王様が、札の外に飛び出し行儀よく剣をもってにやりと不気味な笑み

を浮かべておばあさん、おばあさん、お客様はお帰りになるそうだから、寝床の支度

をしなくていいよといいます。

もうわかった人もいると思いますが、そうです。彼が魔術を覚えて一ヶ月後に、友人と

銀座とクラブの一室でカルタをしていたことも、すべては、ミスラ君による幻術でありました。

そしてこういいます。

私の魔術を使うのならば欲をすてなければならないと・・・。


聖書では、この欲望とサタンとの戦いについて、創世記2:17〜3:をみると善悪の知識の木

の実の話しがでてきます。

人類最初の思考や霊をうけた祖先アダムとエバ彼らは、最初楽園でくらしていましたが、或るとき

神が食べてはならないという善悪の知識の木を食べてしまい、自分が何ものであるのかをしる。

そのとき、善悪の知識の木の実はまことに食べるのによく目に慕わしく、賢くすると言う木は、

いかにも好ましかったといいいます。

今日主・イエス様は、芥川 龍之介さんが書いた魔術の中から3つのことを私に教えてくださった。

1.人の心はかわりやすい、だからバラモン教のように、修練し、誘惑におちいらないようにしなければ

ならないこと。

2.悪魔の誘惑は、困惑させ、心を乱し、疲れた後で、誘惑してくることが多く、欲をもたせ、人を

  傲慢にしていくけれど、そのきっかけは、些細な事からはじまるということ

3.聖書では金銭はあらゆる悪の根であるというように利害がからむとよくがうまれるということ

が、この魔術という本を読み主から示唆された。

私は、お金についても欲望についても火と同じであるとかんがえます。

炭火の火から金になったという箇所をよむ時、私達の心にも心の中の欲望の火というものが

あり、それは、少しの火がともっただけでも燃え上がります。

ヤコブ4:5同様に舌も小さな器官ですが大きなことを言って誇るのです。ごらんなさい。

     あのように小さな火があのように大きな森をもやします。

しかし、主・イエス様を信じるものたちは、主の十字架を述べ伝える人達の財産は、天にあります。

相続地の天国をもっているのです。

そしてそれは、今からでも遅くはありません。

主の十字架は、あらゆる欲望から来る火から私達をまもってくださいます。








 

白も黒も関係なく

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昔、日本では古来から日食に関わる逸話があったそうです。

 
それだけ、日食とは、昔の人には、危機的なものや不安を煽るような事件

だったようです。

 私は、観測ポイントには、いかなかったのですが、テレビの日食をみました。

 あたりは、暗くなり、星もみえる、普段当たり前のように昼と夜を見てきている

私にとって日の事実よりも、昼なのに夜のようになることに驚嘆しました。

今は、日食がなぜ起こるのか知っていますが、昔の人から見たならば、不吉なもの

としてとらえられていたのかもしれない。

またこれらのことが、私達が悪い事をしないための戒めとしてもやくにたっていたのでは

ないかとおもいます。

事実日本の逸話の天の岩戸では、天から追い出されるまえ、スサオノは、天を治める姉アマテラス

にいたずらをして、そのいたずらがひどくなり、アマテラスは、岩戸の中に閉じこもったといいます。

最後は、アマテラスは神々により、外にだされたのですが、このものがたりも、日食と関係したものがた

りであったといわれています。
  

さて、今日は、主・イエス様に祈り、私は、白という犬の物語を書こうとおもいます。

白は、隣に黒という友だち犬をもっていた。

白の主人の家には、子供がいて、自分の犬小屋まであり、裕福ないえのめぐまれた犬でした。

あるとき、白が散歩をしていると、印半纏をきた犬殺しが、罠を後ろに隠し、一匹の黒犬を狙って

います。

しかもこの犬は、隣の仲の良い黒犬で、何も知らずにこの犬殺しのパンを食べていました。

白は思わず「黒君、あぶない」と言おうとしたのですが、恐ろしくなり、白は、自分の家に帰ります。

 そして家に帰った白は、自分の家族が自分をどこの犬でしょうと話し合っているのに気づきます。

どうやら、白は、真っ黒になってしまったようです。

主人の子供にいたずらされ、自分の家をでて、白は東京中うろうろしました。

そんな黒になった白が一番嫌がったのは、鏡をみることです。

でも、どんなに自分姿を見ないようにしようとしても、無駄なことでした。

 水溜り、コップ、自動車の車体、しろは、自分が醜い黒になったことを嘆き、公園に逃げ

こみます。

公園の中は幸い、自分の姿を映すものといえば、池の水だけで物音は、白バラに群れるハチの音

だけでした。

しかしそういう幸せさえ5分とつづきませんでした。

道端にでると、また犬の嘆き声がきこえます。

「キャンキャン、助けてくれ!」

今度は、黒犬と犬殺しではなく茶色の子犬と、子供達でありました。

この後、黒犬となった白は、義犬として活躍します。

そしてさいごに、こういいます。

「お月様!お月様!、私は、黒犬を見殺しにしました。

私の体が真っ黒になったのはおおかたそのせいでないかと思います。。

そして、この犬は、罪の告白をすると、自分の家に帰ります。

譲ちゃんも、坊ちゃんも、私の姿を見るときっと又野良犬とおもい

自分をバットで殴り打ちころされてしまうかもしれない。

白は、自分の死を覚悟で、愛する家族のもとに帰りました。

そして、白は、白にもどり幸せにくらしたといいます。

私はこの物語を読んだとき、人は、見かけでものごとを判断しますが、

それわ悪いもの良くないものとかんがえるもそうでないのも、みな人

が創ったものであるということ、をかんじました。

この世でもまだ身分の差格差などがあります。

しかし、大事なのは、その行いであることを今日主・イエスから教わりました。

聖書でも、親切なサマリア人のたとえの中に、行いのない神の祭司と、神の掟

をやぶった民族の親切なサマリア人のたとえがあります。ルカ10:30〜

37

だからたとえ、醜い黒犬であろうと、白犬であろうと、その行いが正しければ、神の前には黒

も白も関係なく、黒になった白が最後家に帰ったら白にもどったように、教会に行き、

自分の罪を告白し、主の十字架を信じ日々悔い改め、新しいキリストの体をいただくならは゛、

あなたも今からでも、天国へはいれます。 

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11月になると、朝ジョギングする人達の口から白い息がでるようになる。

私が公園の近くに車を止めていたらその下が暖かいからだろうか?

近所の白猫が、車のしたで昼寝ねをしていた。


猫は、私を見ると、さっさとどこかへといってしまった。


まるで、私が、どいてほしいと思っているのを見透かしたかのように・・。


さて今日は、宮沢 賢治さんが書いたセロ弾きのゴーシュという物語を読み、

主・イエス様から、与えあうことの大切さを学びました。

主人公のゴーシュは金星音楽団の中の一員で町の音楽活動館では、セロを弾く

係りでした。

しかし、ゴーシュはこの楽曲団の中で一番下手で、いつも楽長にいじめられていました。

トランペットもバイオリンも、クラリネットもきちんと、旋律を上手に奏でる中で、ゴーシュ

のセロだけ遅れ気味でした。


彼は、下手ではありましたが、とてもまじめで熱心な人で、皆に追いつこうと、虎みたいな


勢いで譜をめくり、夜中もすぎてしまい、もう自分が弾いているのかさえもわからないほど


練習していると、そのとき、とんとんと扉をたたく音がしたそうです。

 みると5、6ぺん見たことのある大きな三毛猫がそこにいて、おみやげのトマトをもって、

やってきました。

 
 理由は、この三毛猫は、ゴーシュの弾くシューマンのトロイメライという曲を聞かないと眠れないから

聞きたくてやってきたのでした。

 ゴーシュは、自分よりも劣った猫をみると、高ぶり、猫を生意気だと叱咤します。


 そして、意地悪して、猫の聞き曲の変わりに、自分の耳に耳栓がわりにハンカチをつめ、

大きな音でインドの虎狩りという曲を弾きます。

 猫はびっくりし、とびらに額をぶつけ、こういいます。

先生もうたくさんです。たくさんです。

だまれ、これから虎を捕まえるところだ。

その晩は、猫がゴーシュの先生でした。


 次の晩も同じように曲の練習をしていると今度は、カッコウ鳥が現れました。

このカッコウはドレミをゴーシュに教えてもらいたくて、やってきました。

初めは、ゴーシュは、音楽などカッコウにはひつようないカッコウ、となくだけでしょう。

といっていましたがカッコウの熱意に押され、彼は、弾いてあげることにしました。

カッコウは喜んでなんども練習をしていましたが、ゴーシュの手が痛くなりカッコウにこういいます。

こらいい加減にしないかと。

しかしカッコウは教わることをあきらめません。

ゴーシュも練習があるのですからこういいます。

なんだと!おれがきさまにおそわっているのではないんだぞ!帰らんか。

それでももとめるカッコウの熱意におされ、ゴーシュはこれっきりだといって教えてあげます。

しかし、朝もちかくなりついに、ゴーシュもおこってしまいます。

するとカッコウは、びっくりして、逃げようとします、何度も何度も頭をぶつけながら、

たまらず、ゴーシュは扉を蹴り上げ窓をそとへ落としこわしてしまいます。

この日は、主人公は、知らない間に、ドレミファを教わりました。

今度は、狸があらわれました。


 同じようにゴーシュから曲を教わるのでずが、今度は、ゴーシュは、狸を追い出すことは、しませんで

した。

怒ることもなぜならば、ゴーシュが、セロの曲を弾くときに、きになっていた二番目の弦を弾くときの欠

点を狸が指摘し、それは、自分の演奏の益になったからです。

教えている立場から教わる立場になったから・・・。


最後に野鼠が、来て、ゴーシュに子の病を治してといいます。

ねずみのいうことにはセロの曲を聴くとやまいがなおると。

そして演奏会の日がきてしまいました。

動物達に教えてばかりだったゴーシュ。

うまく弾けるわけがないとおもいきや結果は逆でした。

金星楽曲団は、第六交響曲を見事に成功させました。

そして楽長は、ゴーシュにアンコールを締めくくる曲を弾くようにいいます。

彼は、インドの虎狩りを引きます。


 猫に意地悪したとはいえ、猫の為に弾いたその曲は、周りから絶賛され、

一週間から十日の間で彼は、いつのまにか、赤ん坊と兵隊ほど成長をしていたのでした。

聖書で主・イエス様は、門をたたきなさいといいます。

黙示4:20見よ。 私は戸の外にたってたたく。

だれでも私の声を聞いて戸をあけるなら私は彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。

またこうもいいました。

ルカ6:38 与えなさい。

そうすれば、自分も与えられます。

人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。

あなたがたは、人を量る量りで、自分も量りかえしてもらうからです。とあります。

ゴーシュは一生懸命うまくなろうとしました。

一般の人達は、聖書の御言葉を知らない人は、自分達が苦難にあったとき、頑張っている時

実はそれを得ようとしている好意が、神に門をたたく行為であることを知りません。

 主・イエス様は、門をたたくものを一人にはしません。

預言者や天使を遣わすと聖書はいいます。


 しかしこの預言者は、小さなものひとにとってみたら役立たずのものと思えるものであるともいいま

す。

民数22章にも同じようなことがかかれています。

神の命令を守らないバラムにたいして主の使いが通るのを邪魔します。

主の使いは、進み彼らが右にも左にもよけることのできないところに立ちました。

そのとき、バラムのロバが主の使いをみてうずくまり、ロバをバラムが打つシーンがありますが、

このろばがゴーシュをたすけた、動物達と抽象的に表現するならば、

主・イエス様は、狭き門は、小さなものたちの神の不思議な助言を聞くことまた門をたたく

ときに神の命であり道がみいだされます。

主・イエス様がラバにのり、エルサレムの入城なされたのには、神の御子でありながらこころ貧しく、謙

虚にへりくだられ、すべてのものに仕えられた主・イエス様の愛があります。


 主・イエス様の十字架は、命の水は、小さなものがはこんでくれます。

天使がのぼりおりするのをみれるものは、ゴーシュのように、心清いものなのかもしれません。

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 1894年ポーランドのスドウィンスカボラというところで、マクシミリアン・コルベというかたがうまれた。


 彼は、貧しいながらも信仰深い父と母のもとで、愛情深くそだてられた。


 彼は、とても堅実で、実直な方で、その貴重面な性格から、キリスト教徒の為の機関紙を発刊した。


 また貧しい家庭にありながらも彼は、フランシスコ会に入り、ローマで神学を修め25歳という若さで、

司祭にもなったひとです。

 この後かれは、皮肉にもフランシスコ会の本部がワルシャワ近くのニエポカラヌフという所にうつされ

そこに、司祭として勤めることになってしまう。

しかも、運命のいだずらなのか、必然だったのかわからないが、彼は、1936年フランシスコ会によって、

最高顧問になりました。

ちょうどこの頃ポーランドは、ナチスドイツの侵攻を受けており、ユダヤ人の迫害がひどく、マクシリア

ン・コルベ神父は、正義感の強い方でしたので、反ナチスと愛国精神を旗印に新聞を掲載しつづけてしま

っていた。


 司祭の最高顧問になり、司祭になり、また彼の素質が、記事を書くことであるという不運がつながり、

彼は、残念ながら、アウシツュビッツの収容所へと入れられてしまう。



彼は、勇敢な方でつかまってからも説教をし、罪の告解を聞き、司祭の職務を果たす。

しかし8月になり、折りから数人の囚人が脱走、報復にドイツ軍は無作為に選んだ10人の囚人を餓死させ

ようとする事件が起きます。

そのうちの1人の若者が「妻子に会いたい。」と泣き崩れ、コルベ神父は身代わりを買って出てその若者

の代わりに餓死刑に処されます。

彼は、このとき若者にいいました。


神父は朝の点呼時に処刑宣告を受けた囚人が家族を想い嘆くのを見て、

「わたしは年老いた修道僧であり、家族を持たないわたしが身代わりになる

と。

そして死刑房で14日間生きたのち、毒殺をされたわけですが、

私は、コルベ神父から、今すべきことを感謝していきることの大切さ愛することの大切さをおぼえます。

なぜならば、私は、上記でコルベ神父に不運が重なったと書きました。

私ならば神がおられるならば、なぜこのときこの場所で最高顧問になり、しかも、新聞まて゛ださなけれ

ば、ならないのか。

もんもんと、思い悩んでしまうとおもいます。

しかし、彼は、いつも、神が死ぬまで供にいてくださり、死ぬにしてもキリスト、生きることもまた益で

あったのではないかとおもいます。ピリピ:2、21

さて、時は変わり現代の世で、ベネディクト16世が、アウシュビッツの収容所を訪れ、説教をしたときの

記事のいちぶにこう書いてるのを見つけました。

あの時、主は何処におられたのでしょうか?何故黙っておられたのでしょうか?なぜ、これほどの破壊と

悪の勝利を黙認され得たのでしょうか?イスラエルの苦悩に対する不平を抱くことを歌った詩篇、第44章

の言葉が思い出されます:“


。。。(あなたは)それでも私たちを打ちのめし、山犬の棲み処に捨てて、死の陰で覆ってしまわれました。。。主よ、奮

い立ってください!なぜ、眠っておられるのですか?永久に私たちを突放しておくことなく、目覚めて下

さい!なぜ、御顔を隠しておられるのですか?私たちが貧しい存在であり、虐げられていることを忘れて

しまわれたのですか。

またこうもいいました。

 私たちは神の啓示に深く入り込むことが出来ずにいます。私たちが神と歴史の裁判官になろうとする

時、その部分のみしか私たちには見えないので、迷い込んでいます。この方法では人間を守ることが出来

ません。寧ろその反対で、人間を破滅させる原因を作っています。そうではなく、私たちは忍耐強く、謙

遜になって、しかも、喧しく神に叫びかけねばなりません:起きて下さい! あなたが創造された人間を

忘れないで下さい。

 この世では、矛盾することも多くありまた、なぜ神がいるのにということも多々あるかもしれません。

そういうときには、いつもひとは、自分が裁判官になり、たかぶり、サタンの支配化にあるこの世で、自

分達の罪の結果にこのことがおきたことをわすれてしまいます。

しかし、ベネディクト16世にしても、コルベ神父にしても、たった一つのことがわかっていたことによ

り、すくわれます。

それは、あなたの創造した人間をつくられた、主・イエスキリストの十字架による罪のあがないです。

罪のあがないがあるからこそ、コルベ神父は、アウシュビッツの収容所の中でもキリストを述べつたえ、

若者の嘆く声を聞き、神の愛を述べつたえる伝道師として、十字架の主と供に十字架にかかられ、天へと

帰られました。

エペソ2:14 キリストこそ、私達の平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、とあ

ります。

そして、キリストにより、平和と天国による復活はなされます。










 

郷愁

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今年も半年以上が過ぎた。
 
 私の町では、盆踊りや、花火がたくさんおこなわれている。

 そこには、たくさんの人の笑顔と、地域の絆のようなものをかんじた。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、ヘッセが書いた、郷愁のことについて、書こうとおもう。

 主人公は、スイスの山間部の湖畔の小さなむらのニミコンという村で、父と母と、息子の

で細々と生活をしていた。

この村は2つの山の突出部にはさまれた三角形の斜面にある町なので、密接な血縁関係にあった。

 ここの住民の3/4は、カーメンチントという名をもっている。

 だから、主人公のペーター・カーメンチントは、旅が好きだったのかもしれない。

 彼は、自然の好きな人で、たくましく育っていった。

 自然の中をぶらぶらして、いるのが、好きで、父は、ペーターに、仕事を教えるのだが、

 彼は、仕事を嫌い、仕事を教えようとする父に自主的に反抗していたそうで、

 仕事をすっぽかしていたそうだ。
 
 父も母も忙しく、父は、自分が悪くもないのに家畜小屋で、主人公をなぐったときもあった。

 自然だけが友のペータの人生にあるとき、転機が訪れる。

 修道院の神父にペータの学の才かみとめられ、将来大学に行き、言語学者の道を行くように言われる。

 田舎暮らしの百姓暮らししか、道がないと、思われたペータにとって、うれしいことであった。

  やがて、彼は、高等学校を卒業し、チューリヒの大学で、学びをしていたが、そのとき、友になったリヒャルト

 が彼の原稿を知り合いの出版社に渡した結果、かれの、才能がみとめられた。

  ペーターの人生で、このときがもっとも幸せだったのでしょう。

 チューリヒの大学に行き、友のリヒャルトと、出会い、たくさんの知り合いと作ることもできた。
 
 
  彼は、学生の身でありながら、才能のみとめられた人であり、前に失恋したのは、自分の地位の低さから、

 高貴な彼女に対して、自分ではつりあわないからあきらめたのだけれども、今度は才能も、地位も手にしていた。

 彼は、友のリヒャルトのおかげで、2番目に愛した女流画家のアリエッティとであう。

彼女のことを好きになったペーターは、彼女に惹かれる。

 運の良いことに彼女が、ペーターの絵を描きたいといいだし、彼らは、親密になっていった。

 そしてぺーターは、夜にボートで彼女と一緒にときを過ごしたとき、彼は遠まわしに、恋愛のことについて、

 聞くと、彼女には、好きな人がいることをしってしまう。

 そして、友のリヒャルトと大学卒業する前の旅行がおわった後の友の死。

 彼は、チューリヒから、パリへと転々とし、バーゼルで恋をし、エリザーベトという好きなひとに告白する前に婚約者がいることに気づき、

失恋、そんな中で、彼は、アシジの聖フランシスの文学の研究の影響もあってか郷愁と失望の中で、

 人間を真剣に愛することをはじめた。

 彼はまず、自分の父の家にいき、そこから、アシジ、ペルジアへと足を運ぶ、自分探しの旅であったのかもしれない。、

 かれは、未亡人で信仰深いナルディニとであい、アシジの聖フランシスの話で仲良くなり、そこの住民となかよくなる。

 彼女は、だんだん、主人公に惚れていくのたが、ペーターの方は、エリザーベトのことまだおもっていた。

 彼は、再び、エリザーベトのいるバーゼルに戻る。

 そしてその頃には、傷も言え、彼女の家に仲間として顔を出せるようにもなっていた。

 そうなれたのも、指物師と仲良くなり、自分の居場所を見出せるようになっていたからかもしれない。

 そんな中に彼らの娘のアギーの死、またナルディニの結婚、生と死を人の郷愁の中に、人の罪の性質を

 愛を神によって諭されていっていたのだとおもう。

そんな中、指物師のおかみさんの弟で半分体利かないボピーとであう。

 ペーターは最初のその人を嫌っていた。
 
 自分にとっての唯一の安らぎである指物師の家族とのたのしいひと時をこの惨めな存在によって、不快

にされられていたので、ペーターはこのせむしの男を病院か慈善院にいれようとする。

そして休みの日には、このせむしの男と一緒にいないことさえよろこんでいた。

 しかし、「まあ、ここまでくれば、あいつに邪魔されない、楽しめるさ!」

 この言葉を聴き、かれは、自分が、親切にされ、良い容姿で、快いとき愛する自分がいる。

しかし、せむしの ボピーを小さなものをないがしろにしてしまっていた。

 受けるだけで、水一杯与えてこなかった、自分にきづいた。

 そこから、彼は、きらっていたボピーと仲良くし、引き取り、最後まで、面倒を見る。

 死ぬまで。
  
彼は、詩人を目指していた。

 仕事で、相手の作品を批評したり、風刺することでなく、詩人としてひとを教えみちびくことをしたかった。

 
 この物語は、ペーターという人物の自伝です。

 陽気な人達や、信仰深いさまざまなひととの重ねた出会い。
 
 3人の愛するひと達との、楽しくもせつない、恋愛。
 
 そして、届かなかった思い。

  旅に近い、寄留者の生活のなかで、生と死の繰り返しの中で、主人公は、自然の中にこそ、愛があり、

 それを見出すための詩人としての旅をしていたのではないかとおもいます。

 風や水の中に神の声を聞こうとし、人間に愛を教え、幸福にしようと欲するその方法を彼は、詩の中に

 見出そうとしていたのかもしれない。
 
 彼は、最後故郷に帰り、そこで生涯を終える。
 
 届かぬ願いの中で、しかし、かれはこういいました。

 母と、溺れた親友、金髪のアギー、と自分に愛と安らぎをくれたボピー彼らを天国へもっているのだと。

この世にあるものは、必ず、朽ちていくものでありますが、朽ちてはいかないものもあるということをこ

のヘッセの郷愁はおしえてくれた。

人の強い意志や思いというものは、けっしてなくならないものだと。

主・イエス様は、私達を人生の生や死などや出会いを通して、きっと天国へと導いてくださいます。

 主の十字架は、多くの出会いによって、ひろがり、主の御言葉は、ペーターのように、愛を教えようとするものによって

 ひろがると確信しています。


        イザヤ8:8インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる。

 
 


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