信仰日記

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戦後の友に・・。

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今日は、 8月15日戦後60周年の日で第2次世界大戦では、多くの方が、今の私達の平和を築き、そして死なれました。
靖国問題で、A級戦犯の問題で、中国、韓国、日本が国民性の問題でゆれるさなか、私は、小説で自己犠牲という物語をふっと思いだしました。
 
 ところで主・イエスキリストのキリストとは、教会では、救世主と呼ばれております。
キリストが、十字架にかかられたのは、私達の罪を主・イエス様が、引き受けてくださった象徴として、知られています。

 この全世界を創られた神は、聖書でこうおっしゃっています。
「黙示22章20:しかり。私はすぐにくる。」と最近の温暖化といい、スマトラ島の津波にしても、人間の利益中心の生き様が、この世の生き物との共存共栄を考えないせいで、自然としか人間は、いきれない生き物なのに、罪のせいで、私達の世は、闇に向かっています。
しかし、私は神に感謝します。
肉体はほろんでも、復活があるから・・・
 さて、話を小説の自己犠牲の話に戻します。
 まず救命ボートの上から物語は、はじまります
激しい波風、そしてなにぶんにも早すぎる船の沈没せいでかろうじて、救命ボートを降ろしたものの、乗り移ることができたのは、私を含めて、たったの3人しかいなかった。
医者である主人公と、料理長のコックとニ等航海士、の3名だ。

 七十五日の漂流生活の後、生き残ったのは、主人公たった1人でした。
一日目は悲愴感もなかった・・・。
二日目、唯一の欠乏品の食料が他の全ての完全装備を圧倒し始め、四日目には、救急箱の劇薬以外の薬ばんそうこうさえも、しゃぶりつくしたそうです。
彼ら3人は、まったく同じ見解にたっした。

 一番必要なものは、何か?
それは食料だ、彼らは、自分が生き残る為の主張ではない、彼ら3人は、自分を説得するかのように、静かに主張をはじめた。

 「医者は、他人の生命を守る必要があり、また維持するぎむがあると」
それに対しコック「とんでもない。医者には注射をしたり死亡診断書を書いたり、仕事が多忙でしょうしかし料理人は、純粋に料理を他人に提供するだけですと・・」

 最後に2等船航海士がこうしめくくった「なるほど、料理人には、食料の加工が必要ですが、加工品の提供とは、話がちがうはず、より正確に言うならば、料理人には、料理の材料を請求する義務が・・・、
 
 医者には、その料理人が義務を遂行する為の、健康管理の義務が・・・、ある。2等航海士は、自分だけが、このことにより、最初のぎせいになったほうが、料理の知識をもっている人と主人公が生き残ったほうが、より長生きできるのでは?と・・・。

 2等航海士は彼らがすっかり自信をなくして意気消沈しているのをみのがさなかった。彼は、大型ナイフで素早くのど笛を掻き切った、主人公達に殺人を犯させるほど、
彼は、薄のろではなかった。

 彼の死の後、今度は、料理人も死に最後主人公はいきのこった。
二人の友にさきだたれ、関係者の間では、生存者が私一人であったことに関して、なにやらいかがわしい憶測がなされていると聞く、しかし主人公(医者)は、ただこういっただけだった別段、全面否定する気はないと、友二人のかわりに犠牲になろうと自分との戦いに明け暮れ、最後、料理人が犠牲になる前に、彼は、料理人の誇りを傷つける。

 自分の職業の誇りを傷つけられたコック長に殺されかけた時に、主人公は内心ほくそえんだ、
彼には、もう天国へいく準備はととのっていたから、しかし主人公の思惑は、はずれる。彼はコック長は自分の心臓を刺してしんだまるで、主人公(医者)の思惑を知って演技でもしていたかのように・・・。

 主・イエス様は、私にとっての友という事について聖書でこうかたる。
ヨハネ15章13:「人が友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はありません。」14:私が貴方に命じる事を貴方が行うなら、貴方は私の友であると」

 天皇陛下のために、国の家族のために死んでいった遺族のためにも今日の十二時の黙祷は、私は神にいのり、彼らの偉大な日本の子孫のために、祈りました。
主の十字架を信じます。それが真の平和の実現だと確信しているからです。

親分はイエス様

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天におられる私の父の御心を行うものは、誰でも私の兄弟、姉妹です。
という御言葉があります私達ももし、悔い改めて生きるならば、主・イエス様を信じるならば、どんな罪も赦されます。
さて私はこの間、親分はイエス様という映画をみました。
主人公は木原勇次(渡瀬恒彦)で、山政会若頭補佐で、対立する中森組の若頭補佐 島俊夫(奥田瑛ニ)との抗争中、かれらには妻がいて、両方の妻は、クリスチャンで、家族に暴力を振るうし、いつも自分のことしか、考えていない現役のヤクザ達でした。
木原は、抗争に行かないでという妻の言うことも聞かず戦いへ、しかし両組の間に、手打ちの気運が生じるがいなや、木原は、組から邪魔もの扱いされる。
親の為にならば、命をはって生きて来た木原にとって裏切られたのは、ショックだっただろう。
彼は、やけになり、覚せい剤におぼれるようになる。
まさに人間失格の絶望的な状態に木原は、おちいってしまっていた、妻を裏切ってまで、仁義のために戦ってきたはずなのに・・・。
しかしそんな木原を神は、見捨てないある日の夜に木原は、町をさまよう内に夜空に浮かぶ十字架をふとみる。
そして、礼拝堂の中で寝ていると牧師がきて暖かい声をかけてくれ、彼に、ラーメンをくれる。
そして、妻のもとへ帰るように勧めてもらう。
家族との再会は彼に希望と生きる勇気をはぐくんでくれた。
そしてある時、教会で自分と同じヤクザの者が、贖罪の為に十字架を担いで、あるきたいという語った彼の言葉に堂々と、素直に語っている彼の祈りを聞き、木原は、「こんな自分でも、もう一度、やりなおせるだろうか?」
と言う希望が芽生えてきた故郷の教会を妻子と一緒にいき、彼は、日本横断の十字架行進を主・イエス様の導きではじめる。
旅をする内に、仲間も増え、勢いずく木原達であったが、前に対立していた中森組の島俊夫が、彼らの前に立ちはだかる。
しかし、そして木原に決闘をのぞむでも、木原は銃での決闘をするが、島をうたなかった神を信じ、銃を捨てるその真剣な、神への信仰に心打たれた島もこの時に、主・イエスを信じる。
木原の生き様が、彼の目が彼の心のかたくなをやぶりました。
彼のもう一度主・イエスを信じるならば、やりなおせるという
強い信仰が、彼と島を救った。
そして最後彼らは十字架行進を終え、妻の祖国へ行きたいと仲間に告げる自分の罪を清算する為もう一度、やり直す為に・・・。
私はこの物語を見て、希望がわきます。
というのも、今でも私は罪を犯すし、ただ憐れなそんざいです。
昔の時代では、罪の悔い改めのために雄牛や羊が私達の罪のためささげられてきました。
たくさんの血がさざげられてきました。
何十万の生き物達が犠牲になるほど私達の罪はおもいのですが、そんな私達のために主は私達の受ける御怒りをかわりに引き受けてくださり、すぐ背く私達の為に十字架にかかって罪をあがなってくださるばかりか、私達を御心を行うならば、どんなおおきな罪も排除してくださります。
たとえつみが海のようにおおうとしても神はさらに強い愛で私達の心を支え導いてくださいます。
 

ジャンヌ・ダルク

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時は1413年、フランスちょうど英仏百年戦争のまっただなかに、主人公のジャンヌ・ダルクはうまれる。
彼女は13歳の頃によく教会の告解室にいっていたようです。
戦争がずっと続いていたからでしょうか?ジャンヌは教会に入り浸っていたようです。
そして、彼という存在(恐らく神だと思う)にあったり、また彼女は、天上の声を聞いたり、また幻影をみるそしてある時、村の外で一人で遊んでしると不思議な幻をみる。
イエス様かどうかわからないが、それらしき存在の幻を見てそしてわれに帰ると、自分のそばには剣がそなえられていた。
その時、村は、イギリス軍の攻撃をうけ、村は火の海に・・・。
姉カトリーヌは、敬虔なクリスチャンだったとおもうが、そんな姉をイギリス兵は皮肉にも、ジャンヌが隠れてみている目の前で犯し、殺した。
 時は流れ、17歳になったジャンヌは神の声を受けてシノンの城にいる王太子シャルルのもとへと向かった。彼女はもはや自分が神の使者であることを信じて疑わなかった。
文字も読めず、武器の扱いさえ、わからないジャンヌでしたが一つだけ命を失ってすら失わないものがありましたそれは、信仰です。
主・イエス様は、そんな彼女の手助けをするかのように、シャルルの義母ヨランド・ダラゴンは14世紀の霊能者たちの預言を知っていて、王太子シャルルに助言するロレーヌの森の乙女が奇跡をもって、フランスを救うと助言する。
ジャンヌは、兵を与えられ、サン・ルー砦奪取、オーギュスタン砦奪取、トゥーレル砦奪取その時ジャンヌは、胸に矢を受ける。
かの女は胸に矢を受け死にそうになっても彼女の神への信頼は衰えず、彼女は、復活する。
そしてそんなジャンヌの勢いにつかれきった兵士達は勇気づけられ、ジャンヌが、シャルルにいったオルレアンの解放を実現してしまう。
そして町々を解放したジャンヌを民衆は歓呼で迎えた。フランスでは荘厳な戴冠式が執り行われ、フランスの君主シャルル7世が誕生した。
ジャンヌは、さらに戦うが、ジャンヌの人気が王の権威を傷つけることを恐れたヨランド・ダラゴンや重臣たちは、彼女を敵に売ろうとした彼らは、自分達のために矢をうけ、か弱い女でありながら、シャルル7世のために忠誠の限りをつくしたジャンヌはコンピエーニュで、ブルゴーニュ派に捕まる。
この時から黒頭巾の男が、ジャンヌ・ダルクにあらわれるようになる。
この男が、誰だかは、分からないが、この男は、ジャンヌの神からの奇跡が、皆自分の思い込み偶然だと、いってることからわたしたちの教会の世界では、サタンとよばれる存在に似ている。
この男はことあるごとにジャンヌの弱いところをつく、姉をころされてイギリス人を憎み、神を利用したのではないのか、剣があったのは偶然がかさなっただけ、また戦いのなかでジャンヌが「私についてきなさい。」といった言葉を思い出させ、神では、なく自分の行いであるかのように、この黒頭巾の男は、牢獄で、彼女の信仰をゆるがせようとする。 
 法廷では脅迫や誘導尋問が続いた。そして、最後には命と引き換えに異端放棄宣誓書を書かされる。
黒頭巾の男はこの時もあらわれ、彼女にかみへの不真実をかたるが、ジャンヌは、
宣誓書をやぶり、19歳の若さで火やぶりにあう。
最後、印象的だったのは、黒頭巾の男は、ずっとジャンヌ・ダルクの信仰をゆるがせようとしたが、死の最後彼女の信仰をみとめたのだろう。
彼女の祈りを祭司のかわりに聞く。
恐らくサタンであろう敵の心さえも彼女の神への純粋な信仰が和解をさせたのだとおもいます。
彼女は世にうちかったんです。
自分の命を捨ててまで律法を、神を愛した彼女は尊敬にあたいする人です。
聖書のローマ人の手紙2章13それは、律法を聞くものが神の前に正しいのではなく、
律法をおこなうものが正しいとみとめられるのです。
とありますが、まさに彼女は神の子そのものだったと思います。
フランスの解放のため、好きな服をきたり、結婚したりする道をすてて、神の意志のためだけにいきた彼女の一番の願いそれは、主・イエス様の十字架を一人でもおおくのひとが信じることだったのであると私は、確信しています。
なぜなら、ジャンヌの罪も私の罪もキリストの十字架の血による贖いによってしか、
とりけしにはならないから・・・。
私はおもいますが、ジャンヌが胸に矢を受けて、イギリス軍にとって死んだとされていたジャンヌがいきていたこれこそ主・イエス様がかの女を、神がつかわされた一番の証だとかんじました。
復活これこそ私達が、待ち望んでいることだから。

壊れかけの器でさえも

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 思春期に、少年から大人に変わる道を歩いていた汚れのないままに、人は皆自分を愛する者だと思います。
だから、幸せを捜しつづけるのが、いつも人の常なのかなと思います。
しかし生きていくにつれ、自分もそうですが、人は、自分の思いのままにならない経験を、誰でも一度か2度は、するのではないでしょうか?
失恋したり、部活にはいったのはいいけど、レギュラーになれなかったり、それでも手にいれる迄あきらめない人もいます。
私は、弱き器という小説を読み信仰について考えさせられました。
主人公は、町の十字路に骨董品店があり、中には12歳の少女の身丈を持っている観世音をみた。
今にも倒れかけそうなその像が倒れやしないかと思いながら、その場を過ぎたその後に見た夢で、観世音の体か゛自分の方に倒れかかってきて、長く豊かな手だけが生物のように自分の首にだきついてきた。
そして主人公がはっと飛びのくと、その像は木っ端微塵に砕けちる。
その後、そのかけらを彼女が拾うという変なものがたりだ。

 私は、この小説を書いた川端康成という方は、この観世音を女に例えて弱き器と言ってますが、私は彼は、幸せを探していたのではないかと感じました。

 彼にとっては幸せが女性だったのかもしれないし、わかりません。

 しかし長く豊かな手だけが生物のように自分の首にだきついてきたシーンをみると、女性のことを欲していたのだろう。


 大概人は、何かを得たいときには、手に入れる、手で掴んでみせるといいますが、この作者は、失敗が多かったのかもしれません。

 さて、聖書では、よく主・イエス様を陶器師に例え、人間を陶器に例えて、御言葉を語ることがあります。
陶器とは、もろいものですから、すぐこわれます人の心もそうです。

 昔、旧約の時代に、イスラエル人(神の民)は、エジプトのパロに奴隷のように、扱われていたようですが、ある時彼らを憐れみ、指導者モーセを神は選び、彼らを神はエジプトから、神に従えば与えるといわれた。

  そして素晴らしい地カナンの地に、神はこの民を向かわせた。
 いろんな事があったが40年荒野をさまよい、彼らは自分達の地を手にいれる。
 
 しかし、彼らは主に何度もそむいてきた今日まで・・・。

 バビロン補修、アッシリア補修、彼らはまた主に神にそむいたせいで、自由を奪われる。
神の民と言われる者達でさえ、このありさまですから、人間の心は本当にもろい時にこなごなになってしまうものですが、私も親や、愛する人、特に彼女が、火やぶりにされたり、殺されるならば、私の信仰はどうなるかな?不安になります。
 
 イザヤ63章8〜10には、主の陶器師としての人間を愛するが故の葛藤がかかれてます「誠に彼らはわたしの民偽りのない子達だ。」彼らがくるしむ時には・・・、いつも主・イエスさまも、十字架にかかる前から苦しんだと昔から神は、ずっとかれらを背負いだいてこられたと・・。

 しかしかれら=イスラエルは、逆らってきたのだそうです。
主は今生きておられます。
 そして一人一人の中に確かにおられます。

 この被造物の土器のような、弱くもろい人類の心の中に。
 
 なぜなら手に入れられないほど、愛するものの存在をいとおしくおもうからこわれたかけらを小説では集めていたというけど、神は、私達をまっています。

 生・老・病・死で朽ちてしまう、土器のようにもろい、このこわれた体を復活させてくださるかたがいます。
彼は、十字架にかかることで、この罪の壊れかけの器を、完璧なものへと、かえてくださるのです。
しんじるならば・・・。
         
 

共存共栄の世の中に

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今日は海の日で休みなので、多摩川の河川沿いの道を、ずっと歩く事にした。
午後2時だろうか?、午後3時になっただろうか?。
歩いていくと皆生き生きしている、ジョギングをしている人、外で家族と食事している方、ずっと真っ直ぐの一本道を歩きながら、後ろを振り返り、つくづくこの世には、時間があるんだなと感じました。
私達には目には見えないけれども、時がありそして皆、全ての生き物が共存しあって生きているのを、緑の中を散歩しているとき、神の恩恵を感じ、また喜びを受ける私ですが、それにしても、世の中暑くなったなと最近つくづく、感じます。
聖書では、創世記1章で主・イエス様(全世界の神)は、6日間で、人間を創造なされます。
そして最後に人間は、創られましたが、この頃の人間(アダムとエバ)は、まったく神の前に罪を犯してはいませんでした。
しかし、サタンにエバがそそのかされて善悪の知識の木から、食べたことにより、人類の罪がはじまります。
神は、人間を男と女に創造し、御自身に似たものとして、創られたのは、人間を信頼し、また自分と同じように、正しく生きることを期待していたから、そしてそんな人間に神は、創世記1章28、でこうおおせられます。
「生めよ。ふえよ。地をみたせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地のはう全ての生き物を支配せよ。」
私達人間は、全ての生き物を神から、プレゼントされたのですが、私達人間により、現在森林の伐採が行われています。
私のすんでいる町でも、2年ぐらいで、山が家々で明るくなりました。
また人間が無差別に計画性もなく子供をうんだせいで、たくさんの方が飢えに苦しんでいます。
当然生き物も育ててあげるのではなく、今に人間のために食べさせ、放牧もせず、餌だけ与え物のように命を製造するようになるでしょう。
人間がいくら、食べる為とはいえ、生き物に自由もあたえ、おいしい餌と精一杯育ててから出なければ、ただの道具と同じです。
私達が、支配という言葉を間違えて自分達の為だけ今の時だけ考えて生きるならば、
おおきなしっぺ返しがくると、感じますが、しかしこういう時代だからこそ主・イエス様の十字架をのべ伝えたいです。
罪を認め主を信じる者は、死んでも、復活があります。

 

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