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1969年12月21日の日曜日はわたしにとっては生涯忘れることのできない人生の再出発、洗礼の日
である。この日はクリスマスの特別礼拝の時であった。わたしは例の中村町1町目1番地の三畳で生活し
ていた。浪人2年目に入っており、「すいどうばた」の友人たちも2浪になっていたのが何人かいた。
このころ、北村という絵描きの友人がわたしのアパートに遊びに来た。彼と話しているうちに彼がわた
しに聞いた「もし君が、あと3時間で死ぬと言われたら何をするか?」彼の真剣なまなざしを見つめなが
らしばらく考えて、「そうだな、3時間で死ぬのだったら、わたしはキリストの救いを家族や友人に電話
したり、訪問したりして、伝えるかな」。彼はその答えが「意外だ!」という顔つきで「それじゃ、3日
で死ぬと言われたら、何をする?」「3日?3日の命だったら、いろんな人たちを訪問して、キリストの
愛と永遠の命を伝えるな」。彼は更に「それじゃ、3年ならどうする?」「3年の命?ウーン、一生懸命聖
書を読んで、キリストの愛を人々に伝えて死にたいね」。そしたら北村はわたしに言った「お前、あほ
か?これから絵描きとして歩もうというその出発点に立っているのに、3ヶ月あっても、3年あっても、
絵を描くんじゃなくって、キリストの愛を伝えるんだって?それじゃ、キリスト教の伝道師にでもなっち
まえ!」。後で分かったのだが、彼は「3時間後に死ぬことが分かっても、絵筆を握って死ぬのだ」と青
年らしい一途さと感傷の入り交じった答えを期待していたようだった。しかし、彼の「それじゃ、キリス
ト教の伝道師にでもなっちまえ!」の一言がわたしの生涯に大きな影響を与えた。よく考えてみれば、人
生は短い。3時間でも、3日でも、あるいは3年でも、30年でも(!)あっという間に過ぎてしまう。
自分の一番しなけばならないと思うことに生涯をかけねば、一生涯は空しく過ぎる。その時、小学時代か
らの友人、根切(仮名)は伝道者になるべく川崎の教会で、住み込みで訓練を受けていた。洗礼を受けて
クリスチャンになるということは、自分の生涯が、絵描きになるか、牧師になるかという意識があったの
で、洗礼を受ける時は真剣だった。
洗礼を受ける前の夜、「主がわたしのために十字架上で命を捨ててくださったのだから、この日は徹夜
で祈ろう」と、夜の11時ごろから聖書を読み、祈った。夜中の1時ごろだったろうか、わたしの二階の
アパートの窓からきれいな月が見えた。祈りながら窓から出た月を眺めていると、その月がわたしに話し
掛けてくるように感じた。そして、感傷的になって詩を書いた。
イエスさまが月になって
わたしを愛しているよ
と 呼びかけてくれる!
書きながらわたしは、罪許される喜び、神の子供となる喜びで満たされた。涙が、ぽとぽと紙の上に落ち
た。徹夜の祈りは途中疲れてしまって、聖書の上にうつ伏せになって眠ってしまった。
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はじめまして。訪問&コメントありがとうございます。
1969年。。そのころわたしは。。
1歳でした。。
わたしが洗礼を受けたときは、当日よりも
前日のほうがわくわくどきどきしていた記憶があります。
2008/5/7(水) 午後 9:23 [ sha**mfumi*o110* ]
わたしが19歳のときでした。
でも洗礼の恵みは忘れることのできない恵みの出来事でした。
シャロームさんのブログの旧約聖書、楽しいですね!
2008/5/8(木) 午前 1:35
僕にとって1969年は、関西から東京に移り住んで学生生活を送っていた時ですね。疾風怒濤の歳月でした。
ドストエフスキーは、「世界が明日滅ぼうとも、わたしはりんごの木を植える」というニュートンの言葉を引用して、意味のある人生を送ることを説きました。
kureniさんの受洗より遅れること10年。
僕はその10年間、闇の中にいて、うめいていました。
ローマ8章18〜22節のように・・・
2008/5/8(木) 午前 6:57 [ hitsuji1224 ]
すばらしい証ですね!!感謝です。毎日「人生最後」と思って神さまの愛を誰かに伝えなくちゃですね。
2008/5/8(木) 午後 4:57 [ 東調布教会 ]
agnus_dei316さんの1969年は21歳ぐらいでしょうか?
今晩、少数で「罪と罰」を読みます。
彼は44歳のときにあの作品を書いたんですね。
あらためてすごいと思いました。
2008/5/8(木) 午後 6:20
hippyjunkysurfer25 さん。アバダーが決まりましたね。イヤー僕も娘の描いた時の作品よりも、かっこいいアバダーでイメチェンを図ろうかな・・・。hippyjunkysurfer25 さんの献身の証しも読みたいですね。
2008/5/8(木) 午後 6:22
どうでもいいことですが、1969年は二十歳でした。
これも関係ありませんが、そのころ、「二十歳の原点」という本がベストセラーになりましたね。高野悦子さんの著書。彼女は自殺しました。両親が出版しました。
僕の住まいのN町は、彼女の出身地でした。
2008/5/9(金) 午前 7:15 [ hitsuji1224 ]
そうそう、高野悦子さんの本を読んだことありましたよ。あのころ「青春の墓標」とかもありましたね。少し古い本で原口統三の「二十のエチュード」というのもありましたね。森有正が序文を書いていましたね。
2008/5/9(金) 午前 7:32
「それじゃ、キリスト教の伝道師にでもなっちまえ!」っていう言葉は、北村さんの口を借りた神様の言葉だったのですね。あと3時間の命と言われたら、家族をみんな集めて、天国の話をするだろうと思います。だからといって、伝道師になりたいとは思わないです。だから、クレニさんにはタラントが会ったのだと思います。
2008/5/10(土) 午前 5:34
でも、道先生も、ぎりぎりになったら伝道者になるタイプじゃないですか?ご主人様だってJTJ 神学校で学ばれたって、以前、読みましたね。時々、「あのときの北村のやつ、いまなにやってっかな・・?」なんて考える時がありますね。
2008/5/10(土) 午後 11:18
久しぶりに訪問します。ちょっと訳あって訪問を差し控えていましたが、ブログには目を通させてもらっていました。先生は絵のように実に感受性が細やかで優しさに溢れている人なんですね。恐らく牧師としてパウロの信仰を細かやさと優しさで活かしておられるのでしょうね。この記事からもその感受性を一杯感じました。
2008/5/11(日) 午前 11:12 [ kabanotakara ]
この「その時、小学時代からの友人、根切(仮名)は伝道者になるべく川崎の教会で、住み込みで訓練を受けていた」を読んで、あなたがどなたか分かりました。根切君は、私の大切な友人です。イヤー、驚いたなあ。根切君から、あなた様のことは良くうかがっていました。
2008/5/11(日) 午後 6:24
kaba先生。わたしも時々先生のところに行って、感心しながら内容を読んでいます。なかなか、信仰のことなどで、意見の違うことがあって、興奮ぎみで書き込んだりしてして。実に情けなく思っています。僕としてはカバ先生を内村鑑三先生の弟子と見ているので、どうしても、身内のような見方になってしまうのですね・・・。足りない僕を許して寛容に付き合ってくださいね。
2008/5/12(月) 午後 10:49
エイブ先生。よくいらしてくださいました。わたしも先生のことは根切(この意味は彼に聞いてください)から聞いて、すばらしい働きをしておられることを知っていました。直接、ブログでお会いできるなんて感激です。今後とも御導きください。
2008/5/12(月) 午後 10:52
Kureniさんの素晴らしい証を読ませていただき感謝です。本当にますますkureni先生のお話が聞きたくなりました。今のところは帰国の予定がないのでブログ上で今後ともよろしくお願いいたします。
2008/5/14(水) 午前 9:10
私も同じ質問をされたら、Kureniさんと同じように答えてしまいます。罪を赦された喜びと神の子にさせていただいた喜びに感動のあまり滂沱した経験と共に、自分の時と重なりました。(もっとも私の場合は、主人の反対で洗礼はだいぶ後になりましたが、、、)
2008/5/16(金) 午後 11:32 [ dogmomo3 ]
dogmomo3さん。主イエスの恵みを体験的に知るというのは、案外、難しいことなんだなと思います。いろんな牧師先生と話しますと、若い時に神学校に入り、難しい聖書学の複雑な解釈学を学んでいるうちに時は過ぎて、最も大事な十字架の贖いの決定的内容を、「体験的に知る」ということがないままに、牧師になっているという場合が多いのを知らされますね。内村鑑三が十字架の贖罪を「実験的に知る」ことの大切さを強調したのを最近はよく思い起こします。順子さんも献身して歩まれたらいいですよ。あ、もう、献身の歩みですよね・・・・。
2008/5/17(土) 午前 11:24