KURENI 主と共に歩む恵みの日々

2019年がやってきましたね〜。チャレンジの一年!!

高校生のころの思い出

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先日、久しぶりに、田舎に帰った。東北自動車道路からインターで降りて、市内を通り抜け、それから、

自分の生まれ育った農村の村落へと向かった。冬の山々は灰色の深い彩りをしていて、なんともいえない

風情があった。この枯れ木の枝に雪がつもると灰色と白と薄い紫の日本画のような美しい冬景色となる。

田舎の生家に帰る途中、とても懐かしい所を通った。それは都市部から田舎の村落に通じる県道から離れ

て、近道になっている、更に狭い山のふもとをたどる細い道である。わたしはその山あいの道を通りなが

らいろんなことを思い起こしていた。高校二年生の夏休み、美術室に毎日、石膏デッサンに通った道であ

る。4時から5時ごろ、美術室を出て、約一時間、夕闇迫るその田んぼ道を自転車に乗りながら、倉田百三

と亀井勝一郎の文庫本を読んだ。田舎の細い道は、人っ子一人いない。車もほとんど通らなかった。16歳

のころである。跳ね石坂というところを通ったときには、黒い木々のシルエットの中に夕焼けの雲をのこ

してどこまでも広がるピンクと紫色にに染まり行く青空を見ながら、涙が流れるほど感動しながらしばし

見とれたときがあった。また、暗い茶色の土の上に列を成して伸びている野菜の畑の色調に驚き、「どう

してこんなに美しい世界だったのに気がつかなかったのだろう!」と思ったりした。またあるときには、

自転車のチェーンが何度も外れていらいらした時に、「ああ、このような時にこそ、感謝が必要だ」。そ

して歎異抄の一節「煩悩しじょうの凡夫、火宅無常の世界は、みなもて空言、たわごと、真あることなき

に、ただ念仏のみぞまことにておわします。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・」などと唱えていたので

した。40年前でも、今も鮮やかな思い出だ。

しかし、何といっても、一番衝撃を受けたのは、2年生の夏休みに読んだ、倉田百三の「出家とその弟子」そして「愛と認識との出発」だった。毎日、美術室でデッサンをしていたが、その合間に、深い感動をもってこの本を読んだ。「女性の中に自己を見出さんとする時」等に現れる大正期の一高生、倉田が青年期の独特の、愛と性の問題を赤裸々に、また、体験的につづったもので、わたしにとっては実に衝撃的な本だった。倉田は、初め、フリーセックス論を語る。芸術的な、宗教的な情熱をもって。それを読んで、16歳のわたしは、ショックを受け、「そのような人生観もあるのだ、すごい!」と思った。それから、更の読んでゆくと、彼は、そのフリーセックス論を否定してゆく。そして、人間の肉的な欲求は、悪である。性欲は悪である。それは罪であり、真実の愛とは対極にある、自己中心の本質であると語る。そして、真実の愛とは、自己を与える事であり、自己を犠牲とする事である、それはキリスト教の愛であり、仏教の慈悲であり、性欲の充足などではありえないと結論する。この本は、わたしのとっても、文字通り、「愛と認識との出発」となった本で、忘れる事ができない。今、考えると大正時代の背景を持つ、白樺派のような宗教混交や、極端な理想主義が鼻につくが、この時は、熱に浮かされているように、倉田百三に夢中になった。

高校時代も図書室に行き、できるだけ多くの本を読みたいと思った。一体、世の中は、どのようになっているのか、今まで生きてきた人々はどのような事を考えて生きてきたのか、とても素朴な疑問だった。高校1年生になった、初めのころに読んだのは、ロマン・ロランの著作だったように記憶している。「ジャン・クリストフ」「魅せられたる魂」「ベートーベンの生涯」等、芸術と人生に関する本が心引かれた。豊島與志雄と言う人の訳だった様に覚えている。ジャン・クリストフなどどんなに読んでも分厚い三巻本が読み進まない。蛍光灯の下で、コタツに入りながら、朝方まで読みふけった。
ちょうど一年生のときに「世界の名著」と言う全集物が出た。最初の出版はニーチェだった。歴史の転換点には彼がいるというような文章に引かれて購入した。「ツアトウストラはかく語りき」などを読んだ。難しかった。作者の略歴や思想の概説などが書いてあった。

わたしが行った高校は県立の男子校だった。いろんな中学から男子が集まった。女子高もあるが、女子高は市のもう一方の端のほうにあった。大変封建的な風土だったのである。高校生活は非常に暗いところから始まった。中学時代があまりにも渡辺先生の人格と言うか善良な性格がクラスや学年を支配して、まじめで、明るく、解放感に満ちた雰囲気でわたしもいつでもクラス委員のような存在だった。しかし、高校生になると、今までの田舎の中学校とは違って、なかなか厳しい現実が待っていた。中学生の時には、あまり勉強をしなくても、どうにかある程度の点数が取れたが、高校になると急に、難しくなったように感じた。特に英語は難しく感じたし、数学など、とても複雑でいやな科目になってしまった。それと高校に入ると共に大学の受験勉強が一年生の時からかなり指導がなされて、牧歌的な雰囲気の中で、読書などに精を出してきた中学生時代とは違って、何か無味乾燥に思われた。進路指導の先生は、うちに帰って1日5時間は勉強に費やせと言った。美術部に入って、毎日、石膏デッサンなどに時間を取られたわたしには5時間の予習復習は相当きつく感じた。

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