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アパートから見えた風景など
うっかり手を上げてしまったら、集会が終わってから、石井市五郎先生がわたしのもとにやってきて、声
をかけてくださった。わたしが前の年のクリスマスに洗礼を受けたが、ヘルメット組みに入って、教会を
離れてしまったことなどを話したら、「できれば話にいらっしゃい」と語って下さった。この夜、わたし
のアパートまで、青年会長の平井兄が自転車を引きながら、ついてきていろんな話を聞いてくださった。
次の週からこの教会の日曜礼拝に出席するようになった。礼拝の時に前の方に座って説教を聞いている
と、年老いた高山先生は説教中に涙を一杯溜めて話しておられた。すごい、主の愛に深く感動しているん
だ、と思って感心していたのだが、後でこのことを先生の話したら、先生は「それはね、老人になると涙
腺が緩んで、自然に涙が出るんだよ」と言われて、感動して損したような気がした。次の日曜日から、青
年会の兄弟姉妹との交わりも始まった。印象深かったのは、田中兄。彼は立教大学の社会学部で青年文化
を研究しているという方で、包容力のある元気な先輩だった。それから野村姉が熱心に集会に励んでおら
れた。カリエスを病まれた方だった。藤原姉。彼女はワーズワースの詩を研究しておられる才女だった。
それからしばらくたって、竹田兄が故郷会津から再び上京。彼とは実に兄弟のように共に歩んだ。それか
ら彼の奥さんになった小林姉。高校生だったH兄、M姉妹方。しばらくして、大槻兄とか、高橋兄とか小笠
原兄とか、いろんな青年方が集まってきた。やがて、献身して牧師になった清○君は、その時まだ小学五
年生で、クリスマスの劇で迷子のメー子役で「主に従い行くは…・」を歌って速いぎるとか言って注意を
受けていた。まあ、いろんなユニークな方々がおられた。わたしも友人をよく誘ってきたのを思い出す。
こうして○○教会での信仰生涯が始まった。その当時、この教会は日本キリスト教団を離脱して、インマ
ヌエル綜合宣教団に加入するかとの議論もなされていた頃だった。夜の集会にはいつもイムマヌエル船橋
教会から石井先生や小川先生が来てくださって説教のご用や細かな教会の訪問とか雑用をしてくださった
りしていた。わたしは、夜は「すいどうばた美術学院」の夜間部に通い、昼は自分の家で絵を描いたり、
アルバイトとして山谷の日雇い労務をしていた。時には肉体的にも、精神的にも、とても疲れていた。こ
の年のクリスマス祝会には元首相だった片山哲氏がいらしてくださり、説教のご用された。白楽天の詩を
引用されたりして、「キリスト教の本質は神の愛と人間平等の思想です」とか言われた。わたしは、心の
中で「違う!違う!キリスト教の中心は罪の問題。人間のどうしようもなさです!」とか思っていたのを
なつかしく思い起こす。今考えれば、もう少し謙遜になって、いろんな質問をしたり、お考えを聞きたか
った。奥様もごいっしょしてくださったことが何度かあり、謹厳な、真実そうな人柄を、とても印象深く
覚えている。クリスマスの祝会で恵まれ、また、主にある兄弟姉妹の交わりの中でわたしの心は次第に落
ち着きを取り戻し、信仰生涯を歩み始めた。
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