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中学三年のときの運動会におやじが見に来た。その時、生徒会の役員をしていたわたしが、入場行進の時に、日の丸の端を持ち、先頭に立って進み、国旗掲揚(こんなのあったんだ)のあとに、ラジオ体操をする際、朝礼壇のようなところで皆を導く役だった。おやじはそれがうれしかったのだろうと思う。めずらしく、朝早く、入場のときから校庭の隅の方に敷物を敷いて陣取りこちらの方を見ていた。入場行進のときも、ラジオ体操のときも、おやじの方が気になった。今、思い出すと、何か、セピア色の写真の中におやじの部分だけ光が照っているような不思議な感覚がある。翌年の5月、おやじは脳溢血倒れた。あの時、おやじは55歳だった。 |

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セピア色の写真の中にお父様とkureniさんのところにスポットが当たった風景を想像できます。何百人の全校生徒の中で、我が息子が代表で旗を持ったり、体操したりするのはどんなに嬉しかったことでしょうね。
2007/1/18(木) 午前 6:29
Pletneb78さん。中学時代はずいぶん先生方にも可愛がられたように思いますね。3年生のときに生徒会会長に立候補しました、立候補演説で失敗して落っこちてしまいましたね。でも、書記かなんかで、楽しく奉仕しました。
2007/1/19(金) 午前 7:59
Kaba先生。お父様の遺稿集や回想集をお作りになられたのですね。お父様の自由詩や真実なクリスチャンとしての歩みを読ませていただいて感銘を受けています。お父様は無教会のクリスチャンだったのですか?どちらかの教会に所属していらしたのですか?
2007/1/19(金) 午前 8:03
道先生。「何百人もの全校生徒の前で・・・」などといわれると恥ずかしくなりますね。小さな田舎の中学校ですから、1学年80名ぐらいで、240-50名位の生徒だったでしょうかね。でも、おやじはわたしが高校1年生のとき、55歳で倒れて、半身不随で10年目の亡くなりました。座敷でおやじに肩を貸して畳の上で歩く練習したの覚えてますね。けっこう、おやじは重かったですね。
2007/1/19(金) 午前 8:08
Kuneniさんが、お父様のことをむかしも今も大好きなのがよく分かります。私も父は大好きでしたから。亡くなってしまっても色々な所で登場するんですよね。フット車を運転していたりする時だと、目が涙でかすんで危ないんですけど。大好きな人をたくさん作りたいと思っています。
2007/1/19(金) 午前 9:04 [ じゅんこ ]
じゅんこさんのお父様はご自分で日本画を描かれたりされたすてきな方でしょう?じゅんこさんとお父様が一緒に美術館に行かれたり、人生について話されたりするのが目に浮かぶようですね。車を運転しててもお父様が思い浮かんで涙で目がかすむなんて、お父様は天国でもじゅんこさんを愛して見守っていることでしょうね。親と子の魂は、特別な絆で結ばれているんですね。
2007/1/19(金) 午後 0:53
有難うございます。父は独学でしたが、油絵専門でした。油絵から日本画に変えたのは私のほうです。父とは、小学校の時から美術館に行き続け、絵について話した思い出はたくさんあります。最近、父がどうして川合玉堂がすきだったかを、主人から聞いて新鮮な気持ちになりました。解析的な絵が嫌いだったようなんです。それと落語が好きで、よく手枕して話してくれました。後で分かりましたが、どれも少しずつオリジナルと違っていましたが、私には父の落語が一番面白くすきでした。
2007/1/19(金) 午後 2:03 [ じゅんこ ]
お父様は油絵をお描きになられたのですね。川合玉堂の日本画は、日本人のふるさとのようなところがありますよね。青梅に「玉堂美術館」があって、一度尋ねたことがありました。詩情のある風景ですね。わたしの友人のうちに昔、玉堂の絵の暦があって、どうしても、その情景が浮かびますね。
2007/1/19(金) 午後 11:49
じゅんこさんのお父様は落語もされたのですか。落語は難しいですよね。間のとり具合や落ちの入れ方・・・。じゅんこさんが何歳のころ聞かせてくれたのですか?
2007/1/19(金) 午後 11:51
僕も同じような経験があります。新設の高校で(団塊の世代ですから)、上級生がいないので、高1の終わりにクラスメートが生徒会会長を立候補しました。あろうことか、友人は僕に応援演説を依頼したのです。気安く引き受けたのはいいのですが、本番になって、言うべき言葉がなく、マイクを握って沈黙してしまいました。頭が真っ白になって、友人を応援することもなく、引き下がってしまいました。真っ赤になり、恥ずかしい思いをしました。友人は落選でした。こういう失敗談です。
2007/1/21(日) 午後 3:31 [ ple*neb*8 ]
Pletneb78さん。イヤー僕も中学3年のときの会長立候補しましてね、マモが応援演説で、「○○君、生徒会長は○○君以外考えられません!清き一票を!ぜひ、○○君に!」と絶叫調の演説で、皆、爆笑でした。その後に候補者のわたしが、「エー、今ご紹介に与りました○○です。えー・・・」と言ったら頭が真っ白でしばし沈黙・・。しばらくして「えー・・・このような笑い声の起こるような明るい生徒会を作りたいと思います」とか言って壇を下りました。そして落選・・。穴があったら入りたい・・と言う体験でした。(^_^;)
2007/1/21(日) 午後 7:36
準備不足なんでしょうね? 原稿を書いて、それを覚えるくらいにして何度も予行演習を行う。これをしないで、ぶっつけ本番で何とかなるだろうとタカをくくっていた。何度か、こういう失敗をしました。
2007/1/22(月) 午前 6:06 [ ple*neb*8 ]
Pletneb78さんは芸術家ですので、ピアノを弾かれる時には何回も何回も練習されて本番に臨まれるんですよね。講演や選挙演説の時にはやはり予行演習必要ですよね。でも、面倒見てくれる人がいないと何をしゃべるか分からないですよね。
2007/1/24(水) 午後 11:04
父の落語は物心ついたときから死ぬまででした。さすがに大きくなってからは手枕というわけにはいきませんでしたが。よい思い出です。
2007/1/31(水) 午前 0:39 [ じゅんこ ]
うちのおやじも、落語なんかをラジオで聞くのが楽しみにしていたときがありましたね。55歳で中風で倒れてしまったので、なかなか、おやじとゆっくり話しができなくて残念でしたね。じゅんこさんのお父さんの落語、聞いてみたかったですね。熊さんと八さんなどが会話体で登場するんですか?
2007/2/1(木) 午前 11:29
どうして分かるのですか?登場人物はどんな落語でも熊さんと八さんでした。ジュゲムジュゲム・・・なんて何度聞いても面白かったですね。父の落語では、答案用紙に自分の名前を書いていたらテストが終っていたとか、名前を読んでいたら授業が終っていた、ということになっていますが、本当はどうなんでしょう?たいらばやしかひらりんか・・・なども面白かったです。まんじゅうこわい、そばの話、それに昔話ですが、すこし下品な話もありました。私は子どもに語って聞かせましたが、やはりそこでも話しが変わっていますから、うちの子供のは創作落語ですね。
2007/2/1(木) 午前 11:59 [ じゅんこ ]
返事が送れましてすみません。親父は一から十まで無教会です。特に矢内原先生の「嘉信」の愛読者で先生から大きく影響を受け、父の書斎には矢内原忠雄(元東大総長)の扁額がかかっていました。
2007/2/1(木) 午後 9:15 [ kabanotakara ]
お父様は無教会の方ですか。矢内原先生の「嘉信」の愛読者だったのですね。わたしも20代のはじめ、70年安保の前後、大きく揺れ動いたときに、私を唯一信仰に引きとめてくださったのは矢内原先生の著作でした。嘉信の復刻版や矢内原全集を読みながら、どうにか乗り越えました。お父様は矢内原先生の集会に出ておられたのですか?
2007/2/1(木) 午後 9:31
そうですか、お父さんの落語は熊さん八っつあんが出てこられたのですね。いやー、わたしも子どもたちに小さいころに本を読んであげたり、お話をしてあげたりしましたが、なかなかくまさん八っつあんを出すのは難しかったですね。「カバのいやいやくん」なんていうのを寝ながら読んであげたのがテープに残っていますね。かわいい子どもたちが「お父さん、もっとやさしくよんでね」などといいうい小さい声が入っていて、「あ、これは誰の声かな?」などと家内と話したこともありましたね。
2007/2/1(木) 午後 9:45
ジュゲムジュゲムの名前は全部は覚え切れませんでしたね。じゅんこさんの「まんじゅうこわい」は子供さんたちに受けましたか?あ、そういえば、うちもこの間、みんなが家内のそばに寄ってきたので、僕も一緒に混じって、久しぶりにやりましたね。・・・でも、誰も聞いていなかった・・とほほ。
2007/2/1(木) 午後 9:47