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あまりこんなこと描くのは気がひけるのですが、うちの親父はよく酒を飲みましたね。酒ぐらいしか楽しみがなかったのかなー。まだTVもなかったし・・・。親父は酒を飲むと結構飲むほうで、胸囲も1メートル5センチとかいって大きな人だったので飲みっぷりは良かった。つい友人やお客さまが来ると深酒になる。決まって歌うのが「合羽からげて三度がさー。」と言う歌だった。 |

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こんにちは、ゲストさん
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あまりこんなこと描くのは気がひけるのですが、うちの親父はよく酒を飲みましたね。酒ぐらいしか楽しみがなかったのかなー。まだTVもなかったし・・・。親父は酒を飲むと結構飲むほうで、胸囲も1メートル5センチとかいって大きな人だったので飲みっぷりは良かった。つい友人やお客さまが来ると深酒になる。決まって歌うのが「合羽からげて三度がさー。」と言う歌だった。 |
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お父さんの十八番を暗唱しちゃうなんて、お父さんといい関係だったってことですね。うらやましいです。思春期の私は父親みたいな人とはぜったい結婚したくないって思っていましたから、kureniさんみたいな親子関係に憧れます。
2006/12/5(火) 午前 5:12
道先生は、「大利根無常」とか「雪の渡り鳥」とかは知りませんか?「真室川音頭」は山形の民謡ですよね?そうそう、中学校の運動会のときにPTAのおば様方が、「花笠音頭」というのをやりましたね。親父は僕には優しかったねー。年取っていたからかなー。三男坊には厳しかったね。彼は少年院に入ったりしていたから・・・。兄弟が8人いると人生の縮図。何でもありですね。でも、兄弟仲はいいですよ。
2006/12/5(火) 午前 7:24
道先生の言われるように、本当に良い親子関係だったんですね。わたしの父もよく晩酌をしていました。父も結構お酒は強い方でしたが、子どもは女の子ばかりで息子がいなかったので、お酒を酌み交わすなんて事はありませんでした。父としてはチョッと寂しかったかもしれませんね。
2006/12/5(火) 午後 5:54 [ Barnabas ]
バルナバさま。わたしも19歳で求道生活に入ったようなものですから、親父とはあまり酒を酌み交わすと言う関係には入りませんでしたね。でも、なかなか話せる親父で、いろんなことを話し合いましたよ。僕の生き方を深い信頼を持って見つめていてくれましたね。親父のふところの深い愛情は天のお父様の愛情の反映のように思いますよ。
2006/12/5(火) 午後 6:21
愛情深いお父様に育てられて幸せですね。私の父も優しかったですけれど58歳で亡くなり、末っ子の私は寂しい思いをしました。
2006/12/5(火) 午後 6:52 [ Barnabas ]
うちとの親父も、55歳で脳溢血で倒れて、10年目に亡くなりました。今考えるいろんなことを話したかったと思いますね。晩年はロマ書などを読んだりもしていたんですよ。キリスト教の信仰持っていたんじゃないかな・・・・。
2006/12/5(火) 午後 11:02
そうですか。うちの父も脳溢血でした。うちの父の場合は倒れて昏睡状態になり、それからすぐに亡くなりました。でもkureniさんのお父様は聖書を読まれてたのですね。感謝ですね(^_^)
2006/12/6(水) 午後 9:06 [ Barnabas ]
「大利根無常」とか「雪の渡り鳥」も知りません。私って若いのかしら?父は音痴でしたから、父の歌声を聞いたことがありません。「花笠音頭」は今年の運動会で子ども達が踊りました。10年も闘病されたお父様だったんですね。本人も看病された家族の方もおつらかったでしょうね。
2006/12/6(水) 午後 9:26
演歌、懐かしいですね。九州の福岡生まれの僕は、演歌と民謡の中で育ちました。炭鉱町でした。隣近所は炭鉱長屋の採炭夫とその家族。密度の濃い付き合いだったように思います。石炭産業が斜陽となり、父は炭鉱をやめ関西に転職しました。都会の文明(?)と接し、僕の中のものが変わりました。クラシックと文学との出会いでした。14歳。でも、原点はやはり演歌かな・・・?
2006/12/7(木) 午前 6:16 [ ple*neb*8 ]
バルナバさん。昨年の3月にわたしも過労で倒れましてね。血圧が急激に低下して上が65までに落ちてしまったんですよ。家内にもお医者さんが、もしかしたら危ないかもしれないと告げられましてね。ICUのベッドの中でああ、親父も55歳で脳溢血になった。おれもこれまでか、と思ったんですが・・・。昨年の夏過ぎまでは心臓の方も調子悪かったりしたのですが、今はすっかり元気になりました。健康には気をつけなくちゃ・・・。お互いにね。
2006/12/7(木) 午後 6:14
道先生。年代の差がかなりあるのでしょうかね?あるいは生まれ育った環境もありますね。「大利根無常」とか「雪の渡り鳥」とかは、家族で旅行に行く時に疲れて車の運転をしているときに眠くなると、眠気覚ましに、「カーッパーからげてー」とか歌ったもんだから、うちの子供も結構、最初の出だしの部分など、覚えているんですね。不評ですがね・・・。親父の闘病生活?そうですね。高校1年のときに親父に肩を貸して。畳の部屋で歩き方の練習しましたね・・。思い出しました・・・。
2006/12/7(木) 午後 6:21
Pletneb78さんへ。そうですか九州の福岡生まれなんですか。演歌と民謡のなかで育たれたとは驚きでした。関西で都会文明と接したのが14歳だったんですね。中学二年生のころだったのですね。うちの親父も盆や正月に懐かしい親族が来ると「月が出た出た月がー出た・・あ、よいよい・・・三池炭鉱の上に出た・・・!・・」なんて良く歌っていましたね。三池炭鉱は九州ですかね・・・。なんともあのメロディは戦後の日本のエネルギーが込められたような、不思議な、単純で生命力に満ちたものですよね。
2006/12/7(木) 午後 6:28
おやじは、最後は一人でアパートで亡くなりましたが、晩年はおとなしく過ごしていましたが、私が子供のことはよく夫婦喧嘩をして、外に逃げていました。あの星飛馬の親父のように食卓をひっくり返す人でしたね。几帳面で、何でもきちんとしないとすまない性分。思い出しました。
2006/12/7(木) 午後 11:54 [ chi ]
こんばんは。昔の男性は飲むとよくカラオケもなしに手拍子で歌を歌いましたね。そういえば私の祖父も父もお酒を飲むとよく大声で歌を歌ってた。なんの歌だったかその時にしか聞かない古い歌なので、覚えていません。。。
2006/12/8(金) 午後 6:59
kureniさん、大変だったんですね。本当にお互い体に気を付けましょう。今はお元気になられたと聞いて安心しました。
2006/12/8(金) 午後 10:05 [ Barnabas ]
sakitoさん。お父さんは星飛龍馬の親父さんのようだったんですか?食卓をひっくり返す親父さんね・・・。几帳面だったんですね。でもSakitoさんは食卓ひっくり返すようなことってないでしょう?
2006/12/8(金) 午後 11:21
バルナバさん。55歳ぐらいのときは気をつけないといけないですね。僕も全力疾走の体制で走り続けたって感じですね。でも、やっぱり、身体が衰えているんだもんね。数年前なんか若い者と草野球でランニングホームランを狙って、3塁回ったところで腰がついてゆけず転んで額に傷をつけたことがあったもんね。いやーあの時もマイッタ!マイッタ!その数ヶ月後にはぎっくり腰!90歳にでもなったような足の運びでしたよ。(^_^;)
2006/12/8(金) 午後 11:31
starさん。書き込みありがとう。そうですね。昔の男性はカラオケもなし、マイクもなし、でも手拍子で歌いましたね。だから、「月が出た出た月がー出たーヨイヨイ」なんていう単調なメロディしかなかったのかなー。あんな風景は現代ではどこにもないですよね。田舎だって、兄弟が正月や盆に集まれれば、歌を歌うにはカラオケハウスか、家庭用のカラオケボックスだしてくるものね・・・。時代は変わるよ。でも昔の、ああいうの、いいですね!あ、ヨイヨイなんて・・。僕も今は酒飲まないし・・・。
2006/12/8(金) 午後 11:34
いやいや楽しいお父様だったのですね。私の父は歌は全然でした。クラシックを聴いてばかりでした。讃美歌も「聖なるかな」ばかりでした。だからそんな楽しい歌。覚えるほど聴けてよかったじゃないですか。
2006/12/11(月) 午後 9:29 [ kabanotakara ]
kaba先生。うちの親父は人のいい親父でしたね。僕も兄弟の中で親父に似ていますね。うちの親父はクラシックは聞いたことはなかったでしょうね。でも、ちょびけげとあったかい思いは小さいときから肌にしみこんじゃったですね。わたしも子供の目にはどのように映っているのですかね・・・・。
2006/12/11(月) 午後 11:20