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1971年2月ごろに見た夢です。懐かしくなって思い出しました。
場所は東京都北区神谷の4畳半のアパート。21歳のころです。
この頃は絵描き浪人3年目。いわゆる「70年安保闘争」や「ベトナム戦争反対デモ」に参加し、自分自身も世の中も、分からないことだらけ、矛盾だらけ。怒りと自己嫌悪と問題だらけで、疲れ果て、更に加えて、失恋の痛手。「人生、真っ暗」という感じの時でしたね。
でも、1年前のクリスマスに洗礼を受けていたし、
(ま、教会からは距離をとって半年ぐらい礼拝には行けなかった・・・)
信仰の恵みの世界もある程度は知っていた。そして、おぼろげながら、自分は、主イエス様を信じて、信仰の生涯を歩んでゆきたい。こころの平安がなくては何をしても、だめだということを深く感じているときでした。自己嫌悪と、自分の惨めさで一杯。でも、主イエスの愛と平和の中に歩んでゆくことができるなら、なんとか、この人生に、平安や喜びがある生涯を生きられるんじゃないかな・・・という期待があったころでした。まあ、真っ暗な部屋に、主イエスの愛と平和の福音が、一条の光のように、薄くさしこみはじめたという感じの時でしたね。
わ! びっくりさせてごめんなさい・・・。
ちょっと画像が大きすぎましたね。
こんな感じのときでした・・・。ふふふ。絶望的、19歳!
さて、夢本体の方ですが・・・・。
わたしは苦しみながら空を飛んでいました。飛行機のように。気流に乗るようにして、てをひろげていたのかな・・・?とにかく、飛び続けていました。そのうちに、雲の中に突入。苦しいような、重苦しい雲の中を飛んでいました。視界が開けない。どのぐらい飛んでいたのでしょうか。しばらくすると、今度は、急下降。映画の場面のように、地面すれすれの所に降りてきて、かなりのスピードで地面に沿って、飛んでゆきました。高い空ではあまりスピードは感じませんが、地上の近くだと、ものすごいスピード感で、全てのものが後ろに向かって飛んでゆく。地上には桑の木のようなものが生えていました。わたしはその桑の木の間を、すべるように飛んで行きました。ふと見ると、その桑の木の枝々から、芽生え始めた、若葉が見えました。
「ああ、春がきているんだ・・」と思いました。ものすごいスピードで飛びながら、わたしのこころに一抹の、希望の光がさしてくるような気配を感じました。その時、どこからともなく、ベートーベンの第9交響曲の歓喜の歌の部分、第4楽章が、静かに聞こえてきました。それは合唱の部分ではなく、器楽の部分でした。
「春が来るんだ!」 青空が広がって行くような調べを聞きつつ、わたしは胸から熱いものがこみ上げてくるような喜びを感じていました。それから数ヵ月後、教会の二階に引っ越して「教会献身」の時が始まり、実際に恵みの歩みが始まりました。わたしの人生の転機に見た夢だったと思います。
【ちょうど、この時に合うような写真を探したのですが、いいのがありませんね・・)
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人生の転機になんて、すごいですね。
私の場合は・・・転機の時ではないですが、乳癌の検査でひっかかってる時にちょっと不思議な夢をみて、検査の結果が出る前に「あ、私病気だな」と言う・・・第六感?虫の知らせ?みたいなのがありました
2010/3/27(土) 午前 2:16
団塊世代って、何だかいろんな矛盾とぶつかり、向き合って生きてきた世代ですよね…シミジミ…
今、社会を立て直すのが、団塊世代の本来の役目かもしれませんね。
あの時は早過ぎたのかもしれない…今、経験を積み上げてきた団塊世代の声が愛と共に地上に満ちたら素敵ですねー。
2010/3/27(土) 午前 5:19
1月からの諸事情や感情は抜きにしてコメントいたします。教会の二階に引っ越して献身生活のスタート。教会の二階に引っ越した立場となり、物凄くわかるような気がします。新たな歩みのスタートとして、受けとめています。
2010/3/27(土) 午後 7:34 [ 甲州鴎組 ]
えびちゃんの証を呼んでびっくりしています。
乳がんの時の夢ですか?
夢って不思議なところがありますよね。
東京の首都圏は日に日に春の兆しですね。
2010/3/28(日) 午後 10:43
お千代さん。団塊の世代は、烈しい時代なんだと思います。
社会を立て直す・・・と言う使命ですか。
「団塊の世代の声と愛が地上に満ちたら」
ほんと、そうなるようにつとめましょうね。
2010/3/28(日) 午後 10:46
甲州鴎組さん。
どうしたらいいものでしょうか・・。
新たなスタートですね。こちらは
今日からユースのフェスタで、青年たちの
熱気で、盛り上がりました。
ユース・フェスタ・・・。懐かしいでしょう?
2010/3/28(日) 午後 10:49
私の人生の転機って何時で何がきっかけだったのでしょうね。先生のような素晴らしい夢は見ませんでした。私の場合は、小(絵画クラブ)中(美術部)高(美高)大(美大)教師(美術)という一つのレールをそれなりに歩んできたようです。後は人との出会いの重なりで生まれた友人・恩師・職場の仲間・書物・両親等々で何かしら今の私となっているようで、先生のような、パウロのような内村のような劇的な転機はありませんでした。19歳の先生はやはり繊細さの中にギラギラする青年の熱いものを感じさせてくれますね。
2010/3/31(水) 午後 4:15 [ kabanotakara ]
kaba先生のブログを読むととてもいろんなことを考えさせられますね。先生の場合は、
「小(絵画クラブ)中(美術部)高(美高)大(美大)教師(美術)という一つのレールをそれなりに歩んできたようです」という言葉に、ああそうか・・・・・と不思議な、感覚を持ちました。
クリスチャンのお父様の影響を受けられたのでしょうし、素晴しい方々に出会って形作られた現在のかば先生の人生観と歩みなのですね。わたしの立場はかなりはっきりしています。先生の書かれているように、パウロや内村の贖罪信仰の立場です。でも、確かにその体験は強烈過ぎて、宗教的他者との共存という点では課題があるところですね。今日は「洗足木曜日の祈り会と聖餐式」がありました。
2010/4/1(木) 午後 9:50
kureni様
青春の苦しい時に救いを求めてキリスト教に入信されたとのこと、多分私と同じ年代の方と思います。安保闘争、ベトナム戦争反対など苦い思い出です。
長崎で長い間生活をしていましたが、キリスト教国の米国が浦上天主堂と多くの信者を原爆で焼き尽くした残虐行為が今もって理解できません。
私のブログで、昨年末のクリスマスの挨拶をアップしました時、来訪いただき有難うございました。水道端で勉強をされ、聖母病院近くで働いておられた事を知りました。私もあの近辺で8年ほど済んでいました。
2010/4/2(金) 午前 10:22
tueda67さんへ。今もすてきな絵を描いていいらっしゃるんですね。
わたしの場合は、絵の世界は過去のことになってしまっているようです。長崎で生活をされてこられたとのことです。わたしも数年前に長崎に行って来ました。原爆資料館の見学は胸が痛む思いです。人間の罪は深いですね。キリスト教国のアメリカが焼き尽くした・・・と聞いてとても複雑な思いをしました。アメリカはキリスト教国なのでしょうか?戦争は人間を恐ろしい世界に陥れますね。
すいどーばたや聖母病院の事を聞いて、わたしも懐かしさで一杯です。今度ともよろしくお願いいたします。
2010/4/2(金) 午後 10:09