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根切君の肖像 コンテ
その数日後に、東京に一緒に帰ろうと根切君がわたしの家に来た。
母親は「うちのクレニは、お前とは違うんだ!キリスト教の牧師になるなんて。
お前は先に帰れ。クレニは一緒には行かせない!」
わたしよりも先に、洗礼を受けて根切は、小岩から千鳥町に越してきて旋盤工として働いていた。
「じゃあ、クレニ、先に行ってるよ・・」としょんぼり帰っていった。
紆余曲折を経て、わたしはの根切の住み込んでいた千鳥町の旋盤工として働くことにした。
8ヶ月の旋盤工の生活は、楽しい時でもあった。仕事が終わってからは、自分なりに、
世界史や哲学の本、あるいは聖書やキリスト教関係の本を読んだ。ある時に、
親鸞に関する本を読んで感動していたら、一緒にいた根切から「それはおかしい!」と激しく
責められた。「いやしくも、クリスチャンになって新しい神の子供になったのに、浄土真宗の
教えの素晴らしさを語るなど、ありえない」と言った。しかし、当時のわたしは、高校時代から
親しんできた浄土真宗や嘆異抄や武者小路実篤とか、倉田百三、矢内原忠雄、内村鑑三とかが、
ごちゃ混ぜの状態だった。それに加えて、共産主義的な思想が入り、更に芸術論が入った。
2月4日の20歳の誕生日は、ここで迎えた。友人たちで出していた「リンドウ」という
ガリ版刷りの同級生の新聞に、「二十歳になって」という文章を書いた。それは、二十歳になって、
自分が考えていることをつたない文章で綴ったものである。そこには、「自分は無限に広がる時間と、
無限に広がる空間の間に、一瞬間だけ存在して消えてゆくはかない存在である。それは
無に等しい存在である。人生は本来意味を見つけることはできないかもしれないが、そのような
はかなさを笑い飛ばすような命の感動を持って生きてゆきたい」などと書いたのを覚えている。
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