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最近「ヤコブのはしご」の話題を載せていますが、創世記28章10節から内容に関するものです。
28: 10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。・・・15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 一番わかりやすいのが、ギュスターヴ・ドレ(フランス19世紀)のもの。
次は ジャン・ギョーム(フランス 17世紀)の油絵
あるブログから借用
このような雲間からさしてくる光線を「ヤコブのはしご(Jacob’s ladder)」というのですよね。
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同じ聖書の箇所から人がイメージするものは、これほど違うのですね。一見分かり易いこの箇所ですらそうなのですから、他の箇所も主の御心と同じようにイメージするのは難しいことが分かります。
ところで私のイメージですが、一番下の雲間からさす光線がヤコブのはしごのイメージにぴったりです。この光線を天使が上り下りする姿を想像します。その決してまぶしくはなく、それでも太陽の光りよりも明るいその天まで続くはしごの傍らに主が立たれ愛の言葉をかけられたヤコブは、どんな気持ちだったでしょう。そんな経験をしたら誰でも人生が変わりますよね。ヤコブさんの満たされた顔が浮かびます。
2013/8/12(月) 午後 3:48 [ dogmomo3 ]
[ dogmomo3 ] さん。本当にイメージはそれぞれ大きく違うものですね。そうですか。一番下の雲間からさす光のイメージが一番ぴったり来ますか。ふーむ。僕はどうしても、天から下る神の中に、十字架のイメージを考えてしまうのですね。そうすると、神の光よりも、神ご自身の苦難とか、痛みとか、天で支払われた大いなる恩寵というような意味合いを読んでしまうのですが・・・・・。
2013/8/12(月) 午後 11:10
内緒さん。すばらしい内緒話ですね。わたしも同じですよ!
2013/8/12(月) 午後 11:35
KURENIさん
頭の中を「主よみもとに近づかん」がエンドレスで流れています。そのせいか、わたしの脳内イメージにいちばん近いのはジャン・ギョームの油絵です。
ギュスターヴ・ドレの絵は階段に見えたので「あれっ?」と思ったのですが、新共同訳では「階段」と訳されているのですね。「はしご」のイメージが強すぎて、そうなっていることに今まで気づきませんでした。
2013/8/13(火) 午後 4:57 [ にゃあ ]
内緒さん。雲の間からさしてくる光。光の階段・・・・。素敵な体験ですね。
2013/8/13(火) 午後 9:58
にゃあさん。そうか、創世記28章には、デザインや聖句や絵画のほかに音楽もあったんですね。にゃあさんは音楽家なので、ヤコブのはしごは即「主よ、御許に近づかん」が流れてくるのですね。そうするとジャン・ギョームの絵が一番近いことになりますか。でも、ギョームの絵を見て不思議に思うのは、皆、天国への階段を上がっていますね。「御使いたちは上ったり下りたりしていた」というより、「上り続けていた」という感じですね。讃美歌の方も「御許に近づかん」のイメージが近いですね。わたしはあそこはむしろ「主が近づかれた」の方が強いのではないかと思います。「近づかん」となると、自分が努力して上る克苦精励型の信仰となり、「近づいてくださる」頭なると認罪恩寵型の信仰になるように思うですが…いかがでしょう?わたしは「地獄の一丁目まで出張される神」の立場で理解したいところです。
2013/8/13(火) 午後 10:15