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東京聖書学校の前校長、原登先生が昨年の年末に召されました。95歳の長寿を全うされて、天国凱旋のような最後でした。
 以前、書かれた証しの文章の一部です。先生の信仰の原点が描いてあり、感銘深いので、ここに記します!
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 わたしが16歳の時に、川崎の三等郵便局に勤めていた。そこで一緒に働いていた小泉さんという同僚がいた。彼の兄さんは仕事師をしていたが、ある日、仕事の最中に、上から丸太が落ちてきて、死んだ。
 わたしは友人の兄のお葬式に、参列することになった。目の前についさっきまで元気で働いていた人が、突然死ぬという厳粛な事実にぶつかり、大きなショックを受けた。
わたしは生まれつき、からだが弱く、病気ばかりしていた。そのため常々、死に対する恐れを心の中にいだいていた。小学校から旧制中学校へと進んで、実社会に出ても、わたしの健康はあまりにすぐれず、いつ死ぬかしれないと考えていた。そうした矢先に、友人の兄の死に直面したのである。 わたしはいても立ってもいられなくなった。 ...

人間はいつか地上から姿を消す。死は必ず訪れるのだ。しかし、その後どうなるのか、それがわたしの悩みであった。
 昭和12年12月12日は、非常に暗い晩であった。暗い気持ちになっていたわたしは、友人に誘われて、蒲田の賜恩教会に行った。民家を改造した古い教会であったが、40人ばかりの人が集まっていた。
 生まれて初めて教会の門をくぐったわたしは、まず、明るい雰囲気に驚いた。わたしは、なぜであったか知らないが、「ここに生きる道がある!」と直感した。そして耳をそばだてて、、説教者の言葉に聞き入ったのである。
  講壇の上で話を刺さったのは砂山先生であった。先生がどんな説教をされたか、わたしは覚えていない。しかし、先生は説教の後で、講壇の上の十字架を指さし、「この十字架を信じなさい!」と叫んだ。
 信仰の決心をすすめられた時、わたしは瞬間的に手を上げ、前へ出た。それは、わたしの人生の歴史にとって、回れ右をする、重大な一瞬であった。それからわたしの、まったく新しい人生が始まるのである。
 わたしは救われると、こんなすばらしい福音を人々に伝える伝道者になりたいと考えるようになった。しかしこのわたしの願望を、まず、牧師が反対した。献身するにはまだ数え年17だから若すぎるというのである。また、勤め先の同僚もわたしを極力引き留めようとした。
 わたしの勤めていた郵便局の局長が、いつの間にかわたしの父宛に、わたしがやその伝道者になりたいと言っていると手紙で連絡してしまった。怒ったのは父親である。わたしはさっそく、実家に呼び戻され、父にどなりつけられた。それでもわたしの決心が変わらぬので、父はわたしのシャツをびりびりになるまでせっかんし、小川の水を汲んで来てかぶせようとした。母は母で、泣いてわたしの翻意を勧めた。その夜、わたしは離れ屋で寝たが、このままであったら永久に伝道者になれぬと思い、両親あてに長い置手紙を記して家を飛び出した。
 ひとまず私は、教会に下宿させてもらうことにした。わたしは完全に神のものとなったという感激にあふれて、よく会社の帰り道、大井町のガード下で、ひとり路傍伝道をした。約二年、わたしは工場に勤めながら、仕事が終わると一生懸命に個人伝道に励んだ。
 ところで、当時、わたしに一つの悩みがあった。それは、自分は伝道者になる決心をして家まで捨てた。しかしまだ対人関係などで、きよめられていない点があるということを発見したからである。
 わたしはそのために真剣に祈った。そして神は、御恵みによって、わたしがキリストと共に十字架で死んでいることをお示しになったのである。それと前後して、きょうかいのやくいんたちが「原君の献身」は本物だということになり、わたしが神学校に入ることを承認するようになったのである。
写真は若き日の原先生と晩年の恵まれたお顔。
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