|
このスケッチは洗礼を受けたころ。机の上にあるのは聖書かな?
翌21日の礼拝にわたしはいつもより早めに教会に行った。教会では子供たちの教会学校をしていた。
わたしは教会の外でしばらく祈っていた。教会の外側には小さなどぶ川が流れており、その川底を見つめ
つつ、「オレは今日死ぬんだ、今日から新しい自分が生まれるんだ!覚悟はできているか?」と自分の魂
に語りかけていた。子供たちががやがやと帰って行って、大人のクリスマス礼拝が始まった。説教が終わ
って、牧師がわたしと高校生の加藤姉を呼んだ。いよいよ、洗礼の時である。胸がどきどきした。牧師に
導かれるまま信仰の告白をし、その後洗礼を受けた。市川牧師が「クレニ、われ汝に父と、子と、聖霊
の名によってバプテスマを授ずく!」と宣言して、わたしの頭に水をかけられた。その水が襟首から背中
に流れ、冷やりと感じた時に、「救いが来た!」と感じた。わたしはその時、感動を押さえることができ
ずに、男泣きに泣いた。市川牧師が、「クレニ君は今、感動で泣いておりますが、主よ、この青年を祝
し…」と祈ってくださった。 この日、わたしは夕方から行われるクリスマス祝会に出席するために残っ
ていた。夕方のクリスマス祝会も大変喜びに満ちたものだった。キャンドルサービスがあって、出席した
一同が、ある者は大きな声で賛美をし、ある者は一年の感謝をされた。その中で最年長の白石姉が「今日
新しく生まれたクレニさんにみ言葉をプレゼントします。
『たといわれ、死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ、汝、われとともにいませばなり』…」
と暗唱してくださった。わたしはそれを聞いて、この聖句を一生の聖句としようと思った。市川先生が
「クレニくんも証しをしな」とおっしゃるので、自分が主イエス様を知るようになった中学生の頃から現
在にいたるまで、かなり長いお証しをした。最後に「昨日、月を見ていたら、イエス様がわたしを愛して
いるよ!って言ってくださってるようで、涙が止まりませんでした…」と言った時に、涙で声が詰まって
しまった。市川師が「そこまででいいでしょう…・」と言われたが、先生の目にも涙が光っているように
見えた。
クリスマス祝会を終えて、桜台駅から自分のアパートに帰るまで、わたしは、うれしくてうれしくて、
心の喜びを押さえ切れなかった。町を歩きながら、賛美したり、横に歩いたり、後ろ向きになったり、飛
び跳ねたりして帰って行った。夜風がわたしの首に巻き付いて来るような解放の喜びであった。自分の部
屋に入って、油絵の具を紐で縛って押し入れに投げやり、「主よ、わたしは、あなたに献身し、牧師にな
ります!」と祈った。その時、20―30人の友人にはがきを書いた。「俺は今日、洗礼を受けて神の子
となった。俺は罪が許され、永遠に生きることを信じる。お前も信じろ、このばか。」 この日から数日
間、わたしの心は主にある平安で一杯であった。
|