信仰日記

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7月から8月、2〜3日前までは、35℃くらいの酷暑が続いていた。

そんな中でも、私の近所の商店街では、祭りで、浴衣姿の人達が、踊りや、太鼓を叩いて、

暑さを力にしているようにさえ見えた。

 

 さて、今日は、主・イエス様に祈り、パオラのフランチェスコのことについて書かせてもらった。

  彼がうまれる前は、第一、第二、第三、十字軍エルサレム奪還などによる、トルコや、

エジプトのアイユーブ朝などと争いがあり、世は混沌していた。



十字軍により、聖地回復したことなどもあり、13世紀初め、インノケンティウス3世の時教皇権

は、絶頂に達した。

 

 しかし、たびたびの十字軍の失敗などにより、教皇の権威はゆらぎ初めていた。

フランチェスコが生まれた頃、教会は衰微しており、イギリスのウィクリフ、フス、などがカトリック

の教義が聖書から離れていると糾弾したほど、教会は腐敗をしていたそんな中、フランチェスコ

は活躍する。

 彼は、1416年、イタリア・カラブリアのパラオでうまれる。

彼の名の由来は、アッシジの聖フランチェスコの名をとって名づけられた。

 その名のように、彼は、隠修士となる決意をしたのは、14歳の時だったそうです。

普通の子であれば、まだ、あらゆる快楽や楽しみなどに好奇心旺盛な時期に彼は、

神を信じ、愛する道を選ぶ。

 そのきっかけは、両親と同行したローマ、モンテ・カッシーノ、そしてアッシジへの巡礼の旅が

きっかけであったといいます。



その後彼は故郷のパオラ付近の洞窟で、一人暮らしをはじめたのだそうだが、不思議と彼の

質素堅実な生き方に賛同した人たちにより後に、教会兼住居を建て、かれらは、友人と2人

で暮らし始める。



そして1436年彼らの教会は、コゼンツァの大司教から認可をうけるほどにまで、成長した。

さらに1474年には、今度はローマ教皇シクストゥス4世からフランチェスコの修道会を、ミニモ修道会として、承認された。

彼の評判は、イタリア国外にまで知れ渡り、フランスルイ11世が病気のことで相談にきました。

そしてルイ11世の死後王位継承者の摂政、アンヌ・ド・フランス、と彼女の息子シャルル8世

に支持された。

彼がここまで指示されてきたのには、彼の人としてのカリスマや、人望が厚かったためでもある

が、私は、当時の腐敗した教会のあり方にも負けずに自らの宗規を完成させ、主・イエス様に

仕えた、彼の善性に、主・イエス様のかおりを感じたからこそ、人が彼のもとにあつまったのだと思う。



私がこの人の人生を見て思う事は、彼は、心の医者として生きた人なのだと思った。

なぜならば、ルイ11世は病気の事でかれに相談をしていたから私はそう感じました。

パオラのフランチェコは、きっと真理によって、人の魂を主・イエス様の十字架に向けさせ、魂の

真の解放に務めた方なのではないかと思います。

ヨハネ8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人に言われた。 「私の言葉にとどまるならば、

あなた達は本当に私の弟子である。 あなた達は真理を知り、真理はあなた達を自由にする。」

では、真理にとどまるとはどういうことなのでしょうか?

その答えは、ヨハネ11:25〜にあります。

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じるものは、死んでもいきる。 生きてい

て私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。」

主・イエス様の十字架を信じるということ自体が真理の道であり、永遠の命の道です。

そして、信じる人は、天国へ入れます。

川の流れのように歌を

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最近、蒸し暑くなってきました。
2〜3日前から気温が30度くらいになり、昨日は、たしか群馬では、35度くらいであったと聞きます。
 私は一ヶ月くらい前に福島と、仙台近くの教会へいった、どんなに哀しそうにしているのか?
恐る恐る行くと、かれらは、手を大きく広げ、神を賛美し、原発の脅威に負けずに、祈っていた。
 その言動力は、神が復興をしてくれると言う強い確信と、励まし、癒しの賛美、聖歌などの歌であったのだと思う。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、昭和の歌の歌姫であった美空ひばりさんの話から主・イエス様から教えていただいた事について、書こうとおもいます。
 私の美空さんに対するイメージは、歌がうまく、竹を割ったような強い女性のイメージがありました。
彼女の歌や劇に対する異常なまでのこだわりや、客に塩酸をかけられたり、バスの転落事故があった時後、魚屋で、短気で美空ひばりさんの母に包丁投げつけるような父の前で、歌うことを強く反対された時、歌をやめるならば死ぬとたんかを切ったようなエピソードから、私は美空さんを女性と言うより、お母さんお袋さんのようなイメージで見てました。
 そして歌が好きで、劇にいのちを懸けた人でした。
彼女の歌で私が好きな曲の中に、真っ赤な太陽と言う曲があります。
彼女は、どの歌もそうなのですが、本当に喜怒哀楽を、うまく表現しながら、歌っておられます。
 悲しき口笛では、悲しみを、お祭りマンボでは、喜びを私は、どうしてこのように歌えるのかを、彼女の自伝からしりました。
 彼女は、神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれた。
 妹は佐藤勢津子、弟はかとう哲也・香山武彦。家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けひばりは歌謡曲、流行歌を歌うことの楽しさを知る。
この頃は、まだ、戦争中でありましたので、1943年6月、第二次世界大戦の戦時中に父・増吉が出征となりました。
 その時、ひばりさんは、ひばりは父のために『九段の母』を歌った。
 当時、第二次世界大戦の中で、歌手にならせてくれたり、その才能を認めていたからといって、母が、娘のために唄を歌えるような、状況
 を作ってくれた母親がいたでしょうか?
 鬼畜米英と言われ、米国に勝つ事を賛歌するような、誤った時代に生まれた、ひばりさんにとって、まさに母は自伝でいったように、
 ママとしてではなく、それ以上の人物であったのだと思う。
 ひばりのために八方手をつくし、財をはたいて、自前の「青空楽団」を設立NHKのど自慢に出場させ、リンゴの唄をうたわせ、赤いドレスを着させてうたわしたりしてあげたが、その事が原因で、大人の唄で、ハイカラな服は、非教育と言う事で、唄のうまさは、認められていたのだと思うが、子供らしくないと言う悲しい理由で、不合格となる。
しかしそんなひばりさんたちを、神は、歌の道へと、導く。
  1946年9月、横浜市磯子のアテネ劇場で初舞台を踏む。翌年の春、横浜で行われたのど自慢大会終了後、審査員をしていた古賀政男のもとにひばり母子は駆けつけ、「どうか娘の歌を聴いてください!」と懇願する。ひばりはアカペラで古賀の「悲しき口笛」を歌った。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とエールをもらった。
 歌の上手な女性は多々いると思いますが、私は彼女の母の子への思い優しさ、そして母父の竹を割ったような力強さ、そして決断力
 そして、戦前戦後の貧困や別れを悲しみを経験したからこそ、彼女は、ただ歌を歌うのが上手な歌姫ではなく、私達に勇気、喜び、希望
を与えることのできる、作曲した人の要望に応え、人に心を、愛を、プレゼントできる人になれたのではと思います。
結婚し、子供もが産まれ、子育てと、芸能活動の中での離婚、母の死などを乗り越えてきた。
歌にも劇にもめぐまれた。
歌と共にあった人生だったのではと思います。

  昭和から平成に近づき、最後彼女は、入院を2回した。
 1度目の入院の時に彼女は、自伝にこのように書いている。
 歌いつづけます! 歌は我がいのちです。
 この時、福岡の済生会病院で入院していたひばりさんは、母を失い、離婚して一人で子を支えて、生きてきた。
 そんな、彼女を支えていたもの、それは歌であった。
 そんな闘病記のなか、彼女は自伝で、相田 みつお、川野進などの詩をノートに書き残していた。
 私が感動したのは、彼女は、自伝で闘病中にこのような詩をつくっていることに感動を覚えました。
 花よりも、美しき心、失わずこの世の沼を歩み続けん。 
そして、退院してたけれども、病気で、歌えない状態で息子に「ママ、もう引退したら?命が大事だから」
 と言われた時舞台で死ねたら本望といいます。
 彼女を支えていたものはいったい何なのか?
  それは、愛であったのだと思います。
 観客への亡き父母への息子への愛、それを歌として、届けてきたひばりさん。
 彼女の歌に愛さんさんという歌、川の流れのようにと言う歌には、主・イエス様から、ひばりさんへの歌のプレゼントで
 あったのかもしれません。
 女性初の国民栄誉賞を受賞して・・・。
 彼女は、愛をしっている女性であったのだと思います。
 彼女の歌う曲の愛さんさんという歌詞をみると、

   あめさんさんと、このみに落ちてわずかばかりの運の悪さを恨んだりして。
   人は哀しい、哀しいものですね
   それでも、過去たちは、やさしくまづげにいこう
   じんせいって不思議なものですね〜


愛を知っていたからこそ、哀しみを歌えたのだと思う。
 そして、哀しい事に歌が全てであったが故に、真理には興味をもてなかったのかもしれない。
しかし愛、本当の愛を、真理を求めたからこそ、ご自身が自伝の中で詩を残し、河田進、相田
みつおさんなどの良い詩を、人の愛真理を求めたのではないかと思われます。
 そんな美空さんが教えてくれたこと、それは、歌を歌うことについてです。
 彼女は人生を通し、歌とは人に愛をさんさんとめぐみのあめのようにふり注ぐことである事を教えてくれた。
 歌で、勇気を、青春を、恋愛を、そして人を愛する愛を・・。
 さて、私達教会でも、主・イエス様の愛を賛美する歌で多々あります。
 その歌の中で聖歌593ああめぐみと言う歌を紹介します。
 
  罪にみてるせかいそこに住む世人に
  「いのちえよ」とイエスはちしおながしませり
  ああ〜めぐみはかりしれぬめぐみ
  ああ〜めぐみわれにさえおよべり。
 
 主・イエス様の十字架のめぐみは尽きることはありません。
 人は愛されて裏切られて、また、運の悪さを恨んだりするかもしれません。
 そんな中、いつも変わらず私達を待っていてくれる方がいます。
 この方こそ主・イエスキリストです、
 そして人の心は、変わるとも、神の愛は、変わりません。
 めぐみは、すぐ近くにあります。
 どこにでしょうか?
 それは、あなたの心にある命の言葉として聖書の中に、そして言葉として私達の心の中に。
 主・イエス様の十字架を信じる人の心は、めぐみでみたされ救われます。

 

 

 

 

主・イエスの復活

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聖ドミニクス

スペイン生まれでドミンゴと言われる。

彼は、南仏にはびこった異端を改宗させた。

あるとき、異端の書と聖書を火にくべた所、

聖書はついに燃えなかったという伝説がある

ドミニコ修道会の創始者




今日は、イースターです。

主・イエス・キリストのキリストとは、救世主であることをさします。

私達の救いの神は、私達を真に愛して、もつ薬を拒むほどに私達を愛してくださいました。

上記のドミニクスは、異端信仰を持つ、宗派やヨーロッパ大陸の北辺にまだ福音宣教の

行われていない人々に福音を愛の炎をもって伝えた方です。

ドミニクスはいつも神「とともに」、神「について」語りました。聖人たちの生涯の中では、主へ

の愛と隣人への愛、神の栄光の追求と、霊魂の救いの追求を絶えず、欠かさない人でした。


聖書詩篇148:、イ51、イ53、ヨ1、イ9


ハレルヤ。

神の聖所で、

神をほめたたえよ

御力の大空で

神をほめたたえよ。

義を追い求める者、主を尋ね求めるものよ。

私に聞け。

私の義は近い。

私の救いはすでにでている。

幸いなるかな、主・イエスの御ことばと共にいる人は、

初めに言葉があった。

言葉は神と共にあった

言葉は神であった。 
 

しかし、その神=主・イエス様がこられた様相は、こうであった

まことに彼は病を負い、私達の痛みをになった。

彼はさげすまされ、人々にのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。

しかし、彼を砕いて痛めることは

主の御心であった。

主・イエス様の十字架により私達闇から光へと移される。


主をほめたたえよ。主の万軍よ。

主をほめたたえよ日よ月よ。

教えと証に尋ねなければならない。

もしこの言葉に従って語らなければ、

その人には夜明けはない。

イ8、8インマヌエルその広げた翼は

    あなたの国を幅いっぱいに広がる。


主・イエス様の十字架は復活を奇跡をおこす。
 

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私の近所を散歩してみると、もう、梅の花が満開でした。

犬と散歩しながらまたは、家族づれで様々人達が、梅の花見に近所

の公園に集まってきていた。

とりわけ、多かったのが、写真を撮ろうとして、望遠カメラを三脚に

つけて、写真を撮らずに待っている人が多かった。

花に鳥が来る瞬間を狙っているのであろうか。

彼らの顔は、とても朗らかに感じた。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、カミルロ・デ・レルリスという司際に

ついて書こうと思います。

レルリスは、1550年、イタリア・アブルッツイのブッキアニコという町で生まれる。

体がずはぬけて大きく、体力があったレルリスは、勇敢であったのでしょう17歳という

若さでベネチア陸軍に入隊する。

そして、傭兵として、暮らしていた。

当時のイタリアは、十字軍以来、イタリアの諸都市は東方貿易の独占を通じて大いに富栄えていた。

しかし、政治的には統一されず、ローマ教皇までもが、その争いに加っていた。

そんな中、新しい生き方、考え方が生まれ、世はルネッサンス文化へと美や学問も変わりつつあり、

楽しい時期でもあった。

神曲のダンテ、人文主義叙情詩人デカメロンで有名なボッテッチェリー、芸術では最後の晩餐の絵

を壁一面に書き、モナ=リザなどでも有名な画家ミケランジェロなど、彼の生まれた時代

前後は新しい文化、美術などに恵まれた時代でした。

そんな時代で、レルリスがはまってしまったもの、それは、ギャンブルでした。

彼は、3度の飯よりギャンブルが好きで中毒と言えるぐらい、ギャンブルにのめりこんでいった。

司際になろうなど夢にも思わなかったかもしれない。

毎日遊びほうけ、持ち物はすべてつぎ込み、負債者に着てる服をはぎとられることもしばしばあった。

借金はかさみ、やがて労働者として働かざるえなくなった。

そんな生活が17〜25歳まで続いた。

しかしある教会の説教を聞いた彼は、思わず神にひざまづき、自分の過去の生活を悔い、天に慈悲

を乞うたと言います。

改心した後の彼の行動力は凄しいものて゛、まず、フランシスコ会に入ろうとする

けれども、足が不治の病の為入信できなかった。

そのことで、彼はめげることなく病気で苦しむ人々に目を向け、彼は、ローマのサン・ジャコモで

病院の会計係をし始める。

彼は自分が務める病院が暴力的で、治療法が不適切なのに気づき、司祭となった一年後の1585年

に「病める人のための修道会」を設立する。

この修道会のメンバーは、ハンガリーとクロアチアでの戦争で兵士達と供に参加し、最古の衛星集団

として記録を残すことになった。

彼は、64歳までの生き、15の宗教施設と8ヶ所の病院を建設した。

私が彼を思うときにいつも思い出す聖書の箇所は、ルカ19のザアカイの話です。

ザアカイは、大変な金持ちで、取税人のかしらだったひとです。

しかし体格的には、レルリスより背も低かった人ですが、彼と似たところがあります。

それは、生き方です。

レルリスもザアカイもとても恰幅がよく、人から愛されるひとだったのではないかと思います。

なぜならば、聖書でザアカイは木に登って主・イエス様を見ていたと書いてあるからです。

子供のような幼心のある人しか、あまりしない行為です、また、彼は、主・イエスにこういいました。

「私の財産の半分を貧しい者たちに施します。また。誰からでも私がだましとったものは4倍にして

返しますと」

彼らにとってお金とは、自分の生活に必要なもの、またギャンブルなどをするにしても、金に執着

するのではなく夢とかの為に使っていたのではないかと思います。

だから、彼は、主・イエスの新しい霊による体を着たとき、レルリスもザアカイも大いに獲得し

大いに与えることができたのではないかと思うのです。

聖書では、神と富とに仕えることはできないとありますが、私達はお金の為に生きる奴隷的な生き方から

主・イエスの十字架によって解放されています。

そして主・イエスを信じた人は親、兄弟、家族、すべての人に愛され、主・イエスの十字架により、すくわれます。

渡 哲也と石原裕次郎

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今月大鵬、千代の富士に続く歴代3位の大横綱が引退した。

以前から、暴言や仮病で、横綱としての品格を問われていた朝青龍。


 でも、どこか人として憎めないところのある、皆から愛された人でも

ありました。

 同胞の、白鳳は、彼をいい先輩として、またライバルとしてみていたようだ。

寡黙で、冷静なあの白鳳から、大粒の涙がこぼれたのには、同じ国の仲間として

また兄のように慕っていたからではないかと思います

さて今日は、私は主・イエス様に祈り、愛するということについて書こうとおもっています。

孤島に浮かぶ要塞、そこは国際テロリストの本拠地、そこには誘拐された会社社長と少女が人質に

なっていた。



最後のラスト・シーンドドーンドドーンと、耳をつんざくような大音響、大建築の建物があっという

間に紅蓮の炎とかした。

そんな火の海の中から、大門=渡 哲也は、小銃を片手によろけながらでてきたその刹那、テロリスト

非情の銃口が、火を噴く。

これは1979年〜1984年に放送された、西部警察のラスト近くのワンシーンです。


 大都会、西部警察などのテレビで、有名な石原プロダクション、当時バプルの全盛期の頃には、テレビ進出

で稼ぎ出した30億の資金は株式に運用され50億に、年間運営費約3億と相当な利益と富を持っていた。

 しかし、発足当初は、日活との契約が切れ石原プロは、いい映画を作ろうという皆の理念でできた会社

でしたが、ある兵士の賭けという映画づくりで惨敗、倒産寸前までに追い込まれていった。


 
さて話しを少しかえ、なぜ渡 哲也が俳優になったかを書きます。

当時彼は、青山学院の大学生で、空手部、将来は日本空港の整備士の社員を目指していたが、採用されず

就職に対して悩んでいたのではないかと思います。

彼自身人と話すということが苦手で俳優には向かないと考えていたようですが、高校の頃から石原 裕次

朗に憧れていて、映画はたくさんみていたそうです。

 日活には、渡 弟恒彦と当時青山学院の空手部の仲間が浅丘ルリ子の相手役として勝手に応募したこと

がきっかけで俳優へとなっていった。

渡 哲也といえば今では有名人だし、彼のでる映画も大概ヒットしていると思われるが、初めはそうでも

なかったそうです。

出演する映画のほとんど、興行成績が残らない。

そんなあせりと苛立ちがあったなか、石原 裕次郎は先輩として、また仲間として、渡をかわいがる。

 家によくよび、一緒に風呂にはいったり、洋服など生活に必要なものを、裕次郎は持っていく

ようにいってくれたそうです。

そうやって渡 哲也は、俳優へと道をあゆんでいった。

いつしか2人は、俳優としてスターになるが、石原は日活をやめ、石原プロダクション

をつくる。


 しかし、映画の成績が芳しくないことにより石原プロは倒産の危機にさらされていた。

そんな裕次郎の石原プロの危機のさなか、渡も人生の岐路に立たされていた。

日活が倒産寸前になり、自分が望む俳優としての仕事に支障をきたすようになってきたからだ。

渡自身石原プロにいくかどうするかまよったのではないかとおもう。

 日活に反旗を翻したような形になる倒産しそうな石原プロに入るよりも、渡のようなスターにとって

他の映画会社からのオファーがたくさんあったのだから、渡にとって石原プロに行くのは相当の勇気

がいたのではないかとおもえる。

それというのも、日活が5社協定を結び、封じ込め作戦にでたからだ。

でも彼は石原との友情と愛を選ぶ、自分の俳優としての人生をかけて。

そのとき渡は、会社の危機をしっていた為180万もって当時の価値1000万という全財産をもって

社員の皆さんのお茶代にと、もっていく。

そのとき、裕次郎はこういいます。


「哲よ!ありがとう本当にありがとう、でもこれはもらえないよ」

そういうのものもっともで、当時の会社員の給料の4年分の給料だったのだから。

そんな中、渡は西部警察、大都会で活躍し、テレビで名声をとどろかすことになった。

 でもその道は決して順風満帆ではなかった。

石原社長は、1978年に舌癌、1981年には解離性大動脈癌、にかかるこの病の生存率

は3%といわれたが奇跡的に回復を果したが療養生活だったそうです

病の社長の見舞い、そして映画の指揮、渡に対して石原は感謝していたのだとおもいます。

さて上記にのせた、西部警察のラスト・シーンの当日裕次郎はこういいます。

銃で殺された主人公大門=渡 哲也が霊安室に運ばれる、そこへ裕次郎が入ってきて顔の

白い布をとり、「疲れただろう。だから眠っているのだろう。違うか!頼む、一言でいい何

か言ってくれ!」「俺はなあ、お前が弟のように好きだった。」

と言い裕次郎は泣き、涙をぬぐいながら「ありがとう、ありがとう」

この名セリフは、台本にはのっていなかったそうです。

この話しを聞いたとき、私は、この二人の友情よりも熱い絆を覚えます。

裕次郎は、渡の息子が生まれたときも自分の子供のようにかわいがり、渡も

現在の石原プロを引き継いでいる。

自分自身、直腸癌、などの病に冒されながらも、その絆があるからこそ、

石原プロを運営できるのではないかと思います。

さて、ではどうやって絆はどう生まれたのでしょう。

それは、自己犠牲によるものです。


 今から約2000年前主・イエス様が私達の罪を赦すために十字架にかかられたことにより私達は救われ

ました。

そのイエス様が聖書でこういいます。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。


主・イエスを信じるものと教会は絆で結ばれていきます。

そして、信じる私達は天国へと導かれます。
 
 


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