KURENI 主と共に歩む恵みの日々

2019年がやってきましたね〜。チャレンジの一年!!

わたしの内村鑑三体験

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以前から訪問したいと考えていたところに「今井館」がありました。去る5月27日(月)の午後に時間が与えられ、訪問してきました。
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◇「今井館」というのは、日本に多大な影響を与えた内村鑑三の記念館です。イメージ 61900年、大阪の香料商人、天満教会員の今井樟太郎が、京都で開かれた内村鑑三の講演会に参加し感銘を受け、事業不振で苦境にありましたが、内村の励ましを受けて、事業が好転しました。
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今井は1906年に召されました。内村は彼のために墓碑銘を書き、1907年天満教会で開かれた記念会に出席、その際に「友好の秘儀」との講演を行いました。その感謝として、今井夫人から献金を受け、それをもとに、豊多摩郡淀橋町柏木の自分の土地に聖書講義のための会場を建設し、「今井館」と呼びました。今井館は新宿にあったのですが、現在は、目黒区柿の木坂近くに移築されてます。
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◇わたしは中学1年生の時に、担任となってくださった渡邊正夫先生の影響で、中学、高校、浪人時代、そして神学校時代も、牧師になってもいつも、内村鑑三のことを考えつつ生きてきました。ですから、霊的な緊張を持っての訪問でした。
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◇今井館は、玄関を入ると8畳と6畳の二間でした。隣に記念館があり、多くの写真と内村鑑三の著書、矢内原忠雄、藤井武、関根正雄、高橋三郎・・等の個人月刊誌がずらりと並んでいました。案内をしてくださった方や事務の方々が、お茶はいかがと招いてくださり、楽しい会話の時を持ちました。3時間ほどの時間を過ごして帰りました。時間を越えて内村先生や集った青年達の姿が浮かぶような体験でした。
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 しばらくブログに書いてないので「家宝」のことを書きます。

「うちの家宝は?」・・・・・そして「後世への最大遺物」まで。
  
◇毎朝、6時から、早天祈祷会というのをしています。聖書を読み、お祈りをする大変楽しい50分です。そのときに使用している「アパルーム」という冊子に、11月1日ずづけで、クリスティン・ディスタシオさんという米国の女性の方の奨励が載っていました。
◇彼女の家には「家宝」があるというのです。その家宝はいくつかあり古い物では1700年代のもので、時が来たら息子に引き継ぐというのです。どんな「家宝」なのだろうと想像しておりました。
◇わたしはこの奨励を読みながらしばらく、「うちの家宝は何かあるのだろうか?」と考えておりました。自分の家には後世に残すべき何かがあるのだろうか?わたしは父や母から頂いた「家宝」なるものはありません。いや、目に見える「家宝」なるものはなかった、というべきでしょうか?わたしの父母から受けたものは精神的なもので、おやじからは「男らしく、真実に生きよ。家族を愛し、友情を大切にせよ」と小学生の時から教えられましたね。母からは「きれいに掃除しなさい!徹夜ばっかりしてからだ壊すな!」と言われました。父も母も明治生まれのまじめなやさしい両親でした。
◇妻の方は、両親は牧師であり、その生涯を貫いて、「キリスト教信仰を第一に。子供たちに信仰を継承し、キリストの日を目指して、善かつ忠なる僕として歩むように。」とその全生涯をもって教えられたようです。こちらの両親も深い愛情に満ちた方々で、その「家宝」は徹底的なキリスト教信仰で、模範としてイエス様を見上げつつ、ホーリネスの四重の福音に生きる、その献身のたしかな歩みでした。
◇11月第一番目の礼拝は「召天者記念礼拝」と言いますが、もう地上生涯を終えた先輩方の写真を見上げながら、「さて、わたしは次の世代に何を残すのだろうか?」と切実に考えました。もう、67歳の年のせいでしょうか〜。
◇そう考えていた時に、内村鑑三の名著「後世への最大遺物」などをもう一度読んでみました。これはすばらしかったですね。せっかくこの地上に生まれて来たのだ。後世に良きものを残して、この地上を去りたい。33歳の内村鑑三が大変な熱を込めて、箱根に集まった青年たちに語った講演ですが、大変な人気で、明治27年7月に語ったものですが、今だに多くの方に読まれている「講演」ですね。さあ、後世に何を残しましょうか?
◇内村鑑三は、希望に燃えた青年たちに、価値ある「後世への遺物」を楽しく語っています。第一にお金を残せ。それは有意義なものだ。第二に事業を残せ。特に土木工事などの偉業に言及。後で内村集会に通った青山士(あきら)などは、東京帝大工科に進み、卒業後、パナマ運河の開削に従事してすばらしい業績を残した。その後に、1910年の荒川洪水の悲劇を目の当たりにし、岩渕水門を作りあげた。赤羽の牧師の時には、よく、荒川水門に出かけ

たもので懐かしい。

◇最後に内村は、「勇ましく高尚なる生涯」を次の世代に、家族や子供たちに残したいものだと訴えている。
◇ここまで来て、結論が出た!うちの「家宝」は、聖書であり、信仰であり、キリストの贖いの血潮であり、聖霊なる神ご自身であり、内住のキリスト、栄光の希望なのだ!



































(前回からの続きです。内村鑑三52歳。娘の死に直面するところから・・・)

8.ルツ子が死去する 
1912年(明治45年) - 長女ルツ子が病になり信仰の導きを笹尾鉄三郎に委ね   
る。      52
1912(明治45)年、52歳、112日の早朝 にルツ子の死 を通して復活信仰を
得る。
1914(大正3年) 728日 第一次世界大戦勃発                 54
1916(大正5年) 3月「終(つい)に彼を捨てる」を発表。 
8月ベルから送られた日曜学校時報誌のCGトランブルの「再臨は実際的問題ならざるか」を読み、大いなる示唆を得る。
           
1917(大正6年) 第一次世界大戦にアメリカ参戦。内村は失望し再臨信仰に希望。1031日、宗教改革四百年記念会(東京基督教青年会館)夜の集会は大成功。1500余名出席。
             
9.再臨運動 
1918年 (大正7年) - 中田重治、木村清松らと共に、再臨運動を始める。            
58
16日「聖書の預言的研究演説会」は大盛況。ここから中田重治、木村清松と組んで、有名な再臨運動が展開される。この時の会衆は1200余人。大満足の講演。以後1年半にわたって「キリスト再臨の宣教」に力を注ぐ。
23月は東京で再臨講演。
3月 大阪、京都、神戸の再臨講演 5月も再度開催
6月〜7月は札幌、旭川、網走、北見、函館で講演。
10月 岡山で再臨講演
11月 再臨講演東京大会
 
1919(大正8)年 1月、キリスト再臨問題研究、関西大会で講演。
         34月 「パウロの復活論」講演。
6月から再臨運動は終り、講演会は東京基督教青年会館から丸の内の大日本私立衛生会講堂に移る。9〜10「モーセの十戒」の講演。
1920(大正9)年 13月、「ダニエル書」 講演。
         46912月「ヨブ記」講演。
 
10.ロマ書講義
   1921年(大正10年)1月から6月、10月〜12月(丸の内の大日本私立衛生会講
    堂にて) 61
 
11.関東大震災             
1923年(大正12、 6月、有島武郎・波多野秋子心中事件  発見は7月                          
63
                 91日、関東大震災が発生。
 
12. 召天
1930年(昭和5年) - 328日死去、遺言により「聖書之研究」は廃刊、内村鑑三   
 70歳          聖書研究会解散。
           最後の言葉は「日本と世界の救いと神の創造の業の 
           中での宇宙の完成」であった。
書き込むのが久しぶりになってしまいました。毎日、いろんな仕事に追われて、すべてが中途半端という感じです。
 わたしは内村鑑三が好きです。まあ、本当に不思議な人で、日本人の中で一番面白いのではないかと、小原信さんが言っておられますが、本当にそう思います。彼のあの明治の激動期に、西洋とそして西洋の文化の本質とがっぷり四つで相撲を取ったのは、そして本質を深く理解したのは内村鑑三ではないかと思います。

 今日は内村鑑三の約70年の生涯を、12のポイントに焦点を絞りながら全体を書きおろしてみたいと思います。そして、興味をお持ちの方と深めることができればと考えております。かなり自己流であるかもしれませんが、わたしは彼の生涯を12に区分してみました。 (□で囲んだところは、12の中心的ポイント。□に黄色は、彼の精神的な重要な年代、□に赤は、決定的な出来事、ということで強調してみました。かなりわたしの独断と偏見が混じっております。)                                                         

内村鑑三の生涯

  1. 出生
    1861年(万延2年) - 323日、上州高崎藩士内村宜之の長男として江戸に生まれる。   1
1873年(明治6年) - 東京の有馬学校入学
1874年(明治7年) - 東京外国語学校入学
  1. 札幌農学校入学                                    
    1877年(明治10年) - 9月に札幌農学校に入学。「イエスを信ずる者の誓約」に署名    17
1878年(明治11年) - 受洗、洗礼名「ヨナタン
1881年(明治14年) - 首席で農学校卒業、卒業演説「漁業も学術の一つなり」。開拓使御用掛となる。
1882年(明治15年) - 父・宜之受洗礼。札幌独立教会設立。
1883年(明治16年) - 4月札幌県御用掛を辞職 12月農商務省御用掛となり「日本魚類目録」等作成。 
  1. 結婚・破婚・渡米 
1884年(明治17年)  328日、浅田タケと結婚(7ヶ月後破婚)。               24
11月、渡米。
1885年(明治18年) - エルウィン白痴院にて看護人として働く。
新島襄の紹介によりマサチューセッツ州アマースト大学に入る。
1886年(明治19年) - 学長シーリーの人格と信仰の影響を受けて、キリストの贖罪の信仰を得る。
                  38日。翌9日がクラークが死去。
1887年(明治20年) - 7月、アマースト大学卒業。9月、ハートフォード神学校入学。
  1. 帰国 
1888年(明治21年) - ハートフォード神学校を半年で退学(1月)、帰国(5月)。       28
9月、新潟の北越学館赴任。12月に宣教師らと衝突して、辞職、帰京。
1889年(明治22年) - 東洋英和学校、東京水産伝習所、明治女学校に教える。
731日、横浜加寿子と結婚。
1890年(明治23年) - 9月に第一高等中学校嘱託職員になる。
  1. 不敬事件 
    1891年 (明治24年) 19日、不敬事件。これはキリスト教会と日本の精神性が正面衝突。 31
419日、妻加寿子が病死。
1892年(明治25年) - 大阪の泰西学館に赴任。
1223日、岡田静子と結婚
1893年(明治26年) - 著作活動を始める。処女作は『基督信徒のなぐさめ』。同書で「無教会」という言葉を初めて使った。泰西学館辞任。熊本英学校赴任。8月すぐに辞任して京都に住む。
  1. 「萬朝報」の英文欄主筆 
1897年(明治30年) - 「萬朝報」の英文欄主筆になる。「後世への最大遺物」出版。      37歳    
1898年(明治31年)   5月 「萬朝報」を退社。「東京独立雑誌」を創刊。   
1899年(明治32年)   7月 私立女子独立学校校長となる。               
  1. 「聖書之研究」 
    1900年(明治33年)  10月「聖書之研究」を発刊。                       40
1901年(明治34年) - 一時期「無教会」を創刊。黒岩涙香らと「理想団」を作り、社会改良運動を行う。
1902年(明治35年) - 角筈聖書研究会を自宅で始める。小山内薫、志賀直哉などが出席。
1903年(明治36年) - 日露非戦論、戦争絶対反対論を「萬朝報」に発表する。萬朝報客員を辞す。
1907年(明治40年)   413日、父宜之が死去する。
11月、角筈より柏木に移転
今日はある方が、もしもお望みでしたら蔵書をお譲りくださるとの連絡があり、頂きに参りました。それが以下のような御本です。
 
イメージ 1
これは塚本虎二著作集。イエス伝やロマ書の研究を中心に全10巻。わたしの書斎の棚に並べさせていただきました奥の方に、頂いた黒崎幸吉著作集7巻、また三谷隆正著作集もいただきました。感激に胸躍る思いでした。
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 この方はご高齢になられますが、謙遜で、深い信仰を持ったお方です。矢内原忠雄先生の御本もたくさんいただきました。土曜学校講義や嘉信の合本もいただき、何とも感謝に堪えません。土曜学校講義の方にはアウグスチヌスの「告白」やミルトンの「失楽園」などの名著を解説しておられます。川西実三氏の「三谷隆正略伝」なども読みまして、あ、矢内原忠雄先生のお兄さんのように慕った人だと思って読みました。彼は東京都知事や埼玉県知事もされた方なのですね。
 奥様も、お元気なよく気が付くすばらしい方。今日は美味しい昼食もいただいちゃった!感謝します。

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