KURENI 主と共に歩む恵みの日々

2019年がやってきましたね〜。チャレンジの一年!!

予備校生・浪人をしていたころ

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             19歳のころのデッサン・・・

牧師の説教はサムエル記下6章だった。「ダビデは王様なのに、神の箱の前では、子供のように踊った。

これは救われたわたしたちの姿なのです。でも、ミカルというダビデの奥様はダビデのその姿を、冷たい

視線で見たのです!今でも、冷たい視線で見る者もいます!」そう言って、この牧師は、わたしの方をジ

ーっと見る。わたしの視線と牧師の視線がチカチカとぶつかり、一瞬の間ではあったが、わたしは火花が

散るような緊張を感じた。説教が終わると、その教会は皆で一斉に感謝の応答の祈りをした。わたしも同

じように祈りの姿勢を取った。しばらくすると、わたしの心のうちから声が聞こえてきた。これは主のみ

声だったかどうかは知らない。その声はこのように語った。「あなたは、ここにいる人々、牧師をはじ

め、教会の人たちを偽善者というか。あるいは確かにそうかもしれない。人は皆、弱さを持っている。し

かし、彼らを非難する資格はお前にあるのか?お前はこの一週間どのように過ごしたのか?お前のうちに

罪はないのか?」その声を聞いてから、わたしの脳裏には実に、一週間の自分の惨めな罪の姿が、ぐるぐ

ると回りはじめた。そして、この一週間ばかりではない。いままでの、19年間の多くの罪と汚れが、走

馬灯のように浮かんできた。「主よ、そうです。わたしには、彼らの偽善を責める資格などありません。

このわたしが、一番の罪人です。ほかでもない、このわたしが一番の罪人です。おお、主よ、世界はすべ

て、すべて罪で満ちているではありませんか!わたしはどうしたらいいのか分かりません!」気が付くと

わたしは泣いていた。涙がぽろぽろと頬を伝って落ちてくる。涙腺と鼻はつながっているのか、そのうち

に鼻水も出てきた。そして「主よ!主よ!・・」と言っていったのでよだれまで出てきて、この三つのも

のが床に滴り落ちた。わたしが泣いて祈っている姿に、いつもお世話してくださった神学生が寄ってき

て、やさしく「クレニ君、よかったね。もう、神様は分からないなんて、言わないでしょう?」と語りか

けてくださった。しかし、わたしは「そんな事言ったって、オレにはわかんねんだよう!」と言って30

分位、泣き続けた。その間に皆、最後の賛美を歌い、献金をし、頌栄、祝祷と続いて帰って行った。わた

しはズーっと泣き続けた。わたしにとってはこの出来事がとても大きな意味を持った。今まで、あの人が

悪い、この人が悪いと言っていたのに、決定的な批判の刃が、自分の方に向いたのだ。この時から、わた

しの中にあった岩のような硬い自我が、内側で、がらがらと音を立てて崩れて行った。19歳の夏のことだ

った。

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デッサンは当時(19歳)のころのもの。

7月頃だったと記憶しているが、わたしにとって霊的な転機が訪れた。川崎の教会に行って洗礼を受けた

根切(仮名)が、牧師になるために教会に住み込んで、特別の訓練を受けているというのである。彼が、

教会に出席するようにと、しきりに薦める。わたしはあまり気が進まなかったのであるが、根切に会うの

と、礼拝後に教会の印刷機を借りて、「同級生新聞リンドウ」を印刷したいということのために、土曜日に

千鳥町の近くの兄貴にアパートに泊まり、日曜日には川崎の教会に出席しようと部屋を出た。でも、教会

に行くのがとても気が重かった。川崎駅で下車したが、どうも教会に行く気がしない。ぶらぶらと駅のビ

ルにある書店に行き、本を見ていた。当時、アルタイザー、ハミルトン著『神の死の神学』などが並んで

いた。「うちの牧師もこのぐらい、格調の高い、神学的な話しでもするなら聞いてもいいけど、もう、聞

く前から分かっているんだよな。十字架、罪の悔い改め、うんぬん…・」と生意気なことをつぶやきなが

ら、ぱらぱらと、本をめくっていた。11時半ごろ、とぼとぼと教会に向かって歩き出した。教会の印刷

機(当時は謄写版と呼んだ)を借りるのに、礼拝に顔も出さないわけに行くまいと思って、教会に11時

40分頃に着くように、歩き出したのである。歩きながらも、「教会の人たちは、何となく偽善的だよ

な…」と文句ばかりを並べて歩いた。教会に着くと玄関口で、同年の神学生になった女の子が「まあ、ク

レニさん、よく来てくださったわね・・」と声をかけてくださった。でも、わたしは少し、視線を斜め上

に向けて、彼女の言葉を無視した。そして、礼拝堂の一番後ろに座ると、腕を組み、足を組み、会堂の中

を冷たい視線で見回していた。牧師は何となく、わたしの態度に気が付いたのだと思う。説教ももう終わ

りに近かったのであるが、このように語られた。「今日は聖日で、皆、神様の前にひれ伏し、主を礼拝し

て1週間を始めようとしている。しかし、そうでない者もいる。・・」そして、牧師はわたしの方を見

た。わたしはカチンときて、「この牧師は僕にけんかを売っている!」と感じた。19歳の生意気なわた

しは、「売られたけんかは買おうじゃないか!」と意気込んで、牧師をジーっとにらんでいた。

1969年の正月がやってきた。正月には田舎に帰って、友人の根切(仮名)や八保(仮名)や野木(仮

名)などと毎晩、深夜にいたるまで話し込んだ。高校卒業後に上京して体験した9ヶ月の体験はとても新

鮮でお互いに寝るのを忘れて興奮していた。特に教会に行っていろんな人たちに出会ったことは予備校の

体験を越えて強烈だった。正月を終えて大田区に帰る時には、小学生時代からの親友、根切と例の千鳥町

駅前の伝道所(町内会事務所)で会う約束をした。彼はその時葛飾区の鋳物工場に就職していた。まじめ

に働いていたので、職場のおやじさんからも信頼され、また、中学時代からはじめた剣道を続けていたの

で、葛飾区の勤労青年の部でも良い成績を収めていた。彼は1月の半ばに教会に初めて出席して感動し、

日曜日には必ず、新小岩から川崎までの長い距離を通うようになった。はじめの頃は、土曜日に兄貴の部

屋にやってきて、3人でこたつでごろ寝して、朝を迎えたような気がするが、根切としては、命懸けで主

イエスに仕えようとしていたのだった。ある時、土曜日ごとに川崎の教会に行くことを、会社のおやじさ

んから止められ、けんかして、寮を飛び出してしまった。そして、彼は千鳥町の旋盤工場に住み込みで仕

事をはじめた。兄貴のアパートと目と鼻の先である。しばらくすると彼は洗礼を受けるという。わたしは

その頃は、東京芸術大学の油絵科の受験に挑戦することで頭がいっぱいで、教会の礼拝を休んだりしてい

たと思う。根切は休むことなく礼拝に、祈り会に出席、ついにイースター前後に洗礼を受けた。わたし

は、この年も受験に失敗。2浪目に突入。当時のわたしの友人たちの多くは、2浪に一緒になったので、

2浪、3浪は当然という雰囲気だった。さて、2浪目にはいって、自分の生活設計をいかにすべきか?わ

たしはどんなことでも経験したいと思っていた。当時、親友の八保が上京しており、一緒に何かやろうと

言うことになった。最初、焼き芋屋の屋台を引くのはどうかと何件か当ってみた。兄貴に、「何でまた、

そんな変わったことばかりしたがるのかな?」と言われて、焼きいも屋は少し躊躇した。友人の桑田(仮

名)が遊びに来て、鎌倉の近く、大船に季節労務で蛍光燈の管を作る仕事をしている。かなりの給料にな

るというので、行くことにした。そうしたら、「すいどうばた美術学院」(予備校)の浪人2年目を迎え

た絵描きの卵たちが、一緒に連れていってくれという。八保とわたし、それに、瀬富、大慶、藤木(仮

名)の5人で、大船の昌光ガラスで蛍光燈の管を作る仕事をした。初めて安全靴というのをはいた。夕

方、5時の時間がやってくると残業を頼まれても、ぴたりと止めて食事をし、寮に帰った。そして、6時

ごろから寝て、夜の11時ごろに起きる。それから、朝まで、聖書を読んだり、歴史の本を読んだり、油

絵を描いたりという時間を過ごし、朝がた、1、2時間、うとうとと寝て、すぐにまた仕事に行くという

毎日であった。3月から7月まで、そのような生活を続けた。その間に、中学時代の根切や八保等の懐か

しい友人たちと顔を合わせることもあり、渡辺正夫先生から「リンドウ」という機関紙を頂いたことなど

がきっかけとなって、同級生の新聞を作ったりした。なかなか、毎日が忙しかった。充実した19才の青

春だった。

1968年のクリスマス。わたしは、はじめて教会のクリスマス祝会というのに出席した。川崎の

教会だった。はがきが来て「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」と言う聖句と

ろうそくの絵が描いてあったのを覚えている。出席してみると40名ぐらいの参加だった。ろ

うそくをともしてのキャンドル礼拝はいつもの雰囲気と違って、いかにもクリスマスと言う感

じの厳粛なひと時だった。その礼拝のあとに、楽しいゲームがあった。骨だけにした傘に、チ

ョコレートかなんかをぶら下げて、それを取ったりして、厳粛な教会でこんなことをしていい

のかな、と思ったりもしたが、みんな喜んで、主のご降誕を祝っていた。わたしもその中に入

って、若い人たちと、とても和やかなひと時を持った。集会が終わり、最後にお祈りをして、

役員のKさんに車で大田区の自分のアパート(本当は居候している兄貴のアパート)まで送って

頂いた。車の中でも笑い声が絶えなかった。車から外に出ると、冷たい空気と冴え渡る夜空。

きらきらと星が瞬いていて、経験したことのないような喜びが内側から沸いてきた。生きている

という事は何という感謝なことなのだろう思った。あの時以来、クリスマスは、わたしの心の

喜びの時です!

クリスマスも近づいてきていた。あるとき、わたしが集会が終わってから、お茶の時間が進む中、前回書

いたような村田の実存主義的な芸術論を話しているときに、それをじっと聞いていた、女子神学生の佐藤

さんが「クレニさん、こちらへ、いらっしゃい」と部屋の隅に連れて行きました。そこで、「祈りましょ

うね」と言われて、頭を下げて祈りの姿勢をとった。しばらく祈ると、彼女は鋭い声で『悪霊よ!クレニ

さんから、出てゆけ!』」と命じた。僕は、とても驚いた。今もそのときのショックを今も覚えているの

でかなりの衝撃だったと思う。佐藤神学生はわたしと同じ県の出身で、わたしの事を弟のように、心配し

てくれていたのだと思う。ある時には、ぼくが、ぼろぼろの穴の開いた靴を履いて、「雨が降ると滲みる

ね・・」と冗談で話していたりしていたら、次週に、「少し早いクリスマスプレゼントだけど・・・」と

きれいな革靴を買ってきてくださったりしていた方だった。今考えると、神学生の極貧に近い懐具合の中

から、このようなプレゼントして頂き、本当にすまないと思っている。きっと、わたしがクリスマスに洗

礼を受けてクリスチャンになると思ってくれていたのだと思う。それが、「キリスト教のような固定観念

で生きるのはおかしいと思う・・」と言うのを聞いて、彼女は「あ、悪霊にやられている!あんなに素直

に求道していたのに・・」と悔しかったのだろうと思う。彼女は今は鳥取県で牧師をしておられる。

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