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先日、久しぶりに、田舎に帰った。東北自動車道路からインターで降りて、市内を通り抜け、それから、
自分の生まれ育った農村の村落へと向かった。冬の山々は灰色の深い彩りをしていて、なんともいえない
風情があった。この枯れ木の枝に雪がつもると灰色と白と薄い紫の日本画のような美しい冬景色となる。
田舎の生家に帰る途中、とても懐かしい所を通った。それは都市部から田舎の村落に通じる県道から離れ
て、近道になっている、更に狭い山のふもとをたどる細い道である。わたしはその山あいの道を通りなが
らいろんなことを思い起こしていた。高校二年生の夏休み、美術室に毎日、石膏デッサンに通った道であ
る。4時から5時ごろ、美術室を出て、約一時間、夕闇迫るその田んぼ道を自転車に乗りながら、倉田百三
と亀井勝一郎の文庫本を読んだ。田舎の細い道は、人っ子一人いない。車もほとんど通らなかった。16歳
のころである。跳ね石坂というところを通ったときには、黒い木々のシルエットの中に夕焼けの雲をのこ
してどこまでも広がるピンクと紫色にに染まり行く青空を見ながら、涙が流れるほど感動しながらしばし
見とれたときがあった。また、暗い茶色の土の上に列を成して伸びている野菜の畑の色調に驚き、「どう
してこんなに美しい世界だったのに気がつかなかったのだろう!」と思ったりした。またあるときには、
自転車のチェーンが何度も外れていらいらした時に、「ああ、このような時にこそ、感謝が必要だ」。そ
して歎異抄の一節「煩悩しじょうの凡夫、火宅無常の世界は、みなもて空言、たわごと、真あることなき
に、ただ念仏のみぞまことにておわします。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・」などと唱えていたので
した。40年前でも、今も鮮やかな思い出だ。
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