|
教会の屋根裏に教会献身者として住み込んでいた頃の体験のひとつ。夢の話をしましょう。
1972年の頃。当時、わたしにとっての、唯一のよりどころ的な存在は、矢内原忠雄先生でした。勿論矢内
原先生に関しては書物の上でしかあったことがありませんでした。自分の内なる罪の贖いと、外なる社会
的罪との果敢なる戦いをした矢内原先生の信仰世界は、わたしの不安定な精神状況の中で大きな支えでし
た。「余の尊敬する人物」の中のエレミヤやパウロ、また、藤井武や新渡戸稲造などは大きな感動をもっ
て読みました。また「キリスト教とマルクス主義」も、わたしなりに自分の考え方を整える時の支えとな
りました。
その頃に見た、夢の中に矢内原先生があらわれました。
夢の中で、わたしは故郷の田舎の部屋にいました。少し、暗いつくりの家の隠居の建物の一部屋でし
た。そこで、何か考え事をしていたような、何かに悩んでいるような時でした。ふと見ると、着物を着流
した立派な紳士が入ってきました。肩に小さな子供を乗せ、右の腕で支えていました。
「あ、矢内原先生だ!」と思わず叫びました。
「先生、わたしの家にまで来てくださったのですね。すみません」と言うと、彫像のような直立不動の先
生は、謹厳に、やさしく、わたしに語りかけた。「・・・・・いつの時代でも、多くの問題はある。世界
は罪と混乱で満ちている。しかし、あなたは何を見ているのか。風にそよぐ葦であるか。そうではあるま
い。神の遣わした、預言者か。・・・・・・・あなたに歌を贈ろう。『・・・・・世は・・・時代の風に
そよぐ葦 ・・・神の預言者・・・・』」。わたしは感激して、この句は決して忘れてはいけない!すご
い句を頂いた!と感激し、復唱しました。
そこで目を覚ましました。
わたしは教会の二階の三畳の屋根裏部屋で、目を覚まし、涙ながらに、布団の上で正座して神様に感謝し
て祈りました。しかし、短歌の正確な言葉は思い出せませんでした。でも内容は、覚えています。「多く
のものは時代の風に流される葦のようだ。しかし、神の遣わした主の預言者は、時代をわきまえ、神のみ
言葉に立って、大胆にみ言葉を語るのだ」という意味でした。今、考えると大体、このような感じだった
かと思います。
『・・・・・世はなべて時代の風にそよぐ葦 磐に立てかし神の預言者・・・・』」
|