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1492年4月8日に後援者のロレンツォ・デ・メディチが死去しました。
ヴェロッキオ作 メディチ家のロレンツォ・デ・メディチ
この1492年はご存じのようにコロンブスがアメリカ大陸を発見した年であり、西洋史に大きな転換期が来ているときでした。ロレンツォの死により、ミケランジェロを取り巻く環境は激変。ミケランジェロはメディチ家の庇護から離れて父親の元へと戻りました。その後数ヶ月をかけて、フィレンツェのサント・スピリト修道院長への奉献用に、木彫の『キリスト磔刑像』(1492年)を制作しています。ミケランジェロはまだ17歳でした。この修道院長は修道院付属病院で死去した人の身体を解剖学の勉強のためにミケランジェロに提供した人物で、ミケランジェロは死体の解剖をしながら、人間の体の構造、骨格や筋肉の付き具合、脳や内臓等についても詳細な知識を持っていました。1493年から1494年にかけて、ギリシア神話の英雄ヘラクレスの大きな立像制作のために大理石の塊を購入しています。このヘラクレス像はフィレンツェに送られたという記録が残っていますが、18世紀に行方不明になっています。大雪が降り積もった1494年1月20日に、メディチの後継者ピエロからミケランジェロに雪像制作の依頼が舞い込み、再びミケランジェロはメディチ家宮廷に迎えられることとなりました。
フィレンツェとイタリヤの地図
しかしこの1994年、フィレンツェの支配者メディチ家は、フランス軍の侵攻と修道士ジロラモ・サヴォナローラの指導する排斥運動でフィレンツェから追放されてしまいます。ミケランジェロもこの政変の直前にフィレンツェを去っておりヴェネツィアついでボロー二ァへと居を移しました。移住先のボローニャでミケランジェロは、サン・ドメニコ聖堂の聖遺物櫃の小さな人物像彫刻を完成させる仕事を引き受けています。その後、1494年の終わりごろにはフィレンツェの政争は落ち着きつつあり、それまでフランス王シャルル8世率いるフランス軍も、ローマ教皇、神聖ローマ皇帝らが結んだ軍事同盟の前に撤退したため、当面の危機は回避。ミケランジェロはこのような情勢下のフィレンツェへと戻ったが、メディチ家不在のフィレンツェ政府からは作品制作の注文を受けることはなく、フィレンツェ外のメディチ家からの庇護に頼らざるを得なくなりました。ローマの枢機卿が、ミケランジェロの作品の出来栄えに感銘を受けて、ミケランジェロをローマへと招きました。自分の彫刻作品がローマで認められのを機に、彼はローマに移ることになります。
ミケランジェロがローマに到着したのは1496年6月で、ミケランジェロがまだ21歳の時でした。同年7月、ミケランジェロをローマに招いた枢機卿ラファエーレ・リアーリオからの依頼を受け、ローマ神話のワインの神をモチーフとした『バッカス像』 の制作。しかしながらこの作品はリアーリオから受け取りを拒否されました。1497年11月にミケランジェロは教皇庁のフランス大使から、代表作の一つである『ピエタ』の制作を打診され、翌年8月に正式な契約を交わしました。完成した『ピエタ』は当時「人間の潜在能力の発露であり、彫刻作品の限界を超えた」と評価され、ミケランジェロの伝記を書いた例のヴァザーリは「間違いなく奇跡といえる彫刻で、単なる大理石の塊から切り出されたとは到底思えない、あたかも実物を目の前にしているかのような完璧な作品」だと絶賛しています。この時、彼は24歳。若くして彼の芸術は花開きました。
24歳にしてこの素晴らしいピエタを彫刻した
この後、ミケランジェロは29歳にして、あのダヴィデ像を作成します。現在はフィレンツェのアカデミア美術館に陳列されます。メディチ家のフィレンツェ追放に大きな役割を果たした、ルネサンス美術を含む芸術否定論者にしてフィレンツェの指導者だったサン・マルコ修道院院長のサヴォナローラは失脚し、1498年に絞首刑となり、のち火刑にされました。内村鑑三の著作には、このサボナローラがよく出てきます。替わってピエロ・ソデリーニが台頭して、以前とは状況が変わったフィレンツェ共和国に、ミケランジェロは1499年から1501年にかけて帰還しています。ミケランジェロは羊毛ギルドの参事たちに、フィレンツェの自主性を表す象徴として壮大なダヴィデの彫刻を制作し、ヴェロッキオ宮殿に面したシニョアール広場に設置するという相談を受けました。ミケランジェロが、この代表作といえる『ダヴィデ像』を完成させたのは1504年。イタリア北部の都市カッラーラの採石場から切り出され、「巨人」と呼ばれた6メートルに及ぶ大きな大理石、純白で傷一つない長方形の巨大なこの大理石。何度か当時の代表的な彫刻家がチャレンジしようとして実現せず、35年間も大聖堂の作業場におきっぱなしになっていたこの大理石に、あの『ダヴィデ』を刻むことになりました。29歳にしてミケランジェロが持つ彫刻家としての当代随一の地位はゆるぎないものとなったのでした。
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素晴らしいミケランジェロの記事をありがとうございます。まだまだ続きがありそうですね。楽しみにしております。
2013/8/2(金) 午後 11:20 [ dogmomo3 ]
ミケランジェロは若き日の私の心を捉えた彫刻家。『多くのひとびとのために、女よ、いな愛する大衆のためにきみは作られた。天使のような姿に・・ ミケランじエロ』凡そ、彼の作り上げた壁画や彫刻では、男性のような女性の姿。丁度のこのダビデの様に・・。彼は、壮大にして大変なロマンティスト。このシリーズの展開楽しみにしています。
2013/8/3(土) 午前 8:33 [ kabanotakara ]
dogmomo3さん。コメント感謝。夏のいろんなスケジュールで、返事が遅くなりました。ミケランジェロに関しては、dogmomo3さんに責任があるんですよ。あまり興味のなかったゴッホとミケランジェロは、わたしの関心の一つとなり、今回のような内容となりました。ミケランジェロの作品の味わいまで入れると、こりゃ、大変な道に踏み込んだという感じですね・・・。本当は今日からバチカンの本物を見に行く予定を立てたのですが、実現に至りませんでした。
2013/8/5(月) 午前 10:24
カバ先生。ミケランジェロの世界を是非書いてくださいよ。ブログにあるダヴィンチの世界より、カバ先生らしいページになるんじゃないですか?わたしにとっての今の興味は、ミケランジェロにとってサヴォナローラの強烈な悔い改めの説教がどのように彼の作品や思想に影響しているのか?新プラトン主義の思想がどのように天井画などに影響しているのか、また、最後は彼はどのような信仰の告白に至り、ルターの宗教改革の影響はあったのだろうか、などと考えていますが、あわてないでゆっくり、考えてみたいと思っております・・・。カバ先生、教えてください。
2013/8/5(月) 午前 10:36
内緒様。
ブログでの出会いは、とても深いものがありますね。自分の関心事である信仰や芸術の世界で、本音で語り合えるなんて、最高の時間ですね。
2013/8/5(月) 午前 11:16