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主への祈り
谷川の流れを慕う鹿のように私たちは主を求めます。
主よ、私は罪を犯している罪人です。
例え罪を犯さない状態であったとしても私達には原罪がありますし、人の心は陰険である事を知っています。
そんな私たちの為に、主・イエス様は、私たちの罪の身代わりなって十字架にかかり、私たちを救ってくださったのです。
私たち人には、罪があります。
罪があり、肉欲があり、誘惑に負ける時がありますから、守ってください。
主よ、私たちにはまだ自分の欲、自己の理性の欠如から愛や様々な神から来る至福や徳の思い受けた恵みにより、思いあがり高慢となり、あなたの御前に罪を犯したり、神に従ってないと思う時が多々ある未熟な存在です。人は自分の社会的な知識知恵、御心でなくこの世で神から受けた知識を誇るかもしれませんが、私は神だけをただ頼りとし、社会的観念や人の常識などに捕らわれません。
ただ、ただ神の御心に従い、神を畏れ、神を敬い賛美し、敬虔に心貧しく神の真理を探究し、ただ神の使命神の喜ぶ事だけを忠実になしていこうと心がけるようにいたします。
私の魂はあなたの救いを慕って絶え入るばかりです。
私はあなたの御言葉を待ち望みます。
たとい、私は煙の皮袋のようになってもあなたの掟を忘れません。
主よ、私たちにルツやナオミのような信仰を与えてください。
主は奪い、そして主は与えられる。
それは、私たちの心私たちの器を打ち壊し、そして大きくする為です。
主よ、見捨てないでください。
私たちが罪びとであり、常に過ちを犯す事を赦してください。
主の十字架の愛に感謝します。
私達は、主の十字架の神の愛を神の救いと復活、そして死後の裁きについて日々聖書を読み、反芻して繰り返しよみ
あなたに感謝の賛美を絶えずしつつ、神の福音を世界の人々、この日本の人々が一人として滅びる事がないように、
今生きている人達に、神を信じない事が罪であり、聞き従わないという結果私達は、天国へ入れなくなるし、このまま主・イエスを信じないならば、救われないのだという事を私達は、主・イエスの福音を伝えていきます。
教会は、主の教えを良くまもり、常に学びや教えあい、戒しめあう事を忘れずに心がけます。
そして、神が私達を無償で愛してくださったように、互いにへりくだり、互いに教えあい、私達は主がお望みなる清い心と敬虔な思いで礼拝に臨むようにいたします。
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信仰日記
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一昨日、雪が4年ぶりに降った。
東京でも20cm位降ったという。 驚いたのは午後の街並みは、雨が降った時と同じ顔をしていたのに 、夜の7時位に私用で外にでようと思ったら、扉があかない。 雪が扉を塞いでいたのだ。 靴は長靴に履き替えて強引に扉を開けると、外は吹雪になっており 車も道路も雪で覆い尽くされていた。 長靴で歩いたが、長靴よりも雪が積もっていたので、長靴を上から 紐で留めなければ、中に雪が入ってしまう有様でした。 ほんの数時間で、辺りは銀世界であった。 私の自宅近くには、タヌキがよく徘徊しているのだが、案の定 タヌキの足跡が竹林の辺りの道路についていた。 さて、今日はと言っても、読者には悪いのだが、久しぶりに 日記を書く事にした。 忙しいというのもあり、中々更新できなかったのだ。 雪が降る前に、私はお台場の公園で釣りをしている、ご年配の男性と 出会った。
息子も大きくなり、今は85歳だと言っていた。 私は、暇そうにしている人と話すのが好きだ。 旅は道連れ、世は情けというが、旅に出たり何処か行くと大概 その地域の人と話しをする。 そうするとその地域の歴史が見えてくる。 例えば、お台場では昔はもっと魚が多くいたし、私達が話していた所 も海であったという事を教えて頂いた。
私はトランプの話になったので、キリスト教の話を少しして、そして 、教会の話もした。
話しをして感じたのは、やはり人は年を取る、そして年を取る程 時間の流れが早いのだと聞き、私は、ヘルマン・ヘッセの幸福論の話 をし、彼の幸福感は、年をとるにつれ、昔を思い出す事が楽しみにな
っている事でも、神を信じるならば、死んだら生き返る主の十字架を
信じるならば救われるのであるという話しをしたら、その年配の人は
今自分の事で忙しいという。 でも、日曜だけでないがお気軽に教会へお越しくださいと言って別れ ました。
人は年をとる。 それでは、あなたは、その後何処に行くとお考えですか? 神はただ一人しかいません。 主・イエスの十字架以外に罪の贖いと救いはないのです。 人は例え全世界を手に入れても自分の命を失ったな何になるか。 私は彼と別れてから、何となく公園を散策しながら、主の御言葉を 思いめぐらせていた。 さて、今日は、内村鑑三伝で紹介されていた、座古 愛子さんの お話しと内村鑑三氏の話を抜粋させて頂きました。 私達人類は、地の富源は、無窮にあり、良くこれを開発するならば、
生活は向上し、人の欲求を満たして余りある生の利益は、深遠である
と思っている。
だから、現在の先進国は、拝金主義、物質主義なのである。 確かに、現在人生には、様々な苦痛があっても、避けられないわけで はない。
良き妻を得て、良き教育を授け、大企業に入れば、望みがてにはいる 、知識、お金を手に入れ、極度に楽しむのが、現代人の幸せではない
でしょうか。
内村鑑三氏は、このように言います。 しかし、私達は、富豪より多くの悲しみの声を聞く、たとえば、内村 の時代ドイツは、優れた国民的知識があったが、精神的には、豊かで
はなかったようです。
その根本的な問題は、人の生命は、1つか2つかが、問題であると言い ます。
優れた識者は、生命は1つではない、肉のいのちより、高き生命がある と言います。
英国の文豪で、社会改良家のチャールスキングスレーは、こういった そうです。
私の心は、私に取って、1の大なる帝国であると言います。 肉体的に鑑みるならば、アレキサンダーや、シーザーのように、大帝 国を得る事が、勝利であり、幸せであるのでしょうが、霊による勝利
、
心の土壌を耕す事の大切さを内村鑑三は、私に示唆なされました。 女詩人でクリスチャンの伝道をなされた座古愛子さんは、20にして体 の自由を失なったが、彼女には、知られていない生命があり、歌もあ
れば、詩もあります。
病床にありても、彼女は、社会改良をしますと書いてあります。 彼女に不平の痕跡はなく、多くの人は、彼女を慰めに行き、彼女に 慰められてかえると言います。 私達人には、こういう精神的世界観があるのにも関わらずこれを耕さ ないのは、大いなる損失であると内村鑑三氏は、言います。
人の心が豊かであろうとする事は、肉欲にも優る事であり、主の十字 架の道は、生命の道であり、永遠のいのちであると私は、思います。
主は、私はブドウの木であるという。 しかし私達はその木につながっていなければならない。 そうしなければ、毒されて、毒麦のようなブドウの実になってしまう 。
信仰は信じてからが始まりであり、、常に求道者であり、神と共に あゆむ道なのである。 今日は主に祈り、本当の幸せとは何なのかという事についてお話をし ました。
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今日もいい天気だった。
7月に入ってから毎日、午後は35°位になる日が多い、この間台風が、日 本には来なかったが、南部で発生した為、少し雨が降ったのだが、今年
は、水不足で、節水制限になりそうだ。
今日私は、休みなので、体力づくりに、近所の鶴見川を自転車で、走っ た。
川の水が、殆ど、なかったが、カメ、鯉やシラサギなどにとってまだ、 何も関係ないらしい。
ただ、熱いので、私達人間にとっては、大変だった。 行き交う人達皆、暑そうであった。 さて、私は、主に祈り、太宰 治が書いた正義と微笑から学んだ事につ いて書こうと思う。
正義と微笑は、昭和10年頃1935年ちょうど、満州事変頃に書かれた物語 である。
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の 柳条湖で、関東軍が、南満洲鉄道の線路を爆破した事件、柳条湖事件に
端を発し、関東軍による満洲(現中国東北部)全土の占領を経て、1933
年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事
変)である。
主人公は、実在人物で、青年歌舞伎俳優T君の日記をもとに書かれてい るが、R大、春秋座など太宰の幻想的な物語である。
だから、ほぼ、太宰の作品と言っていいかもしれない。 簡単なあらすじとしては、青年と青年の兄がいて、母は、病気で、父は
すでに亡くなっていたのだが、地位の高い人であった。なぜならば、後
に姉が、鈴岡と結婚したが、鈴岡さんの家よりも、主人公の芹川家の方
が地位が高い事をチョッピリ女史とあだ名された主人公のおばさんが話
をしている。
また、九十九里の辺りに別荘を持っていた事や、兄弟共に大学に入って いる事からして、金持ちであったのだろう。
上述した人達が前半の構成人物達である。 後半の人物は、役者関係の人達が主体ですが 割愛します。 兄は、大学を中退し、小説を書き、弟は、R大に入ったが、歌舞伎の道 を選び、最終的に歌舞伎で成功してこの物語は終わるのだか゛、
この青年の日記には、聖書の御言葉を兄に読んでもらったり、生活の随 所に聖書の御言葉と主人公の思いが書かれており、また、父を亡くし、
母も病気がちで、姉、兄ともに、とても苦労している事についても、よ
く描写されている。
ヘレン・ケラーの話をラジオで聞いており、彼女が、盲人でありながら 、口が喋れるようになり、博士号をとった事に対して無限の尊敬を払う
べしといっているし、彼女の詩を読み、宗教にたいして、信仰の力、信
仰とは奇跡を信じる事は、合理主義ではないと言っている。
この青年は、賛美歌もよく歌い、よく聖書も読んでいたようだ。 見せ場としては、歌舞伎の試験の時に、ファウストを朗読するシーンが あるのだが、太宰は、この物語も、学者ファウストが、悪魔の契約を結
び、若返り、そして、この世の事を知る事を求めて生きる物語だが、キ
リスト教会では、有名な物語名作として知られている。
一度、読む事をお勧めします。 何よりも、一番私が注目したのは、太宰治がこの物語を書いた時代背景
です。
太宰に召集令状が来たのが、昭和16年で太平洋戦争があった頃で、世は 、第二次世界大戦の真っただ中の頃でありました。
太宰は、左胸の故障で戦争に行かなかったのですが、当時、このクリス チャンの小説を書くという事がいかに、危険で命がけであったのかとい
うならば、天皇陛下万歳の時代に、主・イエスだけが神とし、天皇を人
とする宗教、キリスト教を伝える事は、勇気のいる行為であった。
この歌舞伎の青年の日記の頃は昭和10年頃で、 先ほども書いたように満州事変の頃で、また天皇機関説など、天皇専制 ではなく、天皇は最高機関であるが、内閣や他の政治機関からの輔弼を
得ながらの統治権行使を説いた説などが出始めていた頃で、天皇の主権
が一時弱まりつつある、状況であった。
だから、この青年クリスチャンがこの日記を書きやすかったであろうが 、しかし、太宰の頃は、戦争の真っただ中で、いかに、太宰が、神への
信仰、愛を相当な覚悟で伝えたかが、わかる。
太宰は、残念ですが、悪の誘惑に負け、自殺をしてまうのですが、 彼が、朗読に入れた、ファウストの中に彼の矛盾した中の信仰と天国を 期待する自身に対しての思いもあったのだと思います。
ファウストに関しては、簡単なあらすじを読んで頂きたいです。 最後、本当の喜びを知った、ファウストは、天国へ入るという物語です が、実際聖書的に言えば、天国へ入れないでしょう。
悪魔と契約結んだ物語ですから、 でも、私が思うのは、太宰のその当時の信仰は、本物であった。 そして、私達は、信仰を維持しなければならない。 後に神に背く事があってはならないのだという事を、太宰と正義と微笑 の物語は、教えてくれている。
今日は、神への愛信仰を持つ事について、また 背信に対しての注意も兼ねてこの物語を紹介しました。 新約聖書は、2000年前から読まれた書物です。
何が書かれているのか、私達を救う為に子なる神である主・イエス様が 人の形をして生まれ、最後十字架にかかり、私達に永遠の命を与えてく
たさったという事を聖書は伝えています。
あなたは、死後何処に行くと思いますか?
罪から来る報酬は死です、どうしたら天国へ入れますか。 その答えは、教会に行き、聖書を読み、罪を悔い改めて、十字架の救い
を理解するならば、
神を信じる人は、誰でも救われます。 |
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昨日は、午前中は雨でしたが、午後は晴れだった。
でも昨日は雪が千葉あたりでもふったようだ。 私は町田付近に住んでいて、お気に入りの銭湯 があるのだが、そこへいく途中と車の温度計は 3℃だった。昼は13℃くらいあった。 さて、今世の中、韓国では大統領の不正問題やら日本でも森友学園
の国有地売却問題と財務省の問題、アメリカでは、 トランプ大統領のトヨタ批判、移民問題などで騒いでいる。 しかしトランプ大統領は、規制緩和やインフラ投資、 法人税の減税など決して悪い政策ばかりではないが オバマケアなどの廃止など福祉面では、やや疑問がある 。 さて、今日は、主・イエス様にお祈りをして、主によって 感謝して生きる恵みによる信仰の考え方について、太宰治の 新郎という物語やカール・バルトの箇所また自身の証をさせて 頂く予定です。 昭和十六年十二月八日之を記せり。
この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり 新郎はこのように、戦争が始まる世の中が不安になる頃に書かれた作品です。 大戦がはじまり、文化統制が強化される中書かれた小説だからこそ私は、こ の新郎の物語に注目しました。 テーマとしては、思い煩うなというところでしょうか。 この物語は、聖書の御言葉を題材にしているのは明らかで、 太宰の性格というか人格が、聖書的で、勇敢な方であったのだと言う事がで きる本です。 印象的だったのは、食卓の上に何もなくともわずかで貧相なおかずでもそれ を誉めて、むしろ楽しみにする心貧しい明るく生きる心、また学生が来た時 に、彼は優しさと言うものは、はにかむことではなく思う事を厳しく言う事 であるといっている。 その理由は、私が最後の審判の台に立たされた時「けれども、私が付き合っ た人を一人も堕落させませんでした。」 と言い切る事ができたら、どんなにうれしいだろう。 それが私の優しさなのだという。 もしこの学生にその時殺されてもいい、殺す学生は永遠のばかである。 旧約聖書の神様の民の堕落に対しての怒りに対して太宰は鋭く愛という転換 をなしている。 また、カールバルトという方は、神学者だが教会に対してこのように語って いる。 しかし教会が罪を犯して罰せられる時、弱められ、力を失い、追い散らされる ような時も生じたり、また洞窟に避難したり、移住をよぎなくせらるるときも あろうが、唯一1つの事それは教会は滅亡という事は起こりえないなぜならば、 教会の主が現在いて、 彼らの中にとどまるからだ。 教会を救うものそれは、いつ如何なる時代にもイエス・キリストに於いて私た ちに人間へと差し伸ばされている神の御手である。 私も結構貧しいところを通らされている。私が信じはじめた時、預言だったのかも しれないが、白髪のおばさんが戦時中の話をしてくださった。 米びつがなくてもしゃあしゃあと騒がない信仰が大事であると、 人は誰しも、完全に全て満たされ満足して生きる人は少ないのではないだろうか。 昔見た物語に王がいて、王は全ての贅沢をし尽くしたが、楽しみがなくなり、 ある時仕事をして、疲れた時のごはんが今までの何よりもの御馳走であったのだと いう。 今日は、聖書の箇所でいう、愛とは何か、テサロニケの手紙にもあるように、絶えず 喜び感謝する事、それは、時に貧しい状態で来る場合もあればそうでない人もいる かもしれないが、感謝の心を持つ事の大切さを語らせていただきました。 主・イエス様を信じる人は救われます。
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ラサリーリョデ・トルメス
今年もクリスマスがやって来た。
時代の流れとしては、都知事に小池氏がえらばれ、 アメリカの大統領に共和党のトランプ氏が選ばれたこと、 また原油が最近値上がりしてきているし、シリアでは、戦争がありました。 そんな中、私の庭のミカンには、メジロが沢山きて甘いしるをまるで子供 達のように、美味しいそうにつついている。 空を何気なく見ると夕空に一際大きな一番星が輝いていた。
さて今日は主に祈り一人の貧しい少年の話をラサリーリョ・デ・トルメス の生涯の簡単なあらすじ紹介します。 この本はスペインのカルロス1世、神聖ローマ カルロス5世が王位をフェリ ーペ 2世に譲ろうとしてた16世紀の中頃に作者不名で現れて大変な人気 になったと言います。 当時の スペインは新大陸を領有し、世界の最強国でヨーロッパのあらゆ る所で戦争があり、この物語には、メクラのこじきや貪欲坊主、貧乏な 下級騎士、などこの時代を鋭く描写し、風刺しているが、主人公のラー サロは、上述した人達の召使いとして、生きながら、主人に食べ物を与 えられず、空腹の中で、ドッコイ、負けずにずる賢く知恵を使い生きている。 でも決してその事が嫌みにならない作風と最後は、奥さんをもらいハッ ピーエンドで終わる所に不安な時代に於いて信仰心をもつならば、神様 に守られる。安心感と笑いもあるこの小説には、当時の小説家が書く騎 士道精神や牧歌的な物語と違う斬新さがあったから、多くの人がこぞっ て読んだのではないか。 私がこの物語を紹介したのは、主・イエスの救いの有難さを知ってほし いからです。 マタイ2章6 ユダの地ベツレヘム あなたは、ユダを治める者達の中で決して一番小さくはない。 私の民を治める支配者があなたからでるのだから、そして全世界の王で あり創造主の主・イエスは馬小屋でおうまれになりました。 参考聖書資料 詩編148、ローマ10、 ハレルヤ!!天に於いて高い天で主を賛美せよ。 御使いらよ主の万軍よ、集まって主を賛美せよ。 日よ月よ輝く星よ天の天よ主の御名を賛美せよ。 主が命じられて、全ての万物が造られたからだ。 信じて口で告白し、主の十字架の愛と神の教えを守る人は
誰でも最後は真理に到達し、救われる。 私達人間は罪をおかしましたが、このお方は聖霊により生まれたので罪を
犯さなかった。 しかし人のあらゆる苦しみを背負われ時代に捨てられても、 弟子や人間を愛され、その十字架の救いをなしてくださった。 クリスマスは主がおうまれになられた日です。 記念日という人もいます。 しかし聖書は霊によって読むものです。 だから12月25日を教会は盛大に祝うのです。
主・イエスの十字架の救いを信じる人は救われます。
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