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神谷のアパートのころに描いた自画像
すべてが空洞化してしまうような中で、わたしも、自分の旋盤工としての生活に疑問を感じた。当時のわ
たしなりの結論はこうだった。「自分とは何者なのか?自分は広大な宇宙の片隅にある、太陽系の中の衛
星の一つ、地球の中に存在する手足と脳の異様に発達した、一生物にしかすぎない。約100億年の歴史
の中で、約1000分の1の期間存在した人類の中の、更に瞬間の存在にしか過ぎない。所詮、宗教も人
間の創造したもので、自然の豊かな日本には自然を崇拝する母性的なシャーマニズム、砂漠のような厳し
い自然環境では厳格な父にイメージの一神教が支配的となった。キリスト教もその流れの一つ。人生には
何の意味もない。すべては無に帰してゆく。それなら、わたしは生きて行く価値をどこに見出せるのか?
どこにも答えはないのだ。もしも、あえて出すのなら、答えは命の内から来るものだ。即ち、意味の無い
ようにみえる人生ではあるが、その命の感動において、空しさをも飲み込んでしまうような命の感動、こ
れこそが、芸術の世界である。わたしはこの命の感動を表すべく、もう、旋盤工などは早くやめて、芸術
の追求に戻るべきだ!」。
このようにして、わたしは、キリストの弟子であることも止め、宗教的な生き方も止めて、もう一度、
絵描きになろうと新しい歩みを始めた。もしも、東京芸術大学に受かるなら、上野の近くに引っ越そうと
思って下宿探しをしている中で与えられたのが東京北区の神谷の友愛アパートという所である。そこから
目白の「すいどーばた美術学院」に夜通い、昼はアルバイトをした。洗礼を受けた時に教えて頂いた山谷
というに通って日雇い労務をした。一日で2800円ぐらいになった。当時、他の学生のしていたお掃除
とか町工場の仕事は千円ぐらいだったので、かなりの高い給料だったと思う。初めは東京都とか台東区の
斡旋する仕事に就いていたが、先輩たちに教えられ、鈴木さんという手配師について仕事をした。その方
が400円多くて、3200円ぐらいになった。彼は愛国党に所属していると誰かから聞いた。三日に一
度働けば、何とか生活はできたのを覚えている。
なかなか、霊的に苦しい日が続いた。神に対する信仰は失ったが、主イエスとは一体誰だったのか?主
イエスへの思いは忘れ得ないものだった。これは論理で割り切れるものではなかった。山谷の行き帰り
に、電車の中で聖書を読んだり、社会科学の本を読んだりしていた。自分が罪の誘惑の中にどんどん入っ
て行くような不安もあった。その頃、友人のO君が「人間革命」10巻ぐらい古本屋で見つけたと言って
買ってきて置いて行ったりした。
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